第百四十六話 旅の終わりへ

 ――さらに数日が経った。

 天樹会が崩壊してから混乱続きだったセトゥムナ連合だが、
 ここ最近になってようやく事態が進展しはじめた。

 

 まずは奴隷の返還が行われるようになった。

 異なる種族同士で互いに奪い合った奴隷を返す場が各地で設けられ、
 このあたりのまとめ役は序列の第二位だった『猛虎』のアジュラが担うことになった。

 現状、セトゥムナ連合で最も公的に知名度が高く、
 また魔法道具を一切使わない闘いを貫いていたことなどの理由で半獣人たち支持を集めていたかららしい。

 傷跡の残った痛々しい身体で動き回り、
 テキパキと指示を与えていく姿が印象に残っている。

 彼がフラントールの里にやってきたときに聞いたが、
 奴隷以外の資源、つまり食料や道具などに関しては元に戻せそうにないのだとか。

 単純に消費されつくされてしまったり、
 いろんなところをたらい回しにされたりで権利関係が異常にややこしくなってるらしい。

 なのでそこは後回しにして(というかほぼ諦めて)、奴隷を最優先に動かしているとか。
 たしかに半獣人は種族ごとに身体的な特徴があって分かりやすいからね。

 またそれに付随して、セトゥムナ連合の外に出てしまった奴隷……。
 つまり、天樹会がより多くの魔法道具を得るために諸外国へ差し出してしまった半獣人たちを取り戻すことも考えているようだ。
 こっちは実現の目処めども立っていないが、できることはやるとアジュラは言っていた。

 なお魔法道具の類は、森林学院に集められ、研究が終わったものはそれを必要とする種族に渡したり、諸外国との奴隷の交換材料に使うらしい。

 なんだかんだでこの国には魔法道具がたくさんある。もしかしたら世界でも有数の確保率になるかもしれない。
 うまく使えればきっとこの大森林に良い影響を与えるだろう。
 暫定リーダーとなっているアジュラもそのことは理解しているようだった。

 

 

 一方では、セトゥムナ連合はいずれ『連合』を止めるだろうという噂も聞こえてくる。

 今までと同じ生き方を続けるのは無理だという空気が森全体でなんとなく共有されており……。

 かつての古い時代のように、点在する小規模な種族たちがそれぞれで独立して生きていくバラバラの国に戻るだろうと、森林学院の研究者のひとりが話していた。

 実際に国の形が変わるかどうかは定かではないが、
 異なる種族間でのつながりは薄くなることだけは確実らしい。

 

 ……この森の在り方については口を挟むつもりはない。

 自分たちは成り行きで決闘者になったとはいえ、元は部外者だ。
 この森のことは、この森に生きている人たちに任せるのが一番だろう。

 

 

 

「で、どうだスロウ?
 いけんのか?」

 もうすぐ夕暮れ時になろうかという頃……。
 甲板で操舵方法の確認をしていると、背後からデューイが覗き込んできた。

「うん。
 動かし方教えてもらったけど意外と簡単だった」
「ほんとにこんなデカいのが空に浮かぶのか?
 つーか、もっと人数がいるんじゃねーのかこういう舟ってのは……?
 普通は大人数で役割分担するもんだろ。
 ほら、帆を開いたりとかよ」
「大丈夫だって。
 ついさっき、森の上をかるーく飛ぶくらいはできたんだ。
 練習は済んでるから心配いらないよ」
「けどよ、万が一、万が一な?
 落ちそうになったときのために兎人族の連中を一人か二人連れてくるくらいは……」
「デューイ。
 俺たちはこれからイストリアに行くんだ。
 もしかしたら道中で危険なことが起こるかもしれない。
 フラントール族の人たちにそんな目に遭わせるわけにはいかないでしょ?」

 不安そうに笑うデューイから視線を外し、
 手元にあった地図を開く。

 イズミルから譲ってもらったその地図には、
 赤い印が描かれている。

 この位置に、自分の故郷……イストリアへと通じる転移陣があるのだ。
 ようやく。ようやくだ。

 西日に照らされてまぶしいその紙のざらざらとした感覚を味わっていると、
 視界の奥から二人の少女が現れるのを捉えた。

「こっちは荷物運び終わったわよー。
 こんなに船内が広いと逆にどこに置くか迷うわね」
「あはは……すみませんでしたエーフィちゃん。
 重いのばっかり持ってもらって」
「いいわよ。重力魔法使えるんだし」

 階段を昇ってきたのは、エフィールとセナ。

 セナと目があったが、すぐに視線を逸らされて気まずくなる。
 この前の決闘以来ずっとこんな感じだ。

 内容が内容だったために仕方ないとはいえ、すこし寂しくもある。
 かなり長い間いっしょに旅してきたんだけどな……。

 そんな思いを知らずに、デューイがこちらへ近づいてくる二人に顔を上げた。

「そんじゃ、これで全員準備は完了だな。
 つってももう日暮れだし……明日出発のがいいだろ」

 その提案に異論はない。
 単純に夜に動くのは怖いし、まだお世話になった人たちへの挨拶が終わってない。

 今日はこの辺で休息か……。
 手元にあった地図を丸めてしまい込む。

 

 ちなみに、セナの記憶が戻った件についてはすでに全員知っている。

 元のセナと、記憶喪失後のセナ。
 両方の記憶が統合されたのだと本人は説明していた。
 二人とも最初こそ困惑していたものの、本人が何をしていたのかある程度覚えているのが大きかったらしい。割と早い段階で受け入れている。

 気まずい思いをしているのは自分だけだ。
 あの決闘のことをセナは誰にも話してないだろうし、もちろん自分も話してない。

 こんな状態で旅の終わりを迎えるのもな……と思いながら、赤髪の少女が口を開くのを視界の端に捉えた。

「ところでセナ。あなた荷物はほんとに無いの?
 果物の成る木とかが生えてるとはいっても、
 持ってきといたほうがいいものくらいあるんじゃない?」
「……実はそのことなんですけど……」

 急にかしこまった雰囲気を感じて、
 全員でセナに注目する。

 彼女が口を開くまでのわずかな逡巡や、笑い方の微妙なズレで、何を言おうとしているのかを察する。

 やがて、間もないうちに半獣人の少女がぺこりと頭を下げた。

 

「わたしは、この森に残ります。
 イストリアにはみなさんだけで行ってください」

 

 …………。
 
 ああ、そういうこと……。
 荷物が極端に少なかったのは、最初から旅をやめるつもりだったからか……。

「ちょ、ちょっとどういうことよ。
 一緒にいかないの?」

 信じられなさそうに口を開いたのはエフィールだ。
 デューイはなにも言葉にはしなかったが、雰囲気から困惑しているのがわかる。
「ほんとうにいいのか?」と、静かに目で問いかけているようだった。

 そこで、すぐには返事をせず、ゆっくりと息を吸ったセナが一歩、二歩と甲板の上を歩いてから顔を上げた。

「わたし、何にも縛られないで自由に生きたかったんです。
 実際すごく楽しかった。今までの旅ぜんぶ。
 でも、いつの間にか周りの人のことを考えてしまってて……
 きっとそういう性(さが)なんでしょうね。
 故郷のことを横に置いといたまま離れるのはわたしには無理みたいです。
 だから……わたしの旅はここで終わりっ」

 いつものような明るい笑顔を浮かべたセナが、
 しっかりと目に焼き付けるつもりなのか、仲間たちの顔を一人ずつ見て……
 そして、自分と視線が交わった。

「ね、スロウさん。
 スロウさんなら、分かってくれるでしょう?」

 ……その問いかけには、きっとあの決闘のことが含まれているのだろう。

 それもそうだ。

 あの時セナが決意をもって踏み込んできたからこそ、
 そして自分がそれをはっきりと拒絶したからこそ、
 いままでと同じ関係は維持できなくなったのだ。

 だから、セナが旅を辞めると言い出すのは、なにも不自然なことではない。

「……」

 ゆっくりと息を吸って、空を見上げる。

 夕暮れに照らされた赤い雲が、どこか遠くへ向かってたなびいていた。

 

「……舟の試運転がまだなんだ」

 そうつぶやくと、セナがきょとんとした表情を浮かべる。

 怪訝そうに視線を向けてくる仲間たちに背を向け、
 舟の操舵桿の前に立った。

「じゃ、みんなつかまって」
「お、おいスロウ!」

 すぐに見えないエネルギーを発して船体を浮かべた舟に、さらなる操作を加えて上昇。
 有無を言わさず上空へと飛び上がり、みるみるうちに夕焼け空へと舟を近づけてやった。

 

 あっけにとられている仲間たちの元へ戻り、
 腰に手を当てて宣言した。

「――ちょっと早いけど、この四人で旅のゴールを祝おう。
 デューイ、隠して持ってきてるお酒あるよね?」
「お?
 ……おお! そんじゃ盛大に開けるか!」

 喜んで船内へすっ飛んで行ったデューイを横目に、
 残った二人と向き合った。

「……あんな寂しそうに笑わせたままお別れするわけないでしょ」

 ぽかんと口を開けていたセナが、やがてこらえきれなくなったかのように噴き出してケタケタと笑いだす。

 一番星が浮かび始めた、宵の口でのことだった。

 

 

 

 広げられたのは、デューイがおそらく天樹会からくすねてきたであろう高そうなお酒。
 舟の中で育っていた甘い果物。
 残り保存期間の短いパンや塩気のきいた干し肉、木の実などなど。

 

 乾杯も待たず酒杯をあおったデューイにならってこちらも口をつける。
 無礼講だ。いまさらマナーを気にするような間柄でもない。
 女性陣はお酒にほぼ慣れていないようで、セナは一口つけてからイケると思ったのかすぐに二口、三口と飲みはじめ、エフィールはおっかなびっくりといった様子で匂いだけかいでいた。

 

 話した内容は、自然とこれまでの旅の振り返りになった。

 スクルナ村で最初にデューイと出会ったときのことを詳細に話されたときは恥ずかしくて気が狂いそうだった。恥ずかしいのを誤魔化すためだけにすぐ一杯を飲み干すことになった。
 旅を始める前にどうしていたかという話題は特にエフィールが聞きたがったが、実際に話を聞いて一番面白そうにしていたのはセナだった。

 なんだか恥ずかしい思いをしてばかりだと思ったので、仕返しとばかりにセナと初めて出会ったときのことを事細かく話してやった。
 顔を真っ赤にして否定しようとするセナに対しデューイが「あーあったあったそんなこと」と証明したことでセナが撃沈し、やがて諦めたのか投げやりな様子で全肯定をし始めた。
 このあたりからお酒とご飯がどんどん進むようになった気がする。

 その後はデューイが自身の故郷のことを語り、「オレはあそこに戻るつもりはやっぱりねえな」とつぶやく。
 すこししんみりしたところでベレウェルの話へと移り、エーデルハイドの魔人として出会ったころのことをエフィールがいじられる。
 砂漠の大陸へ転移されられたときのことはお互いにある程度話していたので軽くで終わった。

 

「スロウ、頭なでて」
「え? よしよし……」
「あたしのこと褒めて」
「えらいえらい……」
「手、ギュってして」
「……エフィールさん? まだ一口も飲んでませんよね?
 におい嗅いだだけでこれって弱すぎじゃないですか?」
「ううううう~羨ましい……!
 エーフィちゃんどうやってその人オトしたんですか!?
 ずるいですよ!! わたしにも分けて!!!!」
「ダメ。あげなーい」
「ぶっちゃけオレ様がいちばん活躍したのってどこだと思う?
 やっぱよお結晶洞窟で助けに入ったあたりなんじゃねえかと思うのよオレは。
 あんときゃマジで気持ちよかったなあ! だってよ――」
「スロウあたしそれ食べたい取って」

 

 ―――――――

 その後、最も多く飲んでいたデューイが酔いつぶれ、
 そしてなぜか一滴も飲んでいないエフィールがすやすやと眠りについた。

「二人ともよく寝てますねぇ……」
「デューイはともかくなんでエフィ―ルも……。
 まあいいか。お酒なくなっちゃったし、水とりにいこっか」

 残った自分とセナで、船内から冷たい水を汲んできてすすった。
 甲板の手すりに身を預け、二人で肩を並べながら涼しい風を身体に浴びせる。

 きれいな月が大地を照らしていて、
 流れる雲がセトゥムナの大森林に影の濃淡を彩らせていた。

 

 ――二人でずいぶん長い間、そこに立っていた気がする。
 言葉を交わすでもなく、ただ夜風を感じながら星と雲が動くのを眺める……。

 そんな時間を過ごしていたとき、ふと彼女が口を開く気配がした。

 

「……わたしにできることは『マッピング』だけだと思うんです」

 顔を横に向けると、まだ頬の赤いセナが優しそうな目で眼下の森を見通していた。

「マッピング?」
「はい。
 地図を作ること、です」

 コップに注がれた澄んだ水を揺らしながら、セナが続ける。

「この地図は、きっと、人それぞれ違う。
 羽が生えている人にしか通れない道があったり、
 特殊な才能がないと行けない場所だったり……。
 でも、ほんの少し遠回りしたり、道具を使ったり、工夫をしたりすれば同じ場所にたどり着くこともできるかもしれない……。
 わたしたちが生きているのは、きっとそういう世界です」

 やがて彼女は視線を前方に向ける。
 大森林を超え、わずかな平原地帯を超え、その先の暗闇の向こうにうっすらとそびえたっているのは、北部につらなく山脈地帯。竜巻山脈だ。

「人の一生って、そういう『地図』を作るための旅路なんじゃないかって思うんです。
 自分にしか歩めない道があって、もちろんみんなが通りやすい道もあって……。
 そんななかで、自分の手のひらにある地図の空白をできるだけ埋めていく。
 そうやって時間をかけて作った地図をほかの人たちと見せ合えれば、それだけで十分なんじゃないかなって。
 たとえみんなより狭い範囲でしか動けなかった人がいたとしても、
 その人はきっと縮尺を変えていただけ……。
 それって無価値なわけないじゃないですか」

 そしてセナは、ゆっくりとこちらに向き直る。
 以前と変わらぬ琥珀色のきれいな瞳が、月の光に照らされて優しく輝いていた。

「前のわたしは臆病な私の代わりに地図を埋めてくれました。
 スロウさんも、スロウさんだけにしか描けない『地図』を作ってる途中なんだと思います。
 もちろんわたしも、自分だけの地図を作ります。
 わたしはここで自分のやるべきことをやろうと思います」
「やるべきこと?」
「はい。
 さっき話してるときに気付いてたんですけど、大森林の外で奴隷になってしまった半獣人を戻せるの、わたしだけなんじゃないかと思ったんです。
 外の世界を旅してた半獣人って、そんなにいませんから」
「……そっか」
「それが済んだら……そうですね……。
 学校の先生になりたいです」
「先生?
 魔法道具の研究員とかじゃなくて?」
「はい」

 意外だと思ったが、本気らしい。

「だから……わたしの旅はここで終わりです」

 セナはいずれ、愛用していた『風の短剣』の所有権を別の誰かに譲るつもりだということも教えてくれた。
 琥珀色の瞳に浮かべる光は力強い。

 その覚悟をちゃんと受け止めるつもりで右手を差し出すと、彼女もそれに応えてくれた。
 お互いにかたい握手を交わし、じっと見つめ合う。

「スロウさん。
 あなたと出逢えたこと、わたしは後悔してません。
 たとえ振られたとしてもです」
「ああ。
 俺も、会えてよかった。
 きっと俺の知らないところでもいろいろ助けてくれたでしょ?
 セナがいなかったらここまで来れてなかった。
 ……ありがとう」

 戦いでは完璧なサポート役として。
 普段の旅では笑顔を振りまくムードメーカーとして。
 把握しきれていない貢献も数えきれないほどあるはずだ。

「……いちおう伝えておくと、
 セトゥムナ連合では一夫多妻制は認められてますからね?」

 そう言って茶目っ気たっぷりにてウィンクを飛ばす彼女に、
 かなわないなと笑ってしまうのだった。

 

 ――――――――

 出発は昼前になった。
 お世話になった人たちへの挨拶を済ませ、舟の前でフラントール族からの見送りを受ける。

 兎人族の先頭に立っている半獣人の少女が、いままさに舟に乗り込もうとする自分たちを引き留めた。

 

「スロウさん、デューイさん、エーフィちゃん。
 ここは、みなさんにとっての『第二の故郷』です」

 

 自分たち三人の顔をひとりひとりしっかりと見つめてから、
 セナは全員の手を取って、そう教えてくれた。

「いつかつらいことがあった時、苦しいことがあった時……
 いつでも帰ってきてください。
 わたしが、ここを守っていますから」

 潤んだ瞳のまま笑いかける彼女に、
 感謝の気持ちを込めて、お互いに拳を突き合わせた。

 握りこぶしの真ん中のあたりをコツリと触れ合わせた瞬間の彼女の笑顔は、
 なんの邪気もない純粋なものだったと思う。

 

 

 こうして、セナ・フラントールは旅を辞めた。

 

 舟に乗ったのは、三人のみ。

 

 穏やかな涼風がそよぐ空へ昇り、
 おおきくねじれた竜巻山脈の上空へ舵を切った。

 イストリアへと通じる、転移陣へ向けて。