第八十四話 行き止まり

 マーヤと呼ばれた踊り子の少女は、黙ったままエフィールの目を見据えていた。

 エフィールは何かを言おうとして口を開いたようだが、そこから言葉が発せられることはなく、やがて……ひどく怯えた表情を浮かべだす。

 じり、じりと震える足で後ずさりしたエフィールは、踊り子の少女が一歩踏み出してきた瞬間――背中を向けて一目散に逃げ出したのだった。

「お、おい!」

 あまりにあっけない顛末てんまつにスロウはほとんど何もできなかった。
 逃げていく魔人の娘の後ろ姿を見てどうするべきか一瞬迷い、二人組の方を振り返った。

「えっと、ごめん! また今度!」

 この場で伝えるべき言葉として敵しているかは不明だが、とにかくそれだけ言ってその場を後にする。
 山羊頭と踊り子の少女の二人組は、しばらくその場に立ち尽くしていた。

「エフィール!」

 ――オアシスに面した畑の横を通り、露店の前を遮って、いまだによく分かっていない街の細道に入り込んだあと……ようやく追いついた彼女の腕を掴んで引き寄せると、エフィールは心底怯えたような表情で見上げてくる。
 しかし、追いかけてきたのがスロウであると認識すると、途端に複雑そうな顔をしてうつむいた。

「……ごめんなさい……」

 何に対して謝っているのか。
 スロウは動揺の色を隠しきれていないエフィールを離したあと、軽く周りを見回した。

 たどり着いた先は、行き止まり。
 向かう先を見失って立ち尽くしていた彼女に声をかける形でこの追いかけっこは幕を閉じたことになる。

「エフィール。謝るのはむしろ俺の方だ」
「……?」
「少し前に、この街であの子と会ったんだ。
 あの髪の色を見て、まさかと思って言えなかった。
 すまない」

 そう言って頭を下げると……視界の上の方からぽつりと声が聞こえる。

「……どっちにしても、やっぱりあたしはここに居ちゃダメだったってことね……」

 下げていた頭を上げると、彼女はすでに何かを諦めたような覇気のない無表情に変わっていた。

「……とりあえず、お前は今日は休んでろ。
 俺はこのあと魔物退治に行くから、宿の近くまで一緒に送ってやる」

 確か、南の方に新しく移ったんだよな。
 そう確認して行き止まりに背を向けて歩き出そうとしたとき、後ろから裾を引かれる。

「待って。
 魔物退治……あたしも一緒に行っていい?」
「えっ」

 唐突な申し出に混乱していると、さらに彼女は消え入りそうな声で言葉を続けた。

「あんまり、街の中にいたくない」

 振り切ろうと思えば簡単に振り切れるほど弱い力でこちらを掴んで離さない魔人の娘。
 スロウは頭を抱えた。

 どうしたらいいんだ。
 一緒に魔物退治に連れていくべきか、それとも宿まで送るべきか。
 どれだけ考えても納得のいく答えは出ない。
 彼女は相変わらず、裾を掴んだまま黙っている。

 ――結局、スロウはしぶしぶ同行を許した。

 今日はあまり戦いに参加しないようにと念を押し、共に砂漠の外へと向かっていく。

 移動しているとき、彼女はずっとフードを被ったままだった。
 赤い髪を隠し、顔を伏せて、人を避けるように離れて歩いている。
 率直に言って、容易く壊れてしまいそうな雰囲気があった。

 魔物退治とは言うが、現在討伐を試みているサソリ型の魔物は異様に強い。
 今の彼女をそいつと戦わせるのは不安だったが、だからといって街にひとりで残したらそれもそれで何かの取返しがつかなくなるような気がする。

 ……悪い予感がしていた。

 そして、それは的中することになった。

 外に出てサソリ型の魔物と戦っている最中。
 スロウが他の山羊頭などのメンバーと協力して囲むように立ちまわっていたときだった。

 ふとそいつは、ひとり離れて動いていたエフィールに狙いをつけて突進した。

 援護に回れる者は、近くに誰もいなかった。

 ――次の瞬間、エフィールは魔物の尾先に左胸を突かれ、

 糸の切れた人形みたいにパタリと倒れた。