地面から伝わってくる熱に手をかざしながら、スロウはほっと一息ついた。
外はすでに夜が訪れており、地下空洞の天井に空いたいくつもの穿孔から冷たい月光が差し込んでいる。
豚人族によって音叉剣が回収された今、夜の寒さをどう乗り越えようかと不安に思っていたが、その問題はあっけなく解決した。
眼下に見据える静まった集落から伝わってくる謎の地熱によって、快適とまではいかないが凍えることはなくなっていた。
何が起こっているのかはもちろん不明だったが、身体に伝わってくる暖かさは本物だ。この不思議な恩恵を受け入れない理由はない。
尻に集中した熱を逃がすように立ち上がり、地下空洞を一望する。
天井から差し込む幾本もの斜光が、束になって地下空洞内をうっすらと照らしている。まるで光のカーテンがはためいているようだった。辺りは青みがかった光で満ちており、さらにその反射の強弱も相まって海の底にいるようなような錯覚さえ抱いた。
立っているとまた少し寒くなってきたので、暖かい地面にもう一度腰を下ろす。
そうして再び熱を取り込みながら幻想的な地下空洞の景色をぼんやりと眺め続けていると、近くに横たわっていた魔人の少女がハッとしたように飛び起きた。
「気が付いたか」
「……なんで、あたし……」
「人が見つかったんだ……まあ、人って呼んでいいのか分からないけど。
あ、ほら、串焼きあるぞ。食べな」
冷めてしまったブヨブヨ肉の串焼きを地面から引き抜き、差し出した。
辺りはやや薄暗いが、岩窟に差すこの月光の明るさなら十分見えるだろう。
落とさないようにと言いながら持ち手の部分を彼女に向ける。エフィールは身体にかけられていたマントを抱えて困惑しながらも、ちゃんとそれを受け取った。
「ここは?」
「集落だ」
串焼きを手にしたままあたりをキョロキョロと見まわしたエフィールは、唐突にフードを被る。
「どうした?」
「いや、その……あたし、魔人だから」
どこかおびえたような様子で視線を下げたエフィールは、今度は弓の魔法道具がないことに気が付いたらしい。焦りをにじませながら魔法道具の所在を聞いてきたが、それには答えず「まずは食え」と諭した。
彼女は不服そうな顔でもそもそと串焼きに口をつけ、目を見開く。思いのほかおいしかったらしい。分かるぞ、その気持ちは。
「……お前が気を失ったあとだけどな、
なんか、太っとい変なやつらがいて――豚人族って呼んでるんだけど――駆け寄ってって、どうにかこう『助けてくれ!』って伝えたら、どろっとした黒いやつを飲ませてくれたんだ。で、その後とりあえずそいつらについてったら、集落にたどり着いてて……」
「……ごめんなさい、よくわかんないんだけど」
エフィールは困ったような顔を向けてくる。
いや、そんな顔するなよ。こっちだって訳分からないんだから。
ただでさえ今の自分の説明力に絶望したのに、相手もけっこう本気で困惑しているっぽいのが余計にこたえた。
そこで、タイミングよく土の家から出てきた一人の豚人族を指さす。
「とにかく、ほら、見ろよ。
明らかに人じゃないだろ?
みんな縄で編んだカゴみたいなので顔を隠してるんだけど、ああいう種族について何か知らないか?」
併せて、彼らが独特な黒い液体を持っていたことや、言葉が一切通じなかったこと、そして集落では魔法道具を持ってちゃいけないらしいことも伝える。
スロウよりも長く各地を旅をしてきたはずの彼女なら、何か知っているんじゃないか。
エフィールは弓の魔法道具がないことに納得してから思案し、やがて口を開いた。
「……いいえ。
ずっと色んなところを旅してきたけど、あんなのは初めて見るわ……」
「じゃあ、ここがどこなのかも分からないか」
「ええ、悪いけど」
じゃあ相当遠いところまで転移させられたのだろうか。デューイは転移魔法について『この世の果てまで飛ばされる』みたいなことを言っていたので、ひょっとしたら本当にその言葉通りなのかもしれない。
「ま、でも良い知らせもある。これだ」
そう言って赤い石ころを一つ、ほのかに暖かい地面に置いた。
「この石ころ。たぶんこれがここでのお金だ。
その串焼きもそれで買えたんだぞ」
「……どうやって手に入れたのよ?」
「お前が意識を失ってる間に、砂の中を泳ぐ魚を一匹倒したんだ。
たぶん、それのおかげだと思う」
串焼きをそこそこ上品に食べ終えたエフィールに、井戸で補充した水の入った革袋を渡す。
それを遠慮がちに受け取った彼女は一口飲み、息を吐く。
次に口を開いたときは、もう彼女の声はかすれていなかった。
「正直まだ分からないことはあるけど……やることは決まったわね」
「ああ――金稼ぎができないか、探ってみよう」
そういって、二人は夜遅くまで作戦を立て始めた。
やがて地下空洞に黄金色の陽光が差し込み、うだるような暑さが湧いてきたころに、
二人は集落の中心部……井戸の周辺に張り込んでいた。
思惑通り、そこには前日と同じように豚人族が集まり、魔法道具を手にし始めた。
天井から漏れる赤い光の角度から推察するに、朝日が昇り始めてすぐの時間帯だった。
スロウたちは集団に近寄り、いつの間にか地面に広げられていた魔法道具の山から自分たちのものを素早く回収。
そして、砂漠へと出ていく彼らの後についていった。
リーダーらしき豚人もちゃんと自分たちのことを認識しているみたいだから、とりあえずこれで参加したことになっただろう。あとは砂の中を泳ぐあの魚を何匹か倒せれば金が手に入るはず。
歩いているだけで汗が噴き出す砂漠に出てから数時間が経ち――うっとおしくなるほど爛々とゆらめく太陽がちょうど真上に来たときに集団は唐突に足を止めた。
狩り場についたようだった。砂丘の上から見下ろすと、砂の上に露出したヒレが動き回っているのが見える。
彼らはそこへ下りていって、砂魚を仕留めはじめた。
自分たちも急いで狩りに加わる。
――その後の成果は、スロウが一匹、エフィールが二匹ほどだった。
狩りが終わると、豚人族は仕留めた砂魚を網の魔法道具で包み込みはじめる。まるで生きているかのように自由自在に動く網の魔法道具で、散乱していた砂魚の大群もあっという間にひとまとめにされていた。そうして獲物を回収したあとは、網ごとズルズルと引きずって帰り始める。狩りの時間は一時間もなかったと思う。
汗でべたついた衣服に機嫌を悪くしながら集落へ戻ると、また魔法道具が回収され、みんなで井戸水を飲み、スロウ達は赤い石を合計で九個手渡され、そのお金でまたブヨブヨ肉の串焼きを買いに行った。
そこで二人して熱々の脂肉に汗をにじませながら「これで生きていける」と確信したのだった。