第八十話 やりなおし

 この数日の間に、ついに稼ぎを見つけることができた。

 場所は事前に目をつけていた、あの冒険者と同じにおいを感じるあの建物だ。
 やっぱりそこは自分と縁のある場所だったらしい。

 ――きっかけは都市の外側を見て回っているときだった。

 砂漠の向こうからやってきた集団がいて、なんとなく目を惹かれたスロウはその様子をじっくり観察することにする。

 どうやらその集団は、砂漠の外で何か戦いをして戻ってきたようだった。
 見たところ怪我をしている人物が多く、砂埃にまみれてずいぶんとボロボロの様相を呈していた。

 あの疲れ切った身体の動かし方には、とても見覚えがある。
 まさしく、自分たちが強大な魔物と戦ってきた後のそれだ。
 彼らの職分は、戦闘か。

 ……もしそうだったら、自分でもそれなりに活躍できるのではないかと考えた。
 相手を倒すだけで報酬がもらえる実力の世界であれば、言葉が通じなくとも稼げるだろう。

 スロウはその異種族の集団に駆け寄り、まったく通じない異大陸語で話しかける。
 彼らはたぶん怪訝そうな表情を浮かべていたのだと思うが、剣を持って戦うようなジェスチャーをすると意図が伝わったらしい。

 が、その日はもう仕事がなかったのか、居座ろうとしても追い払われ、
 結局彼らについていくことができたのは翌日からだった。

 砂漠に出て、異種族の集団についていき、やがて遭遇したのは――
 一体の魔物である。

 頬が吊り上がった。得意分野だ。今までさんざんこの手のやつとは戦ってきている。
 我先にと武器を抜いて攻撃を始めた異種族たちにならい、自らも意気揚々と剣を引き抜いた。

 これなら余裕で稼げるだろう。そう思っていたのだが……
 正直に言おう、まるで歯が立たなかった。

 砂漠の魔物は、恐ろしく強かった。

 数が多いわけじゃない。相手にするのは一体だけ。
 なのに、丸一日かけても倒しきれなかった。

 すさまじい反射速度や異様な筋力だけではなく、ごく当たり前にフェイントかけてきたり、背後に回り込まれないように立ちまわっていたりと、人間並みの知性を感じるのだ。
 殺意のオーラからして元いた世界のやつらとは違うし、もう化け物でしかない。
 ……これ、気を抜いてたら簡単に死ぬぞ。

 いま討伐を試みているのは巨大なサソリ型の魔物で、すでに脚を数本失っているにも関わらず、とんでもない機動で動きまわる。
 しかしながら甲殻部分にかなりのひびが確認できるので倒せないことはなさそうだが……前の人たちは一体どうやってここまで傷を負わせたんだ? 

 それでもどうにか倒そうと奮戦していると、途中で別の巨大な魔物がやってきたことがあって、その瞬間に全員が一斉に街に向かって逃げ始めた。あまりにも潔すぎて自分は逃げ遅れそうになった。

 え、もしかして、この世界の魔物ってみんなあのレベルなの……?

――真偽の程は定かではないが、『二体以上とは絶対に戦わない』そのルールだけは新参者の自分でもすぐに理解した。

 唯一の救いは個体数が少ないために遭遇する機会も少ないことくらいだろうか。少数精鋭、とでも言うべきか。転移してからこのオアシスの都市にやってくる途中で魔物に出会わなかった件も考えるとその認識で合っているのかもしれない。

 戦闘には参加しただけで金がもらえた。
 大した活躍はできなかったが、一応いるだけで囮にはなるからだろうか、たった一日で緑石が一個手に入る。
 緑石が一個だ。豚人族の集落で暮らしてきた自分にとってはかなりの大金に思えた……命がけの戦いに見合う金額かどうかは不明だけど。

 とりあえず、宿やメシの問題は片付きそうである。

 ――心配だったのは、エフィールの件だった。

「エフィール! 危ない!」
「っ!?」

 魔物の尾針が、エフィールの頭上スレスレのところをかすめる。
 彼女は冷や汗を流しながら回避したあとに重力魔法で距離を取りつつ、光の弓矢で射撃を加えた。

 ――魔物退治にはエフィールも来てくれたのだが、戦いの最中の様子がおかしかった。

 他の異種族たちのメンバーに比べれば、彼女の立ち回りや攻撃はかなり機敏で正確だ。
 すでにこの中でも上位に食い込む実力を見せているだろう。
 でも、なにかが足りない。

 廃都ベレウェルで戦ったときの彼女の動きはもっと鋭かったはずだ。あれに比べたら今のエフィールははっきり言って雑魚である。
 こんなのは、本来の実力ではないはずだ。

 ……その日はひとまず一人の怪我人もなく、オアシスに帰還できた。

 討伐隊のリーダーらしき多腕の異種族から緑石をもらい、宿へと戻る途中でエフィールに話しかける。

「なあ、らしくないじゃないか。
 あんなとこでボーっとしてるなんて」
「……ごめんなさい……」

 彼女は言い訳をするまでもなく、ただ謝罪の言葉を口にする。

 こんなやりとりが何日も続いているのだ。戦闘中どこか危なっかしいエフィールがミスをして、それを帰り道で謝られる。不必要に肩身の狭い思いをしているような印象さえあった。

 本人の希望もあったのでしばらく魔物退治に協力してもらってはいたが……これ以上は危険だろうか。

 申し訳なさそうに佇む彼女の様子にいたたまれなくなってきたスロウは、
 ついにある提案をすることにした。

「エフィール。
 お前さ、この世界に残れよ」

 彼女は、何を言っている、と言わんばかりに鋭い目線を向けてくる。

「何があったか全部は知らないけど、無理して元いたところに戻らなくてもいいだろ?
 この街でなら平和に過ごせるだろうし」
「そんな簡単に割り切れないわよ……!」
「どうして?」
「だって……っ!
 あたしがしくじってなきゃ、ここと同じ景色が『向こう』にもあったかもしれないのに……!」

 彼女は歯を食いしばるようにしてうつむいた。
 やはり何か事情があったらしいことを悟りつつ、言葉を続ける。

「俺さ、お前にはけっこう感謝してるんだ。
 お前がいないと俺、この砂漠で野垂れ死んでただろうし、ずっと前に水の太陽から命を救ってもらった恩もまだ残ってるんだ。
 ……ベレウェルで痛い目にあわされた件もあるけどさ」
「何が言いたいのよ」

 エフィールは金色の瞳を刃のように鋭くさせてにらんでくる。
 怖い目だ。
 でもその目の色は、今のスロウには、やけになった子どものそれみたいに思えた。

「――ここなら、もう怯えて暮らす必要ないだろ」

 わずかに伏せた彼女の顔が、赤い髪で見えなくなった。

 ……この街には、彼女が魔人であるというだけで迫害してくる者はいない。
 まして命を狙うジャッジなんか、いるはずもない。

 彼女にとってこの砂漠の大陸は、二度目の人生をやり直せる唯一の場所になるだろう。

 今までの罪も、間違いも、失敗も。

 全部帳消しにして、やり直し。

 元の世界に戻って、一人孤独に旅をしながら、ジャッジや人々からの敵意に怯える毎日を過ごすくらいなら……。

 誰も自分を知らない場所でまっとうに生きようとすることくらい、許されるんじゃないか?

「…………」

 ――その後、彼女は何も言わずにスロウのもとを離れて、街のどこかへと消えていった。

 それから、エフィールとはほとんど会話をしなかった。

 彼女は朝起きると街へ出て行って、日が暮れた後に戻ってくる。
 何をしていたのかは知らない。が、わざわざ聞く必要もないだろう。

 魔物退治には参加する日もあれば休む日もあった。
 しかし夜になればあの宿屋に戻ってきて、ハンモックの上でちゃんと休んでいる……。

 スロウはひとまず魔物退治に参加し、金を集めて、時間があれば街を散策して元の世界に帰る方法がないか探り続けた。

 そんな日々を送ってさらに数日が経過し――

 オアシスの街『デリン・ヤオホ』に住み始めて、実に十日目となる日のことだった。

「あたし……ここに残りたい」

 エフィール・エーデルハイドは、元の世界に帰らないことを選んだ。