第七十三話 熱砂での問答

「――この砂漠は、ひとつの巨大な大陸として地の果てまで続いている」

 メレクウルクは、眼前に広がる砂漠を眺めながら言った。
 左腕にはめられた腕輪の魔法道具のおかげか、この男は汗もかかずに砂丘の上に立っている。
 スロウは相も変わらず強烈な日差しを押し付けてくる太陽に手をかざしつつ、額に流れた汗をぬぐい取った。

「歩き続ければ『流砂の海』に出るが、ここに暮らす者は誰一人として船を出そうとはしない。
 そこには恐ろしい怪物が潜んでいると信じているからだ」
「ひとりくらいは、その『流砂の海』ってのに出ていったやつはいなかったのか?」
「いたよ。だがそいつは自作の船で流砂に乗り出した直後、
 唐突に砂のしぶきを上げて地中から『何か』に飲み込まれた」
「おおぅ……」

 船を出した瞬間に地中へ引きずりこまれるのか……。
 そりゃ、誰もやろうとはしないだろうな。

「海の向こうへ行く者はいないし、海の向こうから来た者もいない。
 そして今後も、そのようなことは起こらないだろう。
 それがこの砂漠の大陸だ」

 メレクウルクはくるりとこちらを向いて言った。

「我々は貴様らのことを『異大陸人』と呼んでいるが、
ともすると貴様らのいた場所は、イストリア同様、こことは次元の違う異世界だったのかもしれん」
「異世界……」

 慣れない乾いた熱風が頬にあたり、照り付ける太陽と砂に焦げるような刺激を感じた。

 メレクウルクと出会ってから二日目――砂漠に転移してから実に十三日目だった。
 今日ばかりは魔物退治を休んで、こうして話をしている。
 なにしろ今後の方針にかかわる重要な話なのだ。一日くらいは食べられなくてもいい、とさえ思っていた。

 ちなみに、エフィールもすぐ近くで耳を傾けている。
 先日彼女から協力の提案をされたばかりなので、おおかた話くらいは聞いておこうとでも思ったのだろう。腕を組みながらメレクウルクのことをにらんでいる様子から察するに、ボディーガード的な立ち位置にもいてくれるらしい。
 今の状況でこの『追放者』なるものが攻撃してくることはたぶん無いと思うのだが、少なくとも、この魔人が味方でいてくれることはかなり頼もしかった。

「……別の世界に渡る方法はある?」

 スロウはそこで意識を切り替えるように隣の男を見上げた。太陽がまぶしくて反射的に手でひさしを作り、影で見えずらくなったメレクウルクの顔を見ようとした。

「すまないが、それは知らん。
 私もこの世界の全てを知っているわけではない。
 せいぜいが砂漠の言語を少し話せる程度だ。あまり期待はするな」
「そっか……」
「気落ちなどしても何も変わらんぞ。
 他に聞きたいことはないのか」

 炎天下の砂漠の上で、メレクウルクは涼しそうな緑色の落ちくぼんだ瞳を向けてくる。

 スロウは頭の中に用意していたメモを思い描き、首元をパタパタと仰ぎながら次の質問を選んだ。

「魔法道具について詳しく知りたい。
 俺のいた場所じゃ、魔法道具はダンジョンから出ることがほとんどだったんだ。
 魔法道具って何なんだ? どういう目的で作られたんだ?」
「……ふむ、これは整理して話した方がいいだろう」

 メレクウルクは顎をさすって沈黙する。どこから話すか考えているようだ。
 スロウは生ぬるい水を一口飲んで、額にまた浮かんできた汗をぬぐいとる。

 ……向こうは腕輪の魔法道具のおかげでなんともないのだろうが、こんな直射日光で上からも下からもまぶしい光が差してくるこの場所からもう離れたくなってきた。
 頭のてっぺんに集約される熱に耐えきれなくなってくる。これだったら狩りで身体を動かすほうがまだマシなような気がする。

 せめて影の内側で話を聞かせてもらえないか……。
 しかしそんなスロウの思いなど眼中にないかのように、彼は口を開き始めた。

「まず、魔法道具の正体だが……これは分からん。
 イストリアでもその謎を完璧に解明できた者はいなかった。
 ただ一つ言えるのは、魔法道具とは常に『循環するもの』として現れるらしいということだ。
 一つの場所に留まることは少なく、またそうした魔法道具ほど力を持たず、逆に優れた魔法道具ほど何らかの移動のプロセスを経て力を増すことが多いと言われていた。
 ……イストリアでは『魔法道具とは外部からの贈与品である』などという説が長く支持されていてな、なかなか興味深かった」

 贈与品……贈り物ってことか。
 まあ、俺もこのよく分からない力に助けられてばかりだし、そういう見方もあるかもしれない。

 ふと隣を見上げると、メレクウルクは爛々と光る太陽に全身を預けていた。
 俺もあの腕輪の魔法道具をつけていれば、この灼熱の大地すらも楽園のように思えたのだろうか。

「とにかく、イストリアでも強大な魔法道具を自由に作れるわけではなかった。
 作れたとしてもほとんどが失敗作で、無駄に資源を費やすばかりだった。
 しかし、それでも困ることはなかったよ。
 なぜなら優れた魔法道具は我々が生まれたときには既に存在していたからだ」

 あるいは、それもまた異世界からもたらされたものだったのかもしれん。
 メレクウルクは呟いた。

「我々にできるのは、魔法道具に込められたメッセージを読み取り、解釈すること……そして、その能力を変質させることだけだった」

 ふいに興味が湧いたのか、この部分だけは印象に残った。
 メッセージというのおそらく、ルーン文字のことだろう。
 同時に頭に浮かんでいたのはセナの姿だ……もし彼女と再び会うことがあるなら、この話は良い土産になるかもしれない。

「次に、なぜダンジョンから魔法道具が見つかるか。
 これは、魔法道具が監獄システムを維持するのに用いられていたからだ。
 魔法道具はほぼ例外なく大きな力を蓄えていてな、エネルギー源としても利用できると誰かが発見したのだろう。
 イストリアでは――大したことのないゴミのようなものだけだが――魔法道具を作り、そのエネルギーを色んな技術に用いていたよ。
 ダンジョンに魔法道具が眠っているのはそれが理由だ。
 ダンジョンにおける魔法道具は、監獄というシステムを維持するための、エネルギー供給装置だというわけだ」
「な、なるほど……」

 目の上にひさしを作りながら相槌を打つ。
 質問したのは確かにこっちのほうなんだけど、それにしても……ああ、暑い、暑いなぁ。そろそろ場所を変えないか。

 なんだかちょっともったいない気もするが、聞いた話ぜんぶ覚えられるわけじゃないし、少しくらい聞き流してもいいよな……いや、駄目だ駄目だ、大事な話かもしれないんだし……。
 ……ていうかこのままじゃ倒れる……。

「じゃあ、最後の質問だ」

 スロウはそれとなく岩山のほう――日陰がある場所に歩きながら、メレクウルクを誘導する。
 彼は「うむ、なんでも聞くがいい」と言いながら無警戒にスロウのあとをつけてきた。よし、作戦成功。
 冷たい岩の壁に背中を預けて一息つき、冴えてきた頭で最後の質問を口にした。

「――エレノア・ルクレールって、どういう存在なんだ?」