第二十一話 名も無き奴隷の少年

 そばに着地してきてすぐ、大丈夫ですか!? とスロウの身を案じてきたセナ。そんな彼女に感謝の言葉をかけながら、視線を『彼』に戻す。

 鈍い動きで首をさすっていた魔人の少年は、そこに拘束具がないことに気付いたようだ。
 何度も何度も確かめるように首に手を当てている。

 デューイはまだ警戒中だ。
 やるか? と剣を構えたまま視線を送ってきたデューイに手のひらを見せて、スロウは前に出た。

「……話せる?」

 スロウも音叉の剣を持って、少し離れた距離から問いかけた。
 これでまだ襲ってくるようなら、殺さねばならない。 

 いやに長く感じる沈黙の後、その少年は口を開いた。

「……何で壊したんだ」
「え?」
「何で壊したんだよっ!」

 突然の叱責の直後、まるで心が壊れたかのように魔人の少年は絶叫した。

 唖然とした。
 デューイも、セナも、警戒を解いてしまうほど、ただひたすらに驚愕していた。

「もっと力があれば、奴隷になることなんて無かったのに!」

 ……なんだ、どういうことだ?
 話の見えない状況に三人で顔を見合わせる。

「水の太陽だよ! 家が無くなって、途方に暮れたんだっ!」

 膝をついていた魔人の少年は、湿った赤眼を向けてきた。
 束の間の静寂に支配されていた地下空洞に、十代半ば特有の中性的な声が、いびつに響き渡る。

「みんなが助けてくれると思った! でも助けてくれなかった!
 あいつらが飯を食ってくために、ただそれだけのために奴隷にされた!
 売られたんだよっ!!」

 ――乱立し、倒壊していた無数のオブジェが、ふいに怪しく光り始めた。
 途端に、少年が喉を枯らして訴える声はまるで空に吸い込まれるみたいに消えていった。

 ついさっきまで、水滴が落ちる音すら反響していたはずなのに。

「もっと……もっと僕に力があれば!!
 奴隷になんかならなくて済んだのに!」

 それでも魔人は――名も無き奴隷の少年は、叫んでいた。
 今、彼の声が聞こえているのは、スロウたち三人だけだった。

「出来るものなら辞めたいさ! 奴隷なんて!
 でも僕みたいな子どもに何ができる!? 何もできないじゃないか!!
 ちっぽけで、無力で……そんな人間が、そんな人間が首輪に頼って何が悪い!?」

 少年は既にガラクタとなった首輪にすがりついていた。
 嗚咽を漏らしてその場に丸まった奴隷の少年を見て、スロウはその魔法道具の能力を直感する。

 『戦闘能力が飛躍的に向上する代わりに、誰かに支配されねばならない』能力。

「この首輪のおかげで強くなれた! みんなが恐れる魔人にだってなれた!
 首輪をつけて、魔法で言いなりになれば、いつか自由になれるんだ・・・・・・・・・・
 だから――!」

 少年の首筋に、キラリと光る線が見えた。

 刹那、少年の身体が、あまりにも不自然な体勢で空に浮かびあがった。
 まるで人形みたいに、頭から引っ張られるようにして、崖の上方に引きずり込まれていく。

 何が起こったのかも理解できなかった。

 だが、名も無き奴隷の少年が完全に沈黙した瞬間に、無数のオブジェは輝きを失い、
 水滴が落ちる音が反響を始めた中に、糸を擦り合わせるようなキリキリという音が混じっていた。

「……ふむ、何か喋っていたようですが……?」

 上を見上げると、いつの間にか、崖とオブジェとの間にいくつもの線が重なり、交わっていた。
 まるでクモの巣みたいなその線の一本に、細身の男が立っている。

「冒険者の方々、ご無事ですか?」

 糸の上から飛び降りてきたその細身の男は、ハスキーな声を発しながら近づいてきた。
 左腕に装着されたガントレットに無数の糸が集積してゆく。
 灰色のルーン文字だった。

 後ろでデューイが、げっ、とうめき声をあげる。
 ああ、と小さくため息をついたその男は、スロウとセナの方を向いた。

「失礼しました。ヘンリー・グレイフォランと申します。
 聖騎士団所属、ジャッジ部隊の一員です」

 ヘンリーと名乗ったその男は、胸に手を当てて恭しく頭を垂れた。

「報告を受け、魔人を処刑しに参りました」

 洞窟内には、またいつもの沈黙が戻っていた。
 『絞首刑』を受けた奴隷の少年は、既に崖の上方で、絶命していた。