第百二十一話 暗闇の底から

 鋭い電撃にあえぎながら、歯を食いしばって目を開ける。

 あまりの痛みで見えづらいが、暗い地面に倒れ伏した奴隷たちが天樹会の連中によって刃を突き立てられていくところをかろうじて視界に収めた。

 まるで作業のように淡々と奴隷たちの命が奪われていく光景に脂汗をかきつつ、続けざまに肌へ触れてきた違和感に身体を震わせた。

(……なんだ……!?
 急に寒くなってるぞ……!?)

 どうなっているんだと思っていると、
 突然なぜか、電撃のほうが弱まって身体を動かしやすくなった。

「よし、奴隷どもへの罰は弱めたぞ。
 各自、ここからは動く的(まと)を相手に魔法道具の試し撃ちに入れ。
 ……いまのうちに慣れておけよ。
 ここ以上の練習場はそうそうないからな」
「わかりました!」

 そういうことかよ……!
 やつら全員魔法道具を持ってると思ったら、練習のためだったのか……!

 けど、チャンスかもしれない。
 いまのうちに誰かの魔法道具を奪って、セナを助けに行かないと……!

 一秒も無駄にはできないと素早く視線を移し、
 敵の持っている魔法道具を確認した瞬間――信じられないものを見た。

 

「……なんで僕だけこんな、よく分からない魔法道具を……」
「それも仕事のうちだ。この練習時間の間にそいつの能力を確かめろ。
 その剣を使っていた代理決闘者はいろんな能力を引き出してたそうだからな」

 

 ――あいつの持ってる剣……!

『音叉剣』だ! 俺の魔法道具!

 かろうじて聞こえた会話から察するに、
 ひょっとするとやつらまだ最初の金属音の能力しか使えないのかもしれない。

 あいつを狙おう!!
 位置的にセナも近くにいる! いまがチャンスだ!

 と、しびれる身体で立ち上がろうとした瞬間。

 ――足が、文字通り地面に凍り付いていることに気が付いた。

 

「『相手を凍らせる槍』か……おれのはアタリの魔法道具だったみたいだ。
 使いやすくて気に入った」

 

 はっきりと視認できるほど白い自分の吐息。
 その向こうに、敵のひとりが槍を構えていた。

(やば……!)

 気が付けばもう指一本も動かせない。
 歯がガチガチと震えて止まってくれない。

 何もできないまま、上機嫌に口笛を鳴らしながら近づいてきたそいつを見据えていると――
 敵の背後で、見慣れた男が剣を振りかぶっているのを目撃した。

「ほかの魔法道具と合わせたらどんな戦い方できっかな~。
 もしかしたらおれも序列持ちの決闘者に……ぐはっ!?」
「――スロウ! 無事か!?」

 天樹会の男を切り捨てて現れたのは、大きく湾曲した黒い大剣を携えた大男。

「デューイ! 助かった!」
「動くなよ、手首についてるもん外してやるからな」

 デューイの一薙ぎで即座に服従の手枷が切り離され、ゴトリと重い音を立てて落下。
 電撃の痛みはすぐに途切れ、全身が一気に軽くなったように感じる。

 

「――くそ、なんだこの魔法道具の剣。
 切れ味もないのか……殴り殺すしかできないじゃん……」

 はっとして声の方向に視線を向けると、
 音叉剣を構えた天樹会の男が、倒れ伏したまま茫然とあたりを見ているセナのそばに立っていた。

「デューイ!! 後ろ頼んだ!!」
「はっ? おいスロウ!!」

 落ちた槍の魔法道具を拾いあげ、男へと突進。

 槍の能力で男を凍らせ、背後からその側頭部めがけて槍の柄をフルスイングした。

「あれっ、なんで凍って……?
 ッ……!?」

 膝をついたそいつに立ち上がる暇も与えず、二度目の打撃。

 完全に沈黙したのを確認してから、セナに声をかけた。

「セナ、大丈夫!?」
「……」

 返事はなかったが、パッと見た感じだと怪我をしてるようには見えない。

 代わりに死ぬほど複雑そうな顔でこちらを見上げてきた、と思ったらすぐ目をそらされたので、とりあえずは無事だったようだ。

 ひとまず気絶した男の手から音叉剣を取り返して背後を振り返ると、
 すでにデューイがもうひとりを切り伏せて剣を構え直しているところだった。

(これで三人は倒した……!)

 

 ここまでくればさすがに、天樹会の連中もこちらの存在に気が付いたのだろう。

 見ればすでに残りの十人ほどが全員、魔法道具を構えたままこちらを取り囲みつつあった。

「へっ、気づくのが遅せーんじゃねえか……!?
 てめーで送り出したこのA級冒険者さまのこと忘れてたり、いろいろとザルじゃねーか」
「なに、心配はいらない。
 A級といえど、魔法道具持ちを何人も相手には戦えないだろう?」
「ハッ、そんなに殺したいんだったら洞窟まるごと生き埋めにでもすりゃいいじゃねえか……!
 奴隷もいっしょに殺せて一石二鳥だぜ?」
「それだと確実に殲滅できたか分からんだろう」

 デューイが啖呵を切っているが、しかし実際には、魔法道具持ち相手ではさすがに厳しいだろう。

 デューイのはったりがバレる前にどうにかしたい。

 幸いなことに今までずーっと使い込んできた自分の魔法道具を取り返せたのでやりようはある。

 こんな状況を打開するためには……あの能力が一番だろう。
 久しぶりに握った音叉剣で誰にも悟られないようにその力を発動した。

 

 ――直後、うごめきだしたのは洞窟内に滴っていた無数の水滴や水たまり。

 それらが静かに、音もなく集合し、渦を巻くように収縮。
 やがて、ある生物と同じ輪郭を形作った。

 この世界に災厄をもたしている『水の太陽』。

 それが生み出す異形の魔物とそっくりな、水の像。

 トカゲのような細い胴体と、それと同じくらい細い尾。
 そしてあまりにも不釣り合いな三角盾のような巨大な四本足。

 異形の魔物と異なるのは、あの不気味な人の顔が無いことくらい。
 そこに黒々とした瞳や骨ばった頭蓋などは無く、ただわずかに波打っているだけ……。

 そんな水の像が、二体。

 最高記録の十体に比べたら心もとなく感じるが、奇襲で使えば十分だ。

 極力静かに、かつできるだけ暗がりを移動させて、敵を攻撃させる――。

「うっ……!?」
「なんだ――!?」

 本来の攻撃方法だったら水の刃で相手をバラバラにするところだが、
 グロテスクなのはごめんだったので水の像で相手をまるごと飲み込んで窒息させてやった。

 こいつの姿はできるだけ人目にさらしたくない。
 なにしろあの『水の太陽』を思わせる攻撃方法だ。
 何も知らない奴隷たちが見たらパニックになるかもしれないので、姿形はできるだけおぼろげにしてなおかつ敵を暗がりに引きずり込むように扱った。

 たったそれだけで、あっという間に八人ほどを無力化できた。

「おい! どうしたんだ!
 返事をしろ!!」
「――よそ見すんじゃねえよ」

 そこで、隙を見出したデューイが残っていた二人を即座に切り伏せて戦闘は終了。

 落ち着かない静寂が訪れ、電撃から解放された奴隷たちが不安げに立ち上がり始める最中に、ふとデューイが静かに近づいてきた。

「お前、やっぱり、ミラと同じ力使えんだな……」
「……」

 できるだけ輪郭をごまかして使ったつもりだったが、やはりこいつには見抜かれたらしい。
 デューイの剣の師匠であるミラという女性も同じ力が使えたというが、このあたりの因果関係は今でも不明だ。

「でも話しただろ? 使えるって」
「まあそうだけどよ……実際に目の当たりにすると、衝撃モンだ……」

 

 ――ひとまず、これで脅威は去った。

 暗くてよく確認はできなかったが、すでに何十人かは犠牲になっているようだった。

 傷を負わされて亡くなった人は想像していたよりも少なく、
 ほとんどはもともと衰弱していたところに電撃を食らって……という形だったらしい。

 犠牲者たちは、意外なことにデューイが祈りの文句を唱えて見送られ、その後集まってくれた有志の人たちに任せられることになった。

 

 けが人もそれなりにいたので、音叉剣の『激痛と引き換えに傷を全治させる』能力を本人の同意のうえで使わせてもらった。
 負傷部位に攻撃しないと能力が発動されないとかいう見栄えの悪さのせいでほかの奴隷たちが怖がってしまい、実際に使用したのは大けがをした二、三人だけにとどまったが。

「よし、そんじゃ手錠を外したいやつは並べ。
 オレの断切剣できれいに外してやる」
「……あの、間違って腕とか落とさないですよね……?」
「オレの技術をなめんな。
 てめえが動かなければ問題ねえ」

 デューイには状況が落ち着いてから服従の手枷の解除作業をお願いした。

 天樹会からの攻撃でほとんどの奴隷たちは決意したらしく、
 デューイの前にはけっこう長い行列ができていた。

 死ぬほどめんどくさそうな顔をしていたデューイだったが、なんだかんだで投げやりになることもなくちゃんと一人一人の手枷を切り離していた。

 

 ――その作業があらかた終わったところで、予想外の事態に出くわした。

 

「あー疲れた。何人か腕ごと切らせてもらおうかと思ったぜ。
 ――おいお前ら、まだ手錠ついてるじゃねーか。
 外してやるよ」
「いや……わたしたちは、このまま奴隷をつづけるよ」

 手枷を外すことを拒否する奴隷が現れたのだ。

 金属腐蝕の能力で手伝っていた自分も、思わず解除作業を中断してそちらのほうに目を向けてしまうほどだった。

「バカかてめえらは。
 ついさっき殺されそうになったってのに、まだ分からねえのか」
「もしかしたら、それくらい従順な姿勢を見せれば
 許してもらえるかもしれないだろう……」

 ハッ、というデューイの失笑がこちらにまで届いてきた。

「……頭が足りないやつだと思うかもしれないが、
 それでもわたしたちは、こいつを外すのが怖い。
 だから……すまんな、若いの。
 手錠を外すと言ってくれたことは、うれしかったよ」

 そう言って、奴隷をつづけるグループはまた以前と同じように洞窟内の瓦礫の影に座り込んでいった。

「……あいつら狂ってんな。
 あんなことが起こったらフツーは学習するだろうに」

 そうぼやいてきたデューイにてきとうに返しつつ、あたりを見渡す。

 奴隷をやめる人と続ける人の比率は、おおよそ半々といったところだろうか。
 意外と多いのか、それとも少ないのか……。
 よく分からない。

 けれど、その二グループ以外に、もう一つのグループがあった。
 それは様子見をする人たちだった。

 奴隷を辞める決心がつかず、さりとて奴隷を続けるのも抵抗がある……。
 そんなどっちつかずの状態にいる人たちが実は大半のようで、

 ――セナは、間違いなくそのグループに属していた。

 

「……」
「……どこか痛いところは?」
「……大丈夫です」
「そっか」
「……」

 怪我がなさそうなのは分かりきっているのだが、会話の糸口がそれくらいしか見つからなくてすぐに気まずくなってしまった。

 

 記憶を失った彼女のことをどうすればいいのか。

 ……こんな短期間ですぐに決断できる問題じゃないだろうと理不尽に思いつつ……

 けれどいつの間にか答えが固まりつつあることに、自分でも正直、驚いていた。

 

「……助けてもらったことについては、お礼を言います。
 でも、言いなりにはなりませんからね。
 また外に連れ出そうとしても、わたしは――」
「いいや」

 そっぽを向きながら複雑そうに話していた彼女をさえぎって、
 俺は口を開いた。

「――きみに任せる」
「任せる?」
「うん」
「……なにを?」
「これからどうするか」

 セナは訝しげに見上げてきて、
 俺はとつぜん、自分の取ろうとしている選択が正しいものなのかどうか、不安になってきた。

「ほ、ほんとうに……?」
「ああ。
 君が望むんだったらさっきの人たちみたいにその手枷をつけててもいいし、
 もちろん俺たちと一緒に外に出てもいい」

 彼女に不安を悟られないように、平静を装ってそう伝えた。

 セナは疑心暗鬼にこちらの様子をうかがってきたが、それ以上は聞いてこない。
 言葉の裏がないか探ろうとしているのだろうか。

 何にせよ彼女はそれ以上意思表示をするつもりはなさそうだったので、
 せめて最後に、自分が思ったことを伝えることにした。

 しゃがみこんで、まだ座り込んだままの彼女に目線を合わせる。

「セナ。
 きみがどんな選択をしたとしても、俺はきみの味方でありたい。
 今回はきみを助けたってことになるけど、
 だからといって俺に恩を返さなきゃとか、勝手に思い込む必要はないからね。
 これは俺がこうしたかっただけ。
 君は……ただ君の信じる道を行きなさい」

 俺はゆっくりと、一歩二歩と下がり、
 彼女が座り込んでいる姿を目に焼き付けてから、

 くるりと背を向けた。

 

 

 ――数秒前の自分がした選択の、正当化を試みよう。

「こうすることが本人にとって最善の道だ」と勝手に決めつけて無理やり連れていくことも、やろうと思えばできるだろう……。

 けれどそれ以上にもっと重要なのは、
 その人のことをひとりの人間として尊重することではないのか。

 自分の目から見て、たとえどれだけ道を外れてるように思えたとしてもだ。

 セナはもともと俺がいなくても、自分なりに考えて生きられる強い女性だと思う。
 俺の指示がないと生きられない風になってしまえば、それこそ不幸そのものだろう。

 

 そう自分を説得しながら、重い足を動かして仲間のところへと戻っていく。

「じつは取返しのつかないことをしてしまったんじゃないか」などとクヨクヨ考えながら歩いていると、向かっていた先に立っていたデューイがおもむろに口を開いた。

 

「――ッ、スロウ!
 まだ攻撃は終わってねえ!!」

 直後、鳴り響いたのはなにかの爆発音。

 いきなりの事態に身をすくませてあたりを警戒する。

 

 ――薄暗い洞窟内に反響したその不吉な音の直後、音もなく足元に漂ってきたのは、あまりにも毒々しい青緑色の煙。

 やがて、その青緑色の煙の一筋を吸い込んだ途端、すさまじい息苦しさに襲われて思わず後ずさりする。

「……今度は毒か……!」

 見れば、煙の奥から天樹会のさらなる増援が駆け付けたようだった。

 やってきたのは、わずかに二人のみ。

「……」
「……」

 両者とも、一言も言葉を交わすこともなく、

 片方は気味悪い青色の『壺』を傾けていて。

 ――もう片方は、きれいなエメラルドグリーンの短剣を構えていた。

 

「……その短剣は……!!」

 敵の片割れがエメラルドグリーンの短剣を振りかざした瞬間、
 無風のはずの洞窟内にたしかな風向きが生まれ、
 青緑色の煙が誘導されていく。

 自分たち、奴隷のほうへと向けて。

 

 その、頬を撫でる柔らかい風の感触に、俺は絶句した。

 

 敵の片割れが使っている武器の名称は、『風の短剣』――。

 記憶を失う前のセナの魔法道具だった。