第五章 廃都べレウェル攻略編
第三十五話 B級冒険者

 とある小さな街の中にある、木造の冒険者ギルドの扉が開いた。
 黒い鎧を着た大男が、客席に座る冒険者たちの嫌味な視線の合間を縫って進む。

 途端にカウンターからうんざりとした顔をのぞかせたのは、看板娘も兼任しているという一人の受付嬢だった。
 端麗な容姿がもったいないほど眉間にしわを寄せているその女性に、大男は気さくに手を振った。

「よう、ギルドの嬢ちゃん」
「まーた来たんですか。
 さっきダンジョンから帰ってきたばかりでしょう。もう仕事するの嫌ですよ」
「何度も無理行ってダンジョン紹介してもらったのは悪かったって」

 目の前の受付嬢はむすっとしながら大きなナイフで書類を切り分けている。
 事務作業には明らかに場違いなサイズだが、切り分けたはずの書類が別の紙と接着する不思議な現象が起きている。魔法道具だったようだ。情報整理に便利そうである。

 ふとカウンターの奥を覗くと、大量の魔法道具が山積みになっていた。
 そのほとんどすべてはデューイたちが回収してきたものである。雑に積まれているところを見るに、職員も半ば投げやりになっているに違いない。

 視線を目の前の人物に戻し、カウンターに肘を置いて話を切り出した。

「実は、この街を発つことになったんだ」

 さてどんな反応が返ってくるかと様子をうかがうと、受付嬢はまるで少女のように不安げな表情を見せてきた。

「もう行ってしまうんですか? まだ一週間も経ってないですよ?
 私としては大助かりですけど少しくらい休まれては?」
「いや隠しきれてねえんだけど。
 とにかく、今日中に街を出るから別れを言っておこうと思ってな。
 短い間だが世話になった」

 百面相とはこのことだろうか。一瞬にしてすまし顔に戻った受付嬢は、手元の書類に向き直った。

「仕事ですので。お構いなく」
「そっけねえな、ジャッジの知り合いを思い出すぜ」

 苦笑しながら受付を離れ、客席の合間を抜ける。

 扉に手をかけて外に出ようとしたとき、せっかくだからひとこと残して行ってやろうと思い立ち、後ろの冒険者たちに振り返った。

「――おう野郎ども!! 明日からオレ様抜きで励めよ!?
 魔法道具の数にゃ限りがあるんだぜ!」

 張り上げた声がギルドの隅まで浸透した直後、それをはるかに上回る怒声が響き渡った。

「うっせーさっさと行け『逃亡騎士』!」
「お前のせいで稼ぎが落ちたんじゃ! 覚えてろよ!」
「ブーブー!」
「はっはっは!!」

 背後で沸き上がるブーイングを豪快に笑い飛ばしながら、黒い騎士は小さなギルドを後にした。

「お連れの方なら外で待ってますよ」
「サンキュ。お前、聖騎士の見習いだろ? 大変だな」

 外へ通じる門の下で、通行料を渡しながら門番に話しかけた。
 まだ若く、鎧の着こなしにぎこちなさが残るその見習い騎士は、信心深いことにレオス教のシンボルが刻印されたペンダントを身に着けていた。

「レオス教も大した組織じゃねえから、そう肩肘張らずにがんばれや」

 少しくらい風通しを良くしてやったほうがいいだろう。そんな気持ちで笑いかけたが、彼は背筋を伸ばしたままの姿勢で顔を歪めた。逆効果だったらしい。

 その後は特に会話も無かった。

 気まずい沈黙の中、何も言わずに道を開けた見習い騎士に軽く礼を言って横を通り過ぎようとした時だった。

「どこにも居場所がないくせに」

 ――聞こえなかったことにして、そのまま街を出ていった。

 歩きながら、少し離れたところで待っていた仲間二人に手を振ったのだった。

 白銀都市から旅立ってから、数か月。
 季節の移り変わりは早いもので、もう夏になっていた。

 屋内から外に出た時の日差しの強さに驚いたのはつい最近のことである。
 外から漂ってくる草木の匂いが強まっていることに気付き、心なしか空の色も、あの夏特有の澄み切った青に変わっていた。

 頭部に兎の耳を生やした少女は、半袖のシャツから白い細腕を突き出して伸びをしている。今までと同じように茶色いケープを羽織っているが、通気性のあるものを新しく買ったそうだ。

 着古した黒い軽鎧を着込んだ大男は、地図を片手に遠くを見渡している。この道があっているかどうか確認しているらしい。

「どう?」
「んー……大丈夫だ。
このまま行けば二、三日で着くんじゃねえか」

 現在スロウ達が向かっているのは、とある小さな農村だ。

 さらなるダンジョン攻略を求め、西の方にある大きめの都市に向かおうと考えた三人は、経由地点としてその村を選んだのだ。

 視線の先には、広い草原が続いている。

「この調子なら、次の年にはA級まで上がれるかもしれませんね~」
「うん、そうだね」
「……」
「……」

 そわそわ、チラチラと、横の少女はこちらの様子を窺ってくる。
 横目で確認してみると、彼女がポケットに手を差し込んでいて、この後の展開が分かってしまった。

「見たいですか?」
「いや、もう何回も見たけど……」
「そんなに見たいならしょうがないですね~。これがB級冒険者の証です!」
「聞いてよ」

 どや顔で青色の冒険者証が差し出された。
 今まで持っていたC級の証とは違い、作りもそれなりに丈夫そうになった青色のカードである。
 B級冒険者である証だ。つやのある光沢が美しい。

「まあ、俺も持ってるんだけどね」

 懐から同じ色の冒険者証を取り出すスロウ。

 先日滞在していた街で、二人はついにB級冒険者に昇級したのだ。
 数々のダンジョン攻略に励んだ成果である。

 ただ、あの街のギルド職員にはだいぶ迷惑をかけた。
 一週間にも満たない期間に冒険者二人の昇級手続きと、膨大な魔法道具の検査手続きをすることになった彼らには本当に申し訳ない。

「ふふふ、わたしたちもすぐにデューイさんに追いつきますよ……!」
「ほう? ガキのくせに生意気じゃねえか。
 そう簡単に上がれるかなぁ……?」

 バチバチと視線を交わす大男と半獣人。年齢差のせいで親子のように見えなくもない。

 ちなみに、A級のさらに上であるS級には行かないことにしている。
 理由はレオス教との接点が増えるからだ。さまざまな特権が与えられるとはいえ、今の俺たちにとってはきっとデメリットの方が大きいだろう。騎士団を抜けたデューイにとってはなおさらだ。

 ふと、数か月前に訪れた白銀都市でのことを思い出した。

「デューイ。
 故郷を出てきたこと、後悔してない?」

 頭の中に浮かんでいたのは、白銀に輝く宗教都市に背を向けた大男の姿だ。
 あの時見えなかった顔を覗き見るように、隣をうかがった。

「……これが今のオレだからな。
 後悔する必要もねえさ」

 白銀都市を訪れる前よりもすっきりした面持ちだった――と、思いたい。
 少なくとも胸を張って答えた黒騎士の様子に「ああ」とも「うん」ともつかない曖昧な返事を返した。

「そういや、忘れるとこだったぜ。
 街で小耳に挟んだんだが、妙な噂があるらしい」

 大男はふと何かを思い出したらしく、唐突に声を軽くした。

 それに反応した兎耳の少女が、スロウの横に並んで何ですかと尋ねる。

「――ひょっとすると、向かってる先に魔人がいるかもしれねえ」