第六十一話 小さなオアシス

「ほら、あんたも食べなさい」

 暗くなったオアシスのそばで、唐突に食糧を差し出される。
 スロウは、フードを外した状態でぶっきらぼうに渡そうとしてくるエフィールに怪訝な目を向けていた。

 魚骨の仮面族を埋葬したあとはオアシスで水分を補給し、気が付けばもう日が暮れていた。

 夜はとにかく寒くなるのが分かっていたのでどうにかして火を起こし、暖をとる。
 材料は仮面族が使っていたテントの建材だ。ぼろきればかりだったので火をつけるのは簡単だった。肝心の着火方法に関してはエフィールが弓での閃光を収縮させることで解決し、すでに二人して暖かい火にあたっていた。
 唐突に食糧を差し出されたのはその時だった。

 スロウは彼女の手につままれた物品に目を向ける。
 保存食である小ぶりの塩漬け肉だ。どこに携帯していたのだろうか。
 サイズは小さく、質もそれほど良さそうには見えない。
 彼女の意図がつかめずに沈黙していると、エフィールは不機嫌そうに手を引いた。

「いらないなら別にいいけど」
「い、いや! いるいる」

 背に腹は代えられない。空腹は満たしたいのだ。
 慌てて止めて、それをもらった。

 久々の食料を受け取りながら、眼前の少女をじっと見る。
 今までの戦いの場面を除けばおそらく初めて、落ち着いて彼女の容姿を見ることができた。

 深紅の髪は首元のフードにぎりぎり届かない長さで、雑に切り揃えられた髪先から察するに自分で散髪しているのだと分かる。闇に溶け込みやすそうな色合いのマントで包まれた体躯はやはり小柄で、座っている状態でも目線の高さが合わなかった。

 服装はおそらく人に見せることなど考慮していないのだろう、地味なデザインの服を身に付けているが、その上からでもスタイルの良さが垣間見える。下は男がはくようなズボンだ。

 足元は実用性重視の分厚いブーツで固められており、そこへ無数に刻まれた細かい傷跡なんかが相まってまさに歴戦という印象を受けた。ふつうの年若い少女としてはどう見ても不釣り合いな装備だが、あの刃のように鋭い瞳を見ると妙に似合っているように感じてしまう。
 腰のベルトに取り付けられた魔法道具やら革袋やらの道具類も、必要最小限のものを厳選して選んでいるのだろうと思った。

「……何よ」

 じっと見ているのがバレたのか、冷たい金色の目線を向けられた。
 魔人の代名詞でもある重力魔法を使っていないので、この金色の目は彼女の本来の瞳の色である。敵意がないことは明白だが、通常時でも常に眼が鋭いのでちょっと怖い。

 慌てて肉をかじり、誤魔化す。
 ただ塩辛いだけの、硬くて味気ない一品だったが……それでも無いよりはマシだ。

 そう思ってると、エフィールは唐突に色白の細腕をこちらへ伸ばしてきた。

「手」
「……え?」
「左手。ケガしてたでしょ。
 包帯巻いてあげるから、出しなさい」

 人差し指を向けられて、ようやく思い出した。

 左手を上げてみれば、そこには大きな切り傷が浮かんでいる。
 転移のときに黄金剣を掴んでできた傷だ。
 もうカサブタができているので動かさなければそこまで痛くはないが……でも、彼女の妙な威圧感に負けて、そのまま左手を差し出した。

 エフィールは塩漬け肉と同じようにどこからか真っ白いきれいな包帯を取り出し、慣れた手つきでスロウの傷を隠していく。手に触れる彼女の指は少し冷たかった。

「できれば消毒した方がいいけど、これで我慢して」
「あ、ああ……。
 なんか意外だな。なんというか、そんなに優しくなかったと思うんだけど」

 脳裏に浮かんだのは、廃都ベレウェルでの彼女の姿だ。一対四の人数差にも関わらず愉快そうに笑いながらこちらを圧倒してきたのは記憶に新しい。だが、あの鬼のような戦いぶりとは裏腹に、目の前の赤い少女は傷を手当てしてくれるほどには親切である。

 正直、困惑していた。

 もっと、こう、攻撃的で冷たい印象が強かったのだが、話せばちゃんと耳を傾けてくれるし……事前の予想に反して目の前の少女ははるかに友好的だ。

 一瞬、頭の片隅で「ひょっとすると歩み寄ってくれているのではないか」と思ったが、彼女はつまらなそうにため息をついた。

「いがみ合ったってどうせ共倒れするだけでしょ」
「あ、はい……」
「で、これからどうするの? まさか何も考えてなかったわけじゃないわよね?」

 そういって、彼女は真面目な顔を向けてきた。
 とにかく協力してくれることに変わりはなさそうだ。
 左手の傷を包帯の上から撫でながら、塩漬け肉の塩分が残る口を開いた。

「……村か、集落を探す」

 エフィールは、黙って聞いている。

「君の言う通り、このままじゃたぶんすぐに死んじゃう。食料もないし。
 それにここがどこなのかも気になる。
 とにかく人を見つけないと」
「……人がいると思う? こんな何もないところに」

 やや不機嫌そうにつぶやく彼女から逃げるように目をそらし、オアシスの外を見やった。
 夜が訪れ、月が照らす砂漠は乾いた風が吹くばかりで、人はおろか生物の気配すら感じない。
 二人が黙った途端に世界は濃い静けさに包まれる。自分たちしか生きていないのではないか、そんな錯覚が生まれるほどだった。

「……まだ誰もいないと決まったわけじゃない。だろ?」

 ネガティブになるのはいけない。もっと前向きに考えよう。
 どうせ探索はしなきゃいけないのだ。人がいると仮定して動いた方が、こう、モチベーション的に楽だ。

 とりあえず笑顔で笑い飛ばそうとしてみたが、エフィールが黙ったまま頬肘をついたのを見たせいで、結局ぎこちない笑いが漏れるだけになってしまった。
 ため息は、白い息になって吐き出された。

「はぁ……寒いな……」

 この夜の寒さは今まで旅してきたところとは違う厳しさがある。日中との落差がひどいせいか極端に感じるのだ。たき火を焚いているとはいえ身体の半分しか熱にあたれないわけだし、なかなかにひもじい思いをしていた。
 膝を抱えて夜の砂漠に縮こまると、エフィールが座ったまま不機嫌そうに自分のマントを広げた。

「ほら、二人でマント羽織りましょ」
「…………」
「……露骨に嫌そうな顔しないでよ。
 凍え死にするよりはマシでしょ?」

 呆れたように言う魔人の少女。
 言う通りにすべきかどうか、眉をひそめて悩んでいると、ふと良いアイデアが閃いた。

「いいや、必要ないね」

 そういって、音叉の剣を砂地に突き立てる。
 すぐにあふれ出したのは、まるで春のような暖かさだ。
 どこか安心感すら感じる温もりに、エフィールも表情が和らぐ。

 かつて犯罪者の街で目にした能力だ。
 傷つきながら剣を抱いていたあの兄弟を思い出し、その出会いに感謝した。
 これで我慢せずにすみそうだ。

「……そんな能力があるなら早く言ってよ」
「ふっ」

 腹立たしげに言った彼女に対し、スロウは鼻で笑って見下してやった。
 実は今の今までこうして寒さをしのぐことなど思いつかなかったのだが、それを思い出す必要はない。
 あのエフィール・エーデルハイドに勝った気になれて気持ちよかった。

 彼女が頬をヒクヒクさせてちょっとイラついているのを見ると、とても優越感を感じる。

 だが、きっと怒る気力がもったいないとでも考えたのだろう、何も言わずエフィールは背を向けて横になった。
 スロウも反対側を向いて寝転んだ。

 まだまだ腹は足りてないが、少しだけ満足を感じながら眠りにつけたのだった。