第三十三話 さび

「このハーブティー、すごくおいしいですよ」

 差し出されたティーカップを近くに引き寄せた。
 カップの内側から湯気が立ちのぼる。持ち上げると、甘い香りが鼻孔を刺激した。

 あの後――デューイが旅をやめると言ったあと、スロウはセナの部屋を探した。とにかく、誰かと話がしたかった。
 見つけた部屋をノックすると、突然の訪問にも関わらず彼女は快く部屋に招き入れてくれた。中はスロウがいた部屋よりも少しばかり質素で、小さな間取りだった。

 差し出されたお茶に口をつけ、身体を温める。
 腹にぬくもりが宿ったことで、少しだけ落ち着きを取り戻せた。

「……」

 セナは黙ってそばにいてくれた。
 何があったのか聞いてくることもなく、静かにハーブティーを飲んでいる。

 それが有難かった。
 出来る限り、気持ちを落ち着かせることができた。

「……故郷に帰れば、なんでも解決すると思ってた」

 頭の中は、いまだに整理がついていない。
 浮かんだ言葉を、そのまま吐き出そうとする。

「生まれた場所に戻れば、無条件に自分を受け入れてくれる人たちがいて、自分が好きだったはずの人たちと笑って過ごせると……そう思ってた」

 それが理想だった。
 旅をする理由であり、目的でもあった。

「でも……違ったよ」

 ここまで来れば、もう認めざるを得ない。

「故郷に帰れても、幸せになれるわけじゃなかったんだ」

 ぬるくなったティーカップを抱えて、寒さに耐えるようにうずくまった。

「俺、本当は誰かに受け入れてほしかったんだ。
 記憶がなくて、どこの誰かも分からなくて。はたから見たらすごく面倒に見えるかもしれないけど、そんな自分のことを受け入れてほしかった。居場所が欲しかった」

 視界が淀み、詰まる喉を飲み込んだ。

「でも、本当の自分をさらけ出したって、理解してもらえない。
 そんなことをしても余計に寂しくなるだけだった。それが、ずっと嫌だった」

 そうやって何度も拒絶された時に、自分が「よそ者」なのだと思い知らされた。

 そして――身の周りの人たちが紡ぐであろう幸福の中に、自分だけは入れないと気付いて、泣いた。その時ほど強い孤独を感じたことは無かった。

 ……周りから疎まれるようになったのはその頃だったかもしれない。距離を置いて遠ざかろうとする自分のことを、村の人が|快《こころよ》く思うはずも無かった。

「ひょっとしたら、俺も異常者だったのかもしれない。
 でも、そんな自分でも……『故郷に帰れば』、『別の世界へ行ければ』って思ったのに――」

 揺れるハーブティーの波紋に、歪んだ自分の顔が映った。
 わずかな振動で輪郭がぼやけ、より一層情けない顔に見えた。

「デューイみたいに受け入れてもらえなかったらどうしよう?
 俺、今度はどこに行けばいいんだろう?」

 宙に足が浮いたような感覚の中で、温かい重みを感じた。
 彼女は黙ったまま抱きしめてくれていたけど、足元の冷たさは拭えなかった。

 日光を遮る曇天の下、商店街をぶらついていた。レオス教からの連絡はまだ無かった。
 ぼんやりと外に出て、適当な店に入り、当てもなく物色していると、ふと、一つの魔法道具に目がとまる。

「それ、何ですか?」
「ああ、売れ残りの魔法道具だよ」

 それは古くび付いた二対の赤い指輪だった。微妙に形の違う二つの指輪が、細いチェーンでつながっている代物である。大きさとチェーンの長さからしておそらく、小指と薬指にはめるものだろう。朽ちて今にも崩れそうな骨董品だ。そんな魔法道具が、タダ同然で店の隅に転がっていた。

「確か能力は……『腐食』だったっけな。その名の通り、使えば金属とかが錆びていく代物さ。
 外見がボロボロでみっともないし、武器に悪影響が出やすいみたいでね。
 まあ、こんなガラクタよりもっと良いやつが……」
「それください」

 ぎょっとする店主に目もくれず、転がっていたその魔法道具を拾い上げた。

「でも、すぐに壊れるかもしれないよ」
「構いません、それをください」

 いぶかしげな店主を気にも留めず、指輪の魔法道具を購入。
 本当に安くて、財布の軽さが少しも変わらなかった。

「……」

 それを握りしめて、ダンジョンへと向かった。

 向かった先は地下水道のような造りで、暗く、じめじめとした陰鬱な場所だった。

 探索を初めて間もなく、動きの遅いゼリーモンスターを一匹見つけ、そいつにナイフを突き刺した。使ったのは街で何本か買ってきた安物である。
 その後、赤錆びの指輪を発動してナイフを腐食。距離を取ってしばらく様子を見た。

 期待していた効果はあまり無かった。サビは毒だと思っていたが、あのゼリーはナイフが刺さったまま変わらず動いている。そういえば毒があるのは銅のサビだけで、鉄のサビは無害だったろうか。ナイフは諦めて、別の場所に移る。

 簡易な落とし穴を作った。朽ちた金属網の足場を見つけ、そこを腐食させて耐久性を落とす。そこに魔物をおびき寄せて罠にかけた。それなりに効果があったが、こういう地形が他にもあるかと考えると疑問が残る。あまり汎用性は高くない。

「ちょっと!
 そんな魔法道具ここで使わないでよ! 武器が錆びたら困るでしょ!」

 途中、探索していた冒険者たちから怒鳴られた。
 どうやら能力を使っているところを見られていたらしい。一人でダンジョンに潜って怪しい実験をしているスロウを見て、明らかに警戒していた。

 何も言わず、背中を向けて立ち去った。

 その後も試行錯誤を重ねた。
 回収すべき魔法道具には目もくれず、赤錆びの指輪を手に握り、時間の許すかぎり留まった。

 日が暮れて、街に戻る間もずっと考えていた。

「……」

 夜中、スロウは部屋の窓を開けて外を眺める。
 あいにくの曇り空で、星は見えない。完全な暗闇である。

 手の内には、砕けた指輪の魔法道具があった。
 どうやら放置されていた時間が長すぎたらしい。ダンジョンで何度か使っているうちに、自らの能力に耐え切れず壊れてしまったのだ。
 手のひらに残るざりざりとした感触を、指先でなぞる。

 ――鋭すぎる魔法道具は、使いものにならない。

 当然だ。だって必要ないんだから。誰だって、周囲に危険を及ぼす可能性があるものを使いたいとは思わない。

 しかもここは白銀都市アリアンナ。伝説の魔法道具である機械時計の音色のおかげで魔物は近くには現れない。聖騎士団のおかげで治安だって良い。ある意味理想的な街だろう。平和で、争いとは無縁の環境だ。

 そんな場所でわざわざ危険を冒そうとする人間など、居るはずもない。

 顔を上げて、外を見る。城下町を超えた向こうは夜のとばりが下りた大自然だった。
 果てしなく続く草原のさらにその先の、ここからじゃ見えない景色を想像する。

 ――もし、そんな魔法道具が役に立つとしたら。

 どんな場面が挙げられるだろう?

 そこでどう扱うべきか?

 何ができるのか?

 本当に人を傷つけるだけなのか?

 それで誰かを助けられるんじゃないか? 

 何か変えられるんじゃないか?

 ――「価値がない」
 ――「役立たず」
 ――「出来損ない」。

 ひょっとしたら、大多数の人々が言う通り、議論の余地なんか無いのかもしれない。

 でも……。

「本当に、そうなのか……?」