第六十五話 不気味な砂嵐

 ――北の方角を歩き続けて数時間が経ったころ、天候が怪しくなってきた。

 妙に風が強くなってきて、開けていたはずの視界が濁ってくる。
 あの抜けるような青空はいつの間にか見えなくなり、吹き荒れる砂塵に危険を感じ始めた。
 これは、今までにない現象だ。

「何か変ね……」
「エフィール、ちょっと重力魔法を使ってくれ。
 偵察してみる」

 そう言うとエフィールは何も言わずに手をかざした。
 すぐにスロウの身体は軽くなり、ゆっくりと中空へと昇っていく。

 ……エフィールはこういう風に、言葉ではなく行動で意思を示すところがある。
 その姿はなんとなく寡黙な職人を連想させた。不機嫌そうな顔をしたまま黙って要望に応えてくれるところなんかが似ている。ちょっと怖い部分もそっくりだ。
 違うのは、職人のおやじよりも目線や言動にとげとげしさを感じるあたりだろうか。

 しかし、今の自分にとってはかなり頼りになる存在である。
 戦闘技術はもちろんのこと、きっと長い一人旅で培ったのであろうサバイバル技術も併せ持っている。水の節約とか、体力を消費しないコツとかも、なんだかんだで教えてくれる。今こうしてやっている高所での偵察も重力魔法を扱える彼女がいなきゃできなかった。

 まだ出会ってはいないが、もし魔物が現れたとしてもきっと彼女なら瞬殺してくれるだろう。廃都ベレウェルではたっぷり辛酸を舐めさせられたが、その強さを理解しているだけに心強さが半端じゃない。
 直接口に出したりはしないが、このときばかりは助けておいて本当によかったと本気で思っていた。

 と、そこまで考えていたところでちょうどいい高さに到達する。
 ふよふよと浮かぶ身体に風での微調整を加え、態勢を安定させてから周囲を偵察した。

 異変にはすぐに気が付いた。

「あれは……?」

 方角はおそらく東。進行方向の右側だ。

 なんだか、大地が盛り上がっているように見えた。
 もちろん気分的な『盛り上がり』ではない。物理的に隆起しているように見えるのである。
 横にまっすぐ伸びていたはずの地平線が、その周辺だけ明らかに膨らんでいる。

 なんといえばいいのか――
 そう、壁そのものが迫ってきていた。

「エフィール! すぐに下ろしてくれ!
 なんかヤバい!!」

 すぐさま地上に降りて、エフィールのもとへと駆け寄る。

「何があったの?」
「砂の壁が迫ってきてる。どこかに身を隠さないと!」

 訝しげな表情を浮かべていたエフィールだったが、明らかに強まっている風圧に信憑性(しんぴょうせい)を感じてくれたらしい。
 というかそうでなくても、遠くの方からすさまじい音が響いてきて、最大級に危機感をあおられた。

「でも、近くに隠れられるところなんて無いわよ……!?」
「……穴だ! 穴を掘れ!」

 すぐ下を指さして、急いで穴掘りを始める。
 剣をシャベル代わりにしたり、素手で掘ろうとするが、途中から煩わしくなって能力を使う。
 スロウは剣を突き立てて地中で風を爆散させた。衝撃であたり一面に砂の雨が降り注いだが、まだ二人分の深さにはなっていない。

 ――あの砂嵐は今どこまで来てる?

 と、顔を上げた瞬間、それ・・はもう目前に迫っていて、

 二人は、砂嵐に飲み込まれた。

「うっ……!?」

 ぶわり、と。
 突然、身体中に鳥肌が立った。
 全身が硬直し、思考回路に一瞬の空白が紛れ込む。

「……何よ、これ……っ!?」

 見れば、エフィールもスロウと同じ感覚を味わったようだった。

 ――気持ち悪い。

 全身に打ち付けられる砂粒、見渡す限りの視界を埋める、濁った嵐。
 それらすべてに、吐き気……いや、寒気かも分からぬ謎の気持ち悪さが、全身にこみ上げてくる。

 ザラザラとした砂粒が雨のように打ち付けてくるのに、頬に触れる風はどこか生温かく、そのちぐはぐな感触に妙な嫌悪感を抱いた。
 さっきまでの強烈な暑さはないし、夜の急激な気温低下があるわけでもない。
 ぬるくて、ともすれば温かいと感じてしまうような……いや、うまく言葉では言い表せない。

 とにかく、ただの自然現象とは形容しがたい謎のおぞましさが、そこかしこに吹き荒れていた。

「は、早く身を隠そう!!」

 剣と素手での、簡素な掘削作業を続ける。

 二人とも、ザアザアと打ち付けてくる砂粒を口の中に入れたくないと思っていたのだろう、口数は最低限に減っていた。
 とにかく、この砂嵐の中にいることの気持ち悪さから逃れたくて必死だった。

 剣を突き立てて突風を巻き起こし、それを何度も繰り返して……ようやく二人が頭まで隠れられる穴ができる。しかし、上からは絶えず滝のように砂塵が降ってくるので、今度は埋められないようにと必死になった。二人とも思考の半分くらいは気持ち悪いという感覚に支配されて、冷静な判断ができなくなっていた。
 幸運だったのは、かろうじて横方向からの暴風は防げるようになったこと。それが唯一の希望としてモチベーションを保ってくれた。

 空は気持ちの悪いえんじ色に染まっている。
 吹き荒れる砂塵の奥から聞こえる、悲鳴のような風のうなり声が不気味だった。

 意味も分からず湧き上がるマイナスの感覚から逃れたい一心で、ひたすら足元に溜まっていく砂の地面を掘り続ける。
 夜の寒さを防ぐのに使っていた温かい空間を出したり、セナの風をまとったりしてみたが、焼け石に水だった。結局、素手や剣を動かして砂をかき出すのが一番マシなやり方になっていた。
 手作業での掘削作業を行い、たまに紫色のバリアを張って小休止を入れて、また手を動かして……。

 そうしたことを、どれくらい続けていただろうか……。

 やがて空はまたあの青を取り戻してゆき、すぐそばで唸っていた暴風は少しずつ遠ざかっていった。
 顔を上げると、巨大な砂の壁は南西方向に向かっていく。
 気持ちの悪い生ぬるさは晴れ、代わりにまたあの強烈な暑さが爛々と大地を焼き始めた。

 二人は息も絶え絶えに砂漠へ身を放り、大の字になって転がった。

「……何だったんだ……あれ……」
「分かるわけないでしょ……」

 不気味な砂嵐のせいで、体力も余計に持っていかれたらしい。
 すさまじい倦怠感と空腹の痛みが、思い出したかのようにまた痛覚を刺激し始めていた。

 そこで、ハッとしたように起き上がったエフィールが、周囲を見渡す。

「ねえ、オアシスまでの道しるべが……」
「えっ」

 慌てて飛び起きた。
 確かにあのミミズ腫れのようなうねりは消え去り、自分たちが刻んできた足跡も分からなくなってる。
 いや、それどころか地形すらも変わっているようだ。砂丘の数や位置、高さに至るまでがすべて記憶のものと異なっている。

 オアシスまで確実に戻る手段は、ほとんど消えてしまったらしい。

「……どうする?」

 エフィールは冷や汗をかきながらこちらに視線を流してくる。

 選択肢は二つだ。
 どうにかして拠点まで戻るか、当初の予定通りこのまま北を調べるか。

 ……いや、一つ目の選択肢はないかもしれない。

 あの砂嵐だ。
 下手したらオアシスも直撃して全部埋もれさせてる可能性がある。
 戻って何もなくなっていたら、もう打つ手はない。

「このまま、北へ行こう」

 口に出した答えに、エフィールは暗い面持ちを浮かべた。

 ――これは、今日中に何か見つからなければ終わりという賭けだ。

 どのみち行動を起こさなければ何も変わらないので、そうせざるを得ないことは彼女も分かっているだろう。エフィールは何も言わずに立ち上がっていた。
 スロウも北の方角へ顔を向ける。

 早鐘を打つ心臓に不快感を感じながら、また歩き始めた。