第百二十六話 三つ巴の戦い 後編

「ははははは!! 実に良い気分だ、踊れ踊れ!!」

 安全地帯から高みの見物を決める天樹会員の不愉快な笑い声を無視し、ひたすら剣を振り続けた。

 おそらく唯一の対抗策である、水霊みずれいは呼び出すことはできなかった。
 近くに大量の水源は存在せず、異形の魔物が纏っている湿り気だけではとうてい足りなかった。

 最強の範囲攻撃と名高い『べレウェルの黄金剣』の能力を使用することも考えたが、同士討ちを恐れて発動させなかった。
 特にいまのセナはあの能力のことを覚えてない。すぐに能力を伝えて回避させるのは至難の業だ。

「一体ずつ倒すしかないのか……!」
「集中しろスロウ!! この数だ、気ぃ抜いたら一瞬で終わるぞ!!」

「——わたしは何も覚えてないんです!!
 前のセナさんのやったことを今のわたしにぶつけないでください!!」

 別のところからセナの声が届いてきた。
 視界には納められなかったが、敵決闘者が戦いの合間になにごとか因縁をつけているようだった。

「ははははは!! 笑わせる!!
 ――『記憶をなくした』? 
 嘘をつけッ!!
 どうせ辛いことに耐えられなくなったから忘れたふりをしているだけなんだろう!?」
「言いがかりはやめてください!!
 記憶なんて、今のわたしがどうにかできるわけないじゃないですか!?」
「白々しい!!
 偽物の仮面をかぶって、それで全部チャラにできると思うなよ……!!」
「……わたしは偽物じゃありません……!!」

 どれだけ魔物を切り伏せても、次から次へと新しい個体がやってくる。
『水の太陽』本体がいないとはいえ、この無限に続くかに思われる物量の脅威はやはり体力的にも精神的にも追い詰められる……!

「——いいぞ『影のイドラ』!! よくぞ面白い余興を見つけてくれた!
 おい『疾風』の娘! 貴様、記憶をなくしたのか!!
 いいや、そういうことにしておきたいのだな!!
 間抜けな女め、それで騙し通せると思ったか!」
「違います!! わたしは……!」
「言うでない! 言いたいことは分かっている!
 あのフラントールの里で、ずいぶん健気に戦っていたそうではないか!!
 そこから『記憶喪失のふり』をするに至ったのは、やはり身に余る責務に耐えきれなかったからか!?
 なに、今からでも遅くはない、わたしの下につけ!
 そうすればもう何も小難しいことを考える必要などないぞ!? ははは!!」

 ――セナの動きが鈍り始めているのを、横目でかすかに捉えた。

「セナ!! そいつらの言うことなんか――!」
「あぶねえ! スロウ!!」

 ふと、デューイの怒号に身をすくませた途端、視界外で異形の魔物の四肢が落ちる気配がした。
 敵はこっちの都合なんかお構いなしに襲い掛かってくる。息つく暇もなく、立て続けに。

 ――くそ、援軍が欲しい……!
 いや、それ以前にセナへの呪詛の言葉も封じ込めないと……!

 ほんの一瞬の判断ののち、音叉剣を振りかぶる。

 使うのは、この魔法道具の最初の能力。
 まだ他の魔法道具の能力を再現できると知らなかったころの、あの能力を……!!

 剣を振り下ろす刹那、動きの鈍っていたはずのセナが、
 瞬間移動のようなスピードで天樹会員を包み込む防御壁に張り付いていた。

 ――鳴り響く、ギイィィィィン!! というすさまじい金属音。

 その轟音の渦の内側で、セナが叫んでいるのがかすかに聞こえた。

 

「どうして……どうしてみんな『前』のセナさんのことばかり話すんですか!?
 わたしはそんなの知らない!! どうでもいいんです!!
 なんで……よく分からない過去のことでいつまでも縛られないといけないんですか!?」

 

 耳鳴りで遠い世界の音の向こうで、虚空に吊り下げられていた防御壁に、セナが風の短剣を突き立てる。

 肌に感じる凶悪なまでの風圧をじかに受けた防御壁は、ガラスのように内側から破裂し、派手な装飾で彩られた天樹会の男が地上に落ちる。

 そいつはなにかを叫んでいたようだが、鳴り響く金属音の余韻に阻まれて何も聞こえず……
 地上に群がっていた異形の魔物たちに覆われて見えなくなった。

あるじよ!
 ――あっ、しまっ……」

 セナに置いてけぼりにされた敵決闘者も、気を取られた瞬間にモーニングスターを魔物に奪われ、すぐに大群に囲まれて姿が消えていく……。

 自分たちは急いでセナのもとに急行し、下のほうで彼女を受け止める。

 デューイの剣術だけではとうてい処理しきれず、その時にできた隙を埋めるように、音叉剣でドーム状のバリアを展開。
 四方から飛び掛かってきていた異形の魔物たちが、紫色の障壁に阻まれて動きを止めた。

「お、おい……これヤバイんじゃねえの?」

 このドーム状のバリアは強力だが、時間制限がある。
 障壁が消えた途端にすぐに外側に張り付いた異形の魔物たちが襲い掛かってくるだろうが、俺はその向こう側に、閃光が走るのを確認した。

「——いや、間に合ってくれた」

 

 直後、光のドーム状のバリアに張り付いていた異形の魔物たちが、空から降り注いだ閃光に全身を貫かれてゆく。

 飛散した魔物の死骸に紛れ、俊敏に地上へ着地した小柄な人影は両目を赤く染めながら大弓を背負う。

 

 ……とつぜん、あたり一帯を取り囲んでいた魔物の大群が、神に持ち上げられたかのように宙にふわりと浮かび上がり――。

 遅れて飛びあがった赤目の少女が、長くボロ布に包まれていた黄金の剣を解放。
 空中に浮かびながらその眩い刀身からどす黒い瘴気を伸ばし――
 巨大な『影』の刀身と化したそれで、回転切り。

 ドーム状のバリアの頭上で花開いた美しいほどの暗闇の渦は、数多の魔物たちを跡形もなく消滅させ……。

 晴れた青空の上から、彼女が下りて来た。

 

「……ほかに敵は?」
「……いません」
「なら良し。
 ――久しぶりね、スロウ。
『なるべく早く帰ってくる』って言ってた割には、ちょっと遅すぎじゃないかしら」

 そう言って、彼女——『エーデルハイドの魔人』ことエフィール・エーデルハイドは、不満そうに鼻を鳴らしたのだった。