「は、はは……」
とある東の平原の、ちっぽけな村の酒場の中。
金髪の少年、スロウの目の前では、村の男たちが皆、気を失って倒れていた。
「うっは、まだ頭がグラグラするぜ」
そう言って頭を抑えながら口を開いたのは、大柄で屈強な男。デューイ。
その額には、少なくない量の血が流れていた。
「まさか、こんなことになるなんて……」
スロウには、いまだに目の前で起こったことが信じられなかった。
果たして、数時間前の自分はこうなることを想像できたのだろうか。
時は半日ほどさかのぼる。
季節は秋。
太陽が傾き始め、少し肌寒くなってきた草原に、幾人かの女たちが散らばっていた。彼女らは足元の野草を吟味しては一つ一つ、脇に置いたカゴの中に放り込んでいく。その表情は真剣そのものだ。
しかし、そんな中でただ一人、納得のいかない顔で作業をしている、唯一の男がいた。
金色の髪に翡翠色の瞳。やや細い体躯の上に白いシャツと緑のチョッキを着こんだ、若い青年だ。
名前はスロウ。ファミリーネームは不明である。
「こんなことしても得にはならないのに」
眉間のしわを寄せてうつむいている彼は、まわりのようにせっせと働こうとはしなかった。実際に彼のカゴの中身は周りのものと比べると半分程度である。しかし、それには理由があった。
やがて、遠くから初老の男性がやってきて、スロウを含む全員に声をかけた。
「おーい、今日はここまでだ! 村に帰ってくれ!
……スロウ! 何だその量は、全く足りてないじゃないか!?」
癇癪を起こしたように怒鳴る老人は、この村の村長だった。
うっすらと頭が剥げてきたこの初老の男性は、まだまだ元気なようだ。
彼は腰に備え付けた剣の柄に手を置いてスロウを指さす。
「このままじゃ冬を越せないぞ。もうすぐ日が暮れる、早く回収してこい!」
確かに、探せばまだ野草は残っているが、これ以上は無理だ。
スロウは、思い切って自分の考えを言ってみることにした。
「なあ、村長さん。このままじゃこの村、全員が餓死してしまうよ。
今、野草を採り尽くしたら、来年以降は冬を越すのが難しくなる」
スロウがスクルナ村に来たのは去年のことだった。
弓を扱えず、狩りに参加できないスロウは村の女たちに混じって採集を手伝ったのだが、その時と比べて今年はさらに野草の数が少ない。
これ以上減らすのは無理だ。
「自給自足じゃ限界がある。
もっと行商人を迎え入れたりして、外の世界と交流しないとやっていけない」
「何だと? そんなことをしている余裕があると思うか?」
スロウを押さえつけるように村長は続けた。
「いいか、私たちは一日一日を生きていくので精一杯なんだ。
周りを見てみろ、みんな必死だ。
飢えるかもしれないことなんて、ここにいる全員が分かっている!」
村の方に帰っていく女たちを指さして、大振りなジェスチャーでまくしたてる村長。
こうなったら何を言っても無駄だ。
「記憶喪失だかなんだか知らないが、私たちはお前の面倒を見てやってるんだ。
口答えする余裕があるならとっとと集めてこい。
返事は!?」
「……はい」
苦虫をかみつぶしたように返事をするスロウ。
それを聞いた村長は、何も言わず背中を向けて、村へ帰っていった。
赤みがかった空の下に一人取り残されたスロウは、仕方なく野草を採り始めた。
大陸の東の平原にあるこのスクルナの村には、ほとんど人が訪れない。
当然、行商人などが来ることも無く、必然的に自給自足の生活を強いられていた。
そのため外の世界に触れる機会が少なく、村は閉鎖的な空気に包まれている。というか、そもそもが平原のど真ん中にぽつりと存在している村なのだ。むしろ人がたくさん来る方がおかしいだろう。
だから、スロウは驚いていた。
目の前に見たこともない男が倒れていたことに。
「腹……減った……」
ちょうど、野草を採って一人で帰っていた時の出来事である。
年は四十代前後だろうか。推定年齢の割に体格は良く、かなり鍛えられているようだ。少し長めの黒髪に、黒い軽鎧。全体的に暗い色合いの中で、両耳に付けられた金色のイヤリングがわずかに輝いていた。端がぼろぼろになった赤のマントを羽織り、その上に、大きく湾曲した大剣を背負っている。
そんな大男が、地面に突っ伏してうめいていた。
「頼む……このままじゃ飢え死にだ……」
「……じゃあ、とりあえず、うち来る?」
そう言うと、その大柄な男は勢いよく起き上がったのだった。
スロウは現在この村で、もはや誰にも使われなくなり倉庫と化していた宿屋に住んでいる。全部で三部屋あるうちの一部屋を借りているが、その空間はお世辞にも広いとは言えない。
そして、ついさっきまで地に付していた大男は今、その部屋の中央に座り込んで薄いパンやら干し肉やらを口に放り込んでいる。
スロウは改めてそのおっさんを観察してみた。がつがつとものを食べていく様子はまるで野生児のようだが、その瞳には年相応の理知的な静けさを感じる。くしゃくしゃの長い黒髪は後ろで束ねられ、筋張った顔面が良く見えるようになっていた。屈強な肉体を覆う軽鎧も、こうして見ると無数の傷跡がついていることが分かる。
部屋の中にある食料をなるべくかき集めてやったのだが、このスピードだと全て消えてなくなってしまうのではないだろうか。
内心ひやひやしながら荒々しい食事を見ていると、やがて男は落ち着いたようだった。
「いやー助かったぜ。
悪いな、飯まで食わせてもらってよ」
「いや、いいよ。
今は少し食料が足りてないんだけど、困ってる人には何かしてあげたいからね」
肩をすくめると、男はどうやら何かを察したようだった。
みるみるうちに笑顔が変わっていく。
「え、マジで? 飯足りてない? ……え、返すか?」
おもむろに腹に手を押し当て始めた男に大慌てした。
「ちょっ、待て待て待て!!
いいから! そのままでいいから!」
「いやあ、悪い悪い、こんなに食っちまって。
改めて、オレはデューイ。冒険者だ」
すっと右手を差し出してくるデューイ。
その手を握り返す。
ごつごつしていた堅い手だった。
「スロウだ。よろしく……冒険者だって?」
「おうよ。なんだ、知らないのか?
各地を冒険し、遺跡に潜って宝や魔法道具を探すやつらのことさ
例えば――」
デューイはあぐらをかいたままで部屋の隅に手を伸ばす。
「この剣みてえなやつも魔法道具だろ?」
デューイが持ったのは、スロウがいつも持ち歩いている不思議な形の剣だった。
ごく普通の直剣とは異なり、まるで真ん中の一本が抜けたフォークのように、刃と刃の間がきれいに除かれた剣である。
もしこの剣で魔物を突いたなら、そいつには二つの穴が出来上がることだろう。
背中合わせの二つの刃が美しいバランスを保って並行し、切っ先を同じ方向に向けた特徴的な剣である。
ちなみに、剣とは言っても実際に切れ味はない。
だから表現としては「剣の形をした金属の鈍器」というのが正しいのだろうか。
触って傷つくようなシロモノではないので、魔物が現れた時のために護身用で持ち歩いていた。
「刃の根元に、奇妙な模様が描かれてるだろ?
ルーン文字っつってな、こういう風に複雑な幾何学模様が組み込まれたものは大体魔法道具だ」
「へえ」
だいぶ前から所有していた物品だったために意外だった。
とはいえ、改めて思い返せば心当たりがないわけではない。
「しかし部屋に入った時から気になっていたんだが、
どう使うんだ、これ?」
と、うずうずしていたデューイがおもむろに剣を振り回し始めた。
剣が、ほのかに発光を始める。
「待て、変に触ったら……!」
とっさの注意もむなしく、銀色の光が強くなり……。
ギイィィィィン! とすさまじい爆音が村中に響き渡った。
久しぶりに聞いたその甲高い音が続いたのは、何秒だっただろうか。
あまりの音量に二人は目を回した。
「……死ぬかと思ったぜ……鼓膜やぶれてないよな?」
ようやくといった様子で口を開いたデューイは、まだ眉間にしわを寄せている。
「……それはな、音を鳴らす剣なんだ」
「……なんの役に立つんだ?」
至極もっともな質問である。
「それは――」
「おい、スロウ!」
部屋の扉を勢いよく開けて入ってきたのは、先ほどの村長だった。
「またお前か! その奇妙な道具は使うなとあれほど言っただろう!!
外の魔物が反応したらどうするんだ!」
そこで彼はデューイの存在に気が付いた。デューイは「どうも」と挨拶。
もともとシワの濃いその額が、さらに深くなっていく。
見るからに不機嫌になっていた。
「なんだ、この男は」
「近くで行き倒れてた人だ。ここで飯を食わせてやって……」
「何だと!? ただでさえ食糧難だっていうのに、よそ者に分け与えるだと!?
ふざけているのか!?」
客がいるにも関わらずに怒鳴り散らしてくる。
面倒くさい。
「……俺の分を出してたんだから問題ないだろ」
「まったく、これだからよそ者は!
あとで腹を空かしても何もしてやれないからな!
それと、その男は夜明けには出て行ってもらえ!」
そう吐き捨てると、村長は乱暴にドアを閉めて出て行った。
スロウはため息をつき、あっけにとられたデューイは頭をガシガシとかいていた。
「ここの村人は、ずいぶんよそ者に厳しいんだな」
「まあね。滅多に旅人が来ないから、みんな排他的な考えになってるのさ」
「いいのか? このオレを村の中に入れちまってても」
どことなく心配そうな顔をしながらも、思い切りパンをかじるデューイ。
その図太さには苦笑してしまう。
「この家は村の中にあるけど、外にあるみたいな扱いだから大丈夫だよ」
デューイは頭をかしげる。
「実は俺もよそ者でさ。大体一年くらい前かな、みんなの話によるとある日突然ふらっとやってきてそのまま倒れちゃったらしい」
「らしい?」
「きれいに記憶がなくなっててね。おかげでどこから来たのか、自分でもよく分からない。
――けど」
スロウは思い浮かべる。
かすかに覚えている街並みを。
誰もがみんな親切で、自分を暖かく迎え入れてくれるその場所を。
「時々、夢に出てくる場所があるんだ。なんだかすごく懐かしいところでさ。きっとそこが俺の故郷だったんだと思うよ。場所はおろか名前すらも忘れちゃったけどね」
「帰りたいとは思わねえのか?」
「そりゃ、帰りたいさ。正直、こんなところさっさと抜け出して、デューイみたいに自由になれたらっていつも思ってるよ」
「なんだよ、じゃあそうすりゃいいじゃねえか」
無理だって、と笑ってみせるが、デューイは納得していないようだ。
「俺はそんなに強くないし、それに、この村でうまくやっていけない人間が外でうまくやっていける訳ないよ。
それに外の世界にはここよりも強い魔物がうじゃうじゃいて、しかも水の太陽とかいう化け物だっているそうじゃないか。
俺みたいなのが出てったら命がいくつあっても足りないよ」
記憶を失ったスロウとて、魔物がいることくらいは知っている。
弓や剣術など、およそ戦うための技術を持っていないまま外に飛び出すなど無謀だろう。
「分かってねえな。
死んだら、そんときゃその時じゃねえか」
そんな軽く言われても、今の生活を簡単に捨てられるわけなどない。ただでさえ食糧難で、他のことをする余裕などないのだから。
スロウがうつむいていると、デューイは唐突に口を開いた。
まるで素晴らしいアイデアを思い付いた子どものように。
「そうだ。お前、オレについてこいよ」
「は?」
「この村、飯が足りないんだろ?
一人いなくなっても一人分の余裕が出るんだから楽勝だろ」
「いやいや、そんなはずは――」
「じゃあ、待ってろよ、ちょっと話つけてくるぜ」
と、デューイは人の話も聞かずにさっさと部屋を出て行ってしまった。
「おいデューイ! ……っと」
慌てて追いかけようとするが、部屋はかなり散らかっている。
出された食事をそのままにしていて、病を持ったネズミに侵入されたりしたら後が怖い。
「……こっちの片付けが先か」
まずは足元の特徴的な剣を拾い、急いで掃除をし始めた。