・初期のタイトルは『デューイと水の太陽』
・現行バージョンの『魔法道具で得たものは。』と最も違う点は、最序盤で主人公スロウの住む村に水の太陽が現れ、偶然そこに居合わせたデューイがスロウをかばって死亡するところ。
その後は命の恩人たるデューイの人物像を知るため、またデューイの意思を継いで水の太陽を討伐し英雄となるため、スロウが一人で旅を始める……というストーリーラインだった。
しかし、初めて小説を書き始めて慣れてなかったのもあって主人公がとにかくネガティブになり過ぎてしまったり、世界の案内役がいなかったことで物語がまともに進行できない事態になったため、大幅に書き直してデューイが生存するルートに変更された。
※余談1 この初期原稿だとスロウが旅を始めたあとに最初に出会うのは魔人狩りのヘンリー・グレイフォランだった。
余談2 小説家になろう内で『魔法道具で得たものは。』の第一話と第二話の投稿日時が半年近く空いてるのは、この書き直しか入ったため。
当時の小説家になろうの仕様では第一話だけは消すことができなかったため(消すとしたら作品ごと削除しないといけない)、その部分だけ編集で新しいのを打ち込んで第二話から新規投稿という扱いになった。
以下、その初期案での原稿になります。まともに読めない文章ですけどアーカイブとしてここに遺します。
第一話 デューイという男
「水の太陽」、とよばれる化け物が現れたのはつい数十年前のことらしい。
聞いた話によると、ある日突然どこからかやってきて半日とかけずに都市をひとつ滅ぼしたそうだ。
空に海が浮かんでいるとさえ言われるほど巨大な水球に覆われ、魔法の雨を垂れ流しにしながら天空を漂うという水の太陽は、クジラの形をしている、とのことだ。
これまでに何度も水の太陽討伐作戦が行われてきたが、なにしろ相手は空高くに浮かんでいるので手の打ちようがない。
弓なんかじゃ到底当たらないし、砲台を大量に設置してもぎりぎり水球に届くかどうか。剣と斧は・・・まあ地上に落ちてきた魔物には効くだろう。
とにかくここまで話を聞けば誰だって『水の太陽にはかなわない』と考えるものだが、約一名、無謀にもこの水の太陽を本気で倒そうとたくらんでいる変人がいて、それがデューイという男だった。
「よお、スロウ! けがの調子はどうだ?」
「そんなに大したけがじゃないよ、デューイ。もう治ってるって」
安物の剣を研いでもらおうと鍛冶屋に向かっていたところ、大柄な男に呼び止められた。
デューイは二、三日前にこのスクルナの村にやってきた三十代後半のおっさんだ。
その時ちょうどスロウたち村の警備隊は魔物退治に出ていたのだが、運の悪いことにスロウが一人別行動をしていた際に複数の魔物に囲まれて、危うく死にかけたときにデューイが現れて自分を救ってくれたのだ。
警備隊の中では落ちこぼれだったスロウはその際けがをしたのだが、デューイはそれを心配して何かと気にかけてくれていた。
スロウは自分にとって命の恩人でもある彼に対し、半ば尊敬と親しみを込めて接していた。
「はっはっは! そいつは良かった! 若いやつはけがの治りも早いな!」
豪快に笑いながらバシバシとスロウの背中を叩いてくる。
おっさんとはいえその腕は太く分厚い。
本人は好意でやっているのだろうが、デューイのそれは大木を思わせるような剛腕なのでかなり背中が痛くなる。
デューイがやってきたときのことを思い出す。
こいつの戦闘スタイルは独特だった。
彼が愛用するのは、剣先が上を向くように湾曲した片刃の曲剣だ。
分厚い刀身と握るための柄だけで構成された無骨な外観で、装飾などは一切施されていない。
雨に濡れたような仄暗い刃にはうっすらと赤黒いサビがこびりついているが、その形状は何とも言えない美しいカーブを描いており、素人でもたぐいまれな名刀であると理解できた。
デューイは右半身を前に出し、両手に持った曲剣を胸の前で構える。
本人いわく『水流剣の構え』だそうだ。
ちょうど横を向くように相手を見据え、その巨大な体躯からは想像できない華麗なステップで音もなく攻撃を躱し続けるさまは芸術性すら感じさせた。
そして隙をついて敵の懐に潜り込むと同時に、曲剣を大振りに構え、全身のバネを利用し遠心力を上乗せした一撃を叩きこむ。
その勢いのままくるりと一回転するとすぐさま剣を胸の前に構え、横を向くようにして敵と対峙する・・・という繰り返しだ。
デューイはめちゃくちゃ強かった。
とにかく踊るように魔物を屠っていくのだ。
ひょっとしたら何十年とその動作を繰り返してきたのかもしれない。
あれほどの実力を持っているのなら少しくらい得意げになってもよさそうだが、当の本人にそんな様子はなく、いつも豪快に笑っていた。
その代わりというか、『あんたは何者なのか』と聞くと、決まって『水の太陽を倒して英雄になる男だ』と返ってくる。
スロウを含め村の人たちは、なぜデューイが水の太陽という化け物にこだわるのか、不思議でならなかった。
だからというわけではないが、鍛冶屋に行った帰りに、スロウは直接聞いてみた。
既に日が暮れ始めて、空が朱色に染まり始めていた。
「デューイ、水の太陽を倒すっていうの、本気なのか」
「もちろんだ」
即答だった。
予想外に早い返答にたじろぎながらも、スロウは続けて疑問をぶつけた。
「けど、どうやって倒すんだ? 空を飛んでるやつなんだぞ?」
「さあ?」
スロウは絶句した。
「はっはっは! そんなに驚くなよ。別に悪くないだろ? 俺には、『英雄になる』というでかい夢があるのさ」
デューイは冗談っぽく、片目を閉じて笑った。それでいいのか。
しかしスロウの様子を見たデューイは、先回りするように話し始めた。
「いいか、スロウ? できそうかどうかなんてのは問題じゃねえ。まず理想がある。それからいろいろ考えりゃいいのさ。『今はまだできそうにないからやめとこう』なんてチンタラしてたら、つまんねえだろ?」
そうしてデューイは豪快に笑うのだ。
デューイはいいやつだった。
酒場では全員に酒をふるまい、けがをすれば必ず見舞いにやってきてくれる。
何より勇敢で頼もしい男だ。
変人だなんだと言われているが、人を惹きつける大きな魅力があった。
スロウは憧れていた。
そして同時に理解していた。
・・・いつか自分も、ああなりたい『のに』。
既に日が暮れて皆が寝静まったころ、スロウは寝台から起き上がり外に出て剣を握った。
眠れない夜、スロウはこうして自分を高めようとした。
あるときは斧を、あるときは弓を、あるときは鍋さえも練習した。
しかしスロウには、決定打となりうるような特技は無かった。
『これでもない』、『あーでもない』と中途半端に多くを求め、結局何も身につかない。
それでも、憧れの『誰か』のようになろうと努力して、―――それが無意味なことだと理解しながら―――スロウは剣を振り続けるのだ。
第二話 丘の上で
翌朝、スロウはデューイに呼ばれた。
何でも、村周辺の地理を確認してみたいらしい。
特に用事もなかったスロウは、昼すぎにはスクルナ村の北のはずれにある丘の上にデューイと二人で立っていた。
「このあたりは何てことのない、真っ平らな平原がずっと広がってる地域だよ。なだらかな丘陵が続いてるところもあるけど、基本的にはどこでも見通しはいいと思う。けど一番周りを見渡せるのは、今俺たちがいるこの場所かな」
スロウはかかとをつけたまま、つま先で地面を軽く叩いた。
二人が立っている丘は周囲と比べて若干高所となっており、今日のような晴天にはどこまでも続く平原を視界いっぱいに収めることができる。
スクルナ平原は大陸の南東に位置する平坦な地域である。
ここの魔物は他と比べて温厚らしく、大陸では珍しくのどかな地域のようだ。
スロウ達が住むスクルナの村はその平原のど真ん中にぽつりと存在しており、狩りや畑で生計を立てている。
それ以外にも時たまやってくる行商人とほそぼそと交易もするので生活はそれなりに安定的だと言えるだろう。
実際、スロウはここでののんびりとした暮らしが気に入っていた。
「へえ、なかなかいい景色じゃねえか。すると向こう側に見えるのは『竜巻山脈』か」
くるりと後ろを向いたデューイは、その先にそびえたつ土色の巨峰を指さした。
「そうだよ、方角はそっちが北ってことになるかな」
竜巻山脈はスクルナの北、大陸の北東側に連なる特殊な形状の山々だ。
その先には小さな集落が点在する雪原地帯が広がっていると言われているが、実際に行ったという人間をスロウは知らない。
はるか遠くに連なる山脈を確認したデューイは、休憩だと言ってその場にあぐらをかいた。
今二人がいる場所はスクルナ村と竜巻山脈に挟まれるような位置にあるため、残念ながら村と山脈の両方を視界に収めることはできない。
デューイはスクルナ村の方を向いて腰につけていた水筒を仰ぐと、口元をぬぐいながら立ったままでいるスロウに話しかけてきた。
「なあスロウ。お前、ずっとあの村で警備隊やってんのか?」
人懐っこい笑みを浮かべてこっちを見上げてくる。
スロウはちらりと横を見て、立ったままで平原を駆け抜ける春風を感じていた。
「ずっと、ではないかな。剣を握ってる時間は多いけど、弓持って狩りに出かけたり、農作業の手伝いしたり・・・。まあ、いろいろやってる」
「へえ、弓も使えるのか!」
「まあね。けど、大したものじゃないよ。他の人はみんな専門的な仕事してるけど、広く浅くで生きてるのは俺だけだもん」
スクルナ村は分業的な社会だ。
弓の扱いに長けた狩人、商いに精通した商人、愛想のいい宿屋の女将、あるいは毎日怠けずに畑をいじれる農民。
なんら特別なことのない職ではあるかもしれないが、スロウは、何かしら自分の得意分野を見つけてそれで生きている人間のことを尊敬していた。
「なんていうか、俺、器用貧乏なんだ。ひとつのことに集中するってのがどうにも苦手でさ。いざという時にはあまり役に立てない。その道のプロにかなわなくてね。・・・我ながら情けないよ」
「ほほう? それで夜中に一人で剣を振ってたのか?」
え、と横を見ると、デューイはニヤニヤと笑っていた。
「なに、夜に少しぶらぶらと歩いていたら、人の気配がしたもんでな。つい見ちまったぜ」
スロウは眉間にしわを寄せ、目をかたく閉じながら前方を向いた。
深く吸い込んだ息を吐くと、デューイはくっくっくと喉を鳴らしていた。
「まだまだ腕は素人だが、要領はいいと見えた。さっそく俺の動きを真似しやがって、この野郎」
あれも見られてたのか。
スロウは額に手を当てて天を仰ぐ。
なんとなく嬉しそうに口角を上げているデューイを無視して黙っていると、やつはまたくっくっくと喉を鳴らした。
やがてその音も止んで、沈黙が訪れる。
スロウは気恥ずかしさで口をきけなかったが、視界の隅でデューイがじっとこちらを見ているのが分かった。
なんとなく決まりが悪くて知らないふりをする。
「・・・なあスロウ」
「・・・何だよ」
ぶっきらぼうに答えると、思いがけない一言が返ってきた。
「お前、英雄になってみないか?」
「―――は?」
「俺と来いって言ったんだよ。もちろん戦い方なら教えてやるぜ。我が秘伝の水流剣を・・・」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。どういうことなんだ?」
「どうって、そのまんまだ。俺と旅をして、水の太陽をぶっ飛ばして、俺と一緒に英雄の名を受ける。何か問題あるか?」
「いやっ・・・」
唐突すぎて意味が分からない。
というか、問題しかない気がする。
スロウは混乱した頭を整理するように口を開いた。
「えっと、まず水の太陽を倒す方法、分かってないだろ」
「まあな。はっきりとは分からねえが、・・・いや、実を言うとな、手掛かりはつかんでる。俺と来れば教えてやろう」
まじかよ。
そういう風に言われると、なんだか自分が水の太陽討伐時にその場にいなければならないような気がして、スロウはたまらず次の問題点を提示した。
「俺、旅の経験なんて一度もないぞ? それに警備隊の中じゃ落ちこぼれの方だ。あんたほど強くなんかないし、ひょっとしたら足を引っ張るだけかもしれない」
「あ? そんなもん鍛えればどうにかなるだろ。俺だって最初は師匠にとことんしごかれたんだ、今この時点で強いかどうかなんて大した問題じゃねえよ」
師匠なんていたのか。
あのデューイに剣を教えられるなんてどんな人だろう、とすごく気になったが、そこはぐっとこらえて最後の質問に移る。
最後は問題点というか、スロウの素朴な疑問だった。
「何で俺なんだ?」
村の中にも、優秀で、度胸があって、少なくともスロウよりかは英雄の器がありそうな人間はいる。
それなのに、なぜ自分なのか。なぜ自分が水の太陽を倒す必要があるのか。
それは他ならぬスロウ自身が、誰よりも自分自身の器の大きさというものを理解しているからこそ浮かび上がる、ある意味非常に切迫した問題だった。
だが、デューイはいたずらっぽく笑った。
「直感だ」
静寂。
だがデューイの表情はいかにも自信たっぷりだ。
自分の判断は何も間違っていないと確信しているようだった。
スロウは動揺した。
なぜデューイが胸を張ってこちらを見上げているのか、理解できなかった。
「で、どうなんだ?」
デューイは答えを催促してきた。
どうしよう?
スロウは想像する。
水の太陽を倒し、英雄になった自分の姿を。
輝かしい栄光は手に入るかもしれない。
しかし、そこに至るまでの道のりは?
払わなければならない代償は大きいだろう。
『すぐに挫折しては他の分野に手を伸ばすような自分に、そんな大それたことを続けられるのか?』
しかし、同時にスロウは理解していた。
これがチャンスであることを。
それも人生で二度と訪れないであろう、大きすぎるチャンスだ。
少なくとも、この決断で未来が大きく変わる可能性がある。
スロウは悩んだ。
悩んで、悩んで、しかし気が付くと、まるでずっと昔から答えが決まっていたように、思考があやふやのまま口を開いていた。
「・・・いや、悪いけど、・・・やめとくよ」
言ったあとで、しまった、と思った。
「あぁ? 何でだよ」
すかさずデューイが問い詰めてくるが、もう、止まらなかった。
頭にふっと浮かんだことを、そのまま口に出していた。
「俺には無理だし・・・それに、俺は――」
「――俺は、このままでいいよ」
スロウは下を向いていた。
デューイのように胸を張ることが出来なかった。
「そうか・・・残念だ」
落胆の中に失望が混じっていたのは気のせい、だったと思いたい。
スロウはその言葉を聞いたときに、自分がもっと深いところに沈んでいってるような気がした。
それから二人は一度も話すことなく村へ帰っていった。
その間、スロウは前を歩いているデューイの顔を見ることが出来なかった。
スロウは村に着いたあと、デューイに何も言わずまっすぐ部屋に戻って、外に出ようとしなかった。
スロウは満足しているはずだった。
ここの魔物は脅威じゃないし、スクルナ村はそれなりに平和だったから。
確かに自身の力不足は嫌だったが、考えてみれば、いつか自分に向いている才能が見つかるかもしれないのだ。
わざわざ今、危ない橋を渡る必要はない。
しかし―――
―――しかし、胸と喉にこびりついたもやもやが、少しも消えてくれないのだ。
第三話 暗闇の底で
夜。
やけに強い風と雨の音で目が覚めた。
どうやらいつの間にか眠っていたようだった。
無数の雨粒が屋根を叩いている。部屋はかなり冷え込んでいた。
昨日のことを思い出したくなくて、首元に布団を寄せてまどろんでいると、スロウは異変に気が付いた。
今、悲鳴が聞こえたような・・・。
勘違いかと思いながらも耳をすませて外の様子を探る。
そして、それから少しもしない内に、また誰かの怒声が聞こえて飛び起きた。
「・・・何だ・・・?」
スロウの部屋には窓がない。
何が起こっているか確かめるには外に出なければ。
冷気にあてられた衣服を身に着け、身体を震わせながら、念のために剣も腰に備え付ける。
どしゃ降りの雨に加えてまだ夜も明けていないようで、スロウは暗闇に目を凝らしながら部屋を出て、廊下を渡る。
・・・人の気配が全くしない。
寝息すらも聞こえてこないのだ。
異常を感知しないほうがおかしい。
くぐもった激しい雨の音が壁越しに聞こえてくる廊下を進み、出入り口となる扉の前に立った。
「・・・ちょっとこれ借りていきます」
無人のカウンターにつぶやきながら、壁に付けられたかがり台からたいまつを拝借する。
一度だけ深呼吸をして、意を決してドアノブに手をかけた。
扉を開け放った瞬間に凄まじい雨の轟音がなだれ込んできた。
漆黒の闇が眼前に広がる中、無数の雨粒が風にあおられ、波打つようにきらめいている。
その先にはぼんやりとした炎の明かりが五つか、六つ、揺らめいている。
スロウと同じように誰かがたいまつを持っているようだ。
地面は既に水で覆われていて、すぐさま靴に冷たい水がしみ込んできた。
吹きすさぶ強烈な風とともに体温が少しずつ奪われていく。
一体何が起こっているのか。
―――スロウはすぐに状況を理解することになった。
波の音が聞こえた。
近くからではない。
もっと遠く、―――そう、はるか頭上の、天空から。
スロウはゆっくりと顔を上げる。
針のように落ちてくる雨に額を向けて、暗い空の向こうを見ようとする。
ありえない、と思った。
都市ならともかく、こんな小さな村まで、来るはずがない。
だがその時、まるで待っていたかのように雷鳴が鳴り響き、世界を白く点滅させた。
スロウは目撃した。
分厚く膨張したどす黒い雷雲を地平線の果てまで巻き込んで回転する、星のような半球、いや、水球だ。
下半分しか視認できないその水面には、幾千もの白く砕けた荒波が、静止しているかのように見えるほどの質量でもって衝突と発生を繰り返していた。
はるか天空から降りかかるその衝撃と爆音は、スロウに言いようのない圧迫感を感じさせた。
大地を監視する巨大な眼球にも見える水球の奥深くには、刃のようなヒレの影がのぞいていた。
初めて遭遇したにも関わらず、スロウは『それ』の正体をすぐに理解した。
間違いない。
あれが、あれこそが―――
「水の太陽・・・!?」
わずかに遅れた雷音とともに、漆黒からクジラの咆哮が響き渡っていた。
ぼんやりとした明かりの一つから叫び声が聞こえ、スロウは我に帰った。
警備隊の一人が魔物と交戦しているようだった。
「おい! 大丈夫か! 今加勢する!」
バシャバシャと音を立てて仲間の元へ向かう。
しかしいくらもしない内に、何か大きな影が彼に飛びかかる。
わずかに見えたのは、トカゲのような細い胴体と、その胴体よりも分厚く尖った四本足。
そこまで視認して、炎の明かりがふっと消えた。
その直後、暗闇から断末魔が響いた。
呆然としてその場に立ち尽くす。
気が付けばあっちでも、こっちでも、たいまつの光がひとつ、またひとつと消えていく。
闇が少しずつその範囲を広げていく。
どしゃ降りの雨は手元のたいまつの炎を弱めていた。
数メートル先がもう、見えない。
スロウは右手に持った剣を構える。
どこだ? どこに敵がいる?
いつの間にかたいまつの明かりをかざしているのはスロウだけになっていた。
聞こえるのは雨が降りしきる音と黒い風がうなる音だけ。
体中を流れ落ちる雫がまとわりついて離れない。
いつの間にか足首まで水位が上がっている。
寒い。
今すぐここから逃げないといけない。
しかしどうやって?
どっちに向かえばいいのかもわからない。
ふっと、闇の向こうから、カチカチカチ、という音が聞こえた。
・・・息をのんでたいまつをかざす。
しかし見えない。
ゆっくりと炎を左右に振っても、暗く濁った水面が移るだけだった。
カチカチカチ・・・。
風の音が脳にまで響く。
全身が氷のように冷たくたってきた。
足が震えだす。
呼吸を、抑えなければ。
カチカチカチ・・・。
カチカチカチ・・・。
カチカチカチ・・・。
――数が、増えている。
漆黒の向こう側に気配を感じる。
四方八方から不気味な音が鳴り響く。
スロウは何も考えられなかった。
暴風に耐え、目をいっぱいに見開いてただ眼球だけをひたすらに動かしていた。
雷がどこかに落ちた。
世界が一瞬だけ照らされた。
トカゲのような細い胴体と、その胴体よりも大きい四本足。
そして、どこを見ているのか分からない真っ黒な瞳を輝かせ、まるで人間のそれと同じような歯をカチカチと鳴らし、こちらを向く異形の存在。
そんな不気味な魔物が何十匹と群れて、スロウの周りを取り囲んでいた。
四方から、屋根の上から、異形の魔物たちは底の知れない瞳をスロウに向けていた。
スロウの身体は完全に硬直する。
ここまで恐ろしい姿の魔物と遭遇したことなどいまだかつてない。
そのことが、致命的な隙を作る原因になった。
異形の魔物が正面から飛びかかってくる。
スロウの本能はとっさに抵抗を試みる。
が、持っていた剣はいともたやすくはじき飛ばされ、宙を舞った後、水の中に落ちて無くなった。
―――ああ、もっと練習しとけばよかったのにな。
まるで他人事のように、そんな言葉を頭の中でつぶやいた。
背中から倒れ込みながら、自分に生きる力など備わっていなかったと察したスロウは、今度こそ死を受け入れた。
そして―――。
「やれやれ、また囲まれてるじゃねえか」
大柄な男が立っていた。
男は既に死骸と化した魔物の横に立ち、分厚い曲剣を右手に握って、闇の向こうを見据えていた。
「―――デューイ!!」
第四話 デューイと水の太陽
「立て!! 逃げるぞ!!」
差し伸べられた手をつかんで、倒れた身体を引き上げてもらった。
デューイは曲剣を構えながら叫んだ。
「たいまつは捨てろ! とにかく走れ!」
とにかくデューイの言葉に従って彼のあとを追い始めた。
炎の明かりが消えてほとんど何も見えなくなったが、すぐに目が暗闇に慣れた。
どうやら夜明けが近いようだった。
雲がうっすらと明るい灰色に変わっていることにようやく気が付いた。
視界がきくようになって、スロウは今自分たちがどこを走っているのかが分かってきた。
デューイは、スロウと二人で立ったあの丘に向かっていた。
昨日通ったばかりの道を見間違えるはずがない。
空の光が広がっていく方向からも、自分たちが北に全力疾走していることは明らかだ。
だが異形の魔物はどんどんやってくる。
剣を失ったスロウは、とにかく生き延びるのに必死で、拾った木の板を盾代わりにしてどうにか進んでいた。
デューイのような華麗な技も何もあったもんじゃない。
拾ったものをむちゃくちゃに振り回し、転ぶように死の一撃を避ける。
二人は着実にあの丘まで近づいていた。
進むにつれて足元がしっかりとした地面に変わってきた。
地平線まで広がっていたはずの雷雲も少しずつ晴れていく。
二人はすでに村の外まで出ていた。
しかしスロウにはそれを認識する余裕が無かった。
村に現れた魔物だけではなかった。
周囲の平原からも魔物が集まっていたのだ。
普段はおとなしいはずのスクルナの魔物が狂暴化していた。
後ろから、前方から、敵が近づいてくる。
もはや立っているのが不思議なくらい体力を消耗していた。
それからどうなったのか、スロウはよく覚えていない。
死の恐怖に追われて、ただひたすらに手足を動かした。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
周りよりも高所となっている丘の上に、二人の男がいた。
一人は四肢を投げ出して地面に横たわる、黒い髪の青年。
もう一人は、分厚く太い曲剣を地につかえてうつむいている、大柄な男。
デューイとスロウだった。
二人は息を切らして肩を上下させていた。
追ってくる魔物を振り切り、スクルナ村から離れた丘の上まで逃げてきたスロウは、周囲に敵がいないことを確認すると緊張が解けてその場に倒れこんだ。
「・・・た、助かった、のか・・・」
手足に力が入らない。
血液の流れる音が鼓膜を叩く。
どこかを強く打ったのか、全身のいたる所が心拍に合わせてジンジンと痛んでいた。
生きている。
「は、はは、は・・・。まじか・・・」
助かったのだ。
スロウはこの時ばかりはただひたすらに安堵した。
豪雨を落とした分厚い雲は、もうほとんど消えかけていた。
視界に広がる空は半分がすでに朝焼けで赤くなっていて、あとの半分は青とも黒ともいえない澄んだ色合いを映していた。
濡れた身体に当たる日の光が暖かかった。
スロウは息を整えながら、感謝の気持ちを伝えようと横にいる恩人に話しかけた。
「・・・デューイ、さっきは―――」
スロウが上半身を起き上がらせて視線を彼に移した途端。
彼が、膝から崩れ落ちるのを目の当たりにした。
「・・・デューイ? おい! 大丈夫か!!?」
うつ伏せに倒れ込んだデューイに駆け寄る。
血が流れていた。傷を負っているのか。
慌てて彼の身体を仰向けにひっくり返して、―――息を呑んだ。
「―――っ、待ってろよ、すぐに手当てしてやるから・・・!」
「・・・いらねえよ・・・」
デューイはスロウの手を払おうとした。いつもの力強さが無かった。
デューイは言い放った。
「―――もう、手遅れだ・・・」
致命傷だった。
腹部を大きくえぐり取られて、半円状の穴が開いていた。
そこから血があふれて止まらなかった。
スクルナ村から逃げる時、デューイは数えきれないほどの魔物を切り伏せていた。
未熟なスロウを守るために。
スロウは自分ひとりのことで精一杯で、デューイのことなど気にする余裕は無かった。
いや、デューイほど強い人間なら、気にする必要はないと思っていた。
「―――駄目だ! あんたはここで死んじゃいけない!」
スロウは叫んだ。
目に涙がたまっていたことに気が付かなかった。
「助けてもらったのにまだ何も返してない! 俺みたいなやつよりもあんたが生き残るべきだ! だから・・・!」
「スロウ・・・」
デューイは弱々しくつぶやいた。
「・・・何だよ・・・」
スロウはぶっきらぼうに答える。
「―――お前が英雄になれ」
「俺の代わりに、あいつを倒せ。ルクレール邸に、向かうんだ」
「・・・何だよ、それ・・・」
スロウは歯を食いしばって、喉に綿をつめられているような感覚に耐えていた。
「はは・・・悪いが、この剣は、託したからな・・・」
彼は、愛用していた無骨な曲剣を、ゆっくりと差し出してきた。
スロウは、しっかりと―――しっかりと、その剣を受け取った。
「頼んだぞ・・・」
デューイは、満足そうに薄く笑った。
そして、一度だけ深く息を吸い込むと、
そのまま動かなくなった。
「おい・・・? おい! デューイ!!」
いつの間にか晴れ渡っていた空に、オレンジ色の日の光が染みわたっていた。
スクルナ村は水没した。
広い平原の中でただ一つ、暗い水で覆われて、亀裂を走らせるように魔法の水をあふれ出していた。
その上空、朝焼けと青い夜のはざまに漂う水の太陽は、きれいな球体を維持して、どこかへと飛んでいく。
それを小さな丘で見上げるただ一人の青年は、眠るように目を閉じた大きな男の亡骸を抱えていた。
『すべてを託して死んだ男』と、『すべてを奪って飛び去る怪物』。
―――そう、デューイと水の太陽は、一人の青年の運命を大きく変えたのだった。
第五話 生存者
あの後スロウは再び魔物に追われ、デューイを置いてそのまま逃げた。
故郷を失い、恩人を亡くしたばかりで頭の整理がつかないまま足を動かした。
どうしてデューイが死んだのか。どうして自分が生き残らなければならなかったのか。
しかしどれだけ答えが出なくとも、動き続ければ疲れるし、腹も減る。
スクルナ村が壊滅した以上は、どこか近くの町までたどり着かないと命が危ういのだ。
こんな自分でも命を救われた以上は、簡単に死ぬことは許されない。
だが、逃走から半日、理屈とは関係なしにスロウの心は揺れる。
『どうしてこんな目に遭わないといけないのか』。
―――そう自問しても状況は変わらなくて、結局は自分ひとりでどうにかしないといけないことを理解して泣きそうになった。
幸い、スロウは日が昇っている内にスクルナ平原を超えられた。
平原など魔物に見つかりやすい開けた場所で夜を越すなんて自殺するにも等しい行為だ。
今のスロウには、デューイから託された剣しかない。
扱いの慣れていない巨大な剣で戦闘などできるわけがないのだ。
加えて身体に固定するための金具もないため、持ち運びには異様に体力を奪われる。
一メートルほどの長さもあるこの鉄塊を背負うのは大きな負担でしかなかったが、どうしても捨てる気にはなれなかった。
とにかく今は、どこかの街に入らなければならない。
涙を呑みながら頭を動かし、カーラルという、西に位置しているはずの中都市の名前を思い出す。
スロウは、そこがスクルナ村から一番近い都市だと覚えていた。
“平原の先には、新緑の深い森が広がっている。その森を超えたところ、楕円状の台地の上に中都市カーラルが存在する。
周囲をまるごと城塞で囲まれた、大陸の南側を総括する中都市のひとつである”。
そんな話を、どこかで聞いていたのだ。
今スロウが立っているのは、平原と森林地帯のちょうど境目である。
おそらくはこの森が、話に出てきたものだろう。
突破できれば、スロウは助かる。
だが既に太陽の位置は低く、もうすぐ最初の夜が訪れることを示していた。
スロウは少しだけ森の中を進み、ひときわ幹の太い大木を見つけた。
そして頑丈な木の皮に背中を当てて座り込み、地上に露出した根に頭を乗せて横になった。
まさか鞘のついていない抜き身の曲剣を抱えて眠るわけにもいかず、刃を外側に向けて目を閉じる。
・・・墓ぐらい、作ってやりたかったな・・・。
霧散していく意識の中、かすかな後悔を覚えていた。
それからは未知の世界だった。
森の中は茂みが多く、視界の自由がきかない。
幸い、木漏れ日の指す木々の合間から太陽の位置を把握できるものの、腰まで伸びた硬い植物がいたるところに群生しているせいで一直線に進むことは制限されていた。
せめてスクルナ村と都市を結ぶ街道でも見つかればよかったのだが、本格的に迷い込んだスロウは感覚と太陽の位置だけを頼りに移動することしかできなかった。
極力魔物に遭遇しないように細心の注意を払っていたスロウだが、道中で一度だけ、魔物の印である赤い紋様をつけた二十センチメートルほどのカエルを見かけた。
概して魔物は狂暴な性格や特殊な攻撃手段を持っているためスロウはひどく警戒したのだが、そのカエルはこちらを見るなり異様な跳躍力でどこかへと跳んで行ってしまった。
何が起こったのか理解できず、その後数十分はあたりを警戒しながら進んだが、結局何もなくて無駄に体力を消耗しただけだった。
ただ、木に果実がなっているのを見つけたときは本当にうれしかった。
なにせ飲まず食わずでずっと歩いてきたのだ。
まだ完全に熟していない小ぶりな林檎にかぶりついたときの幸福感やら、安心感やらは多分一生忘れられないだろう。
まだ微妙に酸っぱさが残る林檎をありったけかじったスロウは予備としていくつか持っていくことを考えたが、バッグも無いのであきらめることにした。
その代わりにもう一つ分だけ腹に押し込んでその場を後にした。
その後はこまめに休憩をはさみながら進んだ。
何度も迂回し、太くうねった木の根に注意しながら黒い土を踏みしめる。
地面まで届いたわずかな日光が枝葉を照らし、かすかに湿気を帯びた青臭いにおいを立ち昇らせていた。
足を止めて休んでいると、日陰を吹き抜ける涼しい風が背中をなでる。
何度目になるか分からない小休止の間は、スロウは曲剣を眺めていた。
「・・・そういえば、デューイはどういう風に戦ってたっけ」
おもむろに立ち上がって構えてみる。
腕の力だけでは持ち上げられないので、全身の力を使うことになった。
これじゃ休憩の意味がないかもしれないが、一回だけということにした。
片足を前に出し、剣を胸の前まで持ってくる。
この体勢を維持するだけでもうきついが、確かデューイはここから遠心力を利用して曲剣を振るっていた。
記憶の中の絵を引っ張り出し、見よう見まねでやってみる。
とりあえずは目の前の木を狙おうか。
重心を低くして、そのまま力任せに剣を振るい―――
―――バランスを崩して頭から激突した。
日が傾き始めていた。
もうかなりの距離を歩いているものの、同じような緑の景色はまだまだ続いている。
危機的な状況の中、街にたどり着くどころか景色すら全く変わらない状態が続いていると普通なら不安を抱くものかもしれないが、スロウはいたって冷静沈着に足を進めていた。
なんだかよく分からないが、額がとても痛い。
指で触れてみるとかすかに腫れているようだったが、スロウには心当たりがない。
きっと虫にでも刺されたのだろう。
理不尽な痛みに対する謎の怒りで未知への恐怖心が消え失せたスロウは、自分でも驚くほど順調なペースを維持していた。
今日一日だけで中都市カーラルに大きく近づけた・・・気がする。
暗くなり始めた森を見て、これ以上の進行は無理だと判断したスロウは寝床になれそうな場所を探し始めた。
その途中、ふっと、視界の端で何かの影が動いた気がした。
「・・・・・・」
何も言わずにデューイの曲剣を握りしめる。
怒りとは別の緊張感が湧き上がり、脳を一気に冷却させた。
一瞬、先ほど見かけたカエル型の魔物かと思ったが、すぐにそうではないと判断する。影の大きさが明らかに違った。
少なくとも今までに出会った魔物は、敵を見つけたらすぐにアクションを起こしていた。
だいたいは一直線に襲ってくるか、逃げ出すか。
記憶が正しければ、奇襲をしかけられるほどの知能を持った個体はいなかった。
だが、敵は、必ずしも魔物だけではないのだ。
何の攻撃もしてこない相手に警戒し、その場で耳をすませて様子をうかがう。
ここまで誰とも交戦することなくやってこれたスロウだったが、新たな脅威を感じ取り、脳裏にあの時と同じ死の恐怖がよみがえる。
加えて、慣れない武器、慣れない環境。
『無理』という言葉をどうにか抑え込んで、必死に頭を働かせる。
このまま夜まで持ち越されたら厄介だぞ。
視界の効かない状態で戦うことの不利益は身を持って体験している。
体力だって消耗しているのだ。
長期戦は、こちらが不利。
「やるしかない・・・!」
覚悟を決めて一歩踏み出そうとした瞬間、向こうからアクションがあった。
「どうやら、魔人ではないようですね」
人の声だ。
男性特有の低い声が聞こえた方向に顔を向ける。
するとすぐに茂みの奥から、驚かせてすみませんと、やや細い男が現れたのだった。
第六話 中都市カーラル
「ヘンリーと申します。以後お見知りおきを」
手際良くたき火を焚いて目の前に座った男は、片手を胸に当てて礼儀正しく挨拶をした。
薄汚れた白シャツの上に何かの金具がたくさんついた上着を羽織り、腕には革の手袋をはめている。
腰のベルトには二本の短剣と小型のボウガンを下げており、矢は筒にまとめられて背後に装着されていた。
いかにも身のこなしが軽そうな装備だ。
炎に照らされた顔はまだ若い男のそれではあるが、おそらくはスロウよりも年上だろう。
年は二十代の半ばに見える。
背筋を伸ばし、落ち着いた声色で話す様子からは真面目な印象を受けた。
森の中をさまよい続けて二日。
初めて出会った相手に最初こそ警戒したものの、丁寧な物腰と理性的な話し方を聞いて悪人ではなさそうだと思った。
それから同じ火を囲んで話をしていると、安心してきたのか急に腹の虫が鳴った。
ヘンリーはそれを見かねて携帯していた干し肉を分けてくれた。
「どうしてこんなところにいるのですか? 傭兵団なら、この時間はすでに街に撤収しているはずですが」
傭兵団って、確か魔物退治の集団だったっけか。
傭兵団という単語が出てくるなら、彼らが拠点にする街も近いのだろうか。
もらった干し肉を飲み込んでから口を開いた。
「いえ、実は、水の太陽に・・・」
「ああ、そうでしたか・・・それは、災難でしたね」
伏し目になりながら少しだけうつむいたヘンリーは、まるで謝っているようだった。
それを見るとなんとなく自分の立場を痛感させられた気がした。
「失礼ですが、襲撃を受けた場所を教えてもらえますか。また一つ街が消えたとなると、ギルドに報告する必要がありますので」
「えっと、スクルナ村です」
「おや、村ですか? 街ではなく」
ん?
何かおかしいところでもあるのだろうか。
「うーん、珍しいですね、水の太陽が都市ではなく小規模な村を狙うとは。普段は人口の多い都市に集中して現れていたはずですが・・・。
まあ、以前と比べて街の数もかなり減りましたからね。仕方のないことかもしれません」
「襲う場所を選んでるんですか・・・」
水の太陽がある意味自然災害か何かのようなものだと思っていたスロウは、あの怪物に少なからず知性があるという事実に戦慄する。
そういえばやつは襲撃の際、村の上空にピンポイントで停止して何時間も滞空していたし、その後、村が沈むと雲を霧散させてどこかへと飛んで行ってしまった。
時間帯も、人々が寝静まっていて、なおかつ視界が暗闇に閉ざされる深夜の出来事だった。
狙ってやっていたのだとしたらとんでもない脅威だ。
おいデューイ。何でそんなやつのことを俺なんかに任せたんだ。
「時にスロウ君。これからどうするつもりだったのですか?」
すぐそばの曲剣を見ながら恩人への恨みを吐いていたスロウは我に帰る。
「とりあえずは、カーラルという中都市を目指してました。まあ、迷ったんですけどね」
「そうですか。カーラルに向かう途中でしたか」
ヘンリーは、ふむ、とあごに手を当てると、少し間を置いておもむろに立ち上がった。
「では、行きましょうか」
「え?」
一本のたいまつを作ったあとに手際よくたき火を消しながらヘンリ―は答えた。
「中都市カーラルです。すぐそこですよ」
中都市カーラルはいわゆる城塞都市というものらしい。
昔ながらの高い壁で街全体を囲み、魔物の侵入を阻んでいる。
盛り上がった台地の上の都市はどんな景観をしているのだろうと思ったが、残念ながら夜では大して見えるはずもなく、月光でわずかに城壁のシルエットが浮かぶだけだった。
城壁の近くまで来た時、ここで待っていてくださいと言い残してヘンリーは門の兵士のところへ向かった。
スロウは門から少し離れた場所でデューイの曲剣を杖のように地面につかえながら、高い城壁を仰ぐ。
全体像は暗くてよく見えないが、石造りでできているようでとても頑丈そうだ。
やや傾斜を感じる道の先には大きなかがり火が焚かれていて、縦に伸びた門の下を薄く照らしていた。
門は薄茶色の大木をいくつも束ねた大扉で閉じられており、そのそばに甲冑やら兜やらを身に着けた兵士が二人、眠たそうに立ちながらヘンリーと話をしていた。
やはり夜中となると、門を通過するのにも制限があるのだろうか、などと考えていると、どうやら話が付いたらしく、ヘンリーが小走りでこちらに近寄ってきた。
その背後で大扉が重そうな音を立てて開き始める。
「もう大丈夫です。これで通れますよ」
「・・・そういえば、ヘンリーさんって何者なんですか?」
ふと思ったことを聞いてみる。
今更だが、門の開閉に融通をきかせられるのってそれなりに権威のある人間でないとできないのでは・・・。
「私ですか? 私は・・・ただの傭兵ですよ」
ヘンリーは苦笑しただけで、それ以上は答えてくれなかった。
スロウも眠気が強まってきたこともあり、それ以上は聞かなかった。
スロウはヘンリーが融通してくれたという宿に泊まることになった。
無事に門を通過して町に入る。
これでスロウはひとまずは身の安全が保障されたわけだが、真っ暗で誰もいない街を歩いていてもそんな実感は湧かないし、というかそもそも眠気が強くなってきた。
大剣を背負いながら引きずるように足を動かす。
ふらふらの状態でヘンリーについて行って数十分。
宿の一部屋に案内されると、スロウは部屋のベッドに倒れこんですぐに眠りだした。
「ふぁ・・・」
まぶたの裏に光を感じて目を覚ました。
見慣れない部屋の景観に驚いてすぐに頭が覚醒したが、昨夜に出会ったヘンリーという男のことを思い出す。
どうやらかなり眠っていたようだ。
昨日おとといの野宿時とは大きく異なる快適な睡眠で、自分の身体がとても軽く感じた。
あくびをしながら身体を起こす。
閉じられた木製の窓枠から床に向かって光が漏れているのを見ると、もう昼になっているのかもしれない。
ちなみに大事な曲剣は床に転がっていた。
昨日の自分はよほど疲れていたに違いない。
ベッドから降りて、剣をまたいで窓を開ける。
「うわ・・・!」
台地の上から見える景色が、刺すような日光のまぶしさと共に飛び込んできた。
自分たちが通ってきた城塞を下に見下ろし、その向こうに新緑の森をはるか彼方まで見渡せる。
城塞の内側には正方形がバラバラに敷き詰められたように建物が密集しており、そのいくつかは煙突を突き出して白い煙を吐いていた。
やはり昼時だったらしく、何かを焼いたような旨そうなにおいが風に乗って運ばれてくる。
少しあたりを見回してみると、ウロコのように密集した街の中にぽっかりと丸く広がる区画があった。
よく見ると市場か何かのようだった。そこから人々の喧騒がかすかに届いていた。
にぎやかな街の様子に浮足立ったスロウは、外を見てみたくなってすぐに支度する。
とはいっても持ち物はひとつだけだ。
曲剣を背負って部屋の扉に手をかけ、宿の出入り口へと向かう。
『もしまったくの一文無しだったなら、ひとまずは傭兵ギルドにいってみることをおすすめします。ギルドに登録するだけで一応の資金は手に入りますから』
昨日のヘンリーの言葉を思い出しながら、まずは剣を固定する金具を買おうと考えた。
第七話
傭兵ギルド。
水の太陽が現れてから発足した、魔物退治の組織だ。
かつてスロウが所属していた警備隊とは規模も役割も大きく異なるそうで、一部では『傭兵』ではなく『盗賊』、『トレジャーハンター』などと揶揄される職業だと聞いていた。
そう呼ばれるのにはグレーな仕事内容が関係しているというが、とにかく荒くれ者が多いという印象を抱いていた。
その印象はおおよそ正しかった。
まず怒鳴り声が聞こえてきた。
通りに面したこの傭兵ギルドに入ったスロウは、たくさんの張り紙が貼り付けられた大きな掲示板のそばで口論をしている複数の男たちを見た。
かなりの声量で言い合っているが、周囲はそんな男たちには目もくれずに、テーブルを囲み大声で会話をしていた。
その手には酒の入ったジョッキが握られている。
まだ昼過ぎなのに。
どうやらギルド内に酒場が併設されているようだったが、この場を見る限りでは酒が傭兵たちの成果向上に貢献しているかどうかは定かではない。
これは宿屋に剣を預けて正解だったかな。
抜き身のままだと危ないと思って持ってこなかったのだが、もし見せびらかして歩いてたら目をつけられてたかもしれない。
スロウは奥に見えるカウンターへと向かっていった。
スロウが傭兵ギルドに登録しようと決めたのは、やはりまずは金がいるからである。
現在スロウは一文無しである。
ヘンリーに出会うという幸運のおかげでこの中都市までやってはこれたが、この先食っていくにも金は必要だし、少なくとも今自分が持っているものは、警備隊としての経験と、デューイの剣だけ。
この状況で金を稼ぐ方法は何かと考えると、傭兵以外には手段が浮かばなかった。
それに、ヘンリーからの助言も大きい。
初めての都市で少々浮足立っていたが、ここで生きていかなきゃならないことを考えると同時に不安も強くなるのだ。
知り合いからの情報くらいしか頼れるものはない。
それに。
まあ、できたらの話なんだけど。
『ルクレール邸』というのがどこにあるのか、傭兵たちなら知っているんじゃないかと考えたからだ。
デューイが今際の際に言っていた、水の太陽を倒すための何かがあるらしい場所についての情報が欲しかった。
もちろん、今の時点で水の太陽を倒せるかと聞かれれば「倒せない」と即答するのだが、少なくとも自分にとって、デューイは命の恩人である。
せめてヒントくらいは見つけてやりたい。
そういった理由で傭兵ギルドへの登録を決めたのである。
とはいえ、実際にそれを行動に移すとなるとやはり緊張したりする。
奥に設置されたカウンターまで向かう途中、誰かがつっかかってきたらどうしようとか情けないことを考えたが、傭兵たちはちらりと一瞥しただけで何もしてこなかった。
良かった。
「すいません、傭兵登録をしたいのですが」
「あ、新規の方ですね。説明をしますのでこちらへどうぞ。」
紙に文字を書き込んでいたギルド職員の女性から指示を受けて移動する。
三つほどあるカウンターの一番右側へと案内されたスロウは、そこで用紙を差し出された。
契約内容の他、いくつかの注意事項と名前、使用武器などを書く欄があった。
「では、登録に当たっていくつかのルールを説明させてもらいます」
と、そこから長い時間を詳細の把握に費やすことになった。
説明を聞いた限りだと、傭兵ギルドの役割は主に三つ。
傭兵たちに依頼を仲介すること。
水の太陽襲撃の際に、大量発生する魔物を間引いて街を防衛すること、
水の太陽によって沈まされた街に赴き、硬貨を回収すること。
この三つだ。
最初に依頼の仲介について。
依頼は危険度に応じてランク付けがされており、低い方から順番にC級、B級、A級へと上がっていく。
ランクが上がるほど報酬も増えていくが、依頼の受注には制限があり、A級の依頼を受けるにはB級の依頼を最低8回、B級の依頼を受けるにはC級の依頼を最低6回成功させていなければならないルールだ。
職員いわく、「いきなり危険度の高い依頼に手を出して死亡するという事態を防ぐためです」とのことである。
また、商隊護衛など一部の依頼は、それ以上の実績と信用がなければ受けることはできないらしい。
街の防衛についての説明はシンプルだ。
水の太陽の襲撃時、街の防衛戦には強制参加で、拒否すると大きな罰則がある。
しかしその反面、防衛に成功すれば特別な報酬が与えられる契約となっていた。
防衛に失敗したときのことは言うまでもないだろう。
スクルナ村と同じことになる。
最後に硬貨の回収。
これは少しややこしい話だったが、要するに大陸全土の経済の循環のために必要な仕事なのだそうだ。
廃墟と化した街に残され、流通しなくなった銅貨、銀貨、金貨をもう一度取引の場に取り戻すというのが目的で、回収した硬貨は一部をギルドに納めれば後は自由に使っていいルールである。
硬貨以外にも使えそうな資源や物品があればギルドが高価で買い取ってくれるし、傭兵にとってはおそらく非常においしいルールだろう。
無人の廃墟をあさるだけで一獲千金の可能性があるのだから。
そのあたりの説明を受けているところで、スロウはようやく気が付いた。
先ほど掲示板の前で喧嘩をしていた男たち。
あれは、スクルナ村の硬貨回収の依頼で揉めていたのだ。
「……」
硬貨や資源を回収するということは、かつて人々が住んでいた家の中をあさるということで、しかもそれはスクルナ村だということで、スロウは何か怒りと悲しみをないまぜにしたような感覚を覚えた。
傭兵たちのことを『盗賊』や『トレジャーハンター』と揶揄する人がいるとは知っていた。
おそらくその人たちは、このような気持ちだったのだろうなと思った。
だが、硬貨回収の依頼は最低でもBランク。
あの不気味な異形の魔物―――コバンザメという名称らしい―――が廃墟に残っているという理由のためだった。
傭兵に登録したばかりのこの状態では、あの村には行けない。
「あの、職員さん」
「はい?」
「スクルナ村の硬貨回収依頼を受ける人に、あまり村を荒らさないようにお願いしてもらえませんか?」
そう問いかけると、ギルド職員の女性はやさしい笑みを浮かべた。
「ええ、もちろんです。ですが、傭兵ギルドには水の太陽に故郷を奪われた人たちがたくさん所属しています。気休めの言葉かもしれませんが、それぞれの街に敬意を払わない輩は傭兵の中でも少数ですよ」
そうなのか。
だったらいいな。
その後は渡された用紙に年齢、名前、使用武器などを記入して、傭兵であることを示すペンダントを受け取った。
琥珀色の結晶に剣の形が彫り込まれたそれを首からぶら下げて、登録が完了した。
こうして俺は、傭兵となった。
※※※これで初期原稿はおしまいです※※※