第八十二話 遺跡

 ――それから、また同じような毎日を送った。
 朝起きたら魔物退治に出かけ、街を探索し、宿に帰って眠る。

 そんな日々を何日か繰り返したが、特別大きな異変が起こったということは無く、砂漠の街での日常に少しずつ落ち着いていった。

 夜は、エフィールとその日起きた出来事をお互いに話しあった。
 内容はなんて事のない、嬉しかったことや驚いたこと、あるいは単なる愚痴や不満である。

 まだ環境に慣れきっていないせいか比率的には愚痴や不満のほうが多かったが、それも一通り話し終えて眠るころにはさっぱり解消していた。
 話すだけで気が楽になるというのもあっただろうが、それ以上にまともに会話ができるというだけで気分が良かった。砂漠の言語をまだ使いこなせていない自分たちにとって、元いた世界の言葉が通じる相手は貴重だ。
 なんだかんだで、お互いがお互いの支えになっているような感覚があった。

 話を聞いている限りでは、どうやらエフィールはうまくやっているらしい。
 うまくいけば数日以内にはもう別の宿に移れるくらい稼げているようだが、まだしばらくはこの宿に泊まるつもりらしい。「あんたが元の世界に帰るまでは協力してあげるわよ」と彼女はハンモックに揺られながらつぶやいていた。

 スロウのほうは、最近、魔物退治で死人が出たことを話した。

 例のサソリ型の魔物に、一緒に戦っていた異種族の一人が身体を真っ二つにされて死んだのだ。そいつは多腕の種族だった。

 ……言葉は通じなかったとはいえ、一緒に戦って生まれた仲間意識みたいなものがあった。
 ある程度、他の同種族との見分けがつくようになってきた矢先の出来事で、想像以上に動揺している自分がいる。

 なんだかんだでデューイやセナは強かったし、自分たちはいつも他の冒険者たちとは別行動をしていた。こういうのは、初めてだ。

 その思いを吐露している間、エフィールは静かに耳を傾けてくれていた。
 サソリ型の魔物から逃げた先の砂漠の真ん中でボロボロのまま多腕の男の亡骸を弔っているのを思い出しながら、目の前の少女に向かって「参加してなくて良かったな」と言うと彼女は複雑そうな顔をして黙り込んだ。彼女の両手には使われなくなった大弓の魔法道具が抱かれていた。

 ――そうして、以前よりもはるかに命の危険を実感するようになった魔物退治を行いつつ、街の探索を続けて……

 さらに四日が経ったころ。

 ついに、もとの世界に帰る手がかりを発見する。

 それは遺跡だった。

 このオアシス都市の隙間にひっそりと遺された、街を注意深く歩かなければ誰も気が付かなそうな古い遺跡だ。
 人気ひとけはまるでなく、突然そこだけ切り離されたかのように静寂が漂っている……。
 うだるような暑さが無ければ、ここが砂漠の世界だということすら忘れてしまいそうだった。

 張り詰めた静寂を破らないように静かに歩き、遺跡の奥へと足を踏み入れる。

 どうやら大した広さは無いらしい。全体を横断するのに百歩も必要なさそうだ。
 天井はほぼ完全に崩落して青い空が見えており、足元には崩れた柱と瓦礫がれきが散乱。そしてその隙間を埋めるように、砂漠のちりが角のほうに溜まっていた。

 比較的瓦礫がれきの少ない場所に立ち、視線を上げる。
 この古い遺跡の中でも崩壊の少ない壁の一面に、それらは描かれていた。

 ――おそらく『砂漠』『塔』『森林』、この三つだ。

 壁の左側に描かれているのが『砂漠』。
 砂丘や風を示すような曲線が重なっており、さらに砂埃を表しているかのような細かい点が打たれていることからそう断定した。

 反対側の右の方に目を移す。
 そちらに描かれているのは、たくさんの『樹木』だ。オアシスに生えているような背が高く頭の部分が膨らんでいるような木とは違う。それこそ、スロウが元の世界で見たことがある木の種類と似たような形をしたものが描かれている。砂漠とは違う環境なのは明らかだ。

 そして、壁画の真ん中。
 左の砂漠と右の森林との間の中間に位置する場所には、『塔』のような縦長の建造物とともに、どこか既視感のあるものが描かれていた。

――広い花畑のような場所に、きりか何かを表現しているのであろう丸いマークと、まるで墓標のような長方形の連続。

 そして、一番特徴的なのはそこに描かれている人物である。

 足の下まで伸びた長髪に、子供のような小さな背丈。

 幼い少女のような容姿の絵を見て、思わずその名を口にした。

「――これ、エレノア・ルクレールか……?」

 ……整理しよう。
 今のところ、別の世界に渡る方法は二つあると思う。

 一つは、水の太陽を探して転移魔法にわざと巻き込まれに行くことだ。

 ……文面だけでも分かるだろうが、これはあまりに危険すぎる。

 それ以前にこの広大な砂漠であの怪物と遭遇する運が必要だし、仮に遭遇できたとしても都合よく転移魔法を使ってくれるかどうか……。
 そもそも転移魔法に運よく巻き込まれたとしても、その先が安全な場所である保障はどこにもないのだ。

 成功するかどうかはほぼ完全に運任せ、でも成功率は限りなくゼロに近い。
 異世界は渡れるかもしれないが、狙い通りにはまずいかないだろう。

 そこで、二つ目の方法だ。
 ……エレノア・ルクレールと、もう一度会う。

 先ほどの遺跡の壁画を思い出す。
 絵の構図から判断するに、おそらくこの『砂漠の世界』から、どこか別の『樹木の世界』へと渡るまでに、何かしらの『塔』を中継するんだと思う。
 そして、その塔にはたぶんエレノア・ルクレールがいる。

 ならば、どうにかしてそこまでたどり着いて彼女と再会し、協力してくれるように頼めば元の世界へ帰れるのではないか?

 何しろメレクウルクの話では、異世界渡りの起源はエレノア・ルクレールの持つ時空を操る力だ。
 望む異世界へ人を送ることなど造作もないはずだし、なにより彼女は自分に協力的なはずだ。
 でなければこの砂漠に転移する直前にわざわざ助言してくれたりはしないだろう。
 もう一度会うことさえできれば、もとの世界に帰れる可能性が高い。

 ……難しいのは、その『塔』とやらをどうやって探すか、だ。

 まだ場所も分かっておらず、そこに至るまでどれくらいの距離があるのかも不明である。
 砂漠の言語を理解できないのを今程もどかしく思ったことは無い。

 ――だから、協力を仰いでみることにした。

「それで、あたしのところに来たってわけ?」
「ああ」

 木の実ジュースを小さなテーブルの上に置いたエフィールが、困惑しながらそう言った。