第百二十ニ話 地上へ!

「――返せ!!
 その短剣はお前のものじゃない!!」

 音叉剣の能力を発動しながら、敵の一人……
 風の短剣を持っている男に向かって突進。

 毒煙の中を突っ切って攻撃してきた自分の存在に、敵は驚愕したようだった。

 かざされる『音叉剣』と『風の短剣』とが強力な風圧をぶつけあって拮抗するその先で、男が息を呑んだのが見て取れた。

「……!」
「風を操れるのはあんただけじゃない……!
 今まで見てきた魔法道具の力を、この音叉剣は覚えてる!
 剣一本だからって見くびるなよ!」

 脅威なのは毒の煙だけだ。

 相手がやってるのと同じように風の鎧をまとい、死の煙を寄せ付けないままさらに接近した。

 行われるのは、同じ能力同士での風の押し付け合い。

「スロウ! こっちにも風をよこせ!!
 毒霧が邪魔で動けねえ!!」

 ふと、大剣を構えたまま叫ぶデューイの声が聞こえてきて、無意識にそちらに視線を流した刹那――。

 横っ腹に、鈍い衝撃を感じた。

「ぐ……ッ!?」

 吹き飛ばされた一瞬の間にかろうじて見えたのは、青緑色の壺。
 その影に、じゃらじゃらと金属音を鳴らしてうねる鎖が連なっていた。

 ――もう一人に、モーニングスターよろしく壺を投げつけられたのか。

 なんでその使い方で割れないんだと理不尽に思いつつも、受け身をとって着地。
 瓦礫やらなにやらの破片で肌がわずかに裂かれた気がするが、動ければ問題ない。

 毒を吸い込まずに済んだ幸運に感謝しつつ、デューイに風の鎧を付与して仕切り直しとなった。

「スロウ……!」
「こっちは大丈夫。
 それより、デューイ。
 あいつら、風の短剣だけで毒からの防護とコントロールをやってるみたい。
 あの短剣さえ落とせればこっちの勝ちだ。手貸してほしい」
「具体的には?」
「あの壺を持ってるほうを相手してくれ」

 デューイの剣なら、あの壺につながれた鎖も断ち切れるだろう。
 そっちのほうが相性は良いはずだ。

「おうよ。
 ……あのナイフ、たしか嬢ちゃんの武器だったよな?
 さっさと取り返して本人に渡してやれよ!」

 そう言って風の鎧をまとって突進していくデューイ。

 その背中を一瞬眺めてから、こちらも短剣持ちを相手に再度攻撃を始めた。

 

 果たして、あの魔法道具を取り返すという行為に意味はあるのだろうか。
 風の短剣はたしかにセナの魔法道具だが、それは以前の話……。

 記憶を失ったいまの彼女に「はいどうぞ」と渡したところで、何になるというのか?

(そんなの知るか……!!)

 敵が勝手に使っているというだけで、腹が立ってくるんだ。

 怒りを乗せて剣を振り抜き、相手の風の防御膜を突破……!

 そのまま切れ味のない剣で気絶させようと武器を振りかぶった瞬間、
 わずかに身をよじった相手からのカウンター蹴りを食らってよろめいた。

「……!!」

 このまま倒れてたまるか。

 体勢を崩されたのを逆に利用し、受け身を考えない無理矢理の回転切りを繰り出す。

 どうやらこれは敵も予想していなかったらしく剣の切っ先がかろうじて届き、キィン、という気持ちのよい金属音とともに風の短剣が中空に飛ばされていった。

 暗闇のなかに、宝石のようにきれいなエメラルドグリーンの短剣が弧を描いて飛んでいく――。

 

「デューイ!! 短剣は奪った!!
 あとは……うっ!?」

 受け身をとれず地面に転がりながら叫んだ直後、
 なぜか、のどの胸の奥を刺すような息苦しさに襲われた。

「かっは……! ごほっ……!!」

 ――自分にまとわせていた風の鎧が消えている。

 はっとして見上げると、ぼんやりとした青い火の揺らめくロウソクを掲げている相手の姿が映った。

(魔法道具を隠し持ってたのか……!
 しかもなんだこれ、能力を解除する能力か……!?)

 まずい、こういう消耗品タイプの能力は音叉剣で再現できない……!
 同じ能力で打ち消してやろうかと思ったが、無理だ。

 相手が口元を急いで布切れで覆っている間に逃げようと思ったが、
 すさまじい肺の痛みで動けず――
 反射的に、自分の胸に音叉剣を突き刺した。

「ぐ、ううぅぅううう……!!」

 毒の苦しみをはるかに上回る激痛にもがきながら剣を引き抜き、なんとか体内の毒を取り除いたが……もう遅かったようだ。

 ぼんやりとあたりを照らしていたロウソクの青い火はとうに消え去り、毒煙を吸い込まぬように口元を覆い終えた敵がこちらを見下ろしている。

「スロウ!!」

 おそらくは壺持ちを切り伏せたのであろうデューイが急いでこちらに向かってくるのを理解したが……目の前の敵はもう武器を振りかぶっている。

 敵が手にしていたのは、もはや魔法道具でもなんでもない、
 ただの落ちていた瓦礫の破片である。

(ああ……俺はなにをしているだろう)

 怒りに任せて短剣を取り返しに行かなければ、こうはならなかったかもしれない。

 自己満足に走った自分の浅はかさを思い知りながら、
 自身の頭蓋へ向けて振り落とされる瓦礫の破片を眺めていた、その時――。

 

 

 

 

 

 ――身に覚えのある風圧を感じた。

 

 

 巻き上がった突風が天樹会の男を吹き飛ばして岩壁へとたたきつける。

 振り降ろされていた瓦礫の破片は明後日の方向へ飛び、
 男は、岩壁から地面へとずり落ちていく……。

 

 俺はなんの能力も使ってない。

 これは――。

 

「……スロウ!! 毒霧を封じ込めろ!!」

 

 反射的に音叉剣の能力を行使し、風を操って毒煙をすべて壺のなかに押し込める。
 自分でもびっくりするほどの集中力で風を操ったあと、続けざまに土杭の能力を行使。

 地面から盛り上がった固い土の塊が壺をドーム状に覆いつくし、寸分の隙間もなく封じ込められた。

 

「……はぁ……はぁ……。
 ……さっきの、風は――」

 

 

 俺は振り返った。

 最初に目に入ったのは、宝石のようなエメラルドグリーンのきらめき。

 その魔法道具を手にきょとんとした表情のまま座り込んでいたのは――

 セナだった。

 

『風の短剣』が、元の持ち主の手に戻ったのだ。

 

(……あれ……手枷がついてるのに、電撃を浴びなかったのか……?)

 最初に思ったのは、そんなことだった。

 あの手枷が発動する条件のひとつには、天樹会所属の人間への敵意を抱く、というのがあったはず。

 さきほど天樹会の男を吹き飛ばしてくれたのは彼女だったはずなのに、件の本人に罰が与えられた様子がない。

 ……不思議に思ったが、次の瞬間にはそんなことはどうでもよくなっていた。

 

 たしかに、感じたのだ。

 淀んだ地下の空気が、ふわりと動き出したのを。

 どこかから、澄んだ風がそよいでくるのを。

 

「…………」
「セナ……?」

 静かに立ち上がった彼女が、魔法道具に導かれるようにゆっくりと歩いていく。

 彼女のまるまるとした瞳が見開かれ、きらきらと輝き始めているのを、ずいぶんと久しぶりに見た気がした。

 ……導かれた先で彼女が突き当たった崖の岩肌。
 その表面をセナが夢中で探っていると――突然、岩壁がふわりとはがれた。

 

 洞窟内の奴隷たちを閉じ込めていたそれは、どうやらただの布きれの魔法道具だったらしく、岩壁とまったく同じ質感の表面をひらひらとはためかせながら飛んでいく……。

「…………」
「……セナ!? ちょ、ちょっと待って……!」

 光の漏れる大穴を前に立ち尽くしていた彼女が突然、駆け出していった。

「待って……セナ!
 まだ敵がいるかも!!」
「……!」

 大慌てで足場の悪い大穴を昇りながら、彼女を追っていく。

 光はどんどん強くなっていった。
 進めば進むほど、目に痛いほどまぶしい光が増してきて……。

 同時に、頬に触れる風や温もりも加速度的に増えていって――……。

「はっ、はっ、はっ……!」

 セナが息を切らして、少しも振り返ることなく階段を昇っていく。

 やがて、天国かと見間違えるような光の塊が行く先に現れてきて、
 俺は彼女につづいて、その光のなかに飛び込んだ。

 

 

 

「……」
「……」

「…………世界って……こんなに、広かったんですね……」

 

 目の前に広がっていたのは、
 抜けるような晴天と、どこまでも続いてゆく豊かな森。

 やさしい温もりを与えてくれる太陽の光。

 そして、頬を撫でるような柔らかい風――。

 

 静かに立っていれば、雲がわずかに動いていることがわかって、
 ふと、風が木々を鳴らす小刻みの良い音がどこかからそよいでくる……。

 

 ……おもむろに、目の前に立ち尽くしてたセナが振り返ってきて目が合った。

 

「……スロウさん、そんな顔してたんですか」
「いやちょっと、それどういう意味さ」
「す、すいません、今までよく見えなくて……」
「まあ、洞窟のなかは暗かったからね」
「――おい、急に走っていくなよ。
 置いてかれたかと思ったじゃねえか。
 ……あー、とりあえず脱出おめでとさん。
 これで自由の身だな」

 やや遅れて到着したデューイからの一言を聞いて、セナはもう一度目の前の景色に視線を戻した。

 セトゥムナの大森林は、変わらず悠然とその大自然を地に根付かせている……。

 ふと、俺は気が付いた。
 兎人族に特有の縦耳が活発に動いているのを。

「……まだ、洞窟の中に残りたい?」
「……いいえ。
 あの、これからどこに行ってもいいんですか……!?」
「言ったでしょ、『任せる』って」

 別にここまで来たなら、わざわざ話を撤回する必要もないだろう。
 家族云々とかいろいろ連れていきたいところはあるが、この際は後回しでもいい。

 ――あきらめたようにそう告げると、彼女は新鮮な空気を胸いっぱいに吸いながら、子どものように頬をいっぱいに吊り上げた。

「じゃあ、行きましょう……!!」
「えっ、ちょ、どこへ!?」

 唐突に手を引っ張られ、たたらを踏んでしまった。

 一人で駆け出して行っても文句は言うまいと半分覚悟していたのに。

 もしかして洞窟のなかで喧嘩したこととかを許してくれたのかと思ったが、
 いまの彼女を見る限り、そんなことはもうどうでもよさそうだった。

 

「行けるところまで!!」

 

 ……ああ、記憶がなくなっても、この無邪気な笑い方は変わらないのか……。

 

 

『天樹会の打倒』。
『決闘での勝利』。
 様々の『ごたごた』……。

 そのどれも、いまの彼女には眼中になくて――。

 セナは、服従の手枷のついたままの手首を持ち上げて指をさした。

 

「早く――!
 あの向こうに何があるか、知りたい……!」

 ただ、そこにはあふれんばかりの好奇心だけが残っていた。