第八十五話 魔法の傷薬

「う、うあああぁ!!」

 一瞬のスキを見せたサソリに超速で接近し、剣を突き出す。

 そいつの頭部には大きな傷がつき、さらに奥深いところまで突き刺さった。
 内部で風を爆散させて無理やり剣を抜いたあと、目の前の巨大なサソリは甲殻の中身をギチギチと喚かせて、砂丘の向こうへと一目散に逃げていく。

 背後から歓声か、呼び声か、とにかく異種族の者たちの声がしたが……
 そんなのはまるで耳に入らなかった。

「エフィール! しっかりしろ!」

 両の腕に抱かれている赤髪の魔人は、何も答えてくれない。

 左胸から湧き出ていたであろう赤い血はすでに乾いた熱砂に染み込んでいて、辺り一帯に鉄みたいな嫌な匂いをむせかえらせていた。

 だらりと垂れた彼女の身体が、異様に重くて。
 中途半端な薄開きで止まったまぶたの裏が怖くて覗けない。

 ――頭のてっぺんに差す強烈な日差しとは真逆の、腹が底冷えのするような気持ちの悪い感覚に、汗を流れ落ちるのを感じていた。

 ……ふと、肩を叩かれた気がして振り返ると、一緒にサソリ型の魔物と戦っていた異種族たちがこちらを見ている……。

 根本的に人間のそれとは異なる骨格、表情筋。
 なのに、そこに浮かべられている感情になんとなく気が付いて、スロウは頭が真っ白になった。

 ……あのエフィールが、死ん……。

 そう考え切る直前、脳裏にあるものが浮かんだ。

 背後にいた異種族たちが気遣うようにそばを離れていく気配を感じながら、その物品を彼女の持ち物の中から探し出す。

『――それは?』
『どんな傷でも癒せる回復薬。
 たとえ致命傷でもほぼ完ぺきに生き返る超一級品』

 思い出される彼女との会話。
 ほんの数滴だけしか残っていない、無色透明の液体。
 効果を聞いて、きっと最上級の魔法道具として扱われていたに違いないと思った。

 その輪郭と全く同じものを、彼女の装備品の中についに探り当てる。

 親指と小指の間でつまめるような小さな瓶だ。
 割れていない。中身は、無事だ。

 その小瓶をこぼさないように急いで開け、ほんの数滴しかない無色透明の液体をエフィールの左胸に、そして、口元に垂らした。

 ――彼女の身体は、やがて金色の光に覆われた。

「……使ったのね、魔法の薬を」

 開口一番に、彼女はそう呟いた。

 眼下には、オアシスの街『デリン・ヤオホ』が広がっている。

 砂漠の真ん中からあそこへ帰っていく途中で、エフィールは目覚めたのだ。

 ……真っ赤に染め上げられた夕焼けの底を歩いていたら、背負われていたエフィールに「待って」と言われる。
 その後、要求されるがままに彼女を砂の地面に下ろした。

 見たところ容態は落ち着いているようだ。呼吸も安定している。
 魔法の薬の効果は聞いた通りだったらしい。
 目の前の少女には、もはや傷ひとつないように思えるほどだ。

 彼女は涼しくなった赤い砂漠で、穴の空いた服を隠すように暗いマントを引き寄せて黙っていた。

 ――それから、街へ戻ろうと促してもエフィールは動こうとしなかった。
 無表情のまま暗いマントの襟を握って、そのまま一歩も動こうとしなかった。

 オアシスの街に近いけれど、その外となる場所に二人は立っていた。

「魔人事件のとき」

 長い沈黙のなか、彼女がポツリと言う。

「暴走した一族のみんなを、止めようとしたのよ。
 でも、しくじった。
 研究所の人たちを、守れなかったの」

 そして、エフィール・エーデルハイドは語ってくれた。
 『魔人事件』が起こるまでの経緯と、その後の出来事を――……。