第百二十三話 もっと早く

「この風、すごいですねスロウさん!!
 こんなに早く走れるようになるなんて!!」

「ちょ……ほんと、待って……」

 

 リラツヘミナ結晶洞窟を脱して間もないころ……。
 鬱蒼と生い茂る大森林のど真ん中を、俺たちは息も絶え絶えに走り抜けていた。

「ぜぇ……はぁ……体力落ちたんじゃねえのか……スロウ……。
 こんなん余裕だろうが……!」
「……どこが余裕なんだよ、デューイ……!」
「ほら! 二人ともどうして立ち止まってるんですか!
 置いてっちゃいますよ!!」

 ふいに、軽快なステップで現れたセナがこちらの腕を引っ張ってきて、ただでさえ限界だった疲労感がさらに上乗せされていくように感じた。

(なんでだ……なんでセナはこんな動けるんだ……)

 洞窟のなかにいたときはまともに休息も取れていなかったはずなのに、いったいどこからあんな活力が湧いてくるのか。まるで意味が分からない。

 口を半開きにして重い顔を上げてみれば、セナが頬を紅潮させたまま待ちきれないと言わんばかりに早口でまくし立ててきた。

「もっと試したいんです! どれだけ早く走れるか……!
 もっとうまく風を動かせるようになってみたいんです!
 まだぜんぜん遊び足りません!」

 そんなもどかしそうに手を引っ張られても……。

 せめてもの抵抗をと重い足取りを殊更(ことさら)にひけらかしてみたが、それでも彼女は止まらないようだった。

 

「日が暮れるまで……
 いいえ、今日はこのまま夜通しで遊びますよ!!」

 

 ――――――――――――――――――

 

「……すー……すー……」

「……全然起きねーな……」
「……やっぱセナも疲れてたんだ……」

 数時間後。
 セナは自分たちが即席で作った草葉のベッドに横たわり、静かに寝息を立てていた。

 途中からちょっとズルをして『痛覚遮断』の能力を小出しし、疲労を誤魔化しながら必死でついてっていたのだが……。
 日が暮れる直前あたりでいきなり動きが鈍くなったセナが「眠いです……」とへたり込んでそのまま眠り始めてしまったのである。

 当然、そのまま放っておくわけにもいかず、迅速に野営の準備をして今に至っている。

「はぁぁ……ずいぶん振り回されたぜ……。
 記憶をなくす前はもうちっと楽だったはずなんだがな……」
「……そういえば、セナに振り回される経験ってこれが初めてじゃない?
 セナっていつも裏方に回ってたし」

 彼女の印象として強いのは、どちらかというとサポート役というイメージだ。
 戦いの時しかり、旅の途中での人間関係しかり。
 けっこう周りの雰囲気を見て動くタイプだと思っていたので今日の出来事はかなり予想外に感じる。

 もしかしてこっちが素の彼女だったりするのだろうか。
 初めて会ったときなんて確か、冒険者になりたいあまりギルドに突撃していたし。
 余計なしがらみがない分、活発になるのが本来の彼女なのだろうか。

 ちなみに、セナがつけていた手枷は先ほど解除したばかりである。
 手首のあたりが擦れてかなり赤くなっていたので、とりあえずきれいに洗った布切れを巻いている。とはいえ消毒とかもできていないのでエフィールと合流できたときに頼もうかと考えているところだ。

「とりあえず飯食おうぜ。
 ここは食えるものがそこらじゅうにあるから楽だな。
 今までみてえに、いちいち糧食やらを用意する手間が省ける」

 そう言ってデューイはたき火にかざしていた魚の串刺しを手に取った。
 近くの川で獲れた魚はいい具合に身が乗っていて食べ応えがありそうだ。
 自分も手元に近い串刺しをとってかぶりついた。

「話は変わるけどさデューイ、洞窟のなかにいた奴隷たちってどうしてると思う?」
「そんなの知るかよ。
 希望したやつの手枷は外してやったし、あとは自分たちでどうにかするだろ」
「まあ、そうだよな……。
 ……いやさ、たぶん俺たちが確認したよりもたくさんの人が亡くなった……のかなって思ってさ。
 なんか、こうやって、自分たちだけ勝手に先へ行ってしまっていいのかなって……」
「真面目だなあお前は。
 そもそもオレたちよそ者じゃねえか。
 部外者がとやかく言ったってどうにもできねーよ」
「そういうもんかな……」

「――いい匂いがします!!」

 

 そこで突然、静かに寝ていたはずのセナがいきなり飛び起きてきた。

「お、おう。いま魚を焼いてるところだ。
 ……食うか、嬢ちゃん?」
「いただきます!!」

 デューイが差し出した串刺しの一本を受け取るやいなや、セナは即座にかぶりついた。
 まだ熱かったのか、はふはふと口の中で転がしてから飲み込み、またすぐに次の一口に移行。

 その後、デューイが火を通しておいていた三尾ほどをたいらげたセナは、満足そうに寝転がった後にまたすぐ眠ってしまった。

「すー……すー……」
「……ガキかよ……」
「俺たちも寝よう。
 そろそろ限界、だ……」
「オレはまだ食い足りねえから残り全部焼いてるわ。
 先に休んでな、見張り番はやっとく」
「ありがと……」

 そういえばちゃんと食べて寝るのは久しぶりだなと思いながらまぶたを閉じる……。

 デューイがたき火をいじっている音が心地良くて、疲労も相まってすぐに眠れそうだった。

 ――眠りに落ちる寸前で、自分がどうして洞窟に残してきた奴隷たちに罪悪感を感じるのかをふっと考えた。

 デューイは「部外者がとやかく言ってもどうにもなんねー」と言っていたけど、
 思い返せば俺はずっと昔に、その部外者だったお前に助けられて旅を始めたんだ。

 だから、なんだか、昔の自分を見捨ててしまったように感じて――……

 そこで意識は途絶えた、と思う。

 

 

 翌日、目が覚めて上体を起こした瞬間から身体の軽さに驚いた。
 草葉を重ねただけの即席ベッドだったが、冷たい洞窟内の地面よりかはよほど疲れを癒してくれたらしい。
 全身が羽のように感じて、今すぐにでも動けそうだった。

「おはよう、デューイ。
 ほら、起きてセナ」
「うーん……?」
「ご飯食べたら出発するよ」
「そら、昨日の残り置いとくぜ。
 また火起こすの面倒だから冷めたやつで我慢しろよ」
「ごはん……」
「それで? 今後は?」

 ぼんやりした顔でもそもそと魚を食べ始めたセナを横目に、俺はデューイからの質問に答えた。

「エフィールと合流したい。
 たぶんまだフラントールの里……セナの故郷にいるはず。
 そこに向かいたい」
「ああ、あの魔人の女か。
 ほんとうに味方なんだろうな……?」
「そこは心配しなくていい」
「ならいいんだが……」
「うむ」
「ついでにもう一個いいか?」
「うん?」
「昨日はずいぶん走り回ったけどよぉ……。
 まさか正反対の方向に突っ走っちゃいなかったよな……?」

 ――そうだよな? とすがるような半笑いで念押ししてくるデューイだが、

 悲しいかな、それに関しては自信をもって頷くことができない。

「なんとなーく、見覚えのある方向には近づいてたと思うけど……」
「それだったら、たぶん大丈夫ですよぉ……」

 そこで口をはさんできたのは、しょぼしょぼの目をこするセナだった。

 

「あっちのほうに、たぶん私のふるさとがありますし……」

 

 そう言ってセナが指さしたのは、確かに自分たちが先日進んでいた方向で、
 ……俺はちょっと信じられない気持ちで彼女のほうに視線を戻した。

「……もしかして、分かってて走ってたの?」
「むにゃ……それは正直、偶然でしたけど。
 でもなんとなーく、見覚えのある景色が増えてくのが面白くて、そのまま進んじゃってました」

 そこで、食べていた魚の骨を置いたセナが、おもむろに伸びをして立ち上がった。

「ふわぁ。
 それより……早く行きましょう!
 お腹もいっぱいになりましたし、今日もいっぱい走りたいです!」
「それはもちろろんいいけど……
 その、いいの?」
「何がですか?」
「セナの故郷に向かうこと。
 てっきり、もう興味ないのかと……」

 ――いや、もちろん! 一緒に来てくれるのはすごいうれしいんだけどさ!

 と大急ぎで補足したが、きょとんとした顔で首をかしげていたセナがふいに距離を詰めてきて、至近距離からこちらを見上げてきた。

 

「だって、いざというときはどうにかしてくれますよね?」

 

 まるで少年のように「にっ」と笑ったセナの姿。

 その振る舞いに呆けてしまった一瞬の間に、軽快なバックステップと合わせて風の短剣を取り出したセナが「さあ、今日も疲れるまで遊びますよ!!」と風をまとった。

 

 

 バサバサとものすごい勢いで後ろに流れていく樹海の景色。

 肌に触れる風圧は痛いほどで、目がひりひりしてくるほどだ。

 やっぱりちゃんと休息を取れていると身体が動くようで、昨日よりも体力的に余裕があるように感じる。

 相変わらずケタケタと笑いながら前方を走り抜けるセナをこちらも負けじと追いかけているが……。

 ひとつだけ、気になることがあった。

 

(なんか、昨日よりも速くなってない……?)

 

「……なあスロウ、昨日よりペース早くなってねーか?」
「やっぱりそう思う?」
「ああ」

 デューイも同意見だったようだ。

 

 ――実はいま、俺とデューイはセナからの風がより多く付与された状態で走っている。

 そのおかげで自分たちはわりと余裕をもって彼女について行けてるのだが、それはひとまず置いといて……。

 つまり何が言いたいかというと、
 セナは自分自身への風圧の補助が昨日よりもあきらかに薄い状態で、昨日よりも速く移動しつづけているのだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 しかも水平方向への移動速度だけじゃなくて、垂直方向への跳躍力も跳ね上がっており、
 その状態で昨日よりも明らかに余裕そうに笑っているのだ。

「たった一日かそこらで人の体力が倍増するなんてことないよね……?」
「嬢ちゃんみてーな半獣人ならあり得るかもだが……。
 ……こいつはあれだな……。
 体力うんぬんってより、風を操るのがうまくなってやがる」

 なるほど。
 成長していたのは魔法道具を扱う技術のほうだったか。

 確かに、より少ない風圧をうまく管理して身体能力を底上げしてる、というほうがしっくりくる。
 セナの周りだけ木々や草葉の揺れが圧倒的に少ないし。

 

「ただそれにしたってこの成長速度は……ちょっとどうかしてるんじゃねーか」

 

 そんな風に二人で並んで話し合っているときだった。

 

 ――突然、目の前で急停止したセナの背中に衝突した。

 セナに怪我をさせるわけにもいかず反射で抱きかかえたまま、
 三人まとめて思いっきりもみくちゃになって転び、なにか開けた場所に放り出されたように感じた。

 

 ……ようやく止まってくれたかと薄っすらとまぶたを開けると、
 頭上から見知らぬ人たちの声が聞こえた。

 

「だ、誰だお前たち!」
「動くな!
 ……おい、この二人、元序列持ちの決闘者だ!
 洞窟送りになったやつ!」
「――脱走だ!! 奴隷が脱走してる!!」
「協力者もいるぞ!!」

 樹海のなかにぽっかりと穴の空いたような開(ひら)けた空間で自分たちを取り囲んでいたのは、複数の男たち。

 その全員が、天樹会のマークのしるされた衣服を身に着けていた。

「組織に貢献するチャンスだ……!
 我が名は槍使いソール!
 序列はないが……正式に決闘を申し込む!」
「……あはは……。
 すみませんスロウさん、走るのに夢中で気が付きませんでした……」

 地面に転がった無様な恰好のまま、俺は苦笑いした。