「えっと、ごめんなさい……」
「……謝ることじゃないよ。
頭を強く打たれたんだ。セナはなにも悪くない」
少し時間をおいて冷静さを取り戻し……
いや、ほんとうはまだ気持ちの整理がついてないが……
とにかく冷静にならないとどうにもならない。
問題が起きたからといって時間が止まってくれるわけではないのだから。
ふう、と深呼吸し、薄暗い闇のなかに視線を定める。
さて。
「まずは……現状を話そうか、セナ。
聞きたいことはたくさんあるだろうけど、
ひと通り話し終わってから答えよう。
それでいい?」
「は、はい」
セナは緊張した様子でむき出しの地面に正座しようとしていたが、
瓦礫やらとがった石ころなんかが転がるむき出しの地面に座らせるわけにはいかないので楽にするように伝えた。
それでも緊張というか、警戒を解かさない雰囲気のセナに内心ショックを受けつつ、ゆっくりと言葉を選んで話し始めた。
「俺たちはいま地下のダンジョンにいる。
あたりはほとんど真っ暗でしょ?
わけあって、天樹会って組織にここまで連れてこられたんだ」
「は、はい」
「もともとは外の世界で、セナ……君の故郷を守るために戦ってたんだ。
けど、天樹会の人間に敗北して、俺たちはここにいる。
ここまではいい?」
セナがぎこちなく首を縦に振るのを暗闇にとらえつつ、かたわらの大男にも視線を向けた。
これは半分くらいは隣で聞いているデューイに向けても話している。
現状についての認識は一致させておいたほうがいいだろう。
デューイが返事をするように鼻を鳴らすと、
さっき頭を振ってくれたはずのセナがおずおずと手を挙げてきた。
「その……外の世界って、どんななんですか?」
「いまは、ちょっと、ごたごたが続いてるかんじかな……」
「へ、へえ……」
「なあスロウ。
もっと手っ取り早く嬢ちゃんの記憶も戻す方法とかねえのかよ。
このままだとまだろっこしいぜ」
デューイが疲れたように息を吐くが、
そりゃそんな都合の良いものがあったらこんな苦労はしていない。
と、思ったが――。
「あ、そういえば……」
「なんだ、やっぱりあんのか」
「い、いや。
あるにはあるけど、だいぶ危険だし」
「お、教えてください!
わたしも力になりたいですし……!」
この流れだとなんだか本人に無理やり言わせてる感があるな。
かなり迷いがあったが、セナがほんとうに役立とうとしている雰囲気だったので俺はしぶしぶ話すことにした。
「……このダンジョンには、とある結晶がそこら中に生えてるんだ。
その結晶に触れた人は、なんていうか、『夢』を見るらしい」
「夢?」
「そう。
だからそれに触れれば、記憶が無くなる前のセナの夢を見せられるんじゃないかって……」
「じゃあその結晶とやらに触らせてみりゃいいじゃねえか」
「それはダメだ」
「なんでだよ」
「その夢は、どうも、見た人の生命力を削ぐようなものみたいなんだ」
いままでこのダンジョンで結晶に触れてた人で
良い結末を迎えたような人物はいまのところいない。
ある人は、大けがをした挙句に結晶にもたれかかるようにして事切れていたし、
なんなら記憶を失う前のセナも結晶に触れた際になにかショックを受けている雰囲気だった。
直接的な被害はなさそうだが、どうしても不吉な物体という印象がぬぐえない。
「わたし……やってみます!」
それでも、結局はセナの決意の固そうな瞳に押し切られ、
そもそもそれ以外に打開策も見いだせなかったのでひどく消極的にセナに結晶に触れさせることにしたのだった。
「よし、これだ。
この青い結晶に触れると夢を見るらしい。
……デューイは触るなよ」
「やめろと言われると逆に気になるんだぜ、スロウ……。
別に怪我するようなモンでもないんだろ?
ちょっとくらい試させろよ」
「だからやめとけって……ああもう聞いてないじゃん」
好奇心に舌なめずりをして身を乗り出してきたデューイに呆れて前をゆずり、
そのごつごつとした手のひらがほんのりと発光する結晶の表面に吸い付くのを見届ける。
まあこいつだったら多少のことでは動じないだろう。
そう思って油断してよそ見していると、
唐突にデューイがこぶしを振り上げるのを視界にとらえた。
「こんの……クソがッ!!」
ゴン! と結晶を叩くにぶい音が響く。
デューイはその後も力任せに結晶を殴り、
しまいには愛刀である断切剣まで取り出して青い結晶を切りきざみ始めた。
セナと二人で大慌てで止めに入り、落ち着いたころに、セナが怯えるように伺いながら聞いた。
「あの……何が見えたんですか?」
「……ろくでもねえもんさ。
これを作ったやつは、本当にクソ野郎だ!」
そう吐き捨てたデューイが、つい今しがた焼き付いた記憶を取り消そうとするかのように額を抑えて
かぶりを振った。
「見せつけられたんだよ……!
オレが……親父とうまくやってた未来を……!
クソっ!!」
尋常ではない様子のデューイを見て、
俺は冷や汗をかきながら戻り道のことを考え始めていた。
「……何にせよ、やっぱりこれにはできるだけ触れないほうがよさそうだね」
さすがに博打が過ぎるやり方だった。
セナに触れさせるのはやめにして、別の方法を探ろう。
そう思って振り返ったら、
意を決した表情のセナが別の結晶に触れていた。
「ちょおおお!? 何やってんのセナ!?」
「はがせはがせ!」
正味、一秒かそこら。
セナが結晶に触れた時間である。
彼女を引きはがしたあと、なぜか息切れになりながら俺たちは座り込んだ。
「はあ、はあ……焦った……」
「す、すいません……」
「…………記憶のほうは?」
そう聞いたのはデューイである。
結晶に触れてセナの精神に悪影響が出てないか心配ではあるが、
それはそれとして進展があったのではないかと期待している邪な自分もいた。
「あ、あんまり、戻れた感じは……」
「そ、そっか……」
「で、でも!
ちょっとだけ見れました!
わたしの思い描いてた未来じゃなくて、たぶん、前のセナさんのものだと思うんですけど……」
少し言いよどんでから、セナが急にこちらのほうを見つめてきた。
「え、なに?」
「……えっと……。
……セトゥムナ連合、っていうんですよね?
わたしたちがいる国って」
「お、おお!」
「そこで、前のセナさんが、
スロウさんやご家族のかたと一緒に笑ってるところが見えて……」
「おい、とりあえず場所を変えようぜ。
魔物と出くわしたら面倒だ」
デューイからの提案で、セナが見た夢の内容は戻り道で聞くことになった。
彼女が見たのは、やはり記憶を失う前のセナの夢だったらしく、
いまの彼女が覚えていないはずの家族の容姿などを照らし合わせることで整合性が取れた。
聞くところによればエフィールも夢のなかに登場してきたらしい。説明の手間が省けたかもしれない。それでもエフィールと再開したときには改めて教えてあげる必要があるだろうけど。
彼女が見た『幸せな夢』の中には、いまの現実の内容をある程度反映した情報が含まれているらしく、そのせいもあってか「ありえたかもしれない未来」というある種もっとも残酷なものを演出するに至っているのだろうと仮定した。
デューイの怒りを買ったのもこのあたりの要素のせいかもしれない。
ちなみに具体的な夢の内容は、本人があまり話したがらなかった。
これは下手したら彼女のプライバシーにかかわることかもしれないし、変に聞き出すとあとで記憶が戻ったときに気まずくなりそうだったので深くは突っ込まなかった。
とりあえず、記憶が戻る一助になりさえすればそれでいい。
「あの……外の世界って、けっこう大変なことになってるんですか?」
帰り道でそう聞いてきたのはもちろんセナである。
「さっき結晶に触れたとき、『決闘』とか『序列』とか、そういう会話が出てきたんです。
『前はすごく大変だったけど、どうにかなってよかったね』って……。
たぶん、いまはまだ大変なまま、なんですよね……?」
こちらが答える前に割り込んできたのはデューイだった。
「そりゃそうだろうさ。
決闘でお互いに潰しあって、負けたら好き勝手にされる。
昔も似たような状況だったらしいが……話で聞いてたよりひどいもんになってるぜ、この国は」
「おいデューイ、そんな言い方ないだろ」
「じゃあどう言えってんだよ」
そう言われるとこっちも困る。
実際、デューイの言った通りなのだから。
セトゥムナ連合に来たのはこれが初めてなのでさすがに以前と比べてどうかということまでは自分では言い切れないが、だいたいは同意してしまう。
「やっぱり、ほんとうに、ごたごたな感じなんですね……」
拠点としている上層まで戻ってくると、無機質な洞窟のにおいのなかに食欲を刺激するものが混じっていることに気が付いた。
「あれ、飯が配られてる。
もうそんな時間か……」
「……おいおい、なんだありゃ。
残飯かよ。萎えさせてくれるぜ……」
「文句言うなよデューイ。
俺たちにとっちゃ貴重な食糧源なんだ。
ほかの奴隷たちに食べられる前に俺たちの分、取りに行こう」
食料の取り合いで怪我をされては困るので、セナには遠くから見ててもらい、
デューイと二人で飯を確保してきた。
やはり筋骨隆々とした健康体そのものの大男がいるからか、前よりも食料の確保がしやすかった気がする。
かなりの量を持ち帰って、三人で分けて食べた。
「お、おいしい……!!
こんなにおいしいご飯があるんですね!!」
セナが記憶を失った状態になっておそらく初めて顔を輝かせているのを見て、
かなり複雑な気持ちになった。
喜んでくれているのはうれしいのだが、
自分たちが食べているのは天樹会が食い散らかした分の残りである。
尊厳もへったくれもない食料事情だ。
それでいいのかと逡巡したが、ふと横を見るとデューイもデューイで特に気にせずバクバク食べてたので「俺の感覚がおかしいのかな……」と思った。
「――おい! それはおれの分だ!!」
「ふざけんな! おれのだろうが!!」
遠くからほかの奴隷たち争いの声が響いてきて、気が滅入ってくる。
今回はデューイがいたから余裕が持てたものの、自分たちも気を抜けば同じ立場になっていただろう。
こんなところにはいられないと、さっそく二人に話しかけた。
「とにかく、早く地上に戻らないと。
セナにはなるべく早く元に戻ってほしいけど、こればっかりはどうしようもない。
不安かもしれないけど、ついてきてほしい」
「……」
「エフィールとも早く合流したいし、いろいろ問題が山積みなんだ」
「そういや、聞いてなかったぜ。
具体的に今のオレたちにどんな問題が?」
「えっと……直近では脱出の糸口が見つかってないことだけど……
外に出たあとの問題だと、セナの故郷が天樹会に狙われててヤバいとか。
空を飛ぶ船も狙われててヤバいとか。
けど、序列最上位の決闘者がたぶん俺たちより強いから対策考えないといけないとか。
そもそもスノスカリフ――天樹会のトップがもうセナの故郷に向かってるから時間に余裕がないとか……」
「……お前、面倒くさくなんねえの?」
「聞かないでくれ」
こっちだってもう全部投げ出したくなるくらいなんだ。
そんなこと言われたら心が折れそうになる。
……まずは、脱出だ。
デューイが気絶させてた天樹会のやつを起こしにいかなければ。
「あの……」
早歩きで踏み出した瞬間、
その場に立ち止まったセナが、とても言いにくそうに、
しかし意を決したように、
口を開いた。
「どうして外に出なきゃいけないんですか?」
「は……」
「だって、ここにいればご飯が出てきますし、外に出るのって難しいんですよね……?
自分からわざわざつらい思いしに行くくらいなら、
ここで静かに暮らしてもいいじゃないですか……?」
「い、いやいや」
俺は踵を返して、セナのもとにゆっくりと近づいて行った。
「だ、だって、きみの故郷や、家族が待ってる。
それを放ったらかしにはしておけないでしょ?」
「でも、わたしはその人たちのこと覚えてないですし……」
彼女は困ったように、目をそらす。
なにかが、まずい方向に傾いてる気がした。
「いや……でも!
その手枷がついてる限り、天樹会には何されるか分からない!
ほんの少しでもあいつらの気に食わないようなことすれば、すぐ電撃が……!」
あとになって気が付いたが、電撃という単語も彼女にとっては初めて聞くものだったのだろう。
けれど、セナは、特に関心を示すこともなく、困ったように笑うだけだった。
すでに彼女の目に映っている世界は知らない穴だらけで、
そこに新しい穴がひとつ増えただけにすぎないからだろう。
「でもわたし、戦うつもりなんてないですし……」
「で、でも!
地下に潜ったら、危険な魔物がいる!
そんな魔物たちの目をかいくぐって魔法道具を集めてこないと、
天樹会からどんな罰を受けるか分からないんだよ?」
「でも、外のほうがつらいこと、きっと多いじゃないですか」
彼女の様子は、何かが吹っ切れたようにも見えて、
俺は自分のなかで妙な焦りが膨らんでくるのを感じた。
「わたし見たんです。あの結晶に触れたときに。
一瞬だけ、いまの現実のことを。
地上ではみんな競争に明け暮れてて、その日を生き延びるだけでもすごく難しいって。
もう自分の身を守ることだけで精いっぱいなのに、家族とか、同じ種族の同胞を守るとか、序列がどうだとか、理不尽なことが多すぎてつらいって」
「……」
「ここの人たちも同じことを言ってたんです。
この洞窟のなかにいる人たちが、『ここの方がいい』って。
外でイヤな思いするくらいだったら、
こういう薄暗いところで静かに暮らしてるほうがいい……。
みんなそう言ってるんです。
聞こえたんですよ、この耳で。
スロウさんたちには、聞こえてなかったかもしれないですけど……」
「でも!
ここには自分のことしか考えてないやつしかいない!
みんな、すぐに裏切ったり、だましたりすることが当たり前で……!」
「だから、良いんです。
ここならもう、自分のことだけ考えてても許されるじゃないですか」
――誰かのために、とか、そんな辛そうなこと考えなくていいじゃないですか。
彼女は、そう言って申し訳なさそうにうつむいた。
「あの結晶に触れたとき、前の『セナ』さん、すごく苦しんでたように見えたんです。
ずっと周りのことばかり考えて、言いたいことずっと我慢し続けて、
セナさんは周りの人たちのためだって思ってたみたいなんですけど、
いまのわたしにはただ苦しい思いするだけって風に見えたんです。
だって、むごいじゃないですか……」
「スロウさんは強いから、早く地上に戻りたいのかもしれないですけど、
頭の悪いわたしの『居場所』はたぶんそこにはありません。
だから……」
だから、ごめんなさい。
彼女は、そう呟いて、
背を向けた。
他の奴隷たちと手を組むでもなく、
危険な下層へ続く道へ近づくのでもなく、
ただひとりで、この結晶洞窟の暗がりに姿を消していった。
俺は彼女にかけるべき言葉を見つけられなかった。
自分でも、分からなくなってしまったのだ。
記憶を失って右も左も分からなくなってしまった彼女に、
現実の重荷をもう一度背負わせることは、
ほんとうに正しいことなのだろうか……?