第五十八話 ????

 ――ここはどこだろう?

 スロウは、霧の深いところに立っていた。

 目の前には墓標が立っている。
 石で作られた、きっととても古いものだ。
 下の方は白い花々に埋もれていて、涼しい風に撫でられるように、優しく揺れている。

 ぼんやりと顔を上げると、同じような墓標が地平線の果てまで続いていた。
 霧が流れる、真っ白な花畑の中に、ずーっと…………。

「……俺、死んだのか?」

 なんだろう……記憶がおぼろげだ。
 夢をみているような感じだった。うまく頭が回らない。

 もう一度視線を下げて、石でできた墓標の一つ一つを眺める。
 文字が刻まれていた。……ルーン文字ではない。
 けれど、いつかどこかで見たことのある文字だ。

 ――リラツヘミナ、ベレウェル、クロノワトル――。

「…………」

 足首に触れる白い花びらは冷たく、柔らかくて、くすぐったい。

 目の前の墓標を眺め、また隣の墓標の前に立って……。

 そんなことを二、三回繰り返したとき、こちらを見ている誰かの存在に気が付いた。

「……君は……」
「…………」

 銀色の髪を伸ばした、少女だった。

 年はまだ十歳を超えているかどうか……明らかに子どもの体格だ。

 しかし、妙に大人びた無表情に、かかとまで伸ばした長い銀髪。
 そしてこちらをじっと見据える、深い紫色の瞳……。

 まるで童話に出てきそうな外見に、思わずつぶやいた。

「もしかして、君が死神ってやつなのかな」

 少女らしからぬ神秘的な雰囲気と、地平線まで続く謎の墓場。
 常人ではないと、本能的にそう思った。

「……レア」
「え?」
「レア・ルクレール。わたしのなまえ」
「レア…………ルクレール?」

 聞き覚えのある単語に、おぼろげだった脳内が一瞬で覚醒した。

「――『大天使エレノア・ルクレール』?」
「次に目がさめたら、さいしょに見つけた人のことをたすけてあげて」

 彼女はいきなり、そんな助言のような言葉を語りかけてくる。

 瞬間、くらむ視界。
 夢が夢だと気づいた時のように、この場所が急速に離れていく感覚がした。

「待ってくれ! なんでそんなことを!?」
「……スロウは、『イストリア』に帰らないといけないでしょ?」

 イストリア・・・・・

 訳も分からないまま、彼女は背を向けてしまう。
 直後、眠気にも似た感覚に支配されて、視界が切り替わっていって――。

「う…………ん?」

 身体中に鈍い痛みが走った。

 うつぶせのまま倒れこんでいたらしく、頬にざりざりとした熱い感触を覚えた。

「なんだこれ……砂?」

 頬に手を当てて確かめてみると、確かにそれは黄金色の砂だった。
 そして次第に、今自分が倒れているこの地面も全て、砂の山でできていることに気が付く。

 ――そこで、水の太陽に転移させられたことを思い出した。

「どこだ、ここ」

 突然の焦燥感にバッと起き上がり、周りを見渡す。

 そこは、金色の砂粒が延々と続く大地だった。

 砂塵が舞う黄金の丘と、極限まで乾き切った青空。
 かつてないほどシンプルな二色で構成された、灼熱の世界。

 頭部に爛々と照り付ける太陽が、異様に暑い。
 遠くの方が蜃気楼で揺らいでいるのが見える。
 靴を履いてても伝わってくる地熱で、頭がおかしくなりそうだった。

「……おーい!! 誰かいるかーー!?」

 思い切り叫んでみるが、その声はむなしく空に吸い込まれるばかりだった。
 あの、ルクレールと名乗った真っ白な少女も、いない。

 額を流れ落ちる汗は、この暑さのせいだけではないだろう。
 突然に襲い掛かってくる不安と焦りに、心臓がドクドクと脈打ち始めた。

 妙にだるく感じる左手で汗をぬぐうと、手のひらに大きな切り傷ができていることに気が付く。
 見ると、汚れた血がびっしりとこびりついていて、ギョッとした。
 しかし一応傷はふさがっているらしい。手を動かすとカサブタの固い感触がする。

 どこでこんな傷がついたんだろうか?
 ……そういえば転移の直前、剣をつかんでて――。

「待てよ、黄金剣はどこだ?」

 慌てて、自分の持ち物を確認する。
 音叉剣はちゃんとある。ベレウェルでずぶ濡れになっていた衣服も今は乾いていて、ところどころに砂粒をくっつけている。ポケットを探れば錆びた腕輪の魔法道具もあった。

 あの黄金の剣だけが、無い。

 近くで一番高そうな砂丘へと登り、もう一度辺りを見渡すことにする。

 歩いていると、湿った靴底に熱い砂粒が入り込んできた。
 煩わしいその感触を我慢して砂丘を登り切り、顔を上げる。

「うわ……ホントにどこなんだ、ここ」

 見渡す限り、一面の砂。澄み切った青空。
 まるで代わり映えのしない景色に目がくらんだ。

 蜃気楼で揺らぐ視界に気分が悪くなる。
 だが、運よく手がかりは見つかった。
 視界の端に、黒い影が点々と転がっているのを確認する。

 あれは……瓦礫、だろうか。
 砂漠に立ち昇る熱気のせいで揺れて見えるが、妙に角ばった輪郭をしている。

 砂丘から降りて、本格的に噴き出してきた汗をぬぐいながらそこへ向かう。
 一向に縮まらない距離感に叫びたくなりながら到着。すぐに何だったのか分かった。

 転がっていたのは、廃都市ベレウェルにあった建物の残骸だ。
 湿っていたはずの表面が完全に乾ききっていて、微妙に色が変わっているが……間違いない。
 それと、異形の魔物の死骸もいくつか見える。こんなものまで転移させられてきたのか。

「ん……?」

 その中で一つだけ、黒いマントのようなものが膨らんでいる。
 角ばった瓦礫とは明らかに異なるそれは、確かに人の丸みを帯びていて、すぐ隣に大弓が放られている。

 ――黒いマントを羽織っていた弓使いなど、一人しかいない。

「エーデルハイド!?」

 生きているのか? それとも……。
 急いでその少女に駆け寄っていく。

「おい! ……!?」

 うつ伏せに倒れていたその少女をひっくり返した途端、むせかえる血の匂いに後ずさった。

「……うるさいわね……聞こえてるってば……」

 消え入りそうな声で、魔人がつぶやいた。

 黄金剣が、腹部に突き刺さっていた。
 そのシンプルなロングソードは、自分が身体をゆすった拍子に抜けてしまったらしい。
 乾いた砂地に、彼女の身体から漏れ出た血が染み込んでいく。

 致命傷だ。

「…………」
「……ふふ……自業自得ってやつよ……。
 これであたしも終わりね……よかったじゃない……」

 年貢の納め時、とても言いたげである。
 自虐するように笑った彼女は、今は目を閉じて苦しそうに肩を上下させている。
 呼吸をするだけでも辛そうだ。

「……マント、使うぞ」

 まずは、止血しないと。
 身体を動かさないように気をつけながら、エーデルハイドがつけていた黒いマントを剥いだ。
 砂埃を払って、包帯代わりに傷口へ巻こうとする。

「……何よ……あたしを倒すんじゃなかったの?」
「まだ教えてもらってないからな。
 俺たちを殺そうとした、その理由わけを」

 そうして応急処置をしようとするが、布面が大きすぎて巻きにくい。
 もう一度マントを広げて確認する。
 ……剣で細長く切り取ればいけるだろうか。

 そんな風に思案を重ねるスロウを見ていた魔人が、おもむろに口を開いた。

「………杭の魔法道具が、ある」
「杭?」

 咄嗟に彼女の手を見る。
 土の杭を出す手袋のことかと思ったが……どうやら違うらしい。

 自由に態勢を動かせない彼女の代わりに、その杭とやらを探す。
 血と汗の匂いが熱気に焼ける中、指示通り腰のあたりをまさぐっていると、それらしい物品を見つけた。

 鉄製の杭だ、短剣代わりになりそうなくらい大きい。ルーン文字が刻まれているからきっと間違いないだろう。
 ……先端部分が赤黒く汚れている。

 陽光で熱を帯びていく鉄の塊を見せて、問いかけた。

「これか?」
「……」

 エーデルハイドは横になったままその鉄杭を取り、苦しそうに顔をゆがめながら、血のこびりついた頬を片方あげた。

「――ここから先は、見ない方がいいわよ」

 なぜかと思った瞬間。
 あろうことかエーデルハイドは、その鉄杭を――自分の腹に突き刺した。

「ちょっ、何やって……!?」

 気でも狂ったのか。止めようとして手を伸ばした瞬間、不思議な現象に気が付いた。

 突き刺された杭が引き抜かれていく合間、みるみるうちに傷がふさがってゆく……――。
 破損した肉片をちらつかせていたはずの腹部は、今はもう赤い血がついているだけのきれいな肌に元通りだ。

 荒い呼吸とともに鉄杭を手放したエーデルハイドは、痛みの余波に耐えるように息を吐きだした。

「応急処置よ…………!
 こうでもしないと怪我も治せないのよ……くっ……」
「お、おい。無理するなよ」

 見ているだけでも痛々しい処置の直後に、すぐ立ち上がろうとする魔人。
 手を差し伸べるが、彼女はそれを無視して一歩、二歩と歩き――そして、倒れた。

「おい!?」

 また倒れ込んだ魔人に駆け寄る。

 ……気絶してしまったようだ。
 いくら呼びかけても返事が来ないが、ちゃんと息はしてる。
 呼吸がまだ荒いのが心配だが、ひとまず峠は越えた……の、だろうか。

 あとに残されたのは、自分だけ。

「……どうしろって言うんだよ……」

 倒れ込んだ赤い髪の少女を前に、立ち尽くす。
 顔を上げると、さっきまでと何も変わらない砂漠が広がっていた。

 ――喉が渇いてきた。

 どこに行こう。そう考えたが、行く場所に心当たりなんてあるはずもない。
 けれど、このままここにいたら共倒れするだけだ。

 赤い髪の少女を背負って、歩き出す。
 転がっていた大弓は彼女の背中にくくりつけておいた。マントも元通り羽織らせている。
 思っていたよりも小柄だった彼女の体躯は、大弓もあるというのに、とても軽かった。

『次に目がさめたら、さいしょに見つけた人のことをたすけてあげて』

 ルクレールと名乗ったあの不思議な少女の言う通りにしたが、本当にこれで良かったのだろうか……?

『スロウは、『イストリア』に帰らないといけないでしょ?』

「…………」

 ――敵だったはずの女を背負い、黄金の剣を腰に備えて、

 この砂漠の世界で、ただあてもなく歩き始めた。