――ここはどこだろう?
スロウは、霧の深いところに立っていた。
目の前には墓標が立っている。
石で作られた、きっととても古いものだ。
下の方は白い花々に埋もれていて、涼しい風に撫でられるように、優しく揺れている。
ぼんやりと顔を上げると、同じような墓標が地平線の果てまで続いていた。
霧が流れる、真っ白な花畑の中に、ずーっと…………。
「……俺、死んだのか?」
なんだろう……記憶がおぼろげだ。
夢をみているような感じだった。うまく頭が回らない。
もう一度視線を下げて、石でできた墓標の一つ一つを眺める。
文字が刻まれていた。……ルーン文字ではない。
けれど、いつかどこかで見たことのある文字だ。
――リラツヘミナ、ベレウェル、クロノワトル――。
「…………」
足首に触れる白い花びらは冷たく、柔らかくて、くすぐったい。
目の前の墓標を眺め、また隣の墓標の前に立って……。
そんなことを二、三回繰り返したとき、こちらを見ている誰かの存在に気が付いた。
「……君は……」
「…………」
銀色の髪を伸ばした、少女だった。
年はまだ十歳を超えているかどうか……明らかに子どもの体格だ。
しかし、妙に大人びた無表情に、かかとまで伸ばした長い銀髪。
そしてこちらをじっと見据える、深い紫色の瞳……。
まるで童話に出てきそうな外見に、思わずつぶやいた。
「もしかして、君が死神ってやつなのかな」
少女らしからぬ神秘的な雰囲気と、地平線まで続く謎の墓場。
常人ではないと、本能的にそう思った。
「……レア」
「え?」
「レア・ルクレール。わたしのなまえ」
「レア…………ルクレール?」
聞き覚えのある単語に、おぼろげだった脳内が一瞬で覚醒した。
「――『大天使エレノア・ルクレール』?」
「次に目がさめたら、さいしょに見つけた人のことをたすけてあげて」
彼女はいきなり、そんな助言のような言葉を語りかけてくる。
瞬間、くらむ視界。
夢が夢だと気づいた時のように、この場所が急速に離れていく感覚がした。
「待ってくれ! なんでそんなことを!?」
「……スロウは、『イストリア』に帰らないといけないでしょ?」
イストリア?
訳も分からないまま、彼女は背を向けてしまう。
直後、眠気にも似た感覚に支配されて、視界が切り替わっていって――。
「う…………ん?」
身体中に鈍い痛みが走った。
うつぶせのまま倒れこんでいたらしく、頬にざりざりとした熱い感触を覚えた。
「なんだこれ……砂?」
頬に手を当てて確かめてみると、確かにそれは黄金色の砂だった。
そして次第に、今自分が倒れているこの地面も全て、砂の山でできていることに気が付く。
――そこで、水の太陽に転移させられたことを思い出した。
「どこだ、ここ」
突然の焦燥感にバッと起き上がり、周りを見渡す。
そこは、金色の砂粒が延々と続く大地だった。
砂塵が舞う黄金の丘と、極限まで乾き切った青空。
かつてないほどシンプルな二色で構成された、灼熱の世界。
頭部に爛々と照り付ける太陽が、異様に暑い。
遠くの方が蜃気楼で揺らいでいるのが見える。
靴を履いてても伝わってくる地熱で、頭がおかしくなりそうだった。
「……おーい!! 誰かいるかーー!?」
思い切り叫んでみるが、その声はむなしく空に吸い込まれるばかりだった。
あの、ルクレールと名乗った真っ白な少女も、いない。
額を流れ落ちる汗は、この暑さのせいだけではないだろう。
突然に襲い掛かってくる不安と焦りに、心臓がドクドクと脈打ち始めた。
妙にだるく感じる左手で汗をぬぐうと、手のひらに大きな切り傷ができていることに気が付く。
見ると、汚れた血がびっしりとこびりついていて、ギョッとした。
しかし一応傷はふさがっているらしい。手を動かすとカサブタの固い感触がする。
どこでこんな傷がついたんだろうか?
……そういえば転移の直前、剣をつかんでて――。
「待てよ、黄金剣はどこだ?」
慌てて、自分の持ち物を確認する。
音叉剣はちゃんとある。ベレウェルでずぶ濡れになっていた衣服も今は乾いていて、ところどころに砂粒をくっつけている。ポケットを探れば錆びた腕輪の魔法道具もあった。
あの黄金の剣だけが、無い。
近くで一番高そうな砂丘へと登り、もう一度辺りを見渡すことにする。
歩いていると、湿った靴底に熱い砂粒が入り込んできた。
煩わしいその感触を我慢して砂丘を登り切り、顔を上げる。
「うわ……ホントにどこなんだ、ここ」
見渡す限り、一面の砂。澄み切った青空。
まるで代わり映えのしない景色に目がくらんだ。
蜃気楼で揺らぐ視界に気分が悪くなる。
だが、運よく手がかりは見つかった。
視界の端に、黒い影が点々と転がっているのを確認する。
あれは……瓦礫、だろうか。
砂漠に立ち昇る熱気のせいで揺れて見えるが、妙に角ばった輪郭をしている。
砂丘から降りて、本格的に噴き出してきた汗をぬぐいながらそこへ向かう。
一向に縮まらない距離感に叫びたくなりながら到着。すぐに何だったのか分かった。
転がっていたのは、廃都市ベレウェルにあった建物の残骸だ。
湿っていたはずの表面が完全に乾ききっていて、微妙に色が変わっているが……間違いない。
それと、異形の魔物の死骸もいくつか見える。こんなものまで転移させられてきたのか。
「ん……?」
その中で一つだけ、黒いマントのようなものが膨らんでいる。
角ばった瓦礫とは明らかに異なるそれは、確かに人の丸みを帯びていて、すぐ隣に大弓が放られている。
――黒いマントを羽織っていた弓使いなど、一人しかいない。
「エーデルハイド!?」
生きているのか? それとも……。
急いでその少女に駆け寄っていく。
「おい! ……!?」
うつ伏せに倒れていたその少女をひっくり返した途端、むせかえる血の匂いに後ずさった。
「……うるさいわね……聞こえてるってば……」
消え入りそうな声で、魔人がつぶやいた。
黄金剣が、腹部に突き刺さっていた。
そのシンプルなロングソードは、自分が身体をゆすった拍子に抜けてしまったらしい。
乾いた砂地に、彼女の身体から漏れ出た血が染み込んでいく。
致命傷だ。
「…………」
「……ふふ……自業自得ってやつよ……。
これであたしも終わりね……よかったじゃない……」
年貢の納め時、とても言いたげである。
自虐するように笑った彼女は、今は目を閉じて苦しそうに肩を上下させている。
呼吸をするだけでも辛そうだ。
「……マント、使うぞ」
まずは、止血しないと。
身体を動かさないように気をつけながら、エーデルハイドがつけていた黒いマントを剥いだ。
砂埃を払って、包帯代わりに傷口へ巻こうとする。
「……何よ……あたしを倒すんじゃなかったの?」
「まだ教えてもらってないからな。
俺たちを殺そうとした、その理由を」
そうして応急処置をしようとするが、布面が大きすぎて巻きにくい。
もう一度マントを広げて確認する。
……剣で細長く切り取ればいけるだろうか。
そんな風に思案を重ねるスロウを見ていた魔人が、おもむろに口を開いた。
「………杭の魔法道具が、ある」
「杭?」
咄嗟に彼女の手を見る。
土の杭を出す手袋のことかと思ったが……どうやら違うらしい。
自由に態勢を動かせない彼女の代わりに、その杭とやらを探す。
血と汗の匂いが熱気に焼ける中、指示通り腰のあたりをまさぐっていると、それらしい物品を見つけた。
鉄製の杭だ、短剣代わりになりそうなくらい大きい。ルーン文字が刻まれているからきっと間違いないだろう。
……先端部分が赤黒く汚れている。
陽光で熱を帯びていく鉄の塊を見せて、問いかけた。
「これか?」
「……」
エーデルハイドは横になったままその鉄杭を取り、苦しそうに顔をゆがめながら、血のこびりついた頬を片方あげた。
「――ここから先は、見ない方がいいわよ」
なぜかと思った瞬間。
あろうことかエーデルハイドは、その鉄杭を――自分の腹に突き刺した。
「ちょっ、何やって……!?」
気でも狂ったのか。止めようとして手を伸ばした瞬間、不思議な現象に気が付いた。
突き刺された杭が引き抜かれていく合間、みるみるうちに傷がふさがってゆく……――。
破損した肉片をちらつかせていたはずの腹部は、今はもう赤い血がついているだけのきれいな肌に元通りだ。
荒い呼吸とともに鉄杭を手放したエーデルハイドは、痛みの余波に耐えるように息を吐きだした。
「応急処置よ…………!
こうでもしないと怪我も治せないのよ……くっ……」
「お、おい。無理するなよ」
見ているだけでも痛々しい処置の直後に、すぐ立ち上がろうとする魔人。
手を差し伸べるが、彼女はそれを無視して一歩、二歩と歩き――そして、倒れた。
「おい!?」
また倒れ込んだ魔人に駆け寄る。
……気絶してしまったようだ。
いくら呼びかけても返事が来ないが、ちゃんと息はしてる。
呼吸がまだ荒いのが心配だが、ひとまず峠は越えた……の、だろうか。
あとに残されたのは、自分だけ。
「……どうしろって言うんだよ……」
倒れ込んだ赤い髪の少女を前に、立ち尽くす。
顔を上げると、さっきまでと何も変わらない砂漠が広がっていた。
――喉が渇いてきた。
どこに行こう。そう考えたが、行く場所に心当たりなんてあるはずもない。
けれど、このままここにいたら共倒れするだけだ。
赤い髪の少女を背負って、歩き出す。
転がっていた大弓は彼女の背中にくくりつけておいた。マントも元通り羽織らせている。
思っていたよりも小柄だった彼女の体躯は、大弓もあるというのに、とても軽かった。
『次に目がさめたら、さいしょに見つけた人のことをたすけてあげて』
ルクレールと名乗ったあの不思議な少女の言う通りにしたが、本当にこれで良かったのだろうか……?
『スロウは、『イストリア』に帰らないといけないでしょ?』
「…………」
――敵だったはずの女を背負い、黄金の剣を腰に備えて、
この砂漠の世界で、ただあてもなく歩き始めた。