第百二十七話 集い始める

 エフィールの姿には目立った外傷や汚れなどは見えなかった。

 フラントールの郷を守ってくれていたらしいのは聞いている。
 今までに天樹会からの数々の妨害や攻撃があったはずだが……おそらくは本人の卓越した戦闘技術でしのいできたのだろう、服装には多少の汚れはあれど大きな怪我をしている様子はない。

 しかし、彼女の金色の瞳の下にクマができていることにはすぐ気が付いた。

「……ごめん、戻るの遅くなった」
「……ま、いいわよ。
 言いたいことはいろいろあるけど。
 ……ていうか、あんた随分疲れ切った顔してるわよ。
 ……無理してないでしょうね……?」

 心配そうに覗き込んできた赤髪の少女に後ずさりしながら、自分の頬に指先で触れた。

「自分では、そんなつもりはないけど」
「しっかりしてよ あんたがいなくなったら困るんだから」
「……そっちだって、目の下にクマ作ってるじゃないか」
「不可抗力よ。
 あの天樹会とかいうやつら、昼夜を問わず攻撃してくるんですもの」
「それは……ごめん。
 しばらく一人にさせちゃって……」
「別に平気よ、一人は慣れてるし。
 それより、どうせだったら労いの言葉が欲しいんだけど?」
「ああ。ごめ……じゃなくて。
 ……ありがとう……」

 及第点は得られたのだろうか、ふん、と満足そうに鼻を鳴らしたエフィールにようやく笑顔を浮かべられて「とにかく無事で良かった」とお互いの安否を祝った。

 

「——おい」

 そこで声を発したのは、背後で佇んでいたデューイだ。
 肩で割り込むように後ろからやってきて、件の少女を見下ろしている。

 威圧しているようにも見える雰囲気だった。

 ……当然と言えば当然だろう。
 かつてお互いに、敵として戦いあってからの、再会なのだから。

 

「……べレウェルで戦って以来ね」

 金色の目をスッと細めながら対峙するエフィールの額には、うっすらと汗が浮かんでいる。

 こうして横で見ると、デューイのほうが圧倒的にでかい。
 子どもと大人ぐらいあるんじゃないかと思った。

 一方的に見下ろしてくるデューイに負けじと首を上げて見据えているのは、逃げないというエフィールなりの意思表示のつもりなのだろうか。

 彼女は味方だと証明したい自分としてはすぐ口を挟みたい気持ちが強かったが……変にかばおうとするとエフィール本人の意思を軽視してしまうような気がして、とにかく流血沙汰だけは避けねばと音叉剣を握る力だけは強めていた。

 

「……さっきは、助かった」

 と、沈黙を破ったのはデューイのそんな一言だった。

「……嬢ちゃんの里も守ってくれてたんだって?」
「……ええ、まあ」
「そうか……。
 ……今後変なことさえしなけりゃ、オレはそれでいい」

 それだけ言って、デューイは下がった。

 横を向きながら腕を組んで、別の方向に視線を向け始めたのを見て、ようやく音叉剣を握る力を弱められた。

 エフィールも、とりあえずは一息つけたらしい。
 張っていた肩肘をわずかに下ろして、ややあってから近くに座り込んでいた半獣人の少女のところに駆け寄っていった。

「——セナ! 久しぶりね。
 あなたもボロボロじゃない。
 ほら、立てる?」

 気の抜けた表情で座りこんでいたセナが、手を差し伸べてきたエフィールの顔をまじまじと見つめている。

 そうだ、セナの記憶のことも改めて説明しないとか……。
 すでに顔合わせをしていたはずなのに、記憶喪失の事件のせいでまた同じようなことをしないといけないのかと面倒に思った。

 

「あら?
 セナ、あなた……。
 ——前と雰囲気、変わった?」

 

 驚いて見れば、手を差し伸べたまま首をかしげるエフィールに、セナがほんの少しずつ、くりくりとした瞳を見開いていく。

 やがてセナが、わずかに両目を輝かせながら、エフィールの手を取った。

 

「……説明させてほしい、エフィール。
 実は――」

「——妙な黒い瘴気が見えたので来てみれば……。
 まさかエーデルハイドの魔人が生きていたとは。
 しかもフラントールの里を守護していた決闘者その人……。
 道理で勝てないわけです」

 

 直後、セナを引き起こし終えたエフィールの瞳孔が猫のように細くなり、瞬きした瞬間にはもう声のした方向へと弓矢を構えていた。

 視線の方向は、先ほどエフィールが魔物ごと黄金剣で吹き飛ばした、森林の一部……。
 その折れた樹木のてっぺんにそいつは静かに立っていた。

「加えてそちらの二人……。
 あのリラツヘミナ結晶洞窟から脱出してくるとは……しぶといものです。
 しかもA級冒険者まで連れてくるとは、頭痛のタネを増やしてくれる」
「お前は――ツクか!」
「スロウ、あなた知ってるの!?」
「ああ……俺とセナを奴隷送りにしたやつだ」
「……なるほどね」

 忘れるはずがあろうか、序列三位の決闘者である。

 以前は序列二位のアジュラに加え研究者だったイズミルもいたはずだが……
 今回はやつ一人だけか?

 ……とはいえ、まずいことになった。

 

「しかし、ほんとうに来て良かった。
『フラントールの里を守護していたのは、エーデルハイドの魔人だった』……。
 この情報を得られただけでも非常に価値がある。
 魔人は、悪魔に魂を売った存在ですからねぇ……。
 社会の力で退治しなければなりません」
「お前も魔人だろ……!」

 俺は覚えている。
 奴隷送りにされる直前、魔人だけが扱える重力魔法でセナを痛めつけていたのを。

「そうは言っても、エーデルハイドの魔人は別格でしょう。
 魔人と人との間に越えがたい溝を作った張本人。
『魔人事件』さえなければ、いまも続く差別はなかったかもしれません……。
 たかだか一民族の里を守ったくらいで、その罪があがなえるとでも思ったのですか?
 エーデルハイドの魔人?」
「……」
「武力でフラントールの里を制圧できないのなら、別の手段を取るとしましょう。
 たしか、『魔人狩り』の専門組織が隣国にいたはず……。
 ——彼らを利用させてもらうことにしましょうか」
「逃がすか……!」

 音叉剣で風をまとい、敵に接近。
 風を一度解除して続けさまに発動したのは、少し前に目撃したばかりの『一対一を強制させる』能力。
 触れられない気体のバリアの内側に相手を閉じ込めた。

 逃げられないようにさえすれば……!

「申し訳ありませんが、わたしは下層民との殴り合いなど欲してないのですよ」

 そう言ってツクが広げたのは、扇の魔法道具。
 それを振り払った直後、バリアが解除された。

「なっ……」
「『能力を解除する能力』。
 強力でしょう?
 大組織の上層にいるとそれなりに恩恵を得られますので、ね」

 

 ――そして、気が付いた瞬間には地面に全身がたたきつけられていた。

 凶悪なまでの、不可視の重さ。
 重力魔法を食らったのだと気づくまでに、そう時間はかからなかった。

「ふむ……二人は消すつもりで攻撃したのですが……。
 やはりエーデルハイドの魔人の名は伊達ではないようです」

 ふと後ろを見れば、三人のいた地面から金属性の槍のようなものが飛び出していた。

 デューイは横に回避し、エフィールはセナを抱えて重力魔法で飛んで避けたようだ。
 エフィールが光の弓矢を構えていたが、その鋭く絞られた光波はどこにも飛ぶことはなかった。

 ツクは、すでに姿を消していたのだ。

『では、またお会いしましょう……』

 

 そうして、周囲にはまた静寂が訪れた。
 戦いが終わり、大森林の緑が揺れる音だけが、変わらず繰り返されていた。

「……悪い……エフィール……」
「いいのよ、仕方なかった」
「でも……!」
「砂漠の大陸から戻ってきたあの時からこうなることは覚悟してた。
 あんたが悩む問題じゃない」

 彼女は超然とした態度を崩すことなく、むしろあっけからんとした様子で息をついた。

「とにかく。
 まずは全員無事だったんだから、それを喜びましょ。
 あいつもすぐ襲ってくるわけじゃないだろうし、すこし休んだら里に――」
「——いまの、どうやったんですか!?
 空にふわっと浮かぶやつ!!」

 

 と、軽快な声で注目を集めたのは、今までずっと静かだったセナである。

「え? 
 でもあなた、あたしのことはもう知って……」
「ああ、エフィール、さっき伝えそびれたんだけど……
 実はセナ、前の記憶をなくしちゃったんだ」
「ええっ!? そうなの?」
「それより! さっきの技はなんていうんですか!?
 わたしでも使えますか!?」

 

 さっきまでの緊張や不安が、強引に吹き飛ばされたようだった。
 困惑したエフィールが、セナに気圧されるように後ずさりしていく。

 信じられないものを見ている気分になった。

 あの、今まで知り合った人物の中でもトップレベルの実力者たるエフィールが、
 たった一人の女の子に圧されている……だと……!?

「え、ええっと、あれは重力魔法で、普通の人には……!」
「じゃあどうやったらできるようになるんですか!?」
「そ、それは……
 でも、魔人じゃないと……」
「――わたしも『魔人』っていうのになってみたいです!!
 どうやったらなれるんですか、教えてください!!」

 

 ――直後、両者の形勢が一瞬で逆転した。

 

 数分後には、地べたに正座してうなだれるセナと、
 目を吊り上げてそのセナを叱り飛ばすエフィールの姿がそこにあった。

 

「バカ! さっきの発言は撤回しなさい!!」
「ひいぃん……」
「たかだか重力魔法なんかのために人生を棒に振るなんて許さないんだから!!
 返事は!?」

 

 消え入りそうな声で返事をするセナに対し、エフィールはさらなる追撃とばかりに、魔人になってはいけない理由を説き続けた。

 

 俺は少し離れたところでデューイと一緒に傍観し、「……あの女やっぱこえーな……」「……いやー、あれは……仕方ないんじゃないかな……」と小声で話しあった。

 ――そして、エフィールの怒りが下火になってきたタイミングで
 俺は両の手のひらを二人に向けながら近づいていった。