第五十話 廃都べレウェル

「来たな……」

 目の前に広がる景色は、壮観、の一言だった。

 まるで天変地異が起きたようだった。

 地面がめくれ、城壁が傾き、不均等に反りあがった大地のてっぺんから民家の残骸が崩れ落ちている。
 目に映る大部分は薄暗く濡れていて、一切の温もりすら感じられない。
 からっ風が吹きすさび、どこかから高い風切り声が聞こえてくる……。

 かつて王族なんかが住んでいたのであろうあの大きな城は、砕かれた岩盤の根本で傾いており、深い影を落としていた。

「ここが……水の太陽に滅ぼされた国の中心地か」

 廃都市の奥の方に目をやると、隕石でも降ってきたかのような綺麗なクレーターが形成されており、そこに暗い水を溜め込んだ湖が出来上がっている。
 きっと都市を横切っていたのだろう大きな河川はそのクレーターに一部を削り取られ、まるで割れたコップみたいにその中身を枯らしていた。

 やがて鈍い曇り空のすき間から夕暮れの光が差し込み、叩き割れた都市を赤と黒の二色に染め上げる。
 その様子はどこか生々しく、ベレウェルという名の廃都市を慰めているようだった……。

「みなさん、見てください」

 都市から視線を外して振り返ると、ジャッジの男がかがみこんで、水たまりをすくい上げている。
 彼は冒険者組がちゃんと見ているのを確認したあと、掲げていた手のひらを傾け、その水を落とす。

 ――水滴の落ちる速度が、遅かった。

 それは完璧な球体状を維持しながらふよふよと落ちて、足元に吸い込まれていく。

 スロウも近づいて触ってみた。
 粘度が高そうにも見えたが、触ってみれば普通の水と変わらない。
 落ちる速度だけが、異常だった。

「水の太陽の雨水です。
 あの化け物が去ると、時間差でこのように重力魔法の影響を受けた液体に変化するのです。
 魔人化する危険がありますから、間違っても口に入れないように」

 なるほど。

 魔人化する水と普通の水との判別方法は初めて見たが、思っていたより簡単なようだ。

 すくいあげて、落とすだけ。
 覚えておこう。

「おい、あれ見ろよ」

 そんな中、隣に立っていた大男が肩を叩いてきた。
 デューイが指差す方向に目を向ける。

 あれは……見覚えがあるぞ。

 天を貫くように浮かび上がる、金色の線。
 それは地上から放たれているようで、角度を変えて何本も空へと舞い上がっている……。

 すぐに、誰の仕業か分かった。

「エーデルハイドの魔人!? 先を越されてたのか……!」
「おい、ジャッジさんよ。
 お前の言ってた最悪のシナリオってやつなんじゃねえのか、これは?」
「……着くのが早すぎる……毒矢を当てていたのに……。
 解毒薬を持っていたのか? なんにせよ厄介だ」

 おそらく、彼女は魔物と戦っているのだろう。
 続けざまに光の線が空へ浮かび上がって、消えていった。

「仕方ありません。やつがまだ黄金剣を見つけていない可能性に賭けます。
 スロウ君、君は予定通り黄金剣を探しに行ってください。
 我々三人は、あの魔人と戦います」
「……あいつがベレウェルの黄金剣を使ってるのが見えたら、俺もそっちに向かいますよ」
「もちろんです。くれぐれも、死なないように」

 確認事項は、それで終わりらしい。
 簡潔な指示を伝えたあとに、彼はもう一度口を開く。

「それともう一つ。
 おまじないをかけさせてください」
「おまじない?」
「ええ、戦士たちの古いまじないです」
「けっ、レオス教の『お祈り』か?
 オレは遠慮しておく。もううんざりだからな」

 露骨に嫌そうな顔をした大男を追いやって、ヘンリーはスロウとセナを集める。

「目をつぶってください」

 言われた通りまぶたを閉じた。
 暗闇が、視界を覆う。

「『――我らの言葉を聞き給え、大天使エレノア・ルクレールよ』

 闇の中で、男の言葉が響く。

「『我らを見守り給え、そは試練なり。
 我ら、死の孤独に立ち向かうものなり』」

 ……普段とは微妙に声色が違うな……。
 現実と非現実の間みたいな曖昧な感覚を、闇の中で感じていた。

「『我が生を見届けたまえ、天使エレノア・ルクレール。
 世界を渡り、我が魂を神のもとへと運びたまえ――』」

 そこで訪れる沈黙。静寂……。

 ……今、目開けてもいいのかな……。

「おまじないはこれで終わりです。
 さあ、準備を」

 ちょっと不安になったけど、おまじないとやらは問題なく済んだらしい。

 そして、移動用に使っていた物品を近くの岩のそばに集め始める。

 寝袋代わりの外套、料理に使っていた鍋、携帯食料などなど。
 およそ戦いの邪魔になりそうなものはここに置いて身軽にし、必要なものだけ持っていく。これらの物品は戦闘後に回収する予定だ。

 腰をかがめて荷物を整理していると、後ろから声をかけられた。

「あの……スロウさん」

 おずおずと近寄ってきた彼女は、耳を垂れ下げていた。
 気まずそうな雰囲気に当てられて視線を外すと、腰にかけられた小型ボウガンに片眼鏡の魔法道具がちゃんと装着されていた。彼女も照準器代わりに使っているらしい。

「わたしは、スロウさんに危ない目に遭ってほしくないです」

 視線を上げるとセナは心配そうな顔で下を向いていて、なんだか申し訳ない気持ちになってくる。
 デューイから話を聞いた今になると、たぶん本心でそう思ってくれているのであろうことが容易に理解できたし、むしろ勝手に不信感を抱いていたこっちの方が悪いような気がしてくる。
 何と答えれば良いのだろう。

「……セナの故郷」

 そして、咄嗟に口に出たのはそんな言葉だった。

「セトゥムナ連合国、だったよね。
 いつか案内してもらうよ」
「……はい」

 とにもかくにも、まずはこの戦いを乗り切ってからだ。
 そんな約束を交わして、すぐ死ぬつもりなんか無いと安心させた。

 そして、全員の準備が整った。
 四人が黙ってそれぞれの目を見合わせる。

 さあ、始まりだ。

「では――行動開始!!」

 その号令とともに、四人が一斉に駆け出した。

 三人は閃光が貫く都市外縁部へ。
 スロウは廃都市の中心部へと、一人で向かっていった。