第五十四話 呪われた黄金剣

 風圧に目を細めながら、顔を下へ向ける。

 凶悪な角度の下り坂だ、転んだら真っ逆さまに落ちていくかもしれない。
 半分四つん這いの体勢になって、さらに上へと足を進める。

 スロウたちが戦っていたのは、かつて水の太陽によって「持ち上げられた」という、割れた岩盤の上だった。
 以前は人が住んでいたのであろうこの住居群は、今でもまだ耐久力を残しているのか、魚のウロコみたいに地面にこびりついている。眼下に広がる廃都市を視野に収めながら、そんなウロコのすき間を登り、戦い続ける。

「さあ、この先は崖よ?
 このまま進んだら落ちちゃうけど、どうするつもり?」

 自分たちよりも下――不利な位置にいるはずのエーデルハイドは、なおも余裕の笑みを浮かべている。

 追い詰められていた。

 頭上の有利があるはずなのに、魔法道具を解禁したあの魔人になお圧倒されている。

 こんな状態でまだ戦えているのは、ほとんどセナのおかげだった。

 デューイとスロウのような剣士タイプはこの環境だと勢いをつけすぎてそのまま落ちる可能性があって、下から飛んでくる矢を防ぐくらいしかできない。ヘンリーは即席のワイヤートラップをいくつも作り、張り巡らせているが、魔人は蜘蛛の巣でも払うみたいに易々と突破する。

 そんな面子の中で唯一、射撃で対抗できるセナがどうにか相手の侵攻を抑えている状況だった。機敏に動き回る魔人へかなり正確にボウガンを撃っているし……。たぶん、頭上有利のこの環境を一番うまく利用しているのは彼女だ。

 事実、こんな戦況でもさっきよりは「抑えている」感覚がするのだから、スロウにとって彼女が今どれほど頼もしいかは説明するまでもない。

 ――それでもなお、魔人に押されるのだ。

「スロウ君! 黄金剣の能力を!」
「いや、まだ能力を見ていない!」

 ヘンリーの言いたいことは分かる。

 この場所なら、崩れた瓦礫は敵の方に落ちる。
 異様に攻撃範囲が広いというその能力を使えば、それなりのダメージは期待できるだろう。

 でも、スロウたちはまだその力を知らなった。
 まだ使えない。

「あら、能力が見たいの?
 じゃお望み通り見せてあげる」

 そして、怪しく笑った魔人がポーチから何かを投げ放った。
 袋状の小さなそれは、重力魔法でも使われたのか、ふわふわ上へと浮き上がっていって―ー途中で爆散する。

「なんだ!?」

 直後、袋の中から降り注いだのは、真昼のような明るさそのもの・・・・だった。
 小麦粉みたいな細かい粉が拡散し、空中に溶け、文字通りの「光のカーテン」が降ろされる。

 廃都市の薄暗さに慣れていた目が、そのまぶしさに縮みあがった。

「スロウさん! 『学者の光源パウダー』です!
 風で吹き飛ばしてください!」

 言われるがまま、セナと一緒に突風を生み出す。
 二人を中心に吹き荒れた強風で光のカーテンは霧散し、またあの薄暗い景観が戻ってきた。

 そしてその景観のど真ん中に、持っていた弓を背負って、黄金剣を両手で構える魔人がいた。

「しまった……!」
「さあ、伝説の魔法道具の力、見せてもらうわよ」

 そして、剣が高く掲げられる。

 ――まばゆく光る黄金の剣から、黒いもやがにじんでいた。

 それはやがてドス黒い瘴気となって溢れ、影を伸ばし、巨大な刀身を形作る。

 もはや、黄金の輝きなど見られない。
 そこにあったのは、すべてを飲み込むほど巨大な影の塊だった。
 黒い瘴気が収縮し、物体として恐ろしく鮮明な輪郭を描いてもなお瘴気はあふれ、紅の閃光が弾けている……。

 魔人がその手に掲げていたのは、絶望でも、恐怖でもない。
『無』そのものだ。

「大地が割れるって言うのなら、この岩盤も斬れるのかしら?」

 そしてエフィールは、まるで三日月を描くように、ドス黒い刀身を下へ・・振り払った。
 音もなく、傾いた地面へ吸い込まれる影。

 ――つかの間の静寂の直後、地響きが鳴り始めた。

「ま、まさか……」
「全員、退避!!」

 だが、もう遅かった。

 足をつけていたはずの地面が、急激に角度を変え……。
 四つん這いで手をかけていたはずの『上』が、『下』になる。

 やつは、この反りあがった大地の上半分を、斬り落としたのだ。

「うああああ、またかよおおおお!!!」

 本日二度目の落下体験に叫んだ。

 地鳴りとともに阿鼻叫喚の声を上げる仲間たちの中で一人だけ、ヘンリーだけが冷静に腕を振るう。
 彼の腕から射出された何本ものワイヤーが互いに絡み合い、紡がれて、巨大なネットを展開させた。

 そこへ四人全員の身体が接地。
 背中に網目の跡が残るんじゃないかと思うほど強い痛みの直後、ネットがうねって放り出された。
 そのまま、ひどい土埃に覆われた奈落へと落下する。

 危機感を感じるほど続いた浮遊感の直後、バシャリと地面に着地。
 水の感触だ、かなり浅い。
 ネットで軽減してくれたとはいえそれなりの高さを落ちたらしく、足が麻痺してすごく痛かった。

「ごほっ、ごほっ……全員、無事ですか!?」
「ああ、オレ生きてるよな!?」

 スロウも返事をしながら、周囲を見渡してみる。
 土埃のせいで視界は悪いが……ここは、河、だったのだろうか?

 水量が著しく減少した河の底のような景観で、足首ぐらいまでの水かさしか無い。
 崩落した岩盤のせいで水面はひどく濁っており、衝撃の余波がまだ残っているのか、大きく波打っている。
 不明瞭な視界の向こうでは、反りあがった大地の影がいくつもそびえたっていた。

「わたしもたぶん大丈夫です! それより、見ましたか!?
 さすが伝説の黄金剣……! 今までで一番の威力です!! すごい!!!」
「ちょっ何に興奮してんの!?」
「おい! ふざけてる場合か!!」

 ――そこへ、矢の雨が降り注ぐ。

 もはや砲弾と変わらない威力のそれは、水を巻き上げ、土埃すら晴れさせる。
 上を向くと、あの赤い髪の魔人が弓を構えながら降下してきていた。

「ほら、休んでるヒマは無いわよ!」

 重力魔法でも使っているのか、ふわりと着地した魔人は残像すら残るほどのスピードで接近。
 あの超至近距離での戦いを挑みに来た。
 まだ態勢を整えている途中だったスロウたちは、必然的に苦戦を強いられる。

 ――水の太陽による影響を受けた浸水地帯で、四人と一人が熾烈な戦いを繰り広げていた。

 巻き上がるしずくが宙を漂い、濁った水滴が浮遊する。
 停止した時間の中を動いているようだった。スローモーションで落ちる水しぶきの中を、全員が高速で動き回る。

 巻き上がった水滴のすき間を毒矢が飛び、剣がしずくを切り裂いた。

 張られたワイヤーから水滴が垂れ、魔人の赤い髪が濡れていた。

 身体が重かった。靴と衣服が水を吸い込んでぐしゅぐしゅになっていた。

 でも、そんな不快感とは裏腹に、目の前の景色はどこか美しい。
 疲労が頂点に達しているのか、変に冷めた瞳で前を見る。
 宙に漂う水しぶきの中で、人知を超えた魔法道具が、それぞれの輝きを放ちながら互いに衝突している――。

 ――そして、距離をとったエーデルハイドの魔人がまたあの黄金剣を掲げたのを見て、一気に目が醒めた。

「二回目は、直接当てるわよ……!」

 まばゆく光る剣を掲げ、瘴気の溜め・・を始めた魔人。

 縦にかざした剣の周囲で、浮遊していた数多の水滴が一瞬にして蒸発した。
 どす黒い瘴気の渦に呑まれ、空気が音もなく消え去っていく。

「っ、みんな俺の後ろに!!」

 そこで、スロウは前に飛び出す。

 縦方向に広がっていく影を目前にしながら、それと全く同じものを自身の剣にまとい始めた。

 回転切りで、しのげるか……!?
 いいや、やるしかない!

 横に構えた音叉剣から、黒いもやが滲み出す。
 やがてそれは収縮し、影を伸ばして、巨大な刀身を形作る。
 スロウの腰元で横向きに下げられた影の塊は浅い水中へと沈み、紅の閃光が水を弾けさせていた。

 ――見れば、魔人はすでに同じ闇を掲げている。

「さあ、防いで見なさい……!」

 縦に振り下ろされるドス黒い瘴気の塊に、それとまったく同じものを薙ぎ払った。

 影と影とが十字に交差した途端、すさまじい衝撃が走った。

 真っ赤な稲妻が走り、焼けつくような痛みが全身に降り注いでくる。
 足元に広がっていた水面はそのエネルギーを叩きつけられ、赤黒く染まる景色をぐちゃぐちゃに映し出していた。

 震える両手をさらに強く握り、吹き付ける轟音に足を踏み出す。

「う、おおおおおおおおおお!!!!!」

 ちぎれそうな身体をひねり、全身をバネと化して――軌道をズラした。

 きらめく水面に一筋の黒い線が引かれた。それは不自然なほどくっきりとあとを残し、どこまでも暗い溝を浮かべている。
 上を見れば、でこぼこの岩をむき出しにして立っている崖の中腹にも、同じ線が残っていた。

 剣を振り下ろしたエーデルハイドと、剣を薙いだスロウ。
 二人がそのままの姿勢で固まり、永遠にも感じるほど長い一瞬が過ぎた直後――。

 上下から、衝撃波が走る。

「きゃああああ!!」

 そびえたっていた付近の崖が破裂し、すぐ横に走った裂け目からは熱量をともなった水蒸気が膨れ上がる。
 岩やら、蒸気やら……固体とも液体とも区別のつかない何かが、轟音とともに降り注いできた。

「――セナ!!」

 剣を振り払ったままで固まっていたスロウは、仲間の叫び声がする方向に駆け寄った。

 盛大に巻き上げられた水しぶきが霧と化し、あたりを覆いつくす。
 それは崩れた地層と混ざり合い、湿気を含んだ土埃となって水面上に漂っている。

 ――そんな中、ある一点から紫色の光がにじんでいた。
 徐々に徐々に晴れていく土埃の中から現れたのは、ドーム状に展開された紫色のバリアだ。

「はあ、はあ、はあ…………」
「……生き埋めにされてない……よな?」

 紫色のバリアに囲まれた四人は、全員で集まってくっつきあっている。
 腰を抜かしたデューイとセナの前で、スロウが持つ音叉剣からルーン文字の光が漏れ出ていた。

 時間経過でドームが消失。パラパラと小石が落ちてくる。
 つむじに当たる感触は怖いが、ほとんど塵のようなものだ。
 崩落直後の最も危険な時はしのいだ……と思いたい。

「……魔人は?」
「……残念ながら、まだ」

 真っ平だったはずの水面にいくつもの岩が転がり、起伏に富んだ地形に変わり果てている。
 その大小様々な岩石の、おそらく最も大きくて周囲を見渡しやすい岩の上に、赤い髪の少女が立っていた。

「ふふ……楽しいわね?」

 その余裕しゃくしゃくな笑みに、思わず苦虫を噛み潰した。