第五十六話 覚醒

 視界が、暗い。
 さっきまで夕焼けに照らされていたはずの廃都市は、今や冷たい暗闇に沈んでいる。
 ひどい雨が降っていた。ザアザアと降りしきる豪雨の中、水面上に深い霧が広がっていく。

 そんな中、無数の黒い影が、雨の降る音に混じって蠢いている。
 数は分からない。ただ、暗闇の向こうに垣間見えるその姿形はみな一様に同じだ。

 トカゲのような細い胴体と、それを支える三角盾のような四本足。
 胴体と同じくらい、細い尾。

 胴体と脚部の大きさが明らかに釣り合っておらず、バランスが悪い。そこまで足を発達させる必要などあったのだろうか? そう思わずにはいられないほどだ。

 そして、どこを見ているのかわからない黒々とした瞳が、雨天の闇と同化している……。

「か、完全に囲まれてます! 数がどんどん増えてますよ!?」
「このままじゃ逃げられなくなっちまう!!
 ヘンリー、退散だ!!」
「ですが、エーデルハイドの魔人がまだ――!」

 飛びかかってきた異形の魔物を切り伏せると、離れた場所からすさまじいプレッシャーを感じた。

 本能的に後ろを振り返る。先程まであの魔人がいたはずの方向だ。
 暗くてよく見えないが……このプレッシャーはあの黄金剣のものだ。

 直後、暗闇から響き渡る轟音。
 大量に吹き飛んでくる魔物の死骸を見て、ヘンリーは恨めしそうに呟いた。

「この力……! やはり、まだ生きているのか……!」
「みんな! 俺も黄金剣の能力を使う!
 時間稼いで!!」

 スロウはそう言って、溜めの動作に入る。

 ――音叉の剣から、黒いもやが滲み出す。

 そこで後方から爪を振り上げて襲い掛かってきた魔物が、半獣人の少女によって吹き飛ばされた。
 突風をまとわせた短剣で殴るように斬り飛ばした彼女は、その可愛らしい顔立ちに鋭い瞳を浮かべている。

「指一本触れさせません!」

 そのまま、セナは小型ボウガンで連続射撃。
 暗闇に向かって放たれた毒矢が、魔物数体の動きを完全に止めた。

 デューイは自慢の曲刀で、敵を装甲ごと切り払う。やつらの盾のように厚い手足も真っ二つだ。ヘンリーはワイヤーを用いて十数体をまとめて捕縛。搦め手を多用し、魔物を近づけさせない。

 そして、黄金剣を使うまでの時間は確保された。

「みんな、伏せて!」

 すでに虚空へと掲げられていた黄金剣は、雨天の闇よりも暗い影を形成。
 赤い閃光の弾けるその瘴気の塊を携え、足を踏み込む。

 縦に振り下ろすのじゃだめだ。
 より多く魔物を倒すなら、横薙ぎの方が良い――!

 仲間に当たらないよう細心の注意を払いながら、身体をひねり、半ば上方向を意識して――ドス黒い刀身を薙ぎ払った。

 瞬間、音もなく魔物の大群を透過した暗い刀身。
 動きの止まった一瞬の直後、わずかに浮かんだ空間の歪みとともに、雨が消し飛んだ・・・・・

 遅れて走る、衝撃波。
 吹きすさぶ轟音とともに、大量の魔物が散っていくのが見えた。

「どうだ!?」
「――いいや、まだ残ってる!!」

 しかし、攻撃範囲外に残っていた魔物たちが、またぞろぞろと集まってくる。
 スロウたちはまともに移動もできず、唯一得られたのはわずかに息を整える時間だけ。
 数十秒と経たないうちに、さっきと同じ状況に陥ってしまう。

「くっ……スロウ君、もう一度できますか!?」
「やってみます!」

 そう言って、再度、黄金剣の能力を使用。

 溜めの時間を挟んだ直後、ドス黒い刀身が暗闇のすき間へ滑り込む。

 走る衝撃波。
 一時的に魔物の数は減るが、またどこかから、補充・・されてくる。

 そのたびに黄金剣の能力を発動し、活路を切り開こうとした。

 スロウは暴力の化身に成り代わったような錯覚さえ抱いていた。
 巨大な刀身を振り回し、破壊の限りをし尽くした。

 だが、一向に魔物の数が減る様子は無い。それどこか増えている。
 傷口を無限に再生する怪物みたいに、穴の開いた領域はすぐに埋め尽くされてしまう。
 この物量の前では、最強の範囲攻撃を誇るベレウェルの黄金剣ですら、対症療法に過ぎないのだ。

 そして戦いの途中、雷鳴が響き渡った。
 真っ暗な廃都市が、その稲光によって、一瞬だけ照らされる……。

 見えたのは、でこぼこの起伏に沿ってうごめく、黒い大地。
 それらすべてが、あの異形の魔物、一体一体で構成されていることに気付くのは、とても簡単なことだった。
 廃都市の中心部から外縁部の、さらにその先に至るまで塗りつぶされた黒一色が、こちらへ向かって波打っている。

 まるで現実味の無い、絶望の景観。

 以前にも、水の太陽と遭遇したことはあった。
 あの水球に包まれた竜が現れたときに、この異形の魔物たちが大量発生することも知っていた。

 だが、比べ物にならない。

 仲間たちも、何かを悟ったらしい。

 さっきまで闘志にあふれていたはずの瞳には疲労が見え始め、終わりのない魔物の大群を前に動きを鈍らせている。
 そしていつの間にか、黄金剣を使う時間すらも稼げなくなっていた。

 ……このままじゃ、全滅だ。

 考えろ、考えろ、考えろ。
 何を使えば打破できる?

 バリアを作っても意味がない。金属を腐食させる力じゃ無理だ。
 数分前までいた場所にワープしても都市の外には脱出できない。効果時間は過ぎている。
 土の杭も無理。黄金剣ですら解決はできない。

「そうだ! 腕輪の魔法道具は……!?」

 新しい魔法道具が一つだけあるじゃないか。犯罪者の街で少年からもらった腕輪が。

 ポケットからそれを取り出し、一縷いちるの望みをかけて、能力を発動しようとする。

 しかし。

「――なんだよ、応えてくれないのか!?」

 ルーン文字からこぼれる光はあまりにも弱々しく、目立った変化は表れない。
 何度も使用を試みるが、四回目を超えたあたりからまともに反応すらしなくなっていた。

 そうして実験している内に、背中が当たった。
 驚いて振り向くと、自分が仲間たちと背中合わせになって構えていることに気が付く。
 自分たちの周囲は、すでに異形の魔物たちによって完全に囲まれていた。
 その包囲陣にすき間はなく、もはや、逃げる先すら見出せない。

「…………」

 仲間たちは全員、暗い表情を浮かべて押し黙っている。
 この後に訪れるであろう苦痛を、彼らはすでに直感しているようだった。

 隣に立っていたセナが、ボウガンを構えたまま身を寄せてくる。
 肩が震えているのは、この雨の寒さだけが理由ではないだろう。

 ダメだ、他のものでどうにかできないか!?

 錆びついた腕輪をポケットに戻し、頭をフル回転させて考える。
 だが、どれだけ記憶の中を手繰って見ても、この状況を打破できる力はない。

 風でも、切れ味でも、サビでも、バリアでも、ワープでも、認識阻害でも……。

 俺が見てきた能力じゃ、何も――

「待てよ」

 ――記憶を失う前からこの剣を持っていたのなら。

 俺が知らない能力を、魔法道具が覚えているんじゃないか?

「おい、スロウ!」

 やみくもに突っ込んだ自分に、デューイが声を上げる。
 だが何もしなければ、死あるのみ。

 もうやけくそだ!

「頼む!
 記憶を失う前に再現していた能力があるなら! もう一度ここに現れてくれ!!」

 まだ一度も使っていない能力でもいい!!

 俺が記憶を失う前から……。
 剣が覚えているはずの能力を、ここへ!

「響けぇえええええぇぇぇ!!」

 ずっと久しぶりに、あの甲高い金属音が鳴り響いた――――。

 そして、おぼろげだった記憶の一つが蘇る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 青い髪の女性がいた。

 その女性ひとは、不思議な幾何学模様が刻まれた、美しい群青色の剣を持っていて……。

 やがて、そのつるぎから水色の光が溢れて――。

「……え?」

 瞬間、足元に溢れていた水が浮きあがり、渦を巻くように収縮。
 ――そして、ある生物の輪郭を形作った。

 トカゲのような細い胴体と、それを支える三角盾のような四本足。
 そして胴体と同じくらい、細い尾。

 胴体と脚部の大きさが明らかに釣り合っておらず、バランスが悪い。そこまで足を発達させる必要などあったのだろうか? そう思わずにはいられないほどだ。

 体組織のすべてを液体で構成され、淡い水色に光るその外見はあまりにも――それ・・に似すぎていた。

「異形の魔物!?」
「……いや、魔物じゃないです! 水を操る能力で……。
 え、でも、なんで同じ……え?」

 足元の水から突如として召喚されたその像は、全部で十体。
 音叉の剣を構えた主人を守るように、円心状に浮いている。
 襲いかかってくる魔物と異なるのは、あの不気味な人の顔が無いことくらい。
 そこに黒々とした瞳や骨ばった頭蓋などは無く、ただわずかに波打っているだけだ。

 それら水の像たちが、全身を淡く発光する水刃と化し、異形の魔物たちに突進していく。
 反撃を食らっても、液体の身体はすぐに再生し、逆に相手を切り刻む。

「スロウ、お前……!」

 十体しかいなかったはずの水の像はやがて二十、三十と、その数を増やしていく。
 彼ら・・はぐるぐると回遊し、触れたものすべてをバラバラにする水の壁となって、淡く光る領域を広げていく。

 能力を発動したスロウはただ、ルーン文字の光る剣を持っているだけ……。
 ほんの少し「こうしてほしい」と思うだけで、彼らはその通りに動いてくれた。

 半自律的に行動を重ねる、不死身の召喚物。

 それは、最強の範囲攻撃を誇るベレウェルの黄金剣とは別種の――

 最強の『群体』攻撃。

「……なんで、ミラと同じ技を使えるんだよ」

 それは、かつてデューイに龍剣りゅうけんを教えた女性が使っていたはずの、必殺技だった。