第六十六話 謎の種族

 謎の砂嵐をしのいだ後は、重力魔法での偵察回数が増えた。
 もうすでに予断を許さない状態に陥っている。確認できたわけではないが、拠点としていたオアシスは無くなっている可能性が高い。背水の陣とはこういう事態を指すのだろうか。

 わずかな手がかりも見逃せない。そう判断してひたすらに重力魔法での情報収集を続ける。

 そして同時に、エフィールの消耗はどんどん激しくなっていった。

「はぁ……はぁ……」

 背後から聞こえてくる苦しそうな呼吸に、焦りと罪悪感が生まれる。

 重力魔法を使ってもらうたびに申し訳ない気持ちになったが、だからといってねぎらいの言葉をかけようとすると本人から睨まれた。「そんなことで体力を使うな、必要ない」と彼女の顔には書いてあった。

 水はもう切れている。スロウはできるだけ我慢してエフィールに多く飲ませたつもりだったが、エフィールの様子を見るとそれでも足りなかったかもと考えてしまう。

 彼女は何も言わなかった。
 重力魔法が必要となれば黙ってスロウを空へ飛ばしてくれる。
 文句を言っても仕方ないと考えてるか、それとも単に気力が限界なのかは不明だが……しかしここまで来るといかにエーデルハイドの魔人といえど心配せざるを得ない。見てるこっちがキツくなる。

 とにかく何か見つけないと……。

 そうして目を皿のようにして偵察を行い――

 宙に浮かぶのがちょうど九回目に差し掛かろうかというころだった。

「あ」

 地平線まで続く砂漠に、ポツリと、豆粒のような影が見えた。
 かすかに動いているそれは、五つ、六つと、数があった。

 さらによく目を凝らして見れば、その豆粒のような影にはちゃんと両手両足があって、さらに何か武器を持って戦っている……。

 ――人?

「ひ、人だ! 人がいるぞ!
 幻覚じゃないよな!? あっちの方に、人が――」

 興奮のあまり声を張り上げたその瞬間に、自分の声が途絶えたのが分かった。

 唐突に訪れた、内臓がふわりと浮かぶ嫌な感覚。
 直後、作用する重力。勢いを増していく風圧。

 いきなり真っ逆さまに落下し始めたスロウは、絶叫を上げることすらできなかった。

 意味が分からないまま下からの猛烈な風を受け……
 ほんの数舜後には砂の地面に全身を強打していた。

「ッ――……!」

 全身に響いた鈍い痛みに悶絶する。
 砂が柔らかかったおかげでかろうじて落下死は免れたようだが……ひとしきり痛みに耐え抜いたのち、重力魔法を使っていたはずの女に思わず声を荒げた。

「おい! エフィール!! 何考えて――!」

 何もない砂漠の上に立っていたはずのその女に顔を向けようとして――そして、予想よりも下のほうに目線が向いたことに戦慄する。

 エフィールは、地面に倒れていたのだ。

「お、おい!?」

 明らかに異常な呼吸で胸を上下させているのを見て急いで駆け寄り、そばに膝をついた。
 うつぶせに倒れたエフィールを抱きかかえて様子を見る。
 ……よく見ると、口がわずかに動いていた。

「……ごめ……なさ……」

 耳を近づけてようやく聞こえる声量だった。絶え絶えになった息の合間で、必死に同じ言葉を繰り返していた。
 額に手をあてると、すごい熱が伝わってくる。
 この暑さの中でもすぐわかるほどの熱に、全身からサーっと血の気が引いた。

 脱水症状? 重力魔法の使い過ぎ?

 いろんな原因が頭を駆け巡ったが、今はそれどころではない。

「早く助けを求めないと……!」

 急いで彼女を背負い、人がいたはずの方角へ向かって走り出す。
 目指す場所は決まっている。空から落ちる直前に大まかな方角は確かめた。
 足を取られる感覚にもどかしさを感じながら進み始めた。

 砂を踏みしめ、息を切らす音が何もない砂漠に消えていく。乾いた熱気がむせかえっているのに、体の内側には悪寒を感じる。嫌な感覚だ。早くどうにかしたい。

 ふと、ぼそぼそと何かが聞こえる。エフィールが乾ききった声で何かつぶやいているようだった。
 耳を澄まして聞きとってみる。

「……あたしなんかに……構う必要なんて、ないのよ……」

 その忠告は無視して、代わりに腕に力を込めた。
 おんぶしている形なので、彼女の両足のふとももへの圧迫を強めたことになる。それが本人にも伝わったのだろう。エフィールは諦めたように顔を落とし、そのまま意識を失った。
 あとはもう自分自身の呼吸の音が聞こえるだけだ。

 そこからの時間は、とても長く感じた。
 あの砂丘を超えたら見えるだろうか、ひょっとしたら進む方向を間違えたんじゃないか、このまま誰も見つからなかったらどうしようか……そんな不安が沸き上がるのを必死で抑えつつ、数分前に確かめた方角へ真っすぐ走り続ける。

 そして、砂丘を八つほど超えたあたりだった。
 前方からわずかに左にそれた位置に、ついに複数の人影が見えた!

「おーい! おーーい!!」

 大声を張り上げながら駆け寄っていく。
 複数の太い影がこちらを向いているのを確認し、さらに足を速めた。

 ――そして、足元が揺れる。

 直後、視界に捉えたのは、砂上に露出したヒレ。

 それが真正面から近づいてきて、一瞬砂中に沈んだかと思うと、そいつはどばんと砂煙を上げて飛び上がってきた。

 巨大な魚だった。人を簡単に飲み込んでしまいそうなほど大きい腹に、点のように目が小さい頭部。
 その砂魚は、大きな口を開けて突っ込んでくる!

 が。

「――邪魔だ!!」

 砂魚が砂中から飛び上がってくるタイミングに合わせ、身体をひねって半回転切りを叩き込んだ。

 カウンターの一閃はそいつの腹に深く入り込んだらしい。砂魚は鈍い色をした血を吹き出しながらバタバタのたうち回ったあと、動かなくなった。

 もうこれ以上ピンチはいらない。こんなのに時間なんか使ってられるか。
 何度も何度も危機に瀕し、どこかうんざりした思いすら抱いていたスロウは、あっけなく敵を排除して助けを求めに行った。

「頼む! 助けてくれ!」

 回転切りの勢いでよろめきかけた身体を起こしながら、前を見た。
 先ほど確認した謎の巨体が、わらわらと集まってくる。

「薬か何か、持ってないか!?
 水でもいい!」

 必死で助けを求めるが、彼らは隠された顔を見合わせて相談している。

 ――人にしては体が太すぎるな、と思った。

 豚みたいに肥え太った腹部と手足、そしてスロウの二倍近い大きさのある顔を、縄で編まれたカゴみたいなもので隠している。脂肪の多い皮膚の色は赤茶色で、彼らが一歩進むたびに、ず、ず、と重い音がした。砂漠に刻まれる足跡は丸かった。

 よく見れば、彼らはみんな魔法道具の武器を持っている。
 周囲に転がる砂魚の死体はそれで倒したらしい。スロウが先ほど倒したのと同じような姿形の魚たちが倒れていた。

 明らかに人ではない種族に面食らったが……でももう、今の自分たちでは他に頼るものはない。
 ここまで来ても襲われるようだったら諦めよう。せめて友好的な相手であってくれ。

 とにかく胸中で祈りながらその肥えた種族を見上げていると――。
 一人の巨体が、陶器の瓶を差し出してきた。

「……これは……」

 彼らはその瓶の栓を外し、スロウの口元に近づけてくる。
 中身は、どろりとした黒い液体だった。

 ……飲め、ってこと……だよな。

 口にしても大丈夫なものかどうか判断しかねたが、結局飲むことにした。
 謎の種族たちの様子をちらちら見ながら、その粘性のある黒液を口に入れる。

 苦い。が、飲めないほどではない。生まれて初めて経験する独特な味に驚いたが、そのまま一気に飲み干した。ずいぶん濃い味のように感じた。
 固体とも液体とも言えない飲みごたえのおかげか、飢えはちょっとだけ満たされたような気がする。喉の渇きは……癒えたのかどうか自分でもよく分からない。
 正直まだ何か欲しい、まだ何か食べるなり飲むなりしたいと思ったが、かすかに残っていた理性が反発してスロウを大人しくさせていた。

 エフィールのほうを見ると、彼女はスロウと同じどろりとした黒液に加え、何か粉のようなものを飲まされている。

 薬……?
 正確なところは不明だが、少なくとも異人たちのエフィールに対する扱いは丁寧だったように見える。この扱いで毒を飲まされていることはないだろうが……。

 一応、処置は終わったらしい。
 エフィールに近づいてみる。まだ呼吸は荒いが、顔色は少し良くなっている。
 さっきよりはかなり楽そうに見えた。

「一応……大丈夫そうか」

 エフィールの様子を確認し終え、安堵の息を漏らす。
 とりあえず、礼を言おうと謎の種族に向き直った。

「えっと、ありがとうございました」
「ナ・グァパ」
「……言葉通じてるのかな……」

 独特のアクセントで発音しているが……何を言ってるのか全然わからない。
 そもそもこちらの言葉が伝わっているのかも怪しい。

 どうしたら良いのだろうと立ち尽くしていると、豚のように肥え太った種族――とりあえず『豚人族ぶたじんぞく』と呼ぶことにする――は、荷物をまとめてどこかへと向かい始めた。
 彼らは魔法道具を背負い、倒した砂魚たちを網かなにかでひとまとめにし、引きずっていく。
その中にはスロウが瞬殺した砂魚も含まれていた。

「……え、あの! ついていってもいい、ですか……」

 返答は返ってこなかった。たぶん通じていないのだろう。
 でも聞こえてはいるはずだった。彼らはスロウをちらりと見たあと、何も言わずに歩き始める。
 ……何も言ってこないなら、いい、のかな?

 どうせその場に残ってもなんにもならないので、豚人族の集団についていくことにした。
 列をなして歩く彼らの、最後尾のやや後ろのほうにポジショニングして、赤い髪の少女を背負ったままトコトコ歩き始めた。

 前を進む彼らは、あのでかい砂魚を何十匹、ルーン文字の刻まれた大きな網の魔法道具にくるんで引きずっている。彼らの姿は湖から大量の魚を持って帰る漁師のようだった。

 あの網以外で確認できる魔法道具は、ほとんどが武器の形をしている。
 槍、サーベル、あるいは大槌。
 十中八九、砂魚の狩りに用いていたのだろうが、雑多な魔法道具を持って進むごちゃごちゃとした光景には親近感を感じた。彼らもまた、冒険者と似たような存在なんだろうか。

 スロウは一列になって歩く豚人族の最後尾から少し離れたところを歩いている。
 一応今のところは何も言われてないし、武器を向けられることもないから大丈夫そうだが……最初にオアシスで出会った魚骨の仮面族はとくべつ好戦的だったのだろうか。

 背負っているエフィールの呼吸はさっきよりは安定している。あの薬みたいなのは効果があったようだ。顔色も悪くないし、きっとすぐに目を覚ますだろう。
 まだ先行きは不透明だが、とりあえず人(?)は見つかったし、手掛かりもなく砂漠を漂流していたころに比べればはるかにマシになってきた。

 そうして希望を感じつつ足を動かしていると、やがて巨大な岩の山が見えてきた。