第百二十九話 それぞれが探すもの

「……スロウ……」

 

 頭上から女の子の声がした。
 横たわった状態のまま、優しく頭を撫でられる感触に身を委ねる。

 ……エフィールだろうか……?
 いや、それにしては手が小さすぎるな……。

 意識が覚醒しきらないまま、うっすらとまぶたを開けた……。

 

 ――真っ白な花畑がずーっと広がるなかに、
 いくつもの墓標が無言のまま点在する、不思議な空間……。
 わずかにそよいだ風は涼しく、柔らかい花の感触が頬に触れる……。

 

 ああ、彼女か……。
 ……この子はいつも、急に現れるな……。

 

 いつからか自分を導いてくる小さな『死神』さまの息遣いを感じていると、今回はすぐに、彼女と話すヒマもないまま視界が暗くなっていく……。

 

「――あと、もうすこしだからね……」

 

 

 

 ――ハッとして飛び起きると、土気色の壁と天井に囲まれていた。

 昨日作ったばかりの仮設の住居だ。

 わずかに湿り気を帯びているのは、樹海の朝露あさつゆに影響されてのことだろうか。

 まだ霞んでいる瞳をこすりながらぼんやりしていると、誰かがこの部屋に近づいてくる気配がした。

「スロウ? 起きてる?」
「あ、ああ」

 入ってきたのは、赤い髪の少女。

 すでに旅支度を終えているのか、大弓を背中に取り付けていたエフィールはこちらの姿を見るやいなや、腰に手首を当てて呆れたように鼻息を鳴らした。

「寝坊なんて珍しいわね。
 やっぱり疲れてたんじゃない。
 ……そろそろ行くわよ、もうみんな外で待ってる」

 ――エフィールの言葉に急いで葉と土のベッドから身を乗り出し、支度を整えて外に出た。

 部屋の前で待っていてくれていたエフィールと合流し……
 残っていたフラントール族全員が待つ広場へと走っていった。

 

 ――これから何をするのかというと、要するに引っ越しである。
 フラントール族、総出の。

 天樹会からの攻撃で里は壊滅的な状態だ。
 仮設の住居などは建てたものの、それでも生活に必要なものの確保は難しい。

 そこで、思い切って拠点を移すことになったのである。

 

 ――新しい拠点は、諸々の騒動の中心でもある『空を飛ぶ舟』の保管場所だ。

 セナの一族が代々守り継いできたというその秘宝のところへ移るのだが……これはある意味で妥協だった。

 これまで天樹会から完璧に隠し通せてきたその魔法道具の在りかが、今回の大移動でバレることになる。
 しかし、だからと言ってこの里に留まり続けていては、舟を守る人そのものがいなくなりかねない。

 最善策ではなく、単にこれしか手がないという追い詰められた末の決断だった。

 フラントール族にとっての最終防衛ラインに後退するという意味合いを含むので厳しそうな表情をしている人がほとんどだったが……個人的には、不安とともに期待を感じていたりもする。

 期待というのは『舟』に対してだ。

 今までさんざん話には聞いていたが、自分はその『舟』とやらを直接見たことはなかったので、一体どういうものなのかが気にはなっていたのである。
 なのでその点に関しては、内心楽しみだった。
 周りの雰囲気のせいでとても表には出せなかったが。

 

「――よし、ここら辺だな。
 そんじゃオレは連中のところに殴り込みに行ってくるぜ。
 スロウ、そっちは任せたぞ」

 と、途中でおもむろに足を止めたのはデューイ。

 ――今回の大移動が天樹会にバレるのを少しでも遅らせるために、デューイには陽動役を引き受けてもらったのだ。

 エフィールは正体がバレたために外に出せないし、セナも記憶が無くなっているとはいえフラントールの里の人間。捕まるとまた面倒なことになる可能性が高い。

 一人で複数の能力が使える自分が陽動に向かうべきじゃないかと提案したが、セナやエフィール、里の人たちとの間で調停役になれるのはお前だけと説得された。

「うん……こっちはこっちでどうにかする。
 それより、けっこう危険な役回りになるけど……」
「オレなら口から出まかせでも言えばどうにかなるだろう。
 お前らと違って、もともとは連中から雇われてこの国に来たクチだからな。
『自衛のために強そうなやつらと行動してただけ』とか言えばまあ許されんだろ」

 そうは言ってくれているが、この陽動役はデューイ一人だけである。
 何かがあったときは本当に危険なのではないか。

 と、内心考え込んでいると、デューイはふっと笑って肩を叩いてきた。

「ま、正直言うとよ、探しもんがあるのさ。
 天樹会ってのは、魔法道具を大量に囲ってるんだろ?
 目当てのもんがないか漁りに行きてえ」
「探しもの……?」
「ああ。
 ここしばらくお前らのために動いてやったんだから、少しくらいわがままさせてくれよ」

 ――じゃ、またあとでな。

 そう言ってデューイは、黒い大剣の一本のみを背負ったまま行ってしまった。

 ……探しものか……。
 そんなのあるような素振りなんて見えなかった気がするけど……。

 

 ――『舟』の在りかまでは数時間歩くようだった。

 先を進めば進むほど道は狭くなっていき、植物と土の密度が濃くなっていく。
 獣道と言っても過言ではないような道を全員で列をなして進んでいると、
 後ろから声をかけられた。

「あの……スロウさん……」
「セナ、どうしたの?」
「あとどれくらいですか……?」
「さあ……。
 でも、さっき休憩のときにブレアさんが『もう少し』って言ってたから、そんなに時間はかからないと思う」
「……」

 ちなみにこの質問は三回目である。
「あとどれくらい?」なんて疲れた子どもが親に何度も尋ねるようなセリフだが……まさかほんとうに疲れているわけではあるまい。

 それよりはむしろ、彼女からは焦りに近いようなものを感じた。

「セナ。
 どうしてみんなに記憶がないことを話さないの?」

 ふと、疑問に思っていたことを聞いてみると、セナは今までにないくらい顔を近づけてきて、小声でささやいてきた。

「だって、あの雰囲気だったじゃないですか!
 リーダーだったおじいさん亡くして、みなさん辛い思いしてるときになんだか追い打ちかけてしまいそうで言いそびれちゃったんですよ!」

 自分でも聞き取れるかどうか怪しいくらいにまで声を抑えているのは、前のほうを歩いている同じ半獣人たちに聞かれないようにするためだろうか。
 この辺の気の利かせ方は記憶をなくす前のセナとそっくりだが、それは口に出さないでおこう。

 はあ、とセナはため息をついて、困ったようにこちらを見上げて来た。

「スロウさん……。
 こんなことを考えるなんて、人でなし、って思われるかもしれませんけど……。
 ――亡くなった人の意思って、継がなきゃいけないんでしょうか……?」
「それは……」

 どうなのだろう。
 縁もゆかりもない人物相手だったら、別に継ぐ必要はないのかもしれない。
 意思を継ぐとかそういうのは、自分の人生に影響を与えた特別関係が深い相手としか意味をなさない行為だと思う。

 ただ、彼女の場合は特殊だ。

 いまの彼女には過去がないけど、周りは彼女の過去を知っているから。

「……ごめん、俺には分からない」
「……」
「けど」

 ふと、音叉剣に意識を向けた。

「――自分ですら覚えてない出来事や人のおかげでどうにか生き延びられたことは、何度もあるよ」

 思い浮かんだのは、水の太陽と同じ能力。

 思えばあの水の像を生み出す能力も、もともとは、知らない女性から教わったものだった。
 あの、美しい群青色の剣を携えた青い髪の女性が……。

「……よくわかりません」

 と、セナは静かに言って、また彼女は足を動かし始めていた。

 

 その後……ほんとうに目的地まですぐのところまで来ていたらしい。
 途中からありえないほどに巨大な木の根の間をくぐり抜け、少しずつ大地の下へと向かっていった先に……。

 

 それは、あった。

 

 無数の木の根が、結界のように頭上を張り巡らし、その隙間から豊かな木漏れ日が注いでいる。
 温かいぬくもりと肌に心地良い水しぶきの涼しさを感じながら視線を横に滑らせると、どこかから流れ込んでくる大量の水がいくつもの滝をこの空間に生み出し、色鮮やかな虹を映して……その落水は眼下に広がる澄んだ湖へと霧散していく。

 地上の樹海に覆われた、数多の樹根の垂れ下がる地下空間。
 その明るい湖の中心地に、ひときわ大きな――地上のどんな木よりも美しい大樹がそびえていて――。

 その曲がりくねった幹のふもとに、『舟』は横たわっていた。

 

 兎人族の案内で手すりひとつない樹根の足場をつたい、湖面へ下りてゆく。

 足場となる樹の根が途絶えたあとは、おそらくは歴々の兎人族が年月をかけて整えたのであろう、盤石ばんじゃくな飛び石をつたった。滑りそうだと思ったが、見た目に反して足場はしっかりとしていて安心感すら感じた。
 飛び石を進んでいる間、湖のどこかでは魚が飛び跳ねる音も聞こえた。

 そして――根腐れを起こすこともなく湖の地底に根差した大樹のふもとまでたどり着き、その曲がりくねった幹の台座を見上げた。

 

「――『世界樹の箱舟』。
 それが、あの魔法道具の正式名だとされています」

 舟には、美しい大樹の一部が同化していた。

 汚れひとつない船体を優しく包むようにツタや枝葉が生い茂り、その船底を無数の樹根が覆っている。
 ここからでは見えずらいが、おそらくは甲板になっているのであろう開けたスペースには赤い実のなる木が宿っているのが確認できた。

 曇った顔をしていたセナでさえその神々しい外観に見蕩れていた。

 

 ――そこで、おお、と歓声のようなどよめきが上がるのを耳にした。

 

 見れば、怪我をしていた兎人族の一人へと、舟からツタの一部が伸びてきているところだった。
 まるで意思を持っているかのような動きである。
 さわさわと枝葉を揺らしながら伸びてきたのツタの先端部が、兎人族の負傷箇所に巻き付くと……その傷口が一瞬で癒えるのが見えた。

「――この舟……傷を癒す力があるの……!?」

 絶句したエフィールとともに何度も目で確認してみたが、見間違いではない。
 巻きついたツタの枝葉は茶色く枯れ、そのまま舟のほうへと戻っていく。

 ……そういえば、最初にセナと出会ったころに、教えられた気がする。

『空を飛ぶ舟は、地上のありとあらゆる苦痛から人々を逃がし、癒すための避難基地』だと。

 ……確かにこれは、隠しておかないと大変だろうなあ……。

 と、そんなことを考えていると、ひとまずは暫定まとめ役にされているブレアさんが全員に声をかけた。

「みなさん、お疲れさまでした。
 いろいろとしなければならないことはありますが、まずは休息を――」

 

「――おや、ずいぶんと壮大な場所ですねぇ。
 これほど美しい場所……天樹会が所有するにふさわしい」

 

 ――続けて頭上から聞こえたのは、爆発音だった。

 

 衝撃波とともに頭上を覆っていた結界のような樹根が崩れ、ぼちゃりぼちゃりと湖に落ちてくる。

 どよめく兎人族の人々の前に出て、エフィールとともに臨戦態勢に入った。

 澄んだ空気を汚すような黒煙の幕から……おそらくは敵の使用した重力魔法によるものであろう。

 ふわりと下りて来たのは、三人。

 全員が、知っている顔だった。

 

「ツク。前に出なくていいよ。
 君の頭脳にはもう十分助けられた。
 舟の場所が分かった今、あとはどうにでもなる」

「いえいえ、偉大なるスノスカリフ様にお手を煩わせるわけには参りません。
 それに――今回は隣国からの『支援』もございます。
 確実に我々の目的を果たしましょう」

 

 序列三位の『謀略のツク』のみならず……。

 天樹海のトップであり、歪んだ決闘システムを考案した元凶でもあるスノスカリフの登場に、兎人族は全員がそれぞれの感情を抱いて視線をくぎ付けにしていた。

 

 しかし、俺は。

 俺と――エフィールだけは

 三人目の男を見て、固まってしまった。

 

 

 魔人であるツクの使用した重力魔法に頼ることなく、鋼鉄製のワイヤーを駆使して機敏に下りてきたのは……。

 灰色の短髪に、銀縁の眼鏡を装着した細身の男。

 

 

「――スロウくん、フラントールくん……。
 どうして二人そろって、『エーデルハイドの魔人』といっしょにいるのですか……」

 

 俺や、以前のセナにとっては、かつての仲間……。

 そしてエフィールにとっては最大の天敵ともいえる、
『魔人狩り』部隊、ジャッジの隊長――

 

「――べレウェルでその女を倒すためにしたあの旅を、忘れたのですか……!?」

 

 かつて、俺の隣にいるエフィール・エーデルハイドを討伐するために協力した、
 ヘンリー・グレイフォランだった。