第五十七話 枝分かれ

「――と、とにかく、逃げましょう!」

 スロウが使った謎の能力に呆けていたチームは、セナの一言によってようやく動き始めた。

 異形の魔物と同じ姿の召喚物に、全員が困惑しながら立ち上がる。

 それはすさまじい性能だった。
 ベレウェルの黄金剣ですらさばき切れなかった大群を、みるみるうちに切り裂いていく。

 依然として魔物が押し寄せてきていることに変わりはないが、十分余裕はできた。
 今なら逃げることも可能だろう。

 だが、ジャッジの男がなにかに気付いたように叫んだ。

「――エーデルハイドの魔人が、まだあそこに!」

 彼が指さす方向から金色の線が浮かんでいた。
 暗闇の向こうで、あの魔人が戦い続けている。

「黄金剣だけでも回収しなければ!!」

 放たれるプレッシャーに抗いながら、ヘンリーが一歩踏み出した途端。

 ……オオオオォォォォォォォ……

 ――不気味な咆哮をきっかけに、周囲が紫色の光で明るくなっていく。

 ずいぶんと神秘的な現象だった。
 夜なのに、美しい薄紫に照らされる廃墟。
 暗闇を落としていたはずの廃都市が、今度は一転して、怪しい色彩に染まっていく。
 地面から――魔人が放っていたのとはまた違う――紫色の線が浮かび、はるか頭上の化け物のもとへと、ゆっくり昇っていく……。

 そこで、一番長く呆けていたデューイがハッとした表情を浮かべた。

「この現象は……マズい!!
 転移魔法が来る!!!」
「何だって!?」
「この世の果てまで飛ばされるぞ!」

 ちょっ、そんなの聞いてないんだけど!?

「おいジャッジ!! 魔人を倒す時間はねーぞ!!」
「ですが、魔人は黄金剣を持っているのですよ!?
 いつか心変わりして襲い掛かってくるかもしれないでしょう!!」
「でも、魔人さんはわたしたちを殺すつもりはなかったって!」

 エーデルハイドの魔人が笑顔を凍り付かせている様子が思い出された。
 状況証拠みたいなものだがおそらく確実だと、セナもそう直感したらしい。

 話の流れが「撤退」に傾き始めたとき、ジャッジは苦しそうに反論した。

「――たとえ今あいつに殺意が無かったとしても!
 あれほど強力な魔法道具を持っていたら、いつ心根が腐ってもおかしくはない!!」

 そう言い切ったヘンリーは、突然、ハッとしてスロウを見た。
 同じ黄金剣の力を――いや、それ以上に強力な能力を使っているスロウを。

 ……そういえば、そうだよ。
 何でこの剣は、水の太陽と同じ力を使えるんだ? 記憶にあった青い髪の女性は誰だ?

 俺は一体なんなんだ?

「ジャッジさん、やめてください」

 浮かんだ疑問を遮るように、半獣人の少女が口を開いた。
 セナは、ヘンリーをまっすぐに見つめている。
 自分の師に立ち向かうのは勇気のいることだったのか、少し声が震えていた。

 ジャッジの男は、スロウと、スロウが後ろに従えている水の像とを交互に見て、「……今のは失言でした」とつぶやいた。

「……話はあとだ。
 転移に巻き込まれて帰ってきたやつはいない。
 どうせあいつは死ぬさ。放っとけ」
「ですが、あれほどの強者なら……」
「対抗策はあるだろうが」

 デューイは親指でスロウを差す。
 目を背けていたヘンリーも、それに倣ってもう一度こちらを見る。

 その時、気付いた。
 彼の瞳に、いくばくかの希望と――そして、怯えが混じっていたことを。

「――――っ、作戦中止。
 転移魔法が来る前に、範囲外に脱出を」

 そんな気迫のない指示が下され、急いで廃都市から逃げることが決まった。

 スロウは後ろを振り返る。
 魔人は一人で弓矢を放ち、黄金の剣を持って戦っている。
 時たま放出されるあのすさまじいプレッシャーが、彼女の生存を示していた。

 四人は、廃都市の中心で戦う魔人に背を向けて、脱出に動き始めた。

 外に向かう途中にも異形の魔物はどんどん襲い掛かってくる。

 だが、一行はあっけなく突破できた。
 理由はもちろん、あの水の像である。

 彼らはそのすさまじい攻撃性能で、道を切り開いていく。
 まるで守護霊のようだった。
 淡い水色に発光する液体の召喚物たちは四人を中心にぐるぐると回遊し、守り、襲い掛かる敵を水刃と化した身体でバラバラにする。

 もはや、仲間たちの出番は無かった。
 スロウが操る水の像たちによって、順調に都市外への道は開かれていく。
 何の問題もなく、順調に。

 そう、驚くほど、順調に。
 四人は廃都市の中心部から遠ざかっていった。

 ある意味、黄金剣よりも凶悪な、その能力のおかげで……。

 ……水の太陽と同じ力のおかげで?

 スロウは前を走る仲間たちの背中を見る。

 ――もし、自分があの水の太陽と同じ力を持っていると、世間に知れたら。

 二人はどうなる?

「あと少しで転移魔法の範囲外です!
 全員、急いでください!」
「おい、スロウ! 止まるな!」

 立ち止まった自分を見て、切羽詰まった様相で足を止める三人。
 彼らの瞳に映っているのは、異形の魔物を模した水の像を従える男……。
 長く旅を共にしてきたデューイとセナは、困惑しながらも信頼してくれているようだが、もう一人は違う。
 ジャッジの目には、明らかな猜疑心が浮かんでいた。

「……スロウさん……?」

 半獣人の少女が心配そうな視線を向けているのを痛感しながら、スロウは思い出していた。
 魔人に対する、人々の警戒心を。
 あの水の太陽と同じ重力魔法を使う魔人は、人々から恐れられ、ジャッジ部隊に討伐すら望まれている。

 じゃあ、水の太陽と同じ、『魔物を召喚する力』を持ってるやつが現れたら?
 魔人でさえあれほど敵視されているなかで、それよりもっと危険な存在が現れたら?

 ――そんな自分と一緒にいる仲間たちは、どうなる?

「…………」
「何やってんだ、早く逃げるぞ!」

 デューイの呼びかけに背いて、後ろを振り返る。
 光の矢が暗い空を貫いていた。
 あの魔人は生きている。
 黄金剣も、まだそこにある。

 そのまま視点を下に向けると、顔も口もない水の像が、黙って自分に付き従っていた。

「…………ごめん、一緒には行けない」

 うつむいたまま出した答えは、仲間たちを絶句させた。

 ああ、言ってしまった。そんな諦観が浮かんでくるのを感じながら、言葉を続ける。

「ひょっとしたら……俺はあの水の太陽と関係があるのかもしれない」
「馬鹿言うな! そんなはずはない!
 同じ技が使えるからって、まだそうだと決まったわけじゃない!」

 デューイはそう言って、無関係であることを力説する。

 でも、二人の後ろに立つジャッジの顔には、迷いが浮かんでいる。

 仲間たちは信じてくれても、きっと、社会がそうは思わない。

「ごめんね。二人を守り続けるの、無理みたい」
「そんな……わたし、約束したのに……!」

 目に涙を浮かべていたように見えたセナを直視することができず、スロウはただ申し訳なさそうに弱く微笑んだ。
 彼女の故郷を案内してもらうという約束は、どうやら実現できなさそうだ。

「黄金剣は俺がなんとかしておくから、みんなは生き延びて」
「ま、待ってください! スロウさ――」

 瞬間、切り替わる景色。

 使ってしまった、直前にいた場所までワープする能力を。

 崩落した建物群に見下ろされながら、廃都市の中心部にただ一人、立っていた。

「……」

 靴の中にまた染み込んでくる水。冷たくなっていく足。締め付けられる胸……。

 ……自分は、何に心を痛めているのだろう?

 背後から異形の魔物が襲い掛かってきた。
 異様にでかい前足部を突き出し、飛びかかってくる。

 直後、そいつは水刃に切り裂かれた。

 足元の水が巻き上がり、何体もの水の像が現れ、まるで主人を守るようにぐるぐると回遊し始める。

 ……知ったことか。

 後ろを振り返り、天を覆うほどの水球を見上げる。
 夜の廃都市を照らす紫色の光は、あそこからにじんでいた。
 心なしか、その光も濃くなっているような気がした。

 その真下に、赤い髪の魔人が浮いている。
 彼女は左手に弓を、右手に黄金剣を逆手で構え、空中で襲い掛かる異形の魔物たちを殲滅しようとしていた。

 足首に伝わる水の抵抗に逆らい、前へ踏み出した。
 風をまとってスピードを上げる。

 知ったことか……!

 勢いをつけて飛び跳ねた。
 空中へ持ち上げられた身体はそのままふわりと浮かび、一直線に飛んで落ちる気配が無い。
 重力が異様に弱くなっていた。もう転移魔法が発動するのかもしれない。
 少しずつ、上へ上へと吸い込まれていく。

 水の守護像たちは、虚空から襲い掛かってくる異形の魔物たちへ突進し、主の進む道を作り出す。

 宙に浮かんだ瓦礫や、魔物の死骸の数々を蹴って、勢いをつけた。
 魔人の背中が、近づいてくる。

「――なっ!?」

 驚愕に染まる魔人に飛びつき、彼女が持っていた黄金の刃を素手でつかんだ。
 手のひらに走る激痛。そこからあふれた自分の血が、しずくになって浮かんでいた。

「バカ! 転移魔法に巻き込まれるわよ!?」
「知ったことか!!!!」

 もう上下左右も分からない。
 黄金剣を中心にもみくちゃになりながら、天の水球へと引き寄せられていった。

「どこにも居場所が無かったこの俺が!!!
 誰かの居場所を守ろうとして何が悪い!?!?」

 ずっと、求め続けてきたからこそ――。

 その価値を、誰よりもよく知っている。

「―――、――!」

 目の前の魔人は何かを叫んでいたが、もうよく聞こえなかった。
 すぐそばで発せられる鯨の咆哮が、すべての音をかき消していた。
 それでも、手のひらに走る激痛だけは、手放さなかった。

 そして、目の前が光みたいなもので染まっていくような気がして――……。

 意識が、途絶えた。