読書感想文の苦悩

とにかく遊んでいたかった。

読書感想文を書くことになってからはや二十九日。
そろそろ手をつけないとマズイかもしれない。

けれど今から本を読んだって間に合わないだろうし、そんなことをするくらいなら文章を書き始めてしまった方がマシではないだろうか。よし、そうすることにしよう。

ああ、面倒くさい。めんどくさくなってきた。

……まずあらすじ読んどくか……。

『敗戦後、元華族の母と離婚した“私”は財産を失い、伊豆の別荘へと行った。最後の貴婦人である母と、復員してきた麻薬中毒の弟・直治、無類の作家上原、そして新しい恋に生きようとする二十九歳の私は、没落の途を、滅びるものなら、華麗に滅びたいと進んでいく』

とりあえずこれ丸写ししていいですか?

えっダメ? やっぱり?
書き出しに使おうと思ってたんだけど……。

いや、ここは素直に引き下がろう。変に固執したら文字数を稼ごうとしているのがバレてしまうかもしれない。大体、あらすじを最初に持ってくるのなんて怠け者の常套じょうとう手段ではないか。
急がば回れ、だ。ここはまっとうに書き始めるのが一番手っ取り早いだろう。

大体、なんでこんなものを書かなきゃいけないのか。
人が読書をするのはこう、教養なり、知識なりを身に着けるためであって、間違っても他人に証明したりするためじゃない。

本なんて読みたいやつが勝手に読んで人生面白くなったように思えればそれでいいじゃないか。

それをなんだ、望んでもいない子どもに押し付けて、しかも「ちゃんと読んだかチェックします」なんて不愉快な構図まで作って、こんなの間違ってる!

いや、訂正しよう。ひょっとしたら世の中そういうもんかもしれない。

自分みたいな怠け者にはむしろこれくらいがちょうどいいのだろう。さっきみたいな言い方じゃ角が立つというものだ。うかつなことはしゃべるまい、先生の怒りに触れたら大変だ。

ああ、しかし、終わらない。
空白の原稿用紙がまるで鉛のごとく鈍重に感じられる。いったいどうしたものか……。

パラパラとページをめくってみるが、なんとなく話が分かるような、分からないような。
ただ『面白い』と書くだけではダメなのか? これも立派な感想文ではないか?
これじゃ何だかつまらなく感じてしまう。

いっそのこと、つまらないという思いを書き記してしまおうか。
『この作品のこういうところがつまらない感じた。なぜなら――』といった構成で書いていけば意外に原稿用紙を埋められるんじゃないか。
……いや、しかし、そんなことをしたら生意気に思われるかもしれない……

その時、私の頭の中に突然、先日手に入れたばかりのゲエムの映像が走った。
私の集中力はたちまち霧散し、つい数十分前に止めたばかりの娯楽の続きをイメージし始める。

こうなったらもう仕方ない。
軽く気分転換でもした方がかえって効率が良いだろう。
なんだか少し疲れてきたような気もしていたし、ちょうどいい。一石二鳥だ。

私は、脂汗のついた電子機器に手を伸ばす。

――そしてそのまま、休みが明けた。

すでに覚悟はできていた。

私はこの文章を、そのまま提出。

添削をつけて返されるのは、二日後だという。

もはや何も語るまい。

私は早くゲエムの続きをと、足早に帰宅した。