第八十七話 応えられるのは

 ――翌日、スロウはオアシスの近辺を歩いていた。

 昨日のあの夕焼け時のような静けさは今はもうどこにも面影が無い。
 爛々と照り付ける太陽が昇っている日中、このオアシスの街はすでに普段通りの活気を取り戻していた。何が起ころうと世界は回り続けると証明するかのように、今までと同じ風景を繰り返している。

 揺れ動く水面の反射する光に目を細めながら、巨大な水源の外周をぐるりと周る。

 目的の人物は、すぐに見つかった。

 昨日と同じようにオアシスのそばで佇んでいたその怪しげな二人組に近づいていくと、向こうもすぐに気がついたようだ。

 そのままゆっくりと歩いて行って、踊り子のような風貌をした少女にたった一言を告げた。

「エフィールのことで話がしたい」

 ――彼女と同じ赤い髪を伸ばしたその少女は、願ってもない話とばかりに微笑んだのだった。

踊り子の少女に案内されて、涼しい木陰に腰を下ろす。

 目の前に広がるオアシスは相変わらずきらきらと水面を揺らめかせており、わずかな波が衝突しあう音をひたすら繰り返している。頭上では背の高い木が首を伸ばしていて、そのてっぺんに広げた大きな葉っぱの隙間から炎天の日差しがちらちらと覗いていた。

 座りながら、木の裏側に立つ山羊頭の男にやや怖気づいていると、隣に座った少女がまた黙ったままで左手を差し出してくる。
 手のひらにはやはり、ルーン文字の刻まれたペンダントが結び付けられていた。

 ……前もこんな風に手を差し出されてたな。
 こんなに繰り返して同じことをするということは、何か意味があるのだろうか。

 以前は警戒して何も触れずに去ったが、今回ばかりは話を聞かなければなるまい。
 思い切ってその小さい手を取った。

『――聞こえる?』
「あ、え?」

 頭の中に直接声が届いてきた。
 驚いて視線を向けると、目の前の少女は口を一切動かしていない。
 しかし、彼女はまっすぐにこちらの目を見て佇んでいる……。

「……魔法道具の力か」
『そう。念話できるのは私から一方的に、って制限付きだけど……
 これで話せるでしょう』

 彼女は鈴を転がしたような笑い声を伝わせてくる。
 ちゃんと言葉が通じているのか。
 魔法道具によってエーデルハイド族の言語も勝手に通訳されてるのか、それとも彼女がスロウにも分かる言葉で話しているのかは不明だ。

『ごめんなさいね。しばらく前から声が出せなくなってしまって。
 このペンダントが無いと会話もできないの。分かりにくくて申し訳ないわ』

 見た目に似合わず、ずいぶんと大人びてるなと思った。
 背丈で言ったらエフィールよりも小さいはずだが……もしかしてこっちの方が年上なのだろうか。

 そんな失礼なことを一瞬考えて自分で冷や汗をかいたが、やはり念話は向こうからの一方通行なのか、彼女は何も反応せずにそのまま話を続ける。

『私はマーヤ。
 マーヤフロイデ・エーデルハイド。あなたは?』
「……スロウだ」
『そう。スロウ。
 早速だけど、ひとつだけ聞かせて。
 ――あの子はいま、どうしてるの?』

 マーヤと名乗った踊り子の少女の質問に、スロウはややあってから前夜のことを思い出した。

「エフィールは……
 いまは、宿で休んでいるはずだ」

 スロウは語った。

 昨日……ずっと泣いていたエフィールを新しく移ったという宿まで運んで行ったことを。
 彼女が泣き疲れて眠るまでそばにいて、朝を迎えてからこうして話をしにきたことを。

 それらを淡々と一通り話し終えると……彼女は突然真剣な眼差しを向けてくる。

『……あなた、エーフィとどういう関係なの? まさか恋人?』

 ぽかんとした。

 口を開けて呆けていた自分とは対照的に、踊り子の少女は口を結んだまま真面目な表情を浮かべている。

 一拍置いてからスロウは笑って答えた。

「いや、違うよ。
 ――ただ、いろいろ借りがあるだけさ」

『まずは、魔人事件のことから話そうかしら。
 あなた、エーフィからなにか聞いてる?』

 彼女は丸い金色の瞳で見上げてきた。
 口が動いてないのにも関わらず声が伝わってくることに慣れない違和感を感じつつ、こちらはちゃんと口を動かして答える。

「そうだな……エフィールが一族と研究所の職員全員を皆殺しにしたっていうのは誤解で、実際には暴走した一族が自滅した……と、そう聞いてる」
『たぶん、それが本当の話だと思うわ。
 私はその場に居なかったけど、それでも一族の様子がおかしくなってたのは、なんとなく分かってたから』

 マーヤは続けた『それに、あの子が人を殺すなんて信じられないもの』

「……エフィールは、どういう存在だったんだ?」

 こちらが声に出して伝えると、彼女はややあってから手を握り返してきた。

『一族の誇り、だったんだと思う。
 才能に溢れていて、その力をいつでも誰かのために使おうとしてた。
 ……エーフィは孤児だったの。両親が事故で亡くなってて』
「事故?」
『ええ、崖崩れがあったって聞いてるわ。
 そのときエーフィも親といっしょに巻き込まれて……でも、生還した。
 幼かったあの子を、両親が抱え込むようにして守ったみたいなの。
 それからは、一族みんなで面倒を見てたわ』

 マーヤはそこで、懐かしむように天を見上げた。
 頭上に伸びるオアシスの樹木が、彼女の額に大雑把な木漏れ日を揺り落としている……。

『私は、あの子と年が近くてね。
 幼いころはよく一緒に遊んでた。
 色んな人から優しくされてて、少しうらやましかったのを覚えてる。
 ――魔人事件が起きてからは、今までずっと会えなかったんだけどね』

 それから、片膝を抱えた踊り子の少女は、魔人事件以降の一族側の動きを教えてくれた。

 いわく、かなり複雑な状況にいたのだと。

 研究所襲撃が失敗に終わり、エフィールが指名手配されたことを知って……自分たちが名乗り出るべきか。
 いや、今までの悪事まで暴かれたら今度こそ私たちは終わりだ。そんなセこい保身がまずあって……。

 ――そして同時に、エフィールにすべての罪を被せるというやり方は誰も口にしようとはしなかったという。
 『さすがにそこまでは一族のプライドが許さなかった……って私は思いたいわね』とマーヤはうつむいた。

『とにもかくにもエフィールを探さないとって結論になったけれど、
 情けないことに、罪悪感があるだけに表立って動けなくってね。
 みんなで足踏みしている間に私だけ転移魔法に巻き込まれて、一年前にこの砂漠にやってきたの』

 その後は、生き残るのに必死だったらしい。
 砂漠に転移したマーヤはスロウたちと同じように水に困り、謎の砂嵐に吐き気を覚え、どうにかこのオアシスの街までたどり着いたとか。
 すぐ後ろにいる山羊頭の相方とは、そのときに出会ったらしい。

 まったくの別世界に遭難してから、当然ながらエフィールはおろか一族の現状も分からなくなってしまったと、彼女はそう話をまとめた。

『……まさか、こんなところで会えるなんて思ってなかったけどね。
 すごく心配だったのよ。
 あの子はとても才能に溢れた人だったけど、中身はただ普通の女の子で。
 ――私の記憶が正しければ、あの子、いまは十七歳のはずよ』
「十七歳!?」

 口をあんぐりと開けて仰天した。
 俺やセナより二つも年下じゃないか。

 待てよ、確か魔人事件が起こったのが三年前だから……。
 あいつ十四歳のときから今までずっと一人で生きてきたのか。
 ジャッジや街の人々に追われながら。

 ――茫然としている自分に、マーヤは色んなことを話してくれた。
 エフィールが幼いころ腕に大怪我を負ったこと、それを一族のみんなで癒したこと。それ以来、彼女が自分の力を他人のために使おうとし始めたこと……。

 スロウは、自分が過去にエフィールと何があったのかを話した。
 水の太陽から助けられたことや、ベレウェルで戦ったこと、
 転移してからはこの砂漠の大陸を二人で生き抜いてきたこと……。

『……あの子のこと、あなたはどう思ってる?』

 ふと、踊り子の少女から金色の瞳を向けられた。

「…………俺は…………」
『もしあなたさえ良ければ、エーフィを――エフィールを助けてあげてほしい。
 あの子、きっと奥底では誰かの助けを必要としてるはずだから』

 ――たぶん、それに応えられるのはあなたしかいない。

 彼女はそれだけ念話で伝えてくると、今までずっと繋いでいた手を離して立ち上がる。

 スロウが座ったまま見上げていると、マーヤフロイデ・エーデルハイドは静かにこちらを見つめたあと、傍らに佇んでいた山羊頭と一緒にその場を去った。

 目の前には相も変わらずきらきらとオアシスが輝いていて、それをぼんやりと眺めながらしばらく考え込んだのだった。