第二十三話 小さな決意

「来たか、セナ・フラントール」

 昨日と同じ薄暗い広場で、奴隷商人オドンは影を伸ばして待っていた。
 猫耳の女性に連れられてやってきたセナを見て、オドンは腕を広げる。

「さあ、答えを聞こうじゃないか」
「その前に」

 セナは毅然とした態度でオドンの言葉をさえぎった。

 どうしても、聞いておかなければならないことがあった。

「あの子は、あなたの奴隷だったんですか?」

 セナが問いかけたのは、あの魔人の少年のことだ。
 地下遺跡で首輪をつけて襲い掛かってきたのは、誰の指示によるものか。

 オドンはあごをさすりながら、考えている素振りを見せる。

「セナ・フラントール。何のことだか分からない」

 奴隷商人は肩をすくめてはぐらかした。誰が見ても嘘だと分かる大げさな演技だ。

 それでもセナが懐疑の視線を送り続けると、相手はため息を一つ。

 彼はいつだったかのように、両手を後ろに組んで歩き出した。
 考える時の癖であるかのように、ゆっくりと右へ、左へ。

「……よく聞くがいい。セナ・フラントール。
 未来は、何が起きるか分からない。
 今の時代、一個人がどれだけ血のにじむような努力を重ねたとしても、魔法道具で……たかが道具一つで、強者と弱者が決まってしまう。
 そんな中で、知識も、経験も足りない子どもが夢を叶えようなど、自殺行為でしかない」

 昨日のような威圧感は無く、まるで子どもに言い聞かせるように、オドンはゆっくりと話していた。これが現実なのだと、気の毒そうな表情すら浮かべていた。

「私からのアドバイスは一つだ」

 そう前置きしてからオドンは言った。
 わずか三文字のその言葉を。

「『恐れろ』」

 それが、奴隷商人のメッセージだった。

「世界は危険だ。
 望みどおりには生きられない。そもそも生きることですら難しい。
 だから備えなければならないのだ。やりたいことをやっている暇なんて、無い。
 この世界における成功への近道は、『怯えること』なのだ」

 狂ったようにも見えるその濁った瞳を見開いて、オドンは確信に満ち満ちた表情を浮かべる。

「さあ、選べ、私に従うか否か。
 今を犠牲にして確実な未来をとるか、
 それとも今この瞬間の享楽だけをとるか!
 答えろ!」

 決断のときだった。

 半獣人の少女は叫ぶ、小さな決意を胸に抱いて。

「わたしは、どっちも欲しいです!
 今も! 未来も!!
 どちらか一つしか選べないなんて誰が決めたんですか!?
 わたしは奴隷になんかなりたくないです!!」

 セナはエメラルドグリーンに輝く短剣を思い切り引き抜いた。
 生成された風をまとい、切っ先を相手に向ける。

「魔法道具には……人を救う力がある!!
 その能力を『支配』のために使うなんて許せません!
 あなたはわたしが倒します!」
「――ただの小娘が、とんだ世迷い言を……!」

 オドンが合図をした瞬間、どこに隠れていたのか、初めて見る奴隷の二人が影から飛び出した。
 しかも、二人とも鎧を身に着けている。

「あいつを捕まえろ!」

 こん棒を片手に向かってくる奴隷たちに、セナ突風を起こして応戦する。

 しかし、重厚な鎧を装着している奴隷たちは、風を起こしてもビクともしない。少し手をかざした程度で、すぐに体勢を立て直して迫ってくる。

 わざと頭だけむき出しにしているのか、彼らの狂暴な笑みが嫌でも視界に入ってしまう。
 その悪意に怯みそうになった。

 それでもセナは逃げようとはしなかった。
 風をまとって広場を立ち回り、必死に戦う。
 こん棒は短剣では受け止められない。殺すわけにもいかないので、セナの攻撃手段はほぼ蹴りに限定された。
 むき出しの頭に目掛けて打とうとしても、すぐに防がれて膠着状態。どうやら相手も、狙われる場所を理解しているようだった。

 ――この人たち、戦い慣れしている。
 鎧のせいで体力の消耗が激しいはずなのに、いまだに動きが衰えていない。

 状況は悪くなっていく一方だった。

「あっ……」

 いつの間にか壁ぎわまで追いやられ、逃げ道を塞がれる。気が付いたときにはもう遅かった。
 半獣人の少女目掛けて、こん棒が振り下ろされる。

「っ……!」

 ――しかし、セナが予期していた衝撃は来なかった。

 恐る恐る目を開いた彼女が最初に見たのは、ドーム状に展開された、紫色の障壁。
 その中心にいたのは、杖を突き出した状態で立つ金髪の青年だった。

「スロウさん!」

「セナ、大丈夫!?」

 スロウは仲間に怪我がないことを確認すると、ドーム状のバリアを消して飛び出す。
 昨日セナと共にいた青年であると理解したオドンは、憎たらしげに吐き捨てた。

「邪魔をするな!! その娘は私のものだ!!」

 その怒号に応えるようにして、奴隷の一人がこん棒を大きく振りかぶる。
 とっさに剣を間に挟み込んだが、相手は武器ではなく拳でスロウの腹を思い切り殴りつけてきた。こん棒はフェイントか。

 よろめいたところへさらに追撃を受け、後ろに下がる。

 ――こいつら、思ってたよりも強い!

 危機感を感じたスロウは後ろを振り返って叫んだ。

「セナ、手伝って! 俺一人じゃ倒せない!」
「は、はい!」

 立ち上がった少女はスロウの横に立つ。これで二対二だ。

 セナは突風を生み出して援護。
 向かい風に思わず手をかざした奴隷。スロウはその死角に潜り込み、剣で敵の頭を殴打した。
 追い風の勢いが乗った一撃をまともに食らった奴隷は、そのまま気絶する。

 あと一人!

 徐々に戦況が悪化していくオドンは、不愉快そうに顔を歪めて叫んだ。

「忌々しい……! なぜ弱い人間の味方をする!?」
「『そばにいる』と約束したからだ!」

 背後から襲い掛かってくる気配を感じて、杖の魔法道具を発動。突然の無音状態の後に、後ろを振り返る。
 どうやらうまくいったようだ。こん棒を弾かれた奴隷は、風の速度で迫っていたセナに思い切りこめかみを蹴られ、倒れていた。

 残るは、奴隷商人だけだ。
 視線を戻すと、手持ちの駒をすべて失ったあいつは背中を向けて逃走を図っていた。

「逃がすか!!」

 紫色に淡く輝く杖を、オドン目掛けてぶん投げる。
 瞬間、オドンを中心にバリアが展開。閉じ込められた奴隷商人は足元に落ちた杖に気が付き、忌々しげにこちらを見た。

 一度だけでいい、あいつをぶん殴らないと気が済まない!

 ――音叉の剣が銀色に輝く。
 直後、ただ音を鳴らすだけだったはずのその武器は、風をまとい始めた・・・・・・・・

「う、うそ……!」

 強風が路地を吹き抜けていく。

 まるで見えない刃を伸ばすように、風が、音叉の剣から放たれていた。

 バリアが消失し、そのまま逃げようとしていたオドンはすさまじい風圧に後ろを振り返り、銀色に光る剣を見て驚愕する。

「あの短剣と……同じ能力だと!?」

 スロウは風をまとい、奴隷商人の予想をはるかに上回るスピードで肉薄。

 荒ぶる風圧を発する剣を握りしめ、驚愕に染まるオドンの顔面へ目掛けて叩きつける。

「ぐっ……!?」
「吹っ、飛べえええ!」

 刹那、街中に響く甲高い金属音。

 その中心地で、剣の根元から炸裂した突風が、奴隷商人を吹き飛ばしたのだった。



登録「予定」魔法道具

 名称:音叉剣
 能力:金属音の発生
    ????
 ルーン文字:「響き、共鳴し、――(未解読)」