第七十一話 追放者メレクウルク

「しかし、意外だったぞ。まさかこんなところで同郷の者と出会えるとはな。
 貴様もダンジョンから抜け出してきたのか?」
「いや、はは……」

 意味が分からず、上機嫌な様子で話しかけてくる男に曖昧な返事をよこした。

 狩りが終わり、豚人族が縛りあげた砂魚を運んでいるのを前方に確認しながら、隣の男を見上げる。

 背が高く、加えて妙に長く見える両腕という歪な巨人のような相貌をしている男――メレクウルクは、一応ちゃんと言葉が通じる相手だった。
 つい先ほどまでの狂戦士のイメージは半分瓦解し、ひとまず対話ができることに安堵を覚える。思っていたよりもおしゃべりな人物で驚いた。

 どうも機嫌が良さそうだが、しかしその中にどこか人間離れしたオーラを醸し出しており、その不気味さが相まってどう接すればいいのか分からないところもあった。

 振り返って、少し後ろを歩いていたエフィールに助言を求めようとする。
 念のため警戒していてほしいと伝えたので、彼女の手にはまだ弓の魔法道具が握られている。
 凛々しい顔つきでじっとこちらを見据えていたが、スロウが困った顔を向けると肩をすくめられた。
 ……情報収集くらい自分でやれ、ということだろうか。

 溜息をついて、口を開いた。
 とにかく、聞きたいことは山ほどある。
 まずはそうだな、腕輪の能力からいくか。

「えっと……その腕輪なんですけど……」
「敬語はよい。楽に話せ」
「……その腕輪の魔法道具、どういう能力なんだ?」

 メレクウルクは、腕輪を装着した左腕を上げる。
 ずいぶんと骨ばっていて、骸骨みたいだった。

「痛覚遮断の能力だ。
 装着したものはあらゆる痛覚、身体的苦痛から逃れられる。
 『例の呪い』のことは、貴様も知っているだろう?
 追放者にとっては救いの力だ」

 痛覚の無効化……そんな能力だったのか。今までずっと使い方も分からなかったけど、ケガや病気をしているときしか効果を実感できないなら分かるはずもない。長年の謎が解けたようだった。

 しかし……。

 『例の呪い』? 追放者? いったい何を言っているのだろうか。
 追放者って、どこかで聞いたような気がするけど……思い出せないな。

 というか、こいつはイストリアの何を知っているんだ? そもそも、信用に足る人物なのか?

 こんな不審人物に身の上を話すのは怖いし、だからといって探りを入れようにもこちらが切れるカードは皆無に等しい。俺はイストリアのことなんて何も知らないし……記憶をなくしていることを、この怪しい男に言っても大丈夫なのだろうか?

 ……いや、もう正直にぜんぶ言ってしまおう。

 変に隠したって得るものはどうせ少ないのだ。幸い向こうはわりと友好的みたいだし、先に事情を伝えたほうが早い。話の途中で急に攻撃してきたりでもしたらその時はその時だ。

「実は――」

 俺は話した。
 昔の記憶がないこと、夢の中でエレノア・ルクレールと名乗る少女と出会ったこと、自分は「イストリア」に帰らなければならない、と言われたこと……。

 自分が置かれている状況を分かる範囲ですべて話し終えると、メレクウルクは信じがたい様子でつぶやいた。

「そうか、貴様『死神』と直接会ったのか……」

 おいなんか物騒な単語が聞こえたぞ。

「死神エレノア・ルクレール、そしてその『継承の剣』……。
 どうやら強い運命を持っているようだ。
 ……よかろう」

 彼は炎天下の砂漠を何でもないように歩きながら、両手を広げた。

「知りたいことを言ってみろ、同郷の者よ。
 私が知っていることをすべて話してやる」

 そういって、メレクウルクは怪しく笑ったのだった。

「じゃあ早速だけど、イストリアって何?
 どこにあるんだ?」
「異世界だ」

 即答で返され、ポカンと口を開けてしまった。
 風で吹き上げられた砂粒が入りそうになって、慌てて口を閉じる。

「イストリアとは、こことは違う異世界の名前だよ。
 通常の方法では行けない場所にある」
「……え、じゃあ俺、異世界人なのか……?」
「おそらくはな」

 ……いきなりぶっこんできたな……。

 まさかの情報に思考が追い付かない。ていうか異世界なんて本当にあったのか。
 今までずいぶん長く故郷を探してきたが、そりゃ手がかりも見つからないわけだ。

「……どんなところだったんだ?」

 知りたくなったのは、生まれ故郷の景色だ。
 若干の期待と不安を胸に、メレクウルクの返答を待つ。
 彼は少し黙ったあと、冴えるような青い空の向こうを見ながらとても懐かしそうに話してくれた。

「イストリアは……豊かな世界だった。
 資源にあふれ、多種多様な自然は美しく残酷で、そして無限に等しい大地が続いていた。
 私の居た場所は、その中のほんの一部の、比較的緑が豊かな場所だった」

 ゆっくりと記憶の奥底からすくいあげるように、メレクウルクは緑色の目を細める。

「そこではな、空に浮かぶ島がいくつも存在していたのだ。
 イストリアという世界でも、そのような環境はそこ一つしかないと言われていた。
 あれはすばらしい眺めだった。
 とても、荘厳でな……どれだけ眺めていても飽きなかったものだ」

 メレクウルクは語った。
 空に浮かぶ島々が雲に覆われてうっすらとしか見えなくなっているところや、雨が降ったあとの不思議な匂い、風の中に混じる鳥の鳴き声や、どこか涼しくてみずみずしい色彩と、柔らかい肌触りで満たされた空気……。

 スロウはまだ見ぬ世界の景色を想像して、不思議な郷愁を抱いた。
 額に流れていた汗すら消えてなくなるようだった。知らないはずなのに、懐かしいと感じる。そんなところが俺の生まれ故郷なのか……。

「なぁ、どんな人がいたんだ?」
「…………」

 ん?

 急に会話が途切れ、ふと歪な巨人の横顔を見上げて――ビクっとした。
 メレクウルクは、どこか凄みのあるポーカーフェイスを浮かべていた。

「……その話は、後でしよう」

 不穏な雰囲気を感じ取り、スロウは威圧されたように押し黙る。

 そして、思い出した。
 彼が『追放者』と呼ばれていたことを。

「とにかく、イストリアとはそういう世界だった。
 私の生まれ故郷であり、そしておそらくは貴様の故郷でもあるだろう。
 その『継承の剣』はイストリアの物だったからな」
「……この剣のことか?」
「ああ、それはイストリアでは最重要クラスの代物だ。
 あらゆる力を継ぐことができる希望の魔法道具と言われ、厳重に保管されていた。
 だからな、実を言うと、貴様はそれを盗んで『追放』されてきたのかと思ったよ」
「……」

 彼の同類を見るような視線に気が付いて、複雑な気持ちが芽生えてくる。
 てことは、俺も故郷から追放された人間ってことになるんだろうか……?

 いやでも、だったらどうしてこの音叉剣――『継承の剣』を持ったまま、俺は異世界に飛ばされたんだ?
 そんなに大事なものなら普通はイストリアの人が回収するだろうに。

 それもメレクウルクに聞いてみると、「知らぬ」と一蹴された。
 おそらくは失われた俺の記憶の中に答えがあるだろうと、彼は言った。

 ……謎は深まるばかりだが、仕方ない。
 集落まではまだあと半分くらいの道のりがある。
 頭を切り替えて次の質問に移った。