下方からの強風に目を閉じそうになった。
高所からの落下にももう慣れたもので、セナと二人で風を操って無事に着地。
確かな地面の感触に妙な安心感を覚えながら顔を上げると、つい今しがた自分たちを運んできたばかりの『空飛ぶ舟』が謎の駆動音とともに空の彼方へ消えていく。
やがて普段の風の音や鳥の鳴き声が戻ってきた森をぐるりと見渡し、
自分たち以外に誰もいないことを確認。
着陸時に『能力解除』の魔法道具で舟ごと奪われるのを心配していたが、
杞憂に終わってくれたらしい。
場所は森林学院から少し離れた平地。
天樹会の連中に気付かれないように、ここからは徒歩で移動しなければならない。
「……よし、さっそくエフィールを探そう」
「はい!
急がないとですね……!」
こぶしを握るセナに自分も頷いた。
地上で動くのは自分とセナの二人だけである。
兎人族の人たちは空の上で待機してもらい、
いざというときに拾ってもらう手筈である。
合図にはエフィールの光の弓矢の能力を使うと伝えてあるが……
実際に拾ってもらうのは最終手段だと思っている。空の上というせっかくの安全地帯をむやみに危険にさらすわけにはいかない。
「……エーフィちゃん、助けられますかね……?」
「なんとかして助ける。
それしかないよ」
まとった風の音に消えないよう、やや大きめの声で会話する。
空の上にいたときに天樹会の拠点の位置は大まかに把握済み。
降りた場所から一番近い場所へ急ぎながら、森のなかを俊敏に駆け抜けていく。
「スロウさんって、エーフィちゃんのことが大切なんですね」
「……まあね……。
最初は敵だったはずなのにさ。
人生どうなるか分からないよ」
「ええっ!? 仲悪かったんですか?」
「うん。
なんなら『前』のセナとも敵同士って関係だったかな。
……この森で再会したときにはあっさり和解してたけど」
背丈くらいある藪がうっとおしくなってきたので、迷わず樹上に跳躍する。
堅く分厚い枝と枝とを渡りながら、できるだけ速度を維持し続けた。
「水の太陽って化け物に、砂漠しかない世界に転移させられてさ……
協力しあうほかなかった。
俺はエフィールの命を救ったし、
俺はエフィールに助けられた。
あいつがいなかったら俺、あの砂漠で死ぬまで漂流してただろうね」
「そんなことがあったんですね……」
ちなみにこの話をセナにするのは二回目である。
途中で記憶を失ってしまったとはいえ、同じ相手に同じ話をしている形になる。
「いまは……他人事じゃないんだ。
あいつを見捨てる選択肢なんてとれない。
俺の信条にも反するし」
「信条? どんな信条なんですか」
「いや、ごめん、いまパッと思いつく表現がそれしか思いつかなかっただけなんだけど……」
どこかに引っかからないように逆手に持った音叉剣を、握る力を強める。
「俺のなかには『弱い自分』がいて、
居場所が欲しいとか、頑張るのが面倒くさいとか、弱音吐きたいとか、
いろいろ勝手に言ってくるんだよ。
そんな自分と折り合いつけながら、どうにかここまで来れたんだ。
……普通だったら、大人になるためにはそういう『弱さ』を切り捨てていかなきゃいけないのかもしれないけど……
もしほんとうにそうしてしまったら、
今の俺がここにいる理由が全部なくなってしまう気がするんだ」
豊かに茂った森の薄暗闇の向こうから、開けた明るい空が見える。
どうやら崖になっているらしい。逡巡しているヒマはないのでそのまま突っ込むことにした。
「エフィールは、俺のなかにあるどうしても捨てたくない『弱み』の一部……なんだろうな」
樹上から崖下へジャンプした一瞬の浮遊の間に、無意識につぶやいた。
「……彼女の無罪を証明する……なんて、できるのかな……」
「——わたしたちならきっとできます!」
戦いのときと同じ。
最初はできないって思っても、頑張ればできるようになるんです。
裁判だとか罪だとか難しそうな話でしたけど、きっとどうにかなりますよ!」
同じスピードで落ちながら、半獣人の少女が笑った。
彼女と息を合わせて風を下へ向け、着地の勢いを利用してさらに加速。
――要するに俺は、変えたくないんだ。
せっかく築き上げてきたこの現状を。
信頼できる仲間たちがいて、
フラントールの里の人たちのように自分を認めてくれる人たちがいて。
そうして自身の生まれ故郷に戻りたいのだ。
この世界は厳しい。
決闘に負けて奴隷に落ちてしまったり、
大事な武器を簡単に取り上げられてしまったりする。
そんなのはもうごめんだ。
――彼女の背中を脳裏に思い浮かべて走っていると、
急に、前方に人影が現れた。
「待って、誰かいる……!」
「くそっ、また逃げられたぞ!」
「隷属の魔法道具はどうなってんだ!?
これで五回目だぞ!?」
天樹会と思しき二人の半獣人が息を切らして立ち止まっていた。
動きを緩めて停止し「様子をみよう」とセナに手のひらを向けた。
……やがて、三人目の半獣人が現れて声を張り上げた。
「おい! もう奴隷たちのことはいい。
こっちを手伝ってくれ。裁判所の完成まであとすこしなんだ」
「裁判所? こんな忙しい時に?」
「ツク様のお考えだ。
反乱を起こしそうな奴隷たちの怒りを
エーデルハイドの魔人へ向けさせようって魂胆らしい」
……あいつはいろいろ知ってそうだ。
とにかく時間が惜しいので、相手方に気付かれないようにゆっくりと接近していく。
「そんなことして効果あるのか?」
「いいから従え。
とにかく人手が足りないんだ、さっさとやらないとまた怒鳴られ……
——おい! 誰だおまっ……」
こちらに背を向けていた二人の後頭部を素早く殴って無力化。
最後の偉そうなやつが逃げないように回り込んでから、音叉剣を突き付けた。
「エフィールはどこだ?」
「くっ……」
「エーデルハイドの魔人だ!
どこにいる!?」
見たところ武器を持っているわけではなかったらしい。
少し強気に出て、剣をさらに近づけた。
それでもまだ抵抗の意思が残っているようだったので、
足元から土の杭を飛び出させて相手の脇腹すれすれをかすめさせてやった。
「し、知らない!
おれはただ臨時の裁判所を作るように言われてるだけで……!」
「本当か?」
「あ、ああ!」
「じゃあ、その裁判所の場所は?」
「ここから南だ。すぐのとこだよ……」
嘘は言ってなさそうだ。最初にこの男がやってきた方角とも一致する。
男の背後でハラハラした様子で見守っていたセナと視線を交わした。
エフィールは近いうちに即席の裁判所とやらに現れるだろう。もしかしたらもう到着しているかもしれない。
そこにうまく忍び込めれば、彼女を見つけ出せる……。
と、そこで男がおずおずと口を開いてきた。
「なあ……あんたらもしかして、ジェド様の知り合いか……?」
「? 誰だ、そのジェドっていうのは」
「いや、違うならいいんだ……」
「……」
俺は無言で音叉剣を振り上げた。
「分かった、話すよ!!
『赤髪の剣鬼』サマだよ!
あんたもこの国にいる人間ならわかるだろ!?」
「……知らない。誰だそれ」
信じられないといった顔で男は凝視してきたが、
実際に知らないのだからどうしようもない。
こちらが黙っていると、そいつは深くため息をついた。
「序列一位の決闘者だよ。
ジェドフェン・エーデルハイド。
有名人だぞ……」
「……!」
俺は目を見開いた。エーデルハイド!?
エフィールが探していた同じ一族か!?
しかも、序列の一位!?
ていうことは、天樹会傘下の決闘者なのか……?
――威圧的に剣を向けるのをやめ、より顔を近づけて問いただした。
「なんでその人が俺たちと知り合いだと?」
「だって、あんたエーデルハイドの魔人の居場所聞いてきただろ?
ジェド様も同じことしてたんだ。
ご老体のはずなのに、自分から足動かしてさ。
……血眼でいろんなやつに聞いてまわってて、すごい怖かったよ……」
剣を下ろしたのが効果的だったのか、そいつはかなり詳しく話してくれるようになった。
自分たちがむやみやたらと暴力を振るうタイプではないと見ると、疲れたように樹の根に腰かけてこちらを見上げてきた。
「やっぱり、一族の裏切り者を許しておけなかったのかな。
めちゃめちゃ殺気出してて、そんな人相手に嘘を言うの、けっこうしんどかったよ」
「嘘?」
「ああ。
ツク様の命令でさ。
『エーデルハイドの魔人は森林学院にいる』って、
みんなで口裏合わせてでたらめ言わなきゃいけなかった。
実際には誰も知らなかったんだけど……」
……どういうことだ?
わざわざ嘘を伝えてまで裁判所から離れさせようとするなんて。
そもそもそのジェドという人物は、エフィ―ルが起こした魔人事件の真相を――
エフィールが無罪だということを知っているのか?
マーヤの時と同じように魔人事件の日にその場に居なかったらとしたら、
『一族を皆殺しにした裏切り者』と伝えられているエフィールに強い恨みを抱いててもおかしくはないが……。
「……じゃあ、そのジェドっていう人は、森林学院にいるんだな?」
「ああ。
ただ、そっちでも揉め事になってるらしいって話だけど……」
もう完全に敵意を抱いていない男は、曖昧に口を濁しながらつぶやいた。
「なんでも、謎のクソ強い剣士と一日中戦ってるとか……」
「——スロウさん!! ほんとにいいんですか?
裁判所のほうには行かなくて……」
天樹会の男に話を聞いたあと、自分たちは移動を始めていた。
南にあるという臨時の裁判所ではなく、森林学院へ向けて。
「いまエフィールに会ってもだめだ!
俺たちだけじゃ彼女の無罪を証明することはできない!
証人を見つけないと!
正直、賭けになるけど……さっき話で聞いたジェドって人を説得して協力してもらおう!」
もしもほんとうにジェドフェン・エーデルハイドという人物がエフィールと同じ一族なら、
少なくとも対話の余地はあるはずだ。
とにかく、可能性のあることは全部試すしかない。
森林学院に近付くにつれて、見覚えのある樹海の景色が点々と増えてくる。
男の話でもうひとつ気になったのは、
『謎の剣士と一日中戦ってる』というものだったけど……。
まさか……。
「——スロウさん! あっちから剣がぶつかる音がします!」
自分のやや後方にぴったりついてきていたセナが急に進行方向を変えたのを見て、自分も急いでそちらへ足を向ける。
森林学院近辺に特有の、容易には先が見通せない樹海を猛スピードで突っ切り、
唐突に開けた視界の先に、彼らはいた。
全部で、三人。
「——スロウ!? なんでお前ここにいる!?」
「デューイ!!」
ひとりは、古くからの旅仲間である大柄な剣士だ。
「って嬢ちゃんまでいるじゃねえか!?」と驚いた様子でこちらを振り返っている。
――ほんとうなら、ここでデューイが対峙している人物に目を向けるべきだったのだろうが……。
俺はデューイの背中に隠れるように膝をついていた、予想外の三人目の男を、ぎょっとして見つめてしまった。
「あっ……」
罰の悪そうな顔で視線をそらしたそいつの名は、
イズミル。
かつて、天樹会のツクやアジュラと共謀して、自分とセナを奴隷に落とした森林学院の研究者だ。
なんでこいつが?
裏切り者を目の前にして眉間にしわを寄せたが……
俺はさらに困惑した。
なんで、イズミルをかばうように、デューイは剣を構えているんだ?
なんで……。
「なんでデューイが、イズミルを守ってるの……?」