第二十四話 魔法道具で得たものは。

「ス、スロウさん! 今のなんですか!?」

 オドンを吹き飛ばした後に、耳を抑えたセナが詰め寄ってきた。
 あの金属音は聴覚の鋭い半獣人にはちょっとつらかったかもしれない。

 でも、なんだと聞かれても、正直俺にだって分からない。むしろこっちの方が驚いているのだ。ただ音を鳴らすだけだとずっと思っていたのに、急にセナの短剣と同じ風を生み出したのだから。

 自分にもよくは分からないが、とにかくオドンを倒すためなら使えるものは何でも使ってやろう、みたいな気持ちがどこかにあった気がする。そうして剣に握りしめたら、結果的に風が生まれた、それだけだった。

「――スロウ……そうか、スロウか。
 覚えたぞ、貴様の名前は」

 頬をパンパンに膨れ上がらせたオドンが、目を回しながら立ち上がった。
 思いっ切りぶん殴ったのに、しぶといやつだった。

「……この杖は、私のものだ。
 見ておけ、いつか、周到に準備して復讐してやる」

 オドンは突風で転がっていた杖の魔法道具を拾い上げ、怒りに満ちた眼光をスロウ、そしてセナへと向ける。

「結局、お前は強い人間に媚びることでしか生きられないのだ、セナ・フラントール。
 お前がそこのA級冒険者と手を組んだとしても、何も変わりはしない」

 ……聞いている途中で、引っかかりを感じた。

 『A級冒険者』だって?
 俺のことを言っているのか?

 だが、様子を見る限りだと本当にスロウをA級冒険者だと勘違いしているようだった。
 あの憎しみに満ちた表情はとても演技には見えない。

 ――ここで、スロウはひらめいた。
 杖の魔法道具を指さす。

「……その魔法道具は持っていけばいい。
 でもこれ以上俺たちに危害を加えるつもりなら、容赦はしない」
「ふん、覚えておくがいい! 今に奴隷たちを集めて、すぐに仕返ししてやるぞ!」

 そう吐き捨てたオドンは、そのまま広場の外へと走って行ってしまった。

 そして彼と入れ替わるようにして、突然の轟音に驚いた野次馬たちが広場を覗いてくる。

「と、とりあえずここから離れよう」

 野次馬から逃げるというこの状況にデジャブのようなものを感じながら、二人で広場を後にしたのだった。

「あの、スロウさん。さっきはありがとうございました。わざわざ来てくれて」

 通りまでやってきた頃に、セナが袖を引っ張ってきた。

 軽く後ろを振り返りながらどういたしましてと答えると、彼女は唐突に立ち止まった。
 真面目な顔をしているのを見て、スロウも足を止める。

「気持ちの整理はつきました。とりあえず、冒険者の件はもう少し頑張ってみます。
 それで、一つだけ提案があるんですが……」

 困ったような笑みを浮かべて、彼女は口を開いた。

「わたしたち、ここでお別れしませんか?」

 え? なんで?

 驚くスロウを見たセナは、頬を掻きながら笑う。

「たぶんスロウさんなら、オドンが復讐に来てもきっと返り討ちにできると思います。
 でも、そこにわたしがいたら、あの人はその後も戦いを挑んでくるかもしれません、私を奴隷にするために。
 そうしたら、スロウさんにまで迷惑をかけてしまいます。だから……」

 柔らかい表情の中に、静かな決意が垣間見える。そう簡単に発言を撤回するつもりはないようだった。

 お二人と出会えて良かったです、と頭を下げる彼女に向かって、スロウは本当にさりげなく口を開いていた。

「――何言ってるの、オドンはもう復讐なんかできないよ?」
「……へ?」

 頓狂な声を出して困惑するセナ。
 どういう意味ですか? と言わんばかりの表情を浮かべる彼女に向かって、スロウはいたずらっぽく笑って見せる。

「じゃあ、卑怯者の末路を見に行こう」

 冒険者ギルドの扉を力任せに開け放ち、売買用の窓口までずかずかと近寄る小太りの男がいた。
 奴隷商人オドンである。

 日も沈みかけ、既に食堂と化していた冒険者ギルド内での出来事である。
 食事をほおばり、酒をあおる冒険者たちを押しのけて、オドンは受付までたどり着く。

「この魔法道具を売り出したい!」
「あ、分かりました。少々お待ちください」

 オドンの横柄な態度を気にすることもなく、杖の詳細を調べ始める受付嬢。
 その顔から一瞬だけ笑顔が消えたことに、奴隷商人は違和感を覚えた。

「失礼ですが、この魔法道具は登録がされていません。
 どこで入手したものか、教えていただけますか?」

 ――ああ、まだ手続きが済んでないのか。やつが街に戻ってから数時間しか経っていないからだろう。

「スロウという名の冒険者から譲り受けた。ついさっきダンジョンから帰還したばかりの男だ。書類が必要なら後で本人からサインをもらう」

 話がなかなか進まないことに苛立ちを覚えながらオドンは答えた。

 さあ、早くしてくれ。

 カウンターを指で叩きながら待つ奴隷商人。
 だが、しばらく経っても話は進まない。「クロノワトルの地下遺跡だ」、と追加で伝えるも相手の表情は変わらなかった。
 困惑した様子でおずおずと口が開かれる。

「失礼ですが、スロウという名の冒険者は存在しません」
「何?」

 いや、そんなはずはない。あいつの名前はちゃんと覚えているし、ダンジョンにも行っていたはずだ。

 しかし、その旨を伝えても無駄だった。
 どうも、今日クロノワトルの地下遺跡に入った冒険者は一人だけしかいないらしい。

 話がおかしいと粘るオドンだったが、徐々にギルド内での注目が集まり始める。

 そして、問題を聞きつけた男が、ついにギルドにやってきた。

「おや、いかがなさいましたか、奴隷商人殿」

 音も立てずに近づいていたのは、ヘンリー・グレイフォランだった。

 ジャッジ部隊員の突然の来訪に固まる奴隷商人。
 そんな彼を横目に、受付嬢がヘンリーに事情を説明する。

「ジャッジ様、実は少し困ったことになったのです。
 こちらの御仁が冒険者から魔法道具を頂いたそうなのですが、該当する人物が見当たらないのです」
「待て、おかしい! スロウという名の冒険者は確かにいたはずだ!」
「スロウ……?」

 心当たりを感じたらしいヘンリーは、あごに手をあててしばし黙考する。

「――ああ、なるほど」

 聞いたことのあるその名前を思い出したジャッジの男は、くっくっと笑う。
 訝しげに思ったオドンが口を開く前に、彼は視線を元に戻した。

「ということはつまり『登録されていない魔法道具を、実在しない冒険者から譲り受けた』、とおっしゃっているのですか」

 なるほどなるほど、と芝居がかった演技で話すヘンリー。「おかしいですねえ、オドン様?」

 脂汗が滲んだ。
 未登録の魔法道具を売買すれば罰がある、それくらい、魔法道具に関わるものなら誰でも知っている。

「ち、違う! この杖は正規のもののはずだ……!」
「失礼ですが、登録の手続きを行わずに魔法道具を売買することは、冒険者法第三条に違反します」

 有無を言わさぬ口調で迫るジャッジ。
 相手に言い訳をする時間すら与えぬようにと、彼はよどみなく舌を動かしていた。

「あなたは違法に魔法道具を所有し、あまつさえ架空の人物をでっち上げてその利益を得ようと企てた。この行いはジャッジとして、非常に見過ごしがたい」
「嘘だ……!」

 手遅れだった。今更悪あがきをしても、無駄だ。

「冒険者法第三条、および第二十条の違反により、あなたを連行いたします。
 本当に助かりました、あなたには様々な容疑がかけられていますからね。
 罪が認められれば、少なくとも個人の所有する財産はすべて差し押さえられることとなるでしょう。
 あなたは奴隷商人ですから、そうですね――」

「まずは、奴隷をすべて引き渡してもらいましょうか」

 とどめの一撃と共に身柄を拘束された奴隷商人は、怒りに満ちた表情で叫んだ。

「あのクソガキがあああああ!!」

 小太りに太った男が、わめきながら連れていかれる。
 その様子を向かい側のバルコニーから見下ろしていた二つの影があった。

「だから言ったでしょ?
 復讐なんかできない、って」

 スロウと、セナだった。
 ウサ耳の少女は口を開けてぽかんとしている。

「――あいつ、俺のことをA級冒険者だと思ってたんだ」

 もちろん、スロウはまだ正規の冒険者ですらない。
 それにも関わらず、向こうはそう信じていたのだ。

 なぜか? 考えてみれば当然だ。
 下ばかり見ている人間がA級冒険者のことなんか調べてるはずがない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 だからスロウが持っていた杖の魔法道具も、既に登録してあるものとして使うはずだ。

 そこでデューイの言葉が生きてくる。帰り道、あいつは言っていた。

『そいつは持ってる分には問題ねえが、人に譲ったり、売り出そうとしたら一発アウトだ』

 要するに、違法に手に入れた魔法道具を売買したら罰があるということである。
 ――これを利用すれば、オドンを罠にはめられるのではないか?

 極めつけとなったのが、本人の最後の一言だった。
 いつか、周到に準備して復讐してやると、オドンは脅迫してきた。

 ならば、あいつは必ず杖の魔法道具を売りに出すだろう。金になるから。

 だからわざと奪わせた。
 オドンが杖を気づいたときには、もう遅い。
 スロウという名の冒険者は存在せず、そこにあるのは、亡霊から奪った出自不明の魔法道具だけだ。

 でも、予想外のこともあった。
 具体的に言うとヘンリーさんが来たことだったのだが、それでも様子を見る限りでは作戦は成功したらしい。正直こんなにうまくいったのが怖いくらいだった。

「あの奴隷商人が魔法道具で得たものは、自分自身を閉じ込める檻だったのさ」

 とはいえ、あいつを罠にはめられたのは俺たちが違法にダンジョンに潜っていたからこそである。ある意味社会不適合者とも言えるデューイがいなければこの作戦はできなかった。

 デューイさまさまである。

「ぷっ、あははははは!!」

 唐突に吹き出したウサ耳の少女は、腹を抱えて笑い始めた。

「すみません、何だかおかしくて……!」

 苦しそうにそれだけ言うと、彼女はまた吹き出してケタケタと笑い転げる。
 そんなに面白い? と聞くと必死になって頷いていた。

 そうして目に涙すら浮かべていた少女が落ち着いてきたころ、スロウの名を呼ぶ者が現れた。

「スロウ君!」

 やってきたのは、ヘンリーだった。スロウ達を見つけて、来てくれたようだ。

「驚きました。あの杖を持っていたのは君だったのでしょう?」
「……えーと、ひょっとしてペナルティとかあります?」
「いいえ、まさか。あなたの機転のおかげでオドンを捕まえることができたのです。
 借りがあるのはむしろ私たちの方だ」

 ヘンリーは胸に手をあてて恭しく頭を垂れた。

「何かできることがあったら言ってください。
 それをお礼の代わりとしましょう」

 聖騎士団のエリートであるという人物から感謝されたことに、胸がふわふわするような感じを覚える。
 ちょっと嬉しくてたまらない。

 けど、お礼……お礼か。
 何か欲しいものなんてあるかなと考えていると、一つだけいいものを思い付いた。

「じゃあ、この子を冒険者にしてほしい」

 セナが驚いてこちらを見たのが分かった。

「奴隷じゃない半獣人って理由で、手続きがうまく進まないみたいなんだ」
「お安い御用です。話を通しておきましょう。それでは」

 それだけ言うと、彼はまたすぐに姿を消してしまった。

 セナは、いいんですか、とこちらを覗いてくる。

「いいよ、これくらい。
 それより、セナ。これで君は自由だ。
 冒険者になれるよ」

 その姿を想像したのだろうか、照れたように笑った彼女は街の向こうに目を向ける。

 夕暮れの中を、涼しい風が吹いていた。

「……スロウさんは、これからどうするんですか?」
「んー、春まではこの街に残ってるかな。その後は、また故郷を探す旅に出るよ」

 まだ自分の帰るべき場所は見つかっていない。落ち着いた気候に変わってから、街を出ようと思っていた。

「でも……」

 脳裏によぎったのは、あの魔人の少年である。
 まだ小さい子どもが目の前で死んだ瞬間の映像が、鮮明に思い出された。

「……自分の居場所を求めてるだけじゃ、いけない気がする」

 報われずに終わる人もいるのだと知った。

 どうしようもなくただあがく事しかできない人たちがいて、もしも彼らのことを無視していたらいつか自分の居場所すら失われてしまう。そんな気がしてならない。

 自分のことだけ考えて、周りのことなど考えずに生きて……。

 そうやって他人を不幸にして得た自由に、何の意味があるのだろうか。

「俺は、与えて生きる人間になりたい」

 あの奴隷の少年が残した叫びを、忘れたくはない。
 たとえ通りすがっただけだとしても、聞こえないふりはスロウにはできなかった。

 深く息を吸い込んだスロウは、夕暮れに染まり始めた街を眺める。昨日とは違う景色だった。

「とりあえず、故郷を探す道すがらで困ってる人を助けられたらいいな」

 ふと口にしていた言葉に、自分で納得する。
 その理由を明確に説明できるわけではなかったが、ようやく、自分の進むべき道が分かった気がした。

「――決めました!
 わたしも一緒に連れて行ってください!」

 静かに聞いていたウサ耳の少女は、突然に協力を申し出てくる。

「わたしだったら魔法道具のことも詳しいですし、お役に立てると思います!」

 目をキラキラさせてこちらを覗きこむセナ。

 もちろんスロウにとっては願っても無い提案だったが、一つだけ気がかりがあった。

「いいの? 多分、ダンジョンに潜ることは少なくなるよ?」
「いいんです、普通に旅をしていても、魔法道具はたくさん見つかりますし」

 それに、と嬉しそうにはにかむ半獣人の少女。

「――わたしの居場所は、もう見つかりましたから!」

 セナは頬を赤らめて、まぶしいほどの笑顔で応えたのだった。

 翌日、一人の半獣人の少女が、冒険者になった。

 金見当てのならず者たちが集い、冒険に身をやつす世界に、一筋の夢を抱いた少女が飛び込んだのだ。



登録済み魔法道具

 名称:風の短剣
 能力:風の生成、付与
 ルーン文字:「何者にも支配されない」