第六十九話 新生活

 砂魚の狩りは、最初の数日こそ苦労したもののパターンを覚えた後は楽になった。

 こいつらは背後から獲物を襲う習性があることに気づき、それを利用してわざと隙を見せる。
 もちろん、他の豚人族の武器が届く範囲でだ。それによって倒された砂魚はスロウの手柄にはならないが、代わりに自分も他のメンバーをエサに砂魚を狙う。そうすると一気に狩りやすくなった。

 余裕ができてから周りをよく観察してみると、熟練らしき豚人ほど自分と他人をエサにする戦法をとっていることに気づく。なるほど、そういうゲームなのか。
 失敗すれば誰かが噛みつかれるスリル満点の狩りだが、続けていると背中を預けた他の豚人族との信頼関係が構築されていくような気がしてなかなか面白かった。

 エフィールは遠くからの狙撃に徹していた。
 やはりまだ魔人であることを隠したがっているらしく、重力魔法も使わないで援護射撃に終始する。不用意に目立つ真似を避ける目的で、かなり手加減して狩りを行っているようだ。
 が、しかし射貫くときは一発も漏らさないあたり、強者としての風格がにじみ出ていると思う。

 たまに勘のいい砂魚が孤立しているエフィールを狙いに向かうが、彼女はそれに気づかないふりをして射撃を続け、そいつが死角から飛びかかってきた瞬間、カウンターで光刃を薙いで倒していた。スロウはおろか他の豚人族の援護すら必要なかった。たぶん狩りの間はあいつを心配する必要は無いだろう。

 そうして狩りを終えたあとは、集落に戻り、井戸の前でお金をもらう。

 おそらく、価値が高い順に、青、緑、赤だ。
 基本的には砂魚一匹につき赤が三つ。換金率については、赤が二十個ほどでようやく緑がもらえるようだった。
 最も価値が高い青の石は相当高価なようで、リーダーらしき豚人が隠すように所持していたことからそう推察した。換金率は不明だ。

 自分たちが一日の狩りで受け取る報酬は、多少の変動はあるが、赤石を十二個ほど。
 ちなみにほとんどがエフィールの成果である。
 それを持って集落に一つしかない露店へ向かい、食料を買って帰った。

 一番安いのは虫の炒め物だ。味は最悪だが、赤ひとつで余るほど手に入る。
 しかし食べるのには度胸がいる。だって昆虫食には慣れていないし、そもそもおいしくない。
 長く旅をしてきたはずのエフィールですら抵抗を覚えるらしく、これは金欠になったときに食べることにした。できればそんな事態には陥りたくないが……ここは自分たちの頑張り次第だろう。

 串焼きにされているブヨブヨの皮みたいなのはおいしさとボリュームの割に安く、現時点での二人の主食となっている。
 材料はおそらくスロウたちが狩っているあの砂魚だ。
 飽きがこないシンプルな味つけなので、毎日同じものを食べていても苦痛ではなかった。腹持ちもそれなりにいいし、救世主のような食べ物である。

 ちなみに串の部分は店に返さなきゃいけないらしい。
 まあ確かに、考えてみればこのあたりに木材なんか無いから貴重なのだろう。
 最初はそれが分からなくて、店主にあの難解な言語で二回怒鳴られた。

 料理に変化が欲しくなったときは干されたヘビの皮肉を購入して味覚をリセット。
 これは保存食にはなりそうだったが、味がイマイチなので購入することは少なかった。

 丸焼きにされた鳥の頭やその血で作ったスープなんかは贅沢品らしく、まともに買えそうにない。おそらく今後も手に入れる機会はないだろう。

 次は宿泊施設についてだ。

 宿は無かった。というより、言葉が分からず見つけられなかった。
 本当は宿泊できるところもあったのかもしれないが、せっかく稼いだ路銀を使うのももったいなかったし、そして何より、自力で壁と屋根を作れたのであまり必要性を感じなかった。

 そう、自分たちで拠点を作れたのだ。
 この集落の近辺は比較的地盤がしっかりしていたため、土杭を出す能力を応用してシェルターを作成。そこで寝泊りを繰り返していた。

 ちなみにシェルターの制作は手袋を持っていたエフィールが担当した。
 魔法道具の回収制度がザルだと思ったのは余談だ。

 場所は集落からは見えない岩の大柱の裏である。
 エフィールの存在もあるし、可能なら面倒事は避けたい。念のため人目につかない場所を拠点に選んだ。
 なんなら軽い水浴びをすることも可能である。
 土の容器を作って井戸から大量に水を持ってきて、そしてあらかじめシェルターの横に立てた箱部屋の中で身体を洗った。砂漠に出ると高確率で服の下に砂粒が紛れ込むし汗もかくので、これで精神的にかなり楽になった。

 デメリットとしては、砂嵐が来ると不安になることだ。
 どうもこの地ではあの気持ち悪い砂嵐が不定期にやってくるようで――もちろん外よりはマシだったが――地下空洞内でもその悪影響をもろに受けた。

 具体的には、嵐が止むまでは外に出られなかったり、必然的に砂魚の狩りも無くなったり。
 地下空洞の奥から強烈な風と砂塵が吹いてくるので手作りしたシェルターの土壁が崩壊しないかと不安になったりもする。
 ひどい時は一日以上嵐が止まないときがあって、当時、保存のきく食料を持っていなかったスロウ達はかなり痛い目にあった。

 ただ、時間だけは余ったので、その時はエフィールと会話した。

 転移してから二度目となる砂嵐の日、彼女は遠慮がちに声をかけてきた。

「ねえ、ちょっと……」
「ん? どうした」

 借りた手袋の魔法道具で壁を補強しながら返事する。
 暴風で壊れたら嫌だから、今度、豚人族のように地下に半分埋める形に改造しようか……などと考えていると、後ろから控えめな声が飛んできた。

「その……助けてくれて、ありがとう」

 驚いて振り返ると、彼女はバツが悪そうに顔を背けながら自分の腕を抱いている。
 すぐに、エフィールが意識を失ったことを言っているのだと分かった。

「あぁ、気にすんな。
 俺だってお前に命を救われたことがある。
 覚えてるかな、ほら、お前がエルって名乗ってたときにさ。
 だからこれでチャラだ」
「……ありがとう……」

 もう一度真面目な表情で感謝の言葉を繰り返したエフィール。
 そのまま謎の沈黙が訪れた。

 このシェルターはそこまで広くない。宿の一室くらいの広さに、土でできた堅いベッド代わりの段差が二つ、離れて固定してあるだけだ。そんな狭い空間で殊勝にたたずんでいる同居人の少女に逆にこっちが気まずくなってきて、耐えきれずに口を開いた。

「そ、そうだエフィール。
 聞こうと思ってたんだけど、イストリアって場所、知らないか?」

 不意に投げ出された質問に、彼女はきょとんとした顔を見せていた。

 スロウの脳裏に浮かんでいたのは、砂漠に転移する直前に見た不思議な夢の景色だ。
 真っ白な花が咲き乱れ、墓を包み込んでいたあの空間。
 そして、どこか人間離れした雰囲気を醸し出す銀髪の少女のささやくような声が、今にも耳に伝わるように思い出された。

「知らないけど……なんで?」
「俺の故郷かもしれない場所だから」
「なによそれ」

 エフィールは腕を組みながら笑う。冗談だと思ったらしい。
 笑うとけっこうかわいいな……と思ったのは置いといて。

「昔の記憶が無いんだ」

 デューイと旅を始めた時からそろそろ一年くらい経つから……もう二年以上前になるのかな。
 まぁ細かい点はいいか。

「自分の故郷がどこか、分かってなくてさ。旅をしながら探してたんだけど……。
 ベレウェルで転移魔法に巻き込まれたとき、不思議な夢を見たんだ。
 そこでレア・ルクレールと名乗った少女にこう言われた。『俺はイストリアに帰らないといけない』と。
 ……正直、期待してる自分がいる」
「……ただの夢でしょ?」

 にわかには信じがたい様子でつぶやいたエフィールに、うまく言い返すことはできなかった。

 確かに『ただの夢』と言われたらそれまでだが、しかし、何か確信めいたものを感じるのだ。
 これは、とても大事なことだと。
 根拠は無くとも、探らずにはいられない。

 そんな思いが顔に現れていたらしい。
 エフィールはこちらに一目向けたあと、残念そうに口を開いた。

「悪いけど、あたしじゃ力になれないわ」
「そうか。ま、仕方ないさ」

 申し訳なさそうに佇む彼女に、明るく声をかけた。

「とにかくそんなわけで俺は、この砂漠の外へ出る方法を探ろうと思ってる。
 いつまでもここにいるわけにはいかないしさ」

 スロウは自分の土ベッドに腰かけながらそう伝えた。

 要するに、この先はどうするのかという話だ。

 今のところ食料は手に入るし、寝床も一応確保できている。
 少し前に生活のめどが立ってからは、今後のことを考える余裕もでてきた。
 この話は、早めにしておいた方がいいだろう。

「それでエフィール、お前はどうするんだ?」

 目の前の同居人に、そう問いかける。

 この砂漠は広そうだし、きっとまだしばらくは彼女と協力することになる。
 少なくとも自分には、このすべてが未知の世界をたった一人で渡り歩く自信はないのだ。
 実際に今の生活もエフィールに頼っているところが大きい。砂魚の狩りだって彼女のほうがたくさん稼いでいる。

 本人には言えないが、足手まといになりたくはない――というか見捨てられたくないという非常に情けない思いが実はあったのだ。
 自分も少しくらい役に立てるように、彼女の今後の身の振り方くらいは把握しておきたかった。

「あたしは……」

 エフィールは金色の瞳を泳がせながら、自身の赤い髪を撫でていた。

「……どうしたらいいのかしらね」

 そうしてしばらく悩んでいたエフィールだったが「しばらくはあんたに付き合ってあげるわ」とだけ言って、そのまま話は切り上げられた。

 シェルターの外では砂嵐の猛風が混ざり合い、土だけの貧弱な壁をごうごうと揺らしていたのだった。

 そうして地下空洞の夜に眠り、暑くなってきた朝を迎えると、また炎天の砂漠へ狩りに出かける日々を送った。

 彼らにも休日があったのだろうか、たまに日雇いの狩りが無い日があって、そのときは集落に暮らす豚人族を観察する。

 相変わらず彼らの使う言葉は難解だった。
 スロウは覚えようと努力してみたが、すぐに挫折した。独特な発音に加え、そもそも彼らは顔を隠していて口の動かし方すらも分からないのが理由だった。ちょっと難しすぎる。
 とりあえず今は食料さえ手に入ればそれでいいと思ったので、ジェスチャーやボディーランゲージだけで意思疎通を続けることにした。
 しかし今後のことを考えると、情報収集のためにやっぱり勉強する必要があるのだろうか……。

 別行動で外の砂漠や地下空洞の奥を探索していたエフィールによると、まわりには足跡ひとつ見つからなかったそうだ。

 自分たちが狩りに出かけるときのそれを除けば、おそらく集落から出ていく者も、集落にやってくる者も誰一人いないようだった。
 今のところ、この集落の外に言葉を話せるような生命体の存在は魚骨の仮面族くらいしか思い浮かばない。ひょっとしたらこの砂漠から一生出られないんじゃないかと、根拠もなく不安になったこともあった。

 ある程度周りの環境が把握できてからは、時間が進むのが早く感じてくる。
 きっと身体が順応してきたのだろう。砂漠に出たときの汗も、以前ほどは不快にならなくなっていた。
 淡々と起きて、狩りに出かけ、串焼きを買い、手作りのシェルターで眠る。

 そんな生活がしばらく続いて……
 転移してから実に十二日目を迎えたときだった。

 集落に、謎の人物が現れた。