第百四十五話 最後の決闘

 セナは森の中にひとつだけ突き出した平岩に座っていた。
 足を投げ出し、なにかを大事そうに抱えているようだ。

 背後から近づく形になっているが、
 半獣人に特有の獣の耳が動いているのでこちらの存在には気がついているはず。

 足元にいくつも分岐した小沢を飛び越えて歩いていくと、
 くるぶしのあたりに冷たい水しぶきがかかった。
 涼しい空気に触れながら蛇行するような進み方で丘陵の起伏を登り、彼女のすぐそばに立った。

「セナ……」
「……」

 彼女は何も言わず、持っていたものを差し出してきた。
 丸鏡の魔法道具だ。これを抱えていたらしい。

 木漏れ日がキラキラと反射してまぶしいそれを受け取り、覗き見てみる。

 

『えっと……見えてますかね……。
 これで使い方あってるはずですけど……』

 鏡面に映ったのは、自分の顔ではなくセナの顔。
 それが、まるでほんとうに鏡の中に生きているかのように動いていた。

 声に至ってはすぐ耳元で聞こえてくるようだった。
 鏡にしか映らない不可視の存在となったセナがすぐ隣にいる。
 そんな不思議な感覚に陥りながら丸鏡をもう一度つかみなおした。

『まずは……ごめんなさい!
 何も話さず急にいなくなっちゃって。
 スロウさんと話すと決心が鈍りそうだなあって思って、
 事後報告って形になっちゃいました』

 えへへ、と笑うセナ。

 これは……たぶん、記憶を取り戻す前のセナだ。
 すぐそばで腰かけている彼女のほうではないだろう。

 つい先日まで一緒にいたはずなのに、もう自身がいない前提で話している。
 そのことに気が付いて、事態をうまく呑み込めないまま半信半疑で続きを聴く。

『……きっかけは、エーフィちゃんの裁判だったんですよ。
 あれを見て、
 ああ、悪いことしたらやっぱりダメなんだ、って気づいちゃって。
 このまま元のセナさんの人生を奪い続けちゃうの、
 いけないことなんだってちゃんと理解できたんです。
 ……だから、さよならすることにしました!』

 鏡の中のセナが、とびきり明るく笑顔を浮かべた。

 ……やっぱり、ほんとうなのか……。

 続く言葉で、彼女がスノスカリフの持っていた破壊の槌の魔法道具で自身の人格を消したことも教わった。
 最後にあいつと会った時に回収したのだろう。
 とすると、その時にはもう自分が消えることを決心していたに違いない。

『今まで迷惑かけてごめんなさい。
 すごく勝手ですけど、エーフィちゃんやデューイさんにもよろしく伝えておいてください。
 それと……本物のセナさんへ』

 そばにいるセナは、じっと黙って、もう一人の自分が話しているのを聞いている。
 雰囲気からしてもう続きを知っているような様子だ。

 このメッセージは何度も繰り返し聞くことのできるものなのだろうか。
 もしかしたら、自分が来る前にもう全部聞いてしまっているのかもしれないと思った。

『長い間、乗っ取ってしまっててごめんなさい。
 とりあえず、今のわたしに思いつくことはできるだけやっておきました。
 本物のあなたが里に戻っても大丈夫だと思います。
 あ、スロウさんと旅を続けるのかって聞かれましたよ。
 里の人たちはセナさんに残ってほしいみたいですけど、返事は保留にしてます。
 それと森林学院も!
 セナさんが魔法道具に興味あるって聞いたので、ちょっとだけ話を通しておきました。
 もし余計なお世話になっちゃってたら、すみません』

 そこで、鏡面に映る彼女の姿がいきなりぼやけ始めた。

 声を残せる時間に限りがあったのだろうか。
 徐々に輪郭がおぼろげになっていく。
 かろうじて確認できた鏡の中のセナは、名残惜しそうに弱く笑って拳を握った。

『最後に一言だけ。
 セナさん! 当たって砕けろ! です!』

 にっ、と歯を見せてから『お世話になりました』と鏡の中のセナが頭を下げて――。
 そのまますっと消えていった。

 しばらくすると鏡のもやは完全に取り払われ、
 自分の顔が何事もなかったかのように映っていた。

 

「……もう一人のわたしは、けっこう鋭い人だったみたいですねぇ」

 頬肘をついていた彼女が、視線を動かさないまま優しく笑う。

「セナは、どこまで知ってるの?
 いや、どこまで覚えてる?」
「うーん……。
 新しいわたしが出てきてからのことは実はうっすらと見えてたんですよね。
 夢を見てた感覚……に近いというか。
 なんとなくですけど覚えてますよ」

 そこで、勢いよく立ち上がったセナが腕を伸ばして声を張り上げた。

「あーあ!
 ほんと、うらやましい!
 この森でスロウさんとあんな冒険できて、きっとすごく楽しかっただろうなあ。
 あんな楽しそうに戦うのなんて、わたしにはできませんでしたし」
「……」
「……どうしたんですか、そんな顔して!
 あ、ひょっとしてもう一人のわたしのほうが良かったなんて言うんですか!?」
「いやっ、そんなことは!」
「あーあーひどいなー。
 だったらもう話してあげませんよーだ!」
「そ、そんな……」
「……ぷっ」

 おろおろとしている自分の姿を盗み見た彼女が、
 突然こらえきれないように噴き出す。

 そのままお腹を抱えてケタケタと笑い始めたので、
 いつの間にかこちらも頬が緩んでいた。

「おかえり、セナ。
 また会えてうれしいよ」
「はい、わたしもです。
 スロウさん」
「もしかしたらある程度は知ってるかもしれないけど……。
 決闘とか、天樹会とか、この森に残ってたいざこざは解決しそうだよ。
 ほんとにいろいろあってさ」
「そうみたいですね。
 もう一人のわたしが暴れてたみたいですし……」

 あはは……と恥ずかしそうに視線を落としたセナが、
 ふと真剣なまなざしを浮かべて「よし」とつぶやいた。

「スロウさん」
「なに?」
「わたし、もう一人の自分のことを見習おうと思います」

 そう言って彼女は、一歩引いて……。
 腰につけていたエメラルドグリーンの短剣を取り出した。

 

「わたしと、決闘をしてもらえませんか?」

 

――――――――――

 

「ルールはこうです。
 魔法道具の使用あり。
 どちらかが負けを認めるか、戦えない状態になるまで。
 もちろん傷を負わせたりとかはなしです!」
「ほんとうにいいの……?」

 二人で場所を変えて、木々が少ない開けた平地に向かい合う。

 やや気乗りしないまま音叉剣を握るこちらとは違って、彼女はやる気十分のようだ。

 セナはもともと決闘とか、戦いとか嫌がるタイプだと思ってたんだけど、
 ほんとにいいんだろうか……。

「はい。
 本気で、お願いします」

 それでも、真剣なまなざしでそう言われたらどうしようもない。
 気持ちを切り替え、音叉剣の切っ先を相手へ向ける。

 彼女は嬉しそうに薄く笑った。

 

 戦いを決める合図として、その辺に落ちていた木の枝を上にぶん投げ――

 地面に落ちた瞬間に、動き出した。

 

「――はぁっ!」

 直後、目の前まで急接近してきた彼女が短剣を振り上げた。
 それを見て上半身を下げ、牽制として剣を振るうが、躱される――。

「……!」

 セナは常にこちらの懐に密着し、至近距離で短剣による猛攻を繰り広げる。

 振り切ろうと思っても振り切れない。
 単純なすばしっこさではこちらが劣る。

 だが、それ以上に……こちらの攻撃を紙一重でかわしつづけ、
 そのたびにカウンターを狙うこのスリリングな立ち回り……

 この戦い方は……!

「はっきりとした記憶がなくても、身体が覚えてるんです……!
 もう一人のわたしの戦い方を……!」

 速度を上乗せした全力の突きをどうにか防ぎ、
 彼女と顔を突き合わせて鍔迫り合う。

 以前のように味方の援護に徹するセナ本来の動き方じゃない。

 一人で無理やりにでも勝ちを取りにくる、記憶喪失後のセナの戦い方だ!

「あれから――全部思い出してから、考えてたんです!
 どうしてもう一人のわたしが現れたんだろうって!
 それはきっと、このために……!」

 逃げ切れない。

 ついに、彼女の振り上げた短剣がこちらの剣の根本をとらえ、
 武器をはじき落とされた。

 せめてもの抵抗として裏拳を当てようとするが、
 あっけなく躱され、地面に組み伏せられる。

 馬乗りになった彼女を振りほどこうともがくが、
 素の身体能力で半獣人に勝てるはずもない。

 セナに、負けた。

 

「――好きです。スロウさん。
 ずっと前から好きでした」

 決着が明白となった瞬間に、彼女は言った。

 突然のことで目を見開いたが、
 目の前に広がる紅潮したセナの顔が、ほんとうの想いだと物語っている。

「決闘で勝った人は、何でも要求できます。
 わたしはあなたが欲しいです。
 ずっと一緒にいてください」

 ……そっか。
 そのために、決闘を……。

「それは……ダメだ」
「いいえ。
 拒否したらダメです。
 そういうルールなんです。
 わたしの言うことを、聞いてください」

 手首に加わる彼女の力が強まり、
 真剣だった彼女の眼差しに切なそうな歪みが浮かんだ。

 ……そういうルールだとしても……ここだけは譲れない……。

「もう、心に決めた人がいる」

 ぽろぽろと、彼女の目じりから零れ落ちた涙が鼻のあたりに当たった。
 はっきりと潤んでいくセナの琥珀色の瞳をそれでもまっすぐ見つめ続けていると、やがて彼女は、唇を震わせながらつぶやいた。

 

「そうですよね……」

 

 こちらを抑え込んでいた両指が解かれ、
 セナが馬乗りになったまま力なくしゃくりあげる。

「決闘で勝った人は何をしても許される、なんて、
 そんな時代は、もう、終わりですもんね……」