第百三十話 因縁と運命

「……スロウ君、フラントールくん、どうか嘘だと言ってください。
 今ならまだ間にあう!
 その女に脅されているのなら、我々がどうにかします!」
 だから――!」
「ヘンリーさん。
 俺は自分の選択でここにいます。
 そっちの側につくつもりはありません」

 このだだっ広い湖面では、それなりに大きな声を出さないと伝わらない距離だった。
 スノスカリフ、ツクと並んで左側に立っていたヘンリーさんは、理解しがたいと言わんばかりに歯を食いしばった。

「——わたしもです!
 エーフィちゃんは友達ですから!」

 隣で声を張り上げたのはセナである。

 ――三体三の戦い、やってみたいですし……!

 と、ひっそりつぶやいていたのが聞こえて顔をそちらに回すと、彼女は新しいおもちゃを前にした子どもみたいに目をキラキラさせていた。

 対するは、天樹海の創始者、スノスカリフ。
 序列第三位『謀略』のツク。
 魔人狩りのヘンリー

 こちらは自分、セナ、エフィールのコンビである。

 フラントール族総出の引っ越しがこんなにも早くバレたのは、おそらくは向こうの頭脳のほうが上手だったという以外にないだろう。
 陽動に出したデューイは、本人には悪いが一足遅かったようだ。

「……残念です、二人とも」

 そして、彼が左腕に装着した特殊機構のガントレットから、鋼鉄の糸がきらめいた。

「エフィール!! そばから離れるなよ。
 デューイの剣と同じ切れ味を出せば、あのワイヤーは対策できる……!」
「……」
「迷うな! お前が死んだらこっちが困る!!
 とにかく生き延びろ!!」
「……わかった。
 今回は、頼らせて」
「よし。セナは……」

 見れば、彼女はすでに敵方へと突進していた。

「ふふ、さあ、暴れますよぉ!!」

 セナは素早い身のこなしで序列三位の半獣人であるツクに張り付き、瀬の浅い湖面の上で水しぶきに濡れながら猛攻撃を繰り出す。

 たしかツクは魔法道具の能力を無効化する魔法道具を持っていたはずだが……素の身体能力が高い彼女なら相性がいいかもしれない。

 

 ――と、そこで自分たちの背後で悲鳴が上がった。

 振り返れば、兎人族が寄り集まっていたところに金属製の槍のようなものが飛び出していた。

「——おっと、失礼。
 流れ弾が一般人に当たってしまいました」
「魔人め……!
 あの女を倒したら、次はあなたです……!
「おお怖い怖い……。
 さすがは『最高のジャッジ隊員』さま。
 エーデルハイドの魔人を倒したという功績は伊達ではないようです。
 といっても、その功績は虚偽のものだったようですが」
「何が言いたい……?」
「『エーデルハイドの魔人の生存』はまだ世間には公表しておりませんが……
 そちらの働き如何によっては、考えを改める場合があることもお忘れなく」
「……勝手にしなさい……!!
 まずは、エフィール・エーデルハイドをもう一度闇に葬ってからだ……!」

 そこで敵の会話に反応したのは、赤い髪の少女だった。

「……あたしは別にどうなってもいいけど、ほかの二人やフラントールの人たちに手を出すならただではやられないわよ」

 やや斜め後方で、動きの鈍かったエフィールが大弓に光の矢を灯し始める。

「——ツク。
 さっき君が言ったとおり、ここは良い景色だね。
 ……すこし、目に焼きつけておきたい。
 ちょっとの間、任せるよ」

 ……スノスカリフはまだ動かないのか。
 好都合だ。人数的に有利だし、その間に一人は無力化しておきたい……!

 そして、すでに戦闘を始めているセナに続くように、自分たちも動き始めた。

 

 自分とエフィールがそろって相手にするのは、基本的にヘンリー・グレイフォラン一人のみ。

 とはいっても、エフィールがツクの兎人族への攻撃に目を見張らせていたり、
 セナはセナでツクだけでなくヘンリーにも攻撃を仕掛けてかく乱しているので、
 まさに乱闘と呼ぶにふさわしい攻防だった。

 天然の樹根が頭上から木漏れ日を落とす地下湖の湖面で、ばしゃばしゃと水しぶきを上げながら激しく動き回る、五人。

 

 からめ手を得意とするヘンリーの攻撃は、やはり対処が難しかった。

 こちらが動こうとした瞬間に、足にワイヤーを絡ませようとしてきたり、魔法道具を巧みに奪おうとしてきたり、あるいは思いもよらぬところに罠をしかけられて動きを封じられかけた。

 ただ、以前ともに旅をしていた時と明らかに違うのは、積極的に近接戦を挑んでくることか。

 ワイヤーを両手でぴんと張ったまま近づき、首や関節にひっかけて攻撃する特殊な格闘術のようなものを実践してきたのである。
 おそらく、遠距離からだとエフィールの光の弓矢に対抗できないと判断したからであろう。
 こちらが二人で固まって動いているのを逆手にとって、むしろこちら側に誤射を恐れさせるように立ち回っていた。

 かつて味方だったときは頼もしかった相手が、敵に回るとこんなにも厄介なのか……!

「スロウくん!!
『エーデルハイドの魔人』がどういう存在か、忘れたわけではないでしょう!?
 そいつがいなければ……人と魔人との対立が生まれることはなかった!!」

 おびただしい量のワイヤーが、自分たちに向かってさらに手を伸ばしてきた。
 デューイの『断切剣』の能力を使って剣に切れ味を付与し、斬り続ける。
 それでも、絡みつくようにその鋼鉄の糸はうねってきた。

「飲み水に困って、止むに止まれず『水の太陽』の雨水を口にした人々がいる……!
 望まず魔人化した人々が、理不尽に差別を受けているのです!!
 あるいは、魔人ですらない一般人同士でさえ!!
『隣に住んでいるのは魔物の手先ではないか』と疑心にかられて夜も眠れない!!」

 注意を向けづらい湖面の下から、ワイヤーが飛び出して腕を封じようとしてくる。
 それをエフィールが光の刃で叩き落とし、明後日の方向で兎人族に魔法道具をかざしているツクへ向けて射った。

「それだけじゃない!!
 ――人と魔人が手を取り合う世界があったかもしれない……!
 魔人が持つ重力魔法で、あの天空をさまよう『水の太陽』を倒すことだって、
 夢ではなかった……!!
 その可能性すらドブに捨てたのが、『エーデルハイドの魔人』です!!
 分からないなんて言わせませんよ!!
「……あたしだって!!
 望んであの事件を起こしたわけじゃない!!」

 エフィールの光の矢が細身の男へ向けて放たれたが、ヘンリーは鋼鉄の糸を飛び石や頭上から垂れる木の根にひっかけて俊敏に動き、矢を避け続ける。

「あたしだって、あの時あの瞬間、研究所にいた人たちを守ろうとした!
 ずっと言いたかった……死んでも一族の暴走を止めようと頑張ったのに、どうしてそうやって決めつけるの!?」
「誤魔化すな!! いまの世の中の惨状を見なさい!!
 過程がどうであろうと、貴様がもたらした結果は変わらない!
 過去の罪を償いたければ、おとなしく法の裁きを受けろ!」
「……!!」

 そこへ、無言のセナが、強烈な蹴りをヘンリーに繰り出した。

「ぐっ……!?
 フラントールくん……!!
 あなたまで……!」
「——そんなの、どうだっていいじゃないですか!!」

 セナが暴風を身にまとい、動揺するヘンリーを猛追する。

「どうして、遠い昔のことで責められなきゃいけないんですか!?
 いまできることに全力を注いでちゃダメなんですか!?
 あなたは知ってるんですか!?
 夜にエーフィちゃんがたくさん勉強してることを!!
 わたしは見たんです!!
 みなさんの傷の手当てをするために、使える薬草とかを一人で必死に学んでるのを!!
 ――『いま』をちゃんと頑張ってるのに……
 前に犯した失敗ひとつだけで全部だめって言うんですか!?」
「……それでも……自分のしたことには、ケジメをつけねばならないのですよ……!」

 ヘンリーが紡いで束となったワイヤーが、鞭のように兎耳の少女へとうねった。

 防御体勢をとっていたセナだが……風をうまく纏えなかったのだろうか。
 バチ!! と電撃が走るような音とともに、彼女が吹き飛ばされていった。

「うっ……!!」
「セナ!」

 剣を構えたまま視線を向けると、
 なぜか、ヘンリーは茫然とした様子で吹き飛ばされるセナを見ていた。

「おや、援護をしたつもりだったのですが……。
 ジャッジ隊員さまは、かつてのお仲間を傷つける覚悟はできていないのですか?」
「くっ……!!」

 ――『能力解除の能力』か!

 つくづく厄介だ。
 吹き飛ばされたセナのところにエフィールが駆け寄っているのを確認しつつ、俺は二人と敵との間に立つように剣を構えた。

 

「——そろそろ、おしまいにしようか」

 そして、ずっと静観していたスノスカリフが、『』の魔法道具を取り出した。

 

 ――俺はそれを見た瞬間、形容しがたい悪寒に襲われた。
 最初は、普通の魔法道具だと思った。

 でも、なにか、

 魔法道具そのものがまとっているオーラが、違う。

 

「——かつてイストリアという異世界を支配していたという『創造神』。
 レジアーマ……レジアミルだったか? 
 その神が作ったというこの魔法道具があれば……だれも僕を邪魔することはできない」

 

 本能的に、切り札である水の像を湖面から形作り、スノスカリフへ向けて突進させる。

 人間をまるごと真っ二つにできる巨大な水の刃が、スノスカリフに当たったかどうか、脳が認識するまでのわずかな隙に、やつは『槌』の魔法道具を湖面へ振り落としていた。

 

 そして次の瞬間には、
 文字通り世界が震えた。

 

『槌』が振り落とされた刹那、湖面から数多の水滴とともに全身が浮かび上がり、

 ――遅れてすさまじい衝撃が地下湖面に響き渡った。

 

 浮かび上がった数えきれないほどの水球がすべて霧と化し、頭上を覆っていた樹根が割れてその木片が降り注いでくる。

 細胞のひとつひとつが割れるような振動が脳を揺さぶり、内臓を揺さぶり、
 視覚も聴覚も、嗅覚ですらも機能を停止したかに思えた。

 

 ――ようやく視界が回復したかと思えば、目の前に広がっているのは波打つ水だけ。
 まともに立ってもいられなかったのだと後から気が付いた。

 吐き気の収まらない頭をどうにか持ち上げて敵の姿を確認し――

 俺は、自分の目を疑った。

 

 スノスカリフは、ほんとうに身体が真っ二つに割れていた。

『槌』を振り下ろす直前に放った水霊の刃が、直撃したのだろう。

 遠い耳鳴りの奥からでも聞こえるほど、ばしゃばしゃとおびただしい量の血液を湖に落としていた。

 ――にも、かかわらず。

 

「……うん、やっぱり、何ともない。
 素晴らしいな。
 こんな力を、異世界人は享受していたのか」
「——なん、で。
 その、血の量……」

 

 ……やがて、スノスカリフの身体から流れ続けていた血は次第に収まっていき、
 割れていたはずの身体がいつの間にかぴったりと結合して元通りになっているのに気が付いた。

 

「……リラツヘミナ結晶洞窟でさ、奴隷を使って魔法道具を回収させてたんだよね。
 その中に面白そうなものがあってさ。
 研究者によると、イストリアという異世界で『秘宝』とされていたらしい。
 ……それも納得だよな。
 だって不死・・になるんだから」

 

 俺は、スノスカリフのその言葉で、ようやく理解した。

 以前、砂漠の大陸で――
 追放者メレクウルクが宿していたのと同じ……!!

「『半不死の呪い』……だと……!?」
「これでようやく、私も異世界人と同じ土俵に立ったわけか」

 いや、でも、症状が違うぞ……!?
 半不死の呪いには、痛覚が残るはずだ……!
 それすらも無いなんて……!

「……スノスカリフさま、ご配慮ありがとうございます。
『槌』の攻撃範囲から私を外していただけて」
「まあ、景色を目に焼き付けられたのは君のおかげだからね。
 ……立っているのは私たち二人だけか。
 今のうちに舟を奪おう。また抵抗されると面倒だし」

 よくよく見れば、セナやエフィール、兎人族の人たちだけでなく、ヘンリーさんまでもが膝をついていた。
 連中の会話から察してはいたが、やはり、完全に仲間、というわけではなかったらしい。
 そのことに、なぜかホッとしている自分がいた。

「……これで、ようやく、揃った……」

 そして、スノスカリフは、首元から鍵を取り出した。
 前にも一度だけ見た。
『空を飛ぶ舟』を動かすための――話によればフラントールの里から盗まれたという、鍵だ。

「……冥途の土産に教えてあげるよ。
 この『槌』の魔法道具はね、古文書によると
『異世界渡り』の能力を付与できるらしいんだ。
 さすがは創造神の魔法道具だよね。
 ……あとは、分かるだろ?
 この空を飛ぶ舟を、この鍵で動かして、
 さらに『槌』の魔法道具で異世界渡りの力を与えて、イストリアへ。
 だから、この舟を守ってるフラントール族が邪魔だったんだ」

 ――そうか。
 そういう行き方も、あったのか。

 以前に訪れた森林学院では、『竜巻山脈』と呼ばれる場所にある魔法陣がイストリアとつながっているという噂だったが……。
 いいや、どちらにせよ、舟がないといけないのは同じだ。

 やつが持ってる鍵さえ、奪えれば……!

 

「……異世界人、君にはずいぶん手を焼かされた。
 今後の憂いを断つために、悪いけどここで死んでもらうよ」

 そして、スノスカリフは、神々の魔法道具たる――
 おそらく正しい発音は『レジアム』となる破壊と創造の槌を、振りかざした。

 

 

 

「——スノスカリフ様ッ!!
 新手ですッ!!」

 

 ツクが叫んだ直後、不死の身体を持っているはずのスノスカリフが……

 なぜか、冷や汗を浮かべながら後退した。

 後退した本人ですら、なぜ自分がその攻撃を避けたのか、分かっていない様子だった。

 

 ……誰かが、助けに来てくれたのか。

 誰だ、デューイか?

 あの黒い湾刀を担いだ、壮年の大男の姿を予想して、振り返り――

 俺は、目を見開いた。

 

 

 

 その人は、女性・・だった。

 

 

 

「……や、久しぶりだね、少年。
 と言っても、もうボクのことなんて覚えてないだろうけど……」

 

 ――いつの間にか湖面に浮かび上がっていたのは、数多の水の像たち。

 つい先ほど、スノスカリフを真っ二つにしたのと同じ姿形。

 

 だが、自分が生み出したものではない・・・・・・・・・・・・・・

 そもそもこの能力自体、俺のオリジナルの能力じゃない。

 

 それは、ずっと昔……自分が旅を始める前に。
 記憶を失う前に見せてもらった、能力で――。

 

「ボクの愛弟子……デューイがいないときを見計らって来たんだけど……。
 ……ほんとにいないよね……?」

 

 不思議な幾何学模様が刻まれた、美しい群青色の剣を携えたその女性を見て、
 俺は、脳裏にかすかに浮かんだその名前を、口にせざるを得なかった。

 

「『追放者』ミラ・ヘリオス……?」

「おや、その単語を知ってるってことは……
 デューイから……あの子から聞いたんだね。
 それなら、話は早い」

 

 彼女はそう言って、美しい群青色の剣を軽やかに薙いだ。

 

「助けに来たよ」

 ……そう、彼女は――。

 俺の剣の師匠であるデューイの剣の師匠であり・・・・・・・・・・・・――。

 メレクウルクと並ぶ、『半不死の呪い』を受けた、
 イストリアからの追放者の一人だったのだ。