「その剣、やっぱり黄金剣の力も使えるのね。びっくりしたわ」
「……ああ。もう前みたいに一方的にやられたりはしない」
沈んでいく夕焼けを背に立ち、赤い髪を風になびかせるエーデルハイド。
少し息を切らしたくらいに見える相手の様子に、苦い思いを感じた。まだあんなにも余裕があるのか。
スロウは震える足を引っぱたいて、立ち上がる。
少なくともさっきの攻防で、最強の黄金剣には対抗できることが証明された。
それでもかなり厳しい状況だが、為すすべもなく全滅、なんてことにはさせない。
かつてのように、もう一度仲間たちを背に、剣を構える。
今、あの黄金剣を防げるのは自分だけだ。
後ろにいる仲間たちを死なせるわけには、いかない。
「……変わらないのね」
そんな、決意を抱いたスロウの様子を見て、
彼女はどこか寂しそうな顔をして笑っていた。
なんだ……?
この時初めて、スロウは違和感を感じた。
彼女があの赤い瞳に浮かべていたのは、どう考えても悪意などではない。
黄金剣の威力を目の当たりにして早まっていた心臓はまだ強く脈打っている。
そんな胸中を落ち着かせるように深呼吸し、脳を出来る限り冷ました。
この引っかかりはなんだ、冷静になって考えろ。
「ほら、あとちょっとで倒せるかもよ?」
挑発するような話しぶりをする魔人から、スロウはゆっくりと剣の切っ先を外す。
いや、そんなこと、あるのか?
思い当たる一つの可能性に、自問する。
この違和感を説明できるかもしれない言葉が一つだけ、頭の中に浮かんでいた。
「スロウ君? どうしたのです?」
「……」
横に立った司令塔のジャッジを手で制して、スロウは前に出る。
魔人はニヤニヤと笑顔を浮かべて、その様子を見守っていた。
彼女はちゃんと、自分が口を開くまで待っている。
「エーデルハイド……いや、エフィール」
「なあに?」
「お前、ほんとうは俺たちを殺すつもりなんか無いだろ」
初めて、あいつはその余裕そうな笑みを凍らせた。
張り付けていた仮面が急に剥がれたような、そんな印象を抱いた。
同時に、後ろにいる仲間たちも驚いていたのがすぐに分かった。
そもそも、最初に黄金剣を使ったときに、どうして直接当ててこなかった?
あれが一番のチャンスだったのに、彼女はデモンストレーションと言わんばかりに割れた岩盤の方を斬った。
それ以外にも、殺せるタイミングはいくらでもあったはずだ。
なのにこいつは、今みたいに不必要に会話を交わすことを選んだ。
わざわざ攻撃する瞬間に「防いでみろ」だの、「直接当てる」だの、ネタばらしまでしていたではないか。
もちろん、反論はいくらでもできる。
だが、問いただした瞬間のエーデルハイドの反応を見れば一目瞭然だ。
こいつは、たぶん、俺たちを殺すつもりなんかない。
「どうなんだ?」
スロウは音叉剣を下げたままで、エーデルハイドの魔人をじっと見つめる。
あいつは何も言わなかった。
急に暗くなった空模様の下で、ただ口を閉ざしている。
その表情は影になっていて、よく見えなかった。
肌が寒くなってきた。
差し込んでいた夕日は地平線に消えようとしていて、辺りがどんどん暗くなっていく。どうやら雲も出てきたようだ。温かい日の光はもうほとんど無い。
濡れた廃都市に、夜の闇が訪れようとしていた。
魔人の沈黙はずいぶんと長く続いて、いつの間にか雨が降り始めてて……。
――雨?
そして、異変に気がついた。
いつからこんなに、空が暗くなっていたのだろう?
……オオオオォォォォォォォ……
遠くから、咆哮が聞こえた。
いつかどこかで聞いたことのあるその不気味な音は、自分たちを圧し潰すように、頭上から響きわたる。
徐々に強くなっていく雨足、吹き荒れる強風、不気味な音。
これらの出来事から導き出される結論は、一つしかない。
その場にいた全員が、嫌な予感とともに視線を上げた――……。
分厚く膨張したどす黒い雷雲を巻き込んで回転する、星のような半球、いや、水球だ。
雲に覆われて下半分しか視認できないその水面には、幾千もの白く砕けた荒波が、静止しているかのように見えるほどの質量でもって衝突と発生を繰り返している。
大地を監視する巨大な眼にも見える水球の奥深くには刃のようなヒレの影がのぞいており、その全容を把握することは難しい。
だが、雷鳴に混じって聞こえるその咆哮は、前に聞いたときと比べて、言いようのない苛烈さを孕んでいる。
まるで、この廃都市に来た冒険者たちを怒るように。
その魔物の名は、この世界に生きる人間ならば誰もが知っていた。
「『水の太陽』!?」
――最難関と言われた、廃都ベレウェルの攻略。
そこで黄金剣を手にした者たちを待ち受けていたのは、
国一つを滅ぼした魔物との強制遭遇だった。