第六十二話 砂漠の探索

「ねえ!! なにか見える!?」

 ――砂漠に転移してから四日目、空に手が届きそうな位置で雲のように浮かびながら、スロウは遠くから聞こえてくる声を認識する。
 下の方を見ると、無限に広がる黄金の砂漠に、ポツリと一人分の影が浮かんでいた。

 重力魔法を使用して待機しているはずのエフィールだ。ここからだと指でつまめそうな大きさに見えて、けっこう高いところまで上昇できるんだなと思った。
 「いいや、何も見えない!!」と大声で返してから少しすると、その影から「一度降ろすわよ!」と聞こえてきて、少しずつスロウの身体が地面へと近づいていった。

 重力魔法で空高くまで飛ばしてもらい、周囲を探索するアイデアである。
 魔法を扱う本人はまだ体調が優れないらしいので、代わりにスロウが飛び上がることになった。

 地平線のはるか彼方まで見通せる高揚感はなかなかのものだった。正直ちょっと楽しかった。
 以前にも重力魔法にかかったことはあったが、戦闘中のそれとは違い、そこまで気を張り詰める必要もない。エフィールには悪いが、新鮮な感覚をじっくりと堪能することができた。

 最初は「なんか身体が軽くなったな」と思い、試しに思い切りジャンプしてみると、オアシスに生えていた木の二倍くらいの高さまで飛び上がった。十秒くらいは空に浮かんでいたんじゃないだろうか。

 制御不能となった自分の身体がゆっくりゆっくりと縦に回転してゆく恐怖は今までに味わったことがないものだったが、慣れるのに時間はかからなかった。
 空中で魔法の風を打ち出して姿勢を制御し、そこに微調整を加えて周囲を見渡す。
 調整用の風はできる限り弱めて打つのがコツだ。それが分かってからは景色を楽しむ余裕もあった。

 そうやって面白がっていたのだが、唐突に重力魔法が切れて焦りまくったときがあった。
 内臓が持ち上げられるような浮遊感と勢いを増していく風圧にベレウェルでのトラウマを思い出しながら怒り心頭で地上に戻ると、エフィールがニヤニヤしながら待っていた。昨日の腹いせだったらしい。
 スロウはその後、数十分くらい頬をヒクヒクさせてイラついた。

 しかし、そんな風に喜怒哀楽を表す余裕があるのも最初だけだった。
 すぐにエフィールが持っていた食糧は底をつき、飢えを満たす手段がなくなってきた。

 何度重力魔法での探索をしても情報は得られず、結局なんの収穫もないまま、また夜を迎える。
 魔法道具の力で暖は取れるものの、外では今までとまったく同じように冷たい月光が大地を青く染め上げている。そのあまりの代わり映えのなさとは裏腹に、徐々に飢えが忍び寄ってくる感覚をありありと感じて焦りが芽生え始める。

 その日の夜は寝付けなかった。

 五日目。

 オアシスの水をたっぷり飲んでから外へ出かける。

 日が完全に登りきらないうちから探索を始め……目印になりそうなものが見つかったのは太陽が頂点を過ぎてからだった。

「……待て、向こうに山が見える!!」

 地平線の端の、蜃気楼で揺らぐ稜線に、赤茶色の凹凸の物体が見えた。
 あの大きさは間違いなく山脈かなにかだろう。
 下の方に向かって声を張り上げ、空中から降ろしてもらった後に情報共有を行った。

「――拠点のオアシスがここだとして、たぶん俺たちが今いる場所はこのあたり。
 で、ここから東の方にでかい山が見えたんだ」

 砂地に絵を描いて、それぞれの場所を剣で指さす。

「集落とかはなかったの?」
「見える範囲では、無かったと思う。
 でも山のふもとを調べたら何かあるかもしれない。
 日が出てるうちにもう一度東に行って、山脈に近づいてみよう」
「了解」

 言葉少なにうなずくエフィール。ひとまず、これで目標ができた。

 さっそく、件の赤い山脈へ向かってみる。

 道中で、かつてエフィールが使っていたはずの「高速移動の魔法道具」、あれを使えないかと聞いてみると、彼女は首を横に振った。
 いわく体力が全開に近くないと使えないという制限があるのだという。
 スロウも風を操って移動速度を上げられないかと試してみたが、纏う風が熱すぎてむしろ体力の消耗が激しくなるだけだった。
 牛歩のごとく遅い移動を解消できないことに失望していると、今度は向こうから話しかけられた。

「ねえ、さっきから疑問に思ってたんだけど、これ本当に使えるの?」
「ああ」

 後ろを見ると、盛り上がった砂地が線を描いたようにずーっと続いている。
 ミミズ腫れのようなその線は砂漠の大地にくっきりと浮かび、大小さまざまなカーブを描いて最終的にスロウ達の足元――右手に下げた音叉剣の切っ先のそばで途切れている。
 スロウが二、三歩進むと、足跡のすぐ横にまた砂が盛り上がって線がつながっていく。

 ――土杭の能力を応用した道しるべである。

 着想を得たのは、魚骨の仮面族を埋葬したときだ。
 不完全に盛り上がった砂を思い出して、これを使えば道しるべにすれば確実にオアシスまで戻ることができるのではと考えたのだ。
 実際に盛り上がった砂線はすぐに分かるし、手間もかからない。子供が木の枝を引きずって遊ぶみたいに剣先を下げて歩くだけで良いのだから。

 もとから砂漠に浮かんでいた波線――砂紋というのだろうか――に混じって見えにくくなることはあったが、道しるべとしてはおおむね期待通りに機能している。これなら安心して遠くまで行けるだろう。線をたどれば確実にオアシスまで戻れるのだから。

「でも、強い風でも吹いたら分からなくなるんじゃないの?」
「無いよりはマシだろ」
「まぁ、そうだけど……。
 にしてもその魔法道具、ホント便利ね……」
「あげないぞ」
「いらないわよ」

 めんどくさそうに返してくるエフィール。
 だが、実際にこいつは奪い取ったりはしないだろうとスロウは確信していた。

 理由は、あのベレウェルの黄金剣だ。

 腰の横にかけた二本目の剣に指を当てる。今やあの黄金の輝きは、魚骨の仮面族からいただいた薄汚いぼろきれで完璧に隠されている。

 なんだかんだでこの伝説の魔法道具も持ってきてしまっているわけだが、エフィールが目覚めて以来、彼女は奪うどころか盗む素振りすらも見せなかった。
 いやいや、そういう風に信用させておいて油断したところを……というのも考えたのだが、彼女の言動を見ている限りでは多分それも無いだろう。

 ――先日、この魔法道具の所有権について聞いてみると「別に、あんたが持ってればいいんじゃないの?」とあっさり言われて、それ以来ずっとスロウが腰に下げている。

 どうも、黄金剣に関する興味自体を失ってしまったような印象を受けるのだ。
 前に「黄金剣であんたの仲間を殺してあげる」とか言ってたくせに、なんだよ。
 そのあまりの豹変っぷりにはかなり困惑したが、とりあえず危害を加えてくる様子もないし、この件は保留にすることにした。それよりも生き延びることが先決である。

 そうして、当面の目標である赤い山脈へ向けて足を動かし続けた。