第七十四話 神とされたものたち

「エレノア・ルクレールって、どういう存在なんだ?」

 その問いに、メレクウルクは神妙な面持ちになった。

 メレクウルクは日陰に入るか入らないかの、微妙な境界線に立ったまま腕を組む。
 よく見ると頭の裏のあたりが思いっきり日に当たっているが、腕輪のせいなのか、気付いていないようだった。

「『彼女』は……イストリアでは死神と呼ばれていた」

 まるで神話を語ろうとしている信仰者のように、メレクウルクはどこか重々しい雰囲気で話し始める。まばゆく輝く黄金の大地を背に、彼は空を見上げていた。

「イストリアには数多の神々が存在し、その中で最も強い三神が世界を管理していたといわれている。

 『破壊と創造の神』レジアム。
 誰も名前を知らない『認識の神』。
 そして『死神』エレノア・ルクレールだ。

 このうち『死神』はもっとも人に友好的な神であり、そして平等に死をもたらす存在として恐れられた。特に身寄りのない者が死を迎えるとどこからか現れ、その寿命を吸い取る、などとな。
 その際には銀髪の幼い子供の姿を取り、自らを『レア・ルクレール』と名乗ると伝えられていた」
「……夢で見たとおりだ」

 砂漠に転移する直前に見た夢を思い浮かべる。
 あの白い花の優しいにおいや、目の前に立った不思議な少女のどこか人間離れした雰囲気を思い出すのは簡単だった。

「いわく『彼女』は時と空間を操る能力を持ち――その力で過去と未来、あらゆる場所へ赴いては人々に死をもたらすという役割を持つ……。
 私が聞いていたのはそういった話だった」

 あまりにも強大であったがゆえに幼子のまま成長を止められたという話は有名だよ、と、メレクウルクは懐かしそうに目を細めていた。

「その時空を操る力の一部はイストリアの民にも分け与えられ、技術として用いられていた。
 ダンジョンシステムがその良い例だ。
 はるか遠い異世界に罪人を追い出したり、ダンジョンを生成するのはルクレールの時空を操る力を応用していたのだ」

 それを言い終えたメレクウルクは、一息をついた。ここで話はひと区切りらしい。

 自然に湧いてきた沈黙を情報整理の時間ととらえ、少し休んでから、スロウは口を開いた。

「……死神なんて呼ばれてたのは驚いたな……。
 俺が元の世界で聞いてたのは、ちょっと違ってたような」
「ほう、異大陸にもルクレールの名が広まっていたのか?」
「ああ。レオス教って宗教があってさ、その中にルクレールの名前があった。
 あっちじゃ大天使って言われてたな」

 かつて立ち寄ったレオス教の教会に、神と大天使の像が併せて設置されていたのを思い出す。
 元の世界では、エレノア・ルクレールという存在は、恐れられるどころかむしろ々を救済する存在みたいな、そんなイメージが定着していたような気がする。
 そんな風に考えていると、唐突に怖い顔が視界にずいっと移りこんできた。

「レオス? レオスと言ったか?」

 メレクウルクは、信じられないことを耳にしたといった様子で、スロウの顔を覗き込んでくる。

「え、うん。
 正式名称は確か、なんていったっけな……エクスレオス教、だったと思うんだけど」

 その落ちくぼんだ不気味な瞳にたじろぎながら答える。
 この辺はデューイとかヘンリーから聞いていた話だ。正式名称に関してはみんなレオス教と省略して呼んでいたのでうろ覚えだったが……確かこれであっているはずだ。

 その名前のいったい何が気になったのだろうと訝しんでいると、メレクウルクは突然大笑いし始めた。

「く、ふはははははは!!」

 ぎょっとしてその歪な巨人を凝視する。
 なんだ、何がおかしいんだ?

「これはお笑い草だ!
 あのレオスが!! よりにもよって神だと!? ははははは!!」

 彼は無い腹を抱えて――これ見よがしにと、砂漠に響き渡るような大声で笑っていた。
 必要以上に大きな声で、まるでどこかの誰かに聞こえるようにしているような印象すら感じたスロウは、黙って何も言えなくなっていた。

 やがて彼は……何者かを見下すような目を浮かべて話し始めた。

「良いか、同郷の者よ。
 レオス――エクスレオスというのはな、イストリアを統治していた王の名前だよ。
 神などではない」
「お、王さま?」
「そうだ。レオスはかつて、ある魔法道具を用い、自ら不老不死となり果てた。
 罪を犯し追放されゆく者にしか使わないはずの、その魔法道具でな。
 そして何百年とイストリアを統べていたのだ」

 メレクウルクは、これほど滑稽な話は無いと言わんばかりに笑いをこらえている。
 明らかに侮蔑が混じった笑い方だった。

「くっくっく、しかしあれほど愚鈍な王が言うに事欠いて神などとは、世も末だな」
「そ、そうなのか?」
「ああ。
 レオスは、情に厚く、誠実で――そして弱い・・男だった。
 民のことを思うあまり愚者の言葉すらも信じ、その主張を一蹴できなかった」

 また、不気味な瞳が目の前までやってきた。
 彼は幼子に現実を言い聞かようとするひねくれもののように、静かに妖しく語りかけてくる。
 自分とメレクウルクの間を撫でるように吹いた熱風が、ことさら不快に感じられた。

「あれは王の器ではない。
 あのような凡俗に統治され続けるなら、イストリアは遠からず滅亡することになるだろう。
 もっとも、もう既に滅んでいるかもしれんがな。
 そう考えると、この砂漠に追放されたのはむしろ幸運だったかもしれぬ」

 『けがの功名』というやつだ。

 メレクウルクはそう言って凶悪に笑った。

 どこか薄汚い邪悪さのようなものを感じ取ったスロウは、喉に何かが詰まるような感覚に陥る。
そこで、きっと同じような感覚を抱いたのであろう、黙って岩の山にもたれかかっていたエフィールがおもむろに口を開いた。

「……あんた、追放されたって言ってたわよね。
 なんで追放されたのよ」
「あぁ、殺し合いを仕組んでやったのだ、血を分けた兄弟たちにな」

 一瞬何を言っているのか分からなかった。

 彼は意味が分からず絶句している二人のことなど気にも留めずに「くふ」と邪悪な笑みを浮かべて、その幽霊のような顔を歪ませた。

「……醜かったのだよ、我が兄弟たちは。
 やつらは以前から、ほんの少し煽られただけで簡単に身内を疑い、攻撃するような浅はかな連中だった。
 私にもあのクズどもの血が流れているのかと思うと、腹の底が煮えたぎるほどでな。
 ――やつらに殺し合いをさせてやろうと思い立ったのは、そんな時だった。
 思いのほか簡単だったよ、狙いどおりに事を運ぶのは。
 あの愚鈍な連中が絶望の底に落ちてゆくのを眺めるのは、なかなかに愉しかった」
「……狂ってるわね」
「人間というのは、どこの世界でも狂っているものさ。
 少なくとも私はそれを自覚しているぞ。
 狂気の自覚もなく正義ばかり振りかざしている連中よりは、マシであろう?」

 メレクウルクは、そこではっきりとエフィールに向いてこう言った。
「赤い髪の少女よ。貴様なら私の言いたいことが少しは分かると思うのだが」

 ――貴様からは、同類のにおいがするからな。

 メレクウルクがそうして憐れむような視線を向けると、エフィールは金色の瞳を鋭くさせた。彼女は「その腕輪、今すぐ壊してやってもいいのよ?」と溢れんばかりの殺気を出し始め、ピリついた空気が砂漠の熱気に流れ出した。

「ちょ、落ちつけ落ちつけ!」

 両手を出して必死になだめながら、エフィールに「魔人だとバレるぞ」と小声で伝える。
 彼女が納得のいかない顔で引き下がったのを見ながら追放者の男に顔を向けると、メレクウルクはにやにやと笑っていた。

「おや、来ないのか? まあ良い。
 して他に聞きたいことはあるか? 同郷の者よ」
「いやっ……とりあえずは十分かな……!」

 なぜか苛立ちのようなものが湧いてくるのを抑えながら、そう答えた。
 聞きたいことは大体聞けたし……それよりも、この二人が急に戦いだすのは阻止したい。
 今日はこの辺で切り上げたほうが良い。

「では、準備に取りかかれ」
「うん……うん?」
「旅の準備だ。帰りたいのだろう?」

 メレクウルクは、にやりと笑った。

「北東にオアシスの街がある。
 そこへ案内してやろう、同郷の者よ。
 あの街でなら、異世界渡りの情報も手に入るかもしれん」

 ――そうして、不安と不満を抱きつつ、長い旅の準備に入ったのだった。