第百二十八話 寄りかかる

 ――久々に訪れたフラントールの里は、ひどい有様になっていた。

 兎人族が住んでいたのであろう数々の木組みの家屋が、投石器にでも狙われたのか大岩につぶされて崩れており、一部には焼けた跡があるものも見て取れた。

 広場になっていたスペースは無数に重なった人の足跡ででこぼこになっており、その凹凸をさらに分割するように鋭い穴や亀裂が開いている。

 氷の結晶やら、火事の跡やら、あるいは折れた武器の残骸などが残っている混沌とした景色が広がっており、繰り広げられたであろう魔法道具を用いた戦いの激しさを感じずにはいられなかった。

 だが、それ以上に――。

 

「……それじゃあ、みなさん、お見送りを」

 と、静かに言ったのはブレアという女性。
 以前にこの里まで案内してもらったことがあったので面識がある。

 そして、もう一人。
 ブレアさんが視線で示した先には、遺体のにおい消しに使うらしい特殊な香草と花を添えられて土穴の中に横たわる老人がいた。

 

 兎人族の族長であり――
 セナと血のつながった祖父でもある、ゼムさんだった。

 

 聞くところによれば、先ほど、エフィールがちょうど自分たちを助けに来てくれたタイミングで天樹会が攻撃を仕掛けてきたらしい。

「やつら、里を守ってくれていた旅人さんがいなくなるときを狙ってたんだ……!」と、誰かが吐き捨てるようにつぶやいたのを聞いた。

 

 自分は族長のおじいさんとは少ししか話したことがない。
 そこまで深い関係を築けていた自信もないし、お葬式に参加する権利なんてないんじゃないかと思ったが、他の人たちに促されて見送ることにした。

 エフィールは、もしかしたら里を守っているときに交流があったのかもしれない。
 珍しくフードを外して目を伏せながら静かにたたずんでいた。兎人族の人々がエフィールの赤い髪を見て驚いたように目を見開いていたが、そのことで触れる人は誰もいなかった。

 デューイは「部外者がいても場をシラけさせちまうからな」と参加を拒否して見張りに立ってくれている。もしも天樹会から何かしらの攻撃を受けたときはあいつが対応してくれるはずだ。

 

 そして、セナは、同じ兎人族の人々に囲まれていた。

「かわいそうにねぇ……セナちゃん……。
 ……おじいちゃんがいなくなって寂しいわよね……」
「…………」

 位置取り的にこちらに背を向けているので彼女の表情を見ることはできなかった。
 おそらくは困惑して黙っているしかないのだろうが、何を感じているのかは定かではない。

「……すいません、ちょっといいですか?」

 と、横から小声で話しかけてきたのはブレアさんである。
 セナと顔立ちが似ているのでいきなり視界に入ってこられるといまだに驚いてしまう。

「セナのことで話が。
 あの子、記憶がなくなったって本当なんですよね?」
「……はい、そうです」
「具体的には、どのくらい?
 どこまで覚えているんですか?」
「それは――」

 言葉が途切れた。

 そういえば、どこから記憶がなくなっているのだろうか。

 結晶洞窟で『今』のセナとして目覚めたとき、一緒に旅をしてきた自分やデューイのことも忘れてしまっていたので、それより前にはなるだろうが……よく分からない。

 すぐに答えられなかったので「どうしてそんなことを?」と苦し紛れに質問で返してしまった。

「それは――」
「——なあ、セナちゃんや。頼みがある。
 ゼムの代わりに族長をやってほしい」

 

 と、そこでブレアさんの視線が、セナたちのほうへと向けられた。

「え、わ、わたしがですか?」
「——いいアイデアだ!
 ゼムと血のつながったセナちゃんなら安心できる」
「おお! そうだ!
 セナちゃんなら外の世界を見てきたんだし、知識もある!
 きっと里の将来に良いことをしてくれるはずだ!」

 

「……半獣人でなくても聞こえましたよね?
 ああいう意見が増えてきてるからですよ」
「……なるほど」

 ブレアさんが額に細い指をあててうつむくのを視界に収めつつ、俺は小声で話しかけた。

「これは俺が口出ししていいのか分からないですけど……
 セナの記憶のこと、正直にみんなに伝えないんですか?
 今のところ知ってるのってたぶんブレアさんだけですよね?」
「わたしには里のみんなを統率できるような力はないんですよ?
 こんな、明らかに重大そうな決断なんか下せるわけないでしょう。
 というか、あの子の記憶のこと話してきたのはあなたじゃないですか。
 どうしてわたしだったんですか」
「それは……兎人族の知り合いが、セナ以外ではあなたしかいなかったもので……」

 ブレアさんは困り果てた様子でため息をついた。
 ただ、こっちだってどうすれば良いのか分からないのだ。
 兎人族の問題に、外から来ただけの自分が口出ししていいのかどうか……。
 助け舟を出したくても何ともしがたい。

 というか、ほかならぬセナ自身が「何も覚えてません」と素直に白状するんじゃないかと思ったのに、今のところそういう気配が見られない。

 今も向こうで、彼女はいろんな人に頼まれて立ちすくんでいる。

 

「……でも、わたし……まだやりたいことが……」

 と、彼女のそんな声が聞こえたような気がした。

 

 

 あとで何かフォローしてあげるべきかと思い、お葬式が終わって少ししてからセナのところを訪ねたが……
 心配は杞憂に終わった。

「——ほら、そういうときはこうやって立ち回るのよ。
 そうすれば相手から攻撃を受ける必要もないし」
「なるほど……!
 エーフィちゃん、すごいです!!
 これでもっといろんなことができそうです!!」
「べ、別に大したことなんて……。
 ていうか、その呼び方……」
「こっちのほうが呼びやすいじゃないですか!
 わたし、エーフィちゃんと友達になりたいです!
 だめですか?」
「だ、だめじゃないけど……調子狂うわね……」

 セナはエフィールに戦闘技術を教わってもらっていた。

 本人のテンションからするに遊び感覚で学んでいるようだが、実際の知識はかなり本格的なのでギャップが激しい。彼女の成長速度をほほ笑むべきなのか恐れるべきなのか俺は分からなかった。

 ちなみに自分は土杭を作る能力を応用してひたすら土木作業中である。
 荒らされた広場の整地に始まり、仮の住居として使えるシェルターの製作などなど……。

 砂漠の大陸で培ったサバイバル術の一環がこんなところで役に立つとは人生分からないものだ。

 エフィールも同じ能力……というかオリジナルの能力を持った手袋をつけていたはずだが、日夜続く決闘でこんな作業をする暇はなかったのだろう。
 代わりに自分がその役を買って出ることになった。

 黙々と作業を続けていると、ふと、二人のほうが静かになったことに気が付く。
 見ると、疲れたらしいセナがエフィールに膝枕をしてもらってすやすやと眠りこけていた。
 遠目から見ると姉妹のようで微笑ましい。
 ちょうどこちらも作業が一段落したので、教師役をしていたエフィールを労いに行くことにした。

「……あたしに友達ができるなんてね」

 と、気配だけで察知したらしいエフィールが、背中を向けたままこちらに聞こえるように言ってきた。

「感想は?」
「夢でも見てるみたい。
 こんな……あたしなんかに身体預けてくれる人が二人もできるなんて」

 こちらもエフィールのそばに腰を下ろして一息ついた。
 軽く汗をかいた身体を、森の風が優しく涼ませてくれるようだった。

「……これだけでも、こっちの世界に戻ってきたかいがあったわ」
「……正体がバレたとしても?」
「ええ。
 ……ちょっと、そんな顔しないでよ」

 こちらを一瞥したエフィールが、困ったように笑って姿勢を崩した。

 

「そうだ、まだあんたの怪我の具合とか診てなかったわ。
 ちょっといい?」
「ああ。
 ……セナのほうはどうだった?」
「半獣人は回復力もすごいのね、動けるくらいにまでは治ってたわ。
 まあ、まだ安静にしてるのが一番だけど……。
 ……ちょっと、あんた背中にひどいあざができてるじゃない。
 薬塗っておくわよ」
「いつの間に……。
 ……ああ、重力魔法受けたときか……」

 冷たい湿り気が背中の全体に広げられていく。くすぐったい。
 しかし、この状態で変に身じろぎすると後で絶対エフィールにからかわれると思ったので全力で耐えた。
 背中のほかにも腕やら頬やらに細かい傷ができていたらしく、それぞれの部位にエフィールの細い指が当てられた。

「……今度はそっちの怪我を診る番だ。
 代われ、エーフィ」

 攻守交代。

「あたしは別に怪我してないし」と逃げようとする彼女を静止して塗り薬を取った。

 薬を指につけ、もう片方での手でエフィールの腕や背中を軽く見てみたが、本人の言った通り怪我のひとつもしていなかった。
 なんとなく悔しかったので唯一見つけられた右腕の擦り傷に塗りたくってやった。

「残念でした」
「くっ……」
「ふふ。
 ……ね、あんたフラントールの里の問題も背負いこむつもり?」

 と、エフィールは変わらない笑みを浮かべながら覗き込んできた。

「さあ……どうかな。
 ちょっと悩んでる」
「……どうして?」
「……前のセナだったら、彼女の故郷を守ってあげたいって思ってた。
 ちゃんとここが彼女の居場所だったから。
 でも、記憶がなくなった今のセナは……なんだか、この場所を望んでないように見えるんだ。
 だから、戸惑ってる。
 前のセナと、今のセナ……どっちの想いを優先するかで、選ぶべき道が真反対に分かれるから。
 そこで悩んでるんだ」
「……まあ、簡単には決められないわよね……」

 エフィールは、自分の膝元ですやすやと眠りこけているセナの頭を優しくなでていた。
 セナは一向に起きる気配がない。こうして二人で話していても、彼女の寝息のリズムはすこしも崩れなかった。

「……おたがい大変ね」

 何の話かと思ったが、エフィールが魔人だとバレた話のことを言っているのだろうと、すこし遅れて気が付いた。

 エフィール本人がこちらの考える問題ではないと言ったのは記憶に新しいのでこれ以上の口出しをすることは控えておくことにした。

「……ここだけの話だけどさ、ぜんぶが急に面倒になること、あるんだよね」
「……へえ? あんたでもそう思う時があるんだ」
「だって、生まれ故郷に戻るために旅をしているはずなのにさ。
 気が付けばセナの故郷をいっしょに守るってことになって……。
 やれ空を飛ぶ舟が奪われるだの、天樹会だの、仲間の記憶がなくなっただの……。
 こうやって吐き出す時がないと、やってられない」

 日没が近づいてきているのか、樹林の隙間から西日の赤光がうっすらとちらついていた。
 周囲には自分たち以外にはほとんど誰もいない。
 ここの人たちは、日没とともに眠りに入る文化になっているようで、加えて族長を見送るという一大行事を終えたこともあったのだろう、もう外を出歩いている人はほとんどみかけなかった。

「……こんな寄り道をやっていたら、いつまで経っても目標に近づけないんじゃないか?
 故郷に戻れないんじゃないか?
 そんな思いがちらついて、すべて投げ出したいとさえ考えちゃう」
「……でも、投げ出せないんだ?」

 苦笑してしまった。
 それができたらどんなに楽だろうか。

「……俺たち、どこに向かってるのかな……」

 

 エフィールは何も言わずに、ぽす、と肩に頭を寄りかからせてきた。