第百五話 顔合わせ

――セナ視点――

 ……ゆっくりとまぶたを持ち上げて、わたしはぼんやりと天井をながめた。

 なんだか重く感じる腕を額に当てて、もういちど心地よい暗闇の余韻にひたろうとする。

 ……あれ……

 そういえばわたし、スロウさんと再会できたはずじゃ――。

 そこで、とつぜんわたしはハッとした。

 うまく力の入らない上半身をがんばって起こし、

 見下ろした自分の全身に柔らかい手触りの包帯が巻かれていることにようやく気が付いて、少しずつ記憶が戻ってきた。

(そうだ、あの決闘のあと、わたし倒れちゃったんだっけ……)

 ――スロウさんと再会した直後の映像がよみがえってくる。

『セナ!? セナ!!』
『お待ちくだされ!
 きっと、今までずっと張りつめていた緊張の糸が解けたんでしょう。
 以前に負った怪我も尾を引いておる。
 今はとにかく、休ませてやらねば」

 ……そんな会話が、おぼろげながらに聞こえていた気がする。
 たしかに、スロウさんに再会してから安心して力がうまく入らなくなっちゃってたけど、でもまさか意識まで失ってしまうなんて……。

 ……それにしても。

(どうしよう、みんなの前でスロウさんに抱きついちゃった)

 わたしは熱くなった頬を両手でおさえた。

 いくら嬉しかったからって、あんなことしたらほかのみんなにどう言われるか……。
 わたしが気を失ってる間に、おじいちゃんとかが変なこと言ってなければいいですけど……。

 わたしは顔を両手にうずめて、ふうっと離した。

 顔に触れる空気が涼しい。

「あっ……」

 そこで、わたしは聞こえてきた声に視線を上げた。

 この部屋に一歩入ってくる体勢のまま固まっていたのは、赤い髪にきれいな金色の瞳を携えた女の子。

 その小柄な子は、なにかのすり鉢や薬草らしき植物を抱えた状態で、慌てたようにフードを被った。

 この子は、見覚えがある。

「……あなたは、ベレウェルの時の……」
「これ、薬だから」

 そう言ってわたしの膝のうえに諸々の薬を置いた彼女は「他の人はちゃんと呼んでおくから」とだけ言って立ち去ろうとする。

「ま、待ってください!」

 部屋を出るギリギリで足を止めてくれたその子に、わたしは以前よりも調子よく感じる喉で話しかけた。

「この包帯、あなたが巻いてくれたんですか?
 それだけじゃなくて、いろいろ看病してくれたのも……」
「……」

 その子は、あんまり動こうとしなかった。
 ただじっと背中だけ見せた状態で、小さく頷いている。

「お礼だけでも言わせてもらえませんか?」
「……でも、あたし、そんなことされる立場じゃ……」
「じゃあ、やっぱりベレウェルの時の……」

 確か、エーデルハイドの魔人と呼ばれていた子でしょうか。
 どこかびくびくとしている様子の彼女は、わたしに背を向けたまま震えた声で話し始める。

「あの時は、ほんとうにごめんなさい。
 あたしのことが迷惑ならなるべく関わらないようにするから」
「へ?
 いえ、そんな迷惑だなんて……!
 ま、待って!」

 なおも部屋を出ようとするその子を必死で呼び止め、わたしはゆっくりと深呼吸した。

「わたしはセナです。セナ・フラントール。
 あなたのお名前、聞いてもいいですか?」
「……エフィール。
 エフィール・エーデルハイド」
「じゃあエーフィちゃんですね!」

 わたしからの明るい声に、その子はきれいな金色の目をゆっくりと向けてきた。

 なんだかこの感じ、むかし村の内気な子どもといっしょに遊んでいたときを思い出します。

「わたし、ほんとうはだれかと勝ち負けを争うのがちょっとだけ苦手だったんです。
 だから、ベレウェルでのことはお互い忘れましょう!
 いまのわたしは、できるならエーフィちゃんと仲良くなりたいです。
 エーフィちゃんはどうですか?」
「……」

 やがて、不安げな眼差しのままゆっくりとこちらに向き直ってくれたその子は、ベッドのそばの椅子にこしかけた。

 それから、エーフィちゃんといろんな話をした。

 最初はお互いの好きなものとか、この集落に来たときの印象とかから話を始めて。

 そして、水の太陽に転移させられた後の話を聞いた。

 スロウさんに助けられて、一緒に砂漠の世界を渡り歩いたこと、
 数か月をかけてどうにかこっちの世界に戻ってこれたこと……。
 そして、わたしを助けるためにスロウさんに協力してくれていたこと。

 わたしの怪我の治療をしてくれたのもやっぱりこの子だったみたい。

 そのことに改めて感謝を伝えたら、エーフィちゃんはつらそうな顔をしながらゆっくりと口を開いた。

「……でも、あなたとあなたの大事な仲間を傷つけたことは事実。
 このことに関して変に言い訳をするつもりは無いわ。
 罰が必要だというのなら何でも受ける。
 なんならあの『魔人狩り』――ジャッジに引き渡されても構わないから」

 神妙な面持ちでそう告げられて、わたしは困った。
 うう、そこまで恨んでるつもりはないのに……。
 確かにスロウさんと離れ離れになって、たくさん不安な思いはしましたけれど、でもちゃんと生きて戻ってきてくれたんです。たぶん、エーフィちゃんの協力を得て、そのおかげで。

 でも、だからといって何も要求しないと、それすら負担に感じさせてしまうかもしれません。

 どうしましょう。

 ――そこでわたしは閃いた。

「そうだ! それじゃあエーフィちゃん、わたしに協力してくれませんか?」
「……協力?」
「はい」

 わたしは寝床から身を乗り出すようにして、エーフィちゃんにささやいた。

「わたし、このセトゥムナ連合に戻ってきてからずっと考えてることがあって、やっぱりほんとうは決闘なんかやりたくないんです。
 勝ったとか、負けたとか、そういうのにどうしてもなじめないみたいで。
 だから魔法道具のことが好きなのかもしれないですけど」
「……それと魔法道具がどう関係するの?」
「ほら、魔法道具はそれぞれが固有の能力を持っているじゃないですか。
 どれひとつをとっても、同じ尺度で測れないんです。
 どっちが優れてるとか、劣ってるとか、簡単には言い切れない。
 だから、わたし、魔法道具のこと調べてるとなんだか自分の知らない世界を見せてもらえてるような気がして。
 もちろん、実際はそんなことないんですけどね」

 わたしはおどけるように笑った。
 なんだかんだで、決闘でも魔法道具は使われてるし、その勝敗で資源の分配が決まってる。
 結局はただの夢幻ゆめまぼろしなのかもしれない。
 でも……。

「……分かっては、いるんです。
 どんな生き物だって競争しないと生きていけないことくらい。
 食べ物にだって限りがありますし、それを手に入れるには、やっぱり誰かと争わないといけません。
 ……でも、そういう世界になんだか疲れてしまっている自分もいて……
 だから、世の中全部とまではいかなくても、ほんの少し休める場所を作りたいんです」

 そこで、わたしはエーフィちゃんに視線を戻した。

「だから、ほんの少しでも応援してもらえたら、わたしはすごく嬉しいな」
「……それで罪滅ぼしになるのなら」

 わたしは苦笑した。
 そこまで重く考えなくてもいいのに。
 でも、ちょっとだけ空気は良くなった気がする。

「それじゃあ! これからもよろしくお願いします、エーフィちゃん!」
「う、うん……セナ……さん」
「もう、『さん』はいらないですから!」

 困ったように首を撫でるエーフィちゃんに、わたしは微笑みかけてあげた。

「――セナ、目が覚めたんだ」

 そこで部屋に入ってきた人物に、わたしはパッと顔が明るくなった。

「スロウさん!」
「ちょ、そんな無理して動かないで」

 寝床から飛び出そうとするわたしを制止したその人は、以前と変わらない優しい笑みを見せてくれる。
 心地よいその声に耳が動いてしまうのを自分でも意識しながら、髪を撫でて姿勢を整えた。

「けがの様子は?」
「……平気です!
 と、言いたいところですけど……」

 急に動かした身体の節々が痛みを訴えてくるのを感じて、わたしは声をひそめた。

「まだしばらくは動けないかもしれないです……ごめんなさい……」
「いいよ。もし決闘があったら俺が出るから、セナはゆっくり休んでて。
 ところで……もしかして二人ともお互いのことはもう――」
「あたしの正体はもう明かしたわ。
 ……すっごく緊張したけど」
「よかった。じゃあ、俺が説得に入る必要はない、かな?」
「……なんの説得よ」
「いや、何でもない」

 エーフィちゃんと話している彼のことを、わたしはまじまじと見つめてしまった。

 離れ離れになっていた数か月の間で、もっとかっこよくなっている気がした。

 物腰は前と同じで柔らかいけど、でも足取りがしっかりしててブレがない。
 着ている服装や装備も集落の中にいるのにちゃんとしてて、こうして話してる間も油断なく外の気配に耳を澄ませてるみたいだった。
 このきりっとした感じは、エーフィちゃんが言っていた砂漠の世界というところで培ったんでしょうか。

 目の前に立たれた瞬間に届いてきた嗅ぎ慣れない異界のにおいにどきどきとしながら、わたしは顔を赤くした。

 こんな人に、わたし、みんなの前で抱きついちゃったんだ……

 室内が暑くなったように感じながら、兎人族の象徴である自慢の縦耳を撫でて、わたしは彼のことをもう一度見上げる。

 でも、ほんとうによかった。
 話したい事が、たくさんある。
 デューイさんのこととか、ヘンリーさんのこととか、あとセトゥムナ連合に帰ってきたときのこととか。
 話したいことが、ほんとうにたくさん――……。

「で、セナの怪我は治せそうか?」
「時間さえかければ。
 でも普通に動けるようになるまでだったらそんなに時間はかからないと思う」
「そっか、頼りにしてるぞ」

 ――そこで突然、わたしは気が付いた。

 ……あれ?

 そういえば、エーフィちゃん、スロウさんのそばからぜんぜん離れようとしない……。

「ていうかあんた、どこに行ってたのよ。
 半日近く集落にいなかったみたいだけど」
「ああ、ほら、昨日決闘に勝っただろ?
 その後処理だよ。
 ここの族長さんと一緒に鼠人族のところに行って、自分たちは資源の要求はしないこととか、いろいろ話しに―――」

 普通の会話。

 なのに、親密そうな距離感で話すエーフィちゃんのことを、スロウさんのほうも特に不自然に思ってる様子じゃなくて、それどころかスロウさん自身もまんざらでもない声音で話している気がした。

 えっ、なんでそんな雰囲気が……。

 ――そこ、わたしの場所だった、はずなのに――。

 自分の胸のうちに、言いようのないざわめきが湧いてくる。
 濁った泥水みたいな冷たい感情を舌の奥で感じながら、わたしは両手をぎゅっと握りしめた。

 いいや、きっと気のせいだ。

 大丈夫。

 きっと、いつか、このセトゥムナで起こっているいざこざがひと段落すれば、また以前と同じような旅ができるはず――……。

 これからゆっくり時間をかけて、離れていたぶんの時間を取り戻せばいいんだ――……。

 ――そう自分に言い聞かせて、わたしは二人に笑顔を見せ続けた。