第五十二話 高いところ危険

 スロウは崩れかかった城の中に入り、異形の魔物と戦いながら頂上を目指す。
 地盤ごと傾いているのか、目に見える景色と足首の角度が一致しない。
 平衡感覚が狂って酔いそうになった。

 異形の魔物は何体かいて、崩れそうな足場なんておかまいなしに襲い掛かってきた。
 倒せたものの、硬い四本足をところ構わずめり込ませて移動するそいつらのせいで壁やら床やらがグラグラ揺れて恐怖した。足元にピシリとひびが入ったときは生きた心地がしなかったものだ。

 その後も定期的に揺れは続いて、上に行けば行くほど大きくなっていく。
 もう城の耐久度は高くないらしい。きっともういつ崩れてもおかしくはないだろう。
 早くてっぺんにある黄金剣を回収して地面に降りたい。切実に。

 そして、内装が赤を基調とした豪華なところまで昇りきったころ、ついに目的の剣が見えた。

「あった……ベレウェルの黄金剣!」

 半分だけ開いた重そうな扉の向こう……割れた卵みたいに風穴が空いた丸部屋のふちに、剣が一本刺さっていた。

 おとぎ話の勇者が持っていそうなシンプルなロングソードで、その刀身はまぶしいほどの黄金色に輝いている。

 ――間違いない、あれが目的のものだ。

「けど……」

 下に目を向ける。
 赤い絨毯じゅうたんが敷かれているはずの床は滑り台のように傾いていて、下の割れた窓枠のあたりに絵画やら小棚やらが積み重なっている。
 落ちたらきっと、あの窓の向こうにあるミニチュアサイズの廃墟群へと真っ逆さまだ。

 ジャンプすればいけそうだが……。

 階段から顔を出して、豪勢な大理石の手すりに足をかけたところで――謎の気配に気が付いた。

 足元の手すりの下、自分が昇ってきた階段の踊り場に顔を向ける。
 そこに、いつの間に近づいていたのか、あの異形の魔物と目が合って……。

 直後、そいつが猛進してきた。

「うあああ!?」

 巨大な爪を壁やら床やらにバキバキとめりこませ、昇ってくる。
 足をかけていた手すりにもひびが入り始めて、パニックになってそのままジャンプした。

 一瞬の跳躍。

 ――届いた、ギリギリ!

 今、指をかけているのは豪華な扉の回転軸の部分だ。
 平常時なら指を挟まれないか気になる部分だが、そんなこと言ってられない。
 急いで壁を蹴ってそのまま登る。

 部屋側に向かって開いた扉を足場にしたところで――さらに後ろから衝撃が加わった。

「痛っ……!?」

 異形の魔物が飛びかかってきたらしい。
 扉の向こうへと身体が投げ出され、散乱した家具の上に落ちた。

 鈍痛の直後、下の方で何かの亀裂が入る音がする。

 冷える心臓。
 身体が硬直したが、顔を上げると異形の魔物がまた飛びかかろうとしている。

 この大きな風穴が空いた丸部屋の中を縦横無尽に、ぐるぐるぐるぐる動き回って――。

 スロウは慎重に立ち上がって、剣を構える。

 そして、周囲の壁を走り回っていた異形の魔物が入口の扉で止まったかと思うと、また飛びかかってきた。

「いい加減に……しろ!」

 安定性がありそうなところで踏み込んで、渾身の回転切り。
 逆にそいつの足を切り飛ばしてやった。

 ざまあみろ。
 そう思った直後、キィンと甲高い音が聞こえる。

「あっ……」

 咄嗟に振り返る。
 切り飛ばされたそいつの足だったか、胴体だったか……。
 それが、黄金剣にあたっていた。

「しまった!?」

 倒した魔物に巻き込まれ、奈落へと放られていく伝説の剣。
 急いで風穴の縁に向かうが、もう遅い。
 黄金の剣は暁色の夕焼けに反射しながら、ゆっくりと落ちていった。

 西日の夕焼けに反射しながら、くるくる、くるくると……。

 ……呆然と剣が落ちていく様を見ていると、やがて異音が耳に入ってきた。

 ぴしり、ぴしりと、そこら中から何かが聞こえてくる。

「…………」

 ――そういやあいつ、この丸部屋をバキバキと走り回っていたなぁ。
 唐突に冷静さを取り戻した脳内でそう考えながら、次に起こることを直感する。

 あれ? これまずいんじゃないか?

 そう思った瞬間……そう、本当に一瞬だった。

 逃げる間もなく、部屋が崩れた。

「――うおぉぉおぉぉおぉああああぁぁぁぁぁ!!!?」

 分解した瓦礫とともに、落下し始める。
 顔面に猛風を打ち付けられ、脳が認識を拒むほどのスピードでその風圧が強くなっていく。

 まずい、まずい、まずい、まずい!

 無我夢中で下へ向けて突風を発生させた。

 が、上からの瓦礫に巻き込まれてまたすぐに叩き落される。
 痛い! 身体に破片があたる! いやそれどころじゃない!

 恐怖でもみくちゃになりながらコンマ数秒前までいたところまでワープ。
 勢いはリセットされる。が、またすぐに落下が始まる。
 とにかく必死になって下へ突風を生み出し、時間を稼いで、またワープして勢いを殺す。

 突風、ワープ、突風、ワープ……。

 泣きそうだった。
 何度も何度も、内臓がふわっとなる感覚を味わい続ける。
 いつまで続くか分からないこの苦行を繰り返し、気の遠くなるような高さを落ち続けた。

 そして――突然下から衝撃が加わった。
 死んだと直感して息を止めたら、すぐに水かなにかに包まれる感覚がして、驚いて目をギュッとつむる。能力を使うのも止めた。

 全身を覆う冷たい感触のあと、今度は一転して下から押し上げられる浮力に従い、為すがままに上昇していく……。
 水面に顔を出してしばらく呆然とした後、ようやく状況を理解した。

 どうやら、クレーターにできた湖に落ちたらしい。

 それなりの深さがあったらしく、全身を触ってとりあえずの無事を確認した。
 生きてるのが信じられない。

 飲んだら魔人化するのであろうこの液体はたぶん飲んでいないと思う。
 落ちた瞬間、息止めてたよな俺? と三回くらい確認。興奮状態の脳内でさっきの記憶を何度も思い返し、とりあえず飲んではいないと決定する。奇跡的な幸運の連続に思わず世界に感謝した。

「はあ、はあ……これ、地面だよな……?」

 湖の沿岸まで泳いで、仰向けに横たわる。
 何度も地面を触って確かめながら、安堵の息をついた。

 もう、こんな思いはこりごりだ……。

「――あんた、あの高さから落ちてよく無事だったわね」
「ほんとだよ……って、あ!?」

 唐突にのぞき込んできた鮮やかな髪色に反応したスロウは、まるで猫みたいに跳ね起きた。

「なっ、え、エル……!?」
「だから、あたしの名前はエフィールだって」

 無様に距離を取りながら剣を構えたスロウを、彼女はあきれたように眺めている。

 ……エーデルハイドの魔人だった。
 驚きすぎて偽名の方を口にしてしまった。

 さっきから安堵と緊張の落差が激しすぎて体力が持たないな。少しくらい休ませてくれないのか。
 そう思いながら視線を上げて……あいつが持っている魔法道具に戦慄した。

「お前、その剣は……!」
「あぁ、これ?
 なにかキラキラしたのが落ちてるかと思ったら、いきなり城が崩壊したんですもの。
 誰だって気になって来るでしょ?」
「スロウ君!」

 と、後ろから誰かが近づいてくる。

「申し訳ない……足止めは間に合わなかった」
「スロウさん!」

 ヘンリーとセナだ。よく見るとデューイもいる。
 三人ともずいぶん服が汚れているが、怪我はないらしい。身軽な動きでスロウの近くに走り寄ってきた。

「ひょっとしてこれがあの伝説の黄金剣?
 かなり重いわね、本当に金でできてるのかしら」

 しかし、魔人はこちらの人数が増えたことなんて意にも介さず黄金剣を品定めしている。なのに、その様子からは少しの隙も見出せなくて、スロウを含む四人は動き出せなかった。

「ま、いいわ。
 それじゃ、人数も揃ったんだし、そろそろ始めましょ」

 エーデルハイドの魔人は黄金剣を逆手に構え、金色の矢を引き絞る。
 矢先を下へ向けているのを見ると、先手はこちらに譲るつもりらしい。

「どうして……」
「ん?」
「どうしてこんなことを?」

 剣を構えながら、スロウは目の前の魔人に問いかける。
 無駄だとわかっていながらも、聞かざるを得なかった。

「『どうして』?
 そうね……あたしに勝ったら、教えてあげてもいいわ」
「……」
「さあ準備はできた?
 もたもたしてると、あたしに先手を打たれるわよ」

 そういってエーデルハイドの魔人は、まるで貴族みたいにゆったりとした動作で歩いてきた。
 下に構えた金色の弓矢の奥に、まばゆいほどの黄金の剣が見え隠れしている。
 もう戦いは避けられない。

「ヘンリーさん!
 俺は、俺に出来ることをやります!
 一緒に戦わせてください!」

 『敵』から視線を外さないまま、スロウは隣に立っているはずの高身長の男に意志を伝える。

 わずかな沈黙の直後、すぐに横からキレのある指令が聞こえてきた。

「全員、彼にサポートを!
 ――この四人で、エーデルハイドの魔人を討伐します!!」