六日目。
北の方角を調べることにする。
オアシスのおかげで喉の渇きは癒せるが、飢えをごまかすのはさすがに限界になってきた。
まだ暗いうちから二人して目が覚めてしまい、すぐに出発することになった。
広大な砂漠をちまちま歩いていると気が狂いそうになってくる。
気力と体力に余裕があるうちは、エフィールと会話して正気を保った。
「なあ、お前、一人でいたときはどうやって食ってたんだ?
ジャッジに追われながら旅してきたんだろ?」
さりさりと滑りそうな砂地を踏みしめながら話しかける。
沈黙が徒歩三歩分くらい続いた後に、エフィールは口を開いた。
「……基本的には、狩りをしてたわ。
弓で獣を狩って自分でさばいて食べてた」
後ろの方で大きな弓を背負いなおす音が聞こえた。
あの弓は彼女が使うにはちょっと大きすぎるような気もするが、その扱いには手慣れたものを感じる。今更なんともないのだろう。
光波は形を変えられるはずだから、きっと動物を捌くのに刃物類もいらないはずだ。便利な道具である。
「どうしても街に入らなきゃいけないときは、盗みをしてたわ。
どの街にも、無駄に裕福で威張ってるやつらはいるでしょ?
そいつらから盗んでね。ほとんど気付かれないから楽だったわ」
彼女いわく、潜入がうまくいけば高級な食事にありつけることもあったという。
夕食時に忍び込み、チャンスがあれば住み込みのメイドたちの目を盗んで食器ごと奪い取り、そして怒りをあらわにする貴族を遠くから眺めながらゆっくり食べるのだと語った。
メインディッシュだったはずの鳥の丸焼き、それも濃厚なタレを塗りたくった一品を手に入れたときは笑いが止まらなかったらしい。
……事細かに味や食感を説明しているあたり、どうやら向こうも空腹が限界に達しているようだ。見てはいないが、おそらく彼女も乾いた舌肉に涎を溢れさせていることだろう。
スロウは全身にまとわりつく熱気と、キリキリ痛む空腹に耐えながらその話を聞いていた。
「あんたは?」
「え?」
「あんたはどうやって食べてたのよ。
一回くらいご馳走を食べたことはあるでしょ」
歩きながら振り返るとエフィールと目があった。
いつの間にか、今までで一番のご馳走を話す流れになっていたらしい。
足を止めないまま前に向き直って思い出す。何が一番おいしかっただろうか。
いや、その前に「どうやって食ってたか」が先か。
「……俺は、仲間と一緒に冒険者をやってた。
デューイっていうでかい剣士と、セナっていう半獣人の子と、三人でさ。
ダンジョンに潜って、魔法道具を回収して……それで生計を立ててたんだ」
スロウは続けて語る。
冒険者は基本的に貧乏だったから、そこまで贅沢はできなかったのだと。
「ああ、でも一番うまかったのはあれだな。
B級冒険者になったお祝いで食べたパンとスープかな」
そこでようやく、暑さでもやのかかったような脳内に具体的な光景が浮かんできた。
「特にあのパン。旅で持ち運ぶようなカッチカチのやつじゃないぞ。
柔らかくてほのかな甘みがする、できたてほやほやの温かいパンがたまたま手に入ったんだ」
ただのパンなのに、こんなに甘くなるのかと天地がひっくり返るような衝撃があったのを思い出す。食べた瞬間、仲間三人で顔を合わせて目を見開いたのはいい思い出だ。
「それにスープだ。肉も野菜も全部入ったスープで、甘いパンを食べたあとに塩味のあるそれを飲むのがめちゃくちゃおいしかったなぁ。こう、分かるか? 甘いパンと塩味のあるスープがすごくマッチしていて、交互に食べるのが最高にうまかったんだよ。
でもさ、結局その時俺とセナはあんまり食べられなくて、デューイがほとんど食べつくしちゃったんだよ」
気が付いたら無くなっていた、本当にそんな様子だった。
デューイもセナも、あまりにおいしすぎてあっという間に食らいつくしてしまったのだ。
「信じられるか? 俺とセナがB級になったお祝いだったはずなのに、すでにA級だったデューイがほとんど食べちゃったんだ。
あの時はめちゃくちゃ謝られたなぁ。
俺たち二人も正直物足りなかったけど、デューイが必死に謝るのも珍しくて、思わず許してさ。それで、しばらく時間が経ったあとも『あれ、おいしかったよね』って話して……」
ふと転移前の思い出がよみがえってくる。
デューイは豪快に笑い、巨大な黒い曲剣を振るう。
セナはオロオロしながらついてくるが、魔法道具を見つけると一直線に向かっていく。
スロウはそれを見て、デューイと一緒に急いで駆け寄るのだ。
……転移してからまだ六日程度なのに、懐かしさで涙が出そうになった。
「二人とも……今頃何してるかな……」
「……仲間のところに帰りたい?」
足を止めそうになった。
ふと、何か感情を揺さぶられた言葉を頭の中で反復する。
『帰る』……『帰る』、か。
――そうか。もう自分にも居場所はあったんだな……。
「……まあね。今となっちゃ、できるかどうかも分からないけど」
広大な砂漠。
見渡す限り人の気配が一切無い極地。
そもそも生きられるかどうかも不確実だし、帰る方法も分からない。
そして何より、ベレウェルでなぜか使えた、水の太陽と同じ能力だ。
以前のように自分を受け入れてくれるかどうか……。
そんな不安も確かにあった。
「……帰れるわよ。いつかきっとね」
そう言ったっきり、エフィールは黙ってしまった。
……慰めてくれたのだろうか。いつもよりは優しい声色だったように聞こえた。
しかし、その後は会話を続ける様子もなかったので、スロウも口を閉じて歩き続ける。
頭の中だけで仲間とともにしてきた旅を振り返っていて、ふと気が付いた。
そういえば、俺はこいつに命を救われたことがあったんだよな。
確か、デューイと旅を始めて最初に訪れた、ミスフェルという小さな村でのことだ。
突然水の太陽が現れて、村の人たちを守るために戦って……途中で自分がおとりになった直後に、異形の魔物に囲まれて死にかけたとき。
その絶体絶命のピンチのときに、エフィール――当時はエルと名乗っていたな――が現れて、魔物をバッタバッタとなぎ倒していったのだ。あの弓を用いての近接戦闘は今でも鮮明に覚えている。
もしも彼女が現れていなかったら、俺はあそこで死んでいたのかもしれない。
そういう意味では、こいつは命の恩人なんだよな……。
胸中に複雑な思いを抱きながら、しばらく無言で歩き続けたのだった。