第百四十四話 居場所

 夜が明けた。

 エーデルハイド族のご厚意で貸してもらった一室にて朝を迎え、
 セナたちの元へ戻る準備をし始める。

 せっかくの里帰りなのだからもう少しここにいてもいいんじゃないかとエフィールに提案したが、彼女は首を横に振った。

「まだ気まずいわよ」と苦笑いだ。

 実際、まだエフィールも里の人たちも、
 お互いに距離感を図っているような雰囲気である。
 今までの空白を埋めるにはまだ早かったのかもしれない。

 もちろん、だからといってここに来たことを後悔している様子はまったくなく、
 どこか憑き物が取れたような、切なさそうな表情をしていたのが印象に残っている。

 

 

「……それじゃ、あたしは行くわね」

 朝露の残る草原で荷物を確認し終え、
 立ち上がったエフィールが彼らのほうに向きなおった。

「忘れ物はないか?」
「ええ。別にここまでしてくれなくてよかったのに」

 彼女は自身が着ているフード付きの外套をつまんで上体をひねった。
 小さな傷や穴ができていたエフィール愛用のそれが、きれいに縫い直されている。
 長く酷使されていたはずなのに新品同様に見えるほどだ。

 昨夜、里の人がやってくれたのだろう。
 おそらくはそこに佇んでいるお婆さんだろうか。

 それ以外の細かいところで言えば、魔法道具などを楽に取り付けておける留め具だったり、あるいはここで飲んだ茶葉を包んだものだったり……。

 あてのない旅を続けていた頃の薄汚れた雰囲気はきれいに取り払われ、
 今のエフィールは門出を祝われている年頃の少女のようだった。

「すまないね、迷惑だったかい?」
「そうは言ってない。
 謝らないでよ」
「……すまないね……」
「いいって」
「……」
「……」
「エーフィ」
「なに?」
「いつでも帰っておいで」
「……ん」

 短く頷いてから、「それじゃあ」とエフィールは荷物を背負った。

 わずか一晩かそこらの里帰りに、淡泊なお別れ。

 そんな、目もうまく合わせられない彼らの間には、
 それでも未来に訪れるであろう和解への期待がにじんでいるように感じられた。

 

 

 

「――あそこの人たちのこと、ジェドが守ってくれてたんだってな」

 フラントールの里へ戻る道すがら、彼女に話しかけた。
 少しづつ日が昇ってきて、涼しかった森の空気が徐々に暑くなっていくのを感じる。

「里のみんなと話したの?」
「ちょっとだけ。
 序列一位だったあいつが決闘で手に入れてた分は
 全部あの里を維持するのに使ってたみたいだ」
「……そう」
「…………ああ、それと、『私たちは歴史の表舞台から消える』って」

 起伏に富んだ道を進んでいたエフィールがこちらに視線を向けてきた。

「もうこれ以上旅をするつもり、ないんだってさ」

 エーデルハイド族はもともと、各地を渡り歩く民族だった。
 優れた戦闘能力を持ち、その力で持って人々を魔物などの脅威から守る……。
 そんな生き方を、彼らは辞めることにしたらしい。

 これからは力を誰にも見せることなく、あの平原でひっそりと暮らしていくそうだ。

「……まあ、帰る場所が決まってるのは、嬉しいことね」

 もうさんざん歩き回って探す必要ないもの。
 と、エフィールは上目遣いのままほほ笑んだ。

「あたしのほうは……なに話したかしら……。
 どの地域をうろうろしてたのか、とか……。
 どうやって生きてたのか、とか。
 あ、マーヤのことを話したら喜んでたわ」
「マーヤって、砂漠の大陸で会ったあの人?」
「ええ。
 マーヤも転移魔法に巻き込まれてたから。
 砂漠しかない世界があって、
 そこで幸せそうに生きてるって教えたら、みんな半信半疑だったわね」
「はは。
 砂漠の大陸か……懐かしいな」

 思えば、あの世界でエフィールと打ち解けたのだったか。

「よく決めたものだよ。
 こっちの世界に戻ってくるって。
 無罪を認めてもらえたのも、エーデルハイド族と再会できたのも、
 エーフィ、きみが自分で引き寄せたんだ」
「……別に。
 大半はジェドのおかげでしょ」
「それでもだ。
 きみが動かなければそもそもこんな結末にはならなかった。
 その一点に関してはちゃんと胸を張るべきだと思うぞ」
「…………首元、ゴミついてる」

 じっとこちらを見つめていたと思ってたら急に指摘された。

 まったく格好つかない風になってしまったのが恥ずかしい。

「ほら。
 ちょっとしゃがんで」
「はい……」

 指示されるがままに首を差し出す。

 こんなんじゃ里に戻るまで気まずくなってしまうな……
 と視線を落としていると、
 いつの間にかうなじのほうに両手を回されているのに気が付く。

 うなじに両手?

 と、視線をもとに戻した瞬間、
 エフィールの閉じた瞳がすぐ目の前まで来ていた。

「……!」

 

 

 

「今度は、あたしの番だから」

 唇から柔らかい感触が離れてから、彼女はそう言った。

 今までにないくらい真剣な表情だ。

 突然のことで動けないでいる自分に、彼女は上目遣いのままさらに顔を寄せてくる。

「あたしがどん底に居る時から、誰からも信じてもらえない時から、
 あんたはそばにいてくれた。
 それがどれだけ心の支えになったか……分からないなんて言わせない。
 あたしはちゃんと故郷に帰れた。
 だから今度はあたしの番。
 あんたがしてくれたように、ずっと、そばにいるから」

 まっすぐな金色の目に圧倒されて、何も言えず硬直する。

 沈黙が長く感じられるほどになってくると、
 次第に彼女の頬が赤くなっていって、ついに顔をふいと逸らされてしまった。

 

 口元に残った感触に心臓の動機が早くなった。

 つまり、そういうこと?

 身体中が熱に浮かされたように火照っている。

 よくよく見ると彼女の横顔も真っ赤なままで、
 きっと自分と同じ気持ちを共有しているのだと直感した。

 

 なんだか次第に信じられないような気持ちになってきて、
 歩く彼女の背中になにかを話しかけようとするが……声が出ない。

 とにかく何か嬉しくて、思いを伝えたくてしょうがなかった。

 誤魔化すように軽く笑顔を浮かべてからとにかく最初の一言を口に出そうとした。

 けれど、うまく言葉が出てこない。

 

 

『――俺、本当は誰かに受け入れてほしかったんだ』

 ふと、昔のことを思いだした。

 自分の歩幅が少しづつ小さくなっていく。

 前のほうを進んでいるエフィールに心配されないように気をつけながら、
 起伏に富んだ歩きづらい道を進んでいった。

 

『記憶がなくて、どこの誰かも分からなくて。
 はたから見たらすごく面倒に見えるかもしれないけど、
 そんな自分のことを受け入れてほしかった』

 

 いつかどこかで、そんなことを言った気がする。

 ぼやけていく視界の先に必死に目をこらす。
 喉のあたりが熱い。

 前を歩いていたエフィールが異変を察知してこちらを振り向く気配がした。

 

『居場所が欲しかった……』

 

 

 エフィールは何も言わなかった。
 ただ黙って歩みを緩ませ、こちらに歩幅を合わせてくれた。

 ふと、指先に彼女の手が触れる感触がして、
 自分の手をぎゅっと握ってくれていることに気が付く。

 

 ――いいん、だろうか……?

 こんな自分でも……ちゃんとした居場所を……。

 家族のようなものを作っていいんだろうか……?

 

 細くて柔らかい彼女の手のひらを握り返しながら、肩を並べてゆっくり歩いた。

 ひたすら涙を流しつづける自分を見ても避けることなく、
 むしろ静かに寄り添ってくれるエフィールに、
 いまはただ、感謝の思いを抱くことしかできなかった。

 

 

 それから、ゆっくりとペースを落としてくれたエフィールのおかげで、
 里に着くまでには落ち着くことができた。

 

 復興が進むフラントール族の里にさしかかったあたりで
 半獣人の一人からエフィールに声がかかる。

 どうやら、魔物の討ち漏らしがまだ残っているらしい。
 そこでエフィールに協力してほしいとのことだった。

「それじゃ、あたしは行ってくるから」
「ああ」
「一人で大丈夫?」

 そう言ってエフィールは背伸びをしてこちらの頭を撫でてくる。

 すぐそばに協力要請してきた人もいるので
 めちゃくちゃ恥ずかしくなって、誤魔化すように彼女の頭にチョップを食らわせた。

「お前は母親か」
「ふふ。
 それじゃ、すぐ戻ってくるから」
「ああ。
 ……エーフィ」
「なに?」
「ありがとう」

 すでに魔物退治へ向かおうとしていたエフィールが、
 足を止めてこちらを振り返る。

 きょとんとした顔で見つめてくる彼女に、
 いろいろな感情を抱きながらゆっくりと息を吐きだした。

「……ほんとうに、ありがとう……」
「……お互い様でしょ」

 いたずらっぽく笑って拳を軽く当ててくる彼女に、
 こちらも負けじと笑顔を返してやった。

 

 ――いつか、故郷に戻るという使命を果たしたら、
 今度はエフィールのために時間を費やそう。

 この時、そう心に決めたのだった。

 

 

 エフィールと別れた後、今度はセナの様子を見に行くことにした。

 デューイはまだ休んでいるだろうし、
 彼女のほうを手伝ってあげよう。

 そう思ってさっそく家を訪ねてみたが……不在だった。
 近くにいた人たちに聞いてみると、彼女は別のところに行っているらしい。

「ああ、そうだ。
 セナからあなた宛てに手紙を預かってる」
「手紙?」
「ほら」

 なにか伝言でもあったのだろうか。

 薄い便箋を受け取って開けてみると、

 中身はたった一枚だけだった。

 

『スロウさん、お久しぶりです。
 思い出しました。
 記憶をなくす前のことを。

 二人で話をしませんか?
 東の森で待っています』