第百四話 懐かしい顔

 ――スロウ視点――

 とりあえず、話はあとだ。

 まずは、この序列の七位を倒す!

 いまだ状況がよく分かっていない様子の相手に、問答無用で飛び込んで攻撃を加える。

 割り込みに文句を言わせる時間は与えたくない。
 風をまとって、下から音叉剣を振り上げた直後――……。

 突然、背後から・・・・衝撃を受けた。

「う……っ!?」

 魔法道具か!? と思ったが、目の前に立つ決闘者はまるでいま気が付いたみたいにハッとして慌てて距離を取っていく。

 どういうことだ!? さっきの攻撃はこいつの仕業じゃないのか!?

 判然としないままとにかく追撃を試みた直後、相手が剣を振りかぶる。

「……何者か分からんが、我が毒牙に勝てると思うな!」

 金属製のはずのその剣は、まるで鞭のように大きく刃を伸ばし。
 そして、袈裟掛けに思い切り叩きつけられた。

 予想外のリーチに回避が間に合わず、腹部に切っ先を引っかけられる。

 腹部に鋭い熱が生じた途端に、何か寒気のような感覚が湧いてくるのを実感した。
 服の切れ間から傷口を覗いてみると、じわじわと腐るような痛みとともに、見たことのある気味の悪い青色が肌の下で徐々にその面積を広めていく。

 ――この毒は、ドランドランが受けた……!

「見覚えがあるのか、小僧!」

 右手の剣を構えたまま、左手で大振りのナイフを逆手に突き出してくる『呪毒剣』のルフルス。
 刃が青色に怪しく光っているのを見るに、こっちのナイフにも毒が塗ってあるのだろう。

 先ほど受けた傷からじわじわと生命力が溶かされているような感覚にめまいを覚え始め、俺は剣を地面へ振り下ろした。

 自身を中心に、大地から突き出される、土の杭。

 ルフルスが警戒して距離を取ってくれたのを確認してから、音叉剣を逆手に構える。

「……フーッ、フーッ……!」

 荒くなった自分の呼吸を止めて。

 青く変色した自分の腹部へと、思い切り剣を突き刺した。

 ――全身がこわばって内側から破裂しそうだった。

 あまりの激痛に聴覚が消え、視界が謎の領域にピントを合わせはじめる。

 無限にも近しい時間間隔の遅延のなかで激痛を抱えながら、奥歯が砕けそうになるくらい歯を食いしばって、剣を引き抜き……

 大量の血が流れ出たみたいな過剰な解放感に、息を吐き出した。

 あまりにも重すぎる痛覚の余波を全身で受け止めながら、自分の腹部を確認。

 毒は、消えている。

「これで、全快……!!」

 大量の脂汗をにじませながら、再び相手決闘者を視界に捉えた。
 突然の自傷行為に動きを止めてくれていたらしい『呪毒剣』のルフルスが、明らかにたじろいでいるのが分かった。

 この隙を、逃してたまるか。

 激痛の余波の残る手足で飛び込み、動揺の色が抜けない序列七位へ畳みかけるように剣戟を繰り出す。

「くっ……!?」

 鞭みたいに変形する剣や、毒なんかの絡め手を使ってるせいなのだろうか。
 こいつ、普通の剣術のほうはお粗末だ。

 重い回転斬りを重ね、鞭みたいに伸びる剣のほうを呆気なく弾き飛ばしてやった。
 金属腐食の能力を使うことも考えていたが、その必要はなさそうだ。

「ま、まさか……こんなの、ありえない……!」

 腰の引けた体勢のまま大振りのナイフ一本で応戦してくる相手に、俺はデューイから教わった小手返しで対応。
 堅い土気色の地面に、カランと乾いた音を立てて落ちるナイフ。

 武器はすべて落とした。
 と、思いきや。

 どこからともなく、視認するのも難しい細い刃を取り出して突き出してきたルフルス。

 ――それを首を傾けて回避し、そのままやつの側頭部に切れ味の無い金属剣をぶち当てて昏倒させた。

 どさり、という音とともに、辺りに沈殿する深い静寂。

 倒れこんだ序列七位の決闘者は、そのまま起き上がることはなく。

「しょ、勝者! 『龍剣』スロウ!!」

 そこへ、思い出したように、審判役の半獣人が声を張り裂けた。

 ――

 勝利宣言がなされたあとも沈黙はしばらく続いていた。

 ルフルスが代表していた天樹会側は、呆然とした様子だ。

 自分が背負った兎人族の人たちは……もともと人数が少ないのもあるだろうが、それでも同じ反応である。

 ……あれ、ちゃんとこっちの勝利ってことになったよな……?

 何の反応もない周囲の状況に困惑しはじめた時、向こうのほうから一人の声が聞こえてきた。

「どっ、どういうことだ!?
 確実に勝てるんじゃなかったのか!?」

 ――うわっ、なんだあの趣味の悪い神輿みたいな席は。

 目線を上げて視界の広そうなその席の男を見やる。
 服装は……なんというか、自分の感性では理解できないものだった。
 そもそも自力で歩くことを想定していなさそう、というか。見栄を張るためだけの大げさな衣装という感じだった。ここからだとちょっと離れているので顔とかはよく見えない……あ、もしかしてあれが天樹会の一員なのか。

 俺はそこで、ちらりと、昏倒したルフルスに目を向ける。
 確実に勝てるとかなんとか言ってるけど、そこまでこの決闘者に自信があったんだろうか。

「この連中、近くに隠れてたみたいだけど……
 妨害行為かしら?
 ずいぶんと姑息なことを考えるのね」

 聞き慣れた声が後ろから近づいてきて振り返ると、フードを被ったエフィールが、両手に引きずってきた謎の男たちを広場に放りだすところだった。

 ルフルスのそばにどさりと投げ出されたそいつらから、ルーン文字の刻まれた、矢吹き筒のような武器がコロコロと転がる。

 ……ああ、試合が始まった直後に背後から受けた衝撃って、こいつらのしわざだったのか。
 ようやく合点がいった。

 たぶん、俺が戦ってるときにエフィールが処理してくれたのだろう。

 わざわざこんな大勢の前に出てきてくれて……と思ったら、彼女の足はちょっとだけ震えていた。

「……それで、決闘に勝ったら色々要求できるんだっけ?」

 にらみながら、趣味の悪い神輿に担がれている男を見る。

 やがてそいつが、ひそひそと護衛者っぽい半獣人に告げると、首輪をつけた身なりの良い彼が主人の代わりにたくましい声を張り上げた。

「私たち天樹会は、決闘の観戦に来ただけである!」

 ……うん?

「今回決闘を申し込んだのは、呪毒剣ルフルスが所属する鼠人族の者たちである!!
 資源の要求は、あの一族に取り合うべし!!
 我々は! 今回の決闘については、一切関知しないッ!!」

 そう高らかに告げた直後、連中は回れ右をし始めた。

 逃げるのかよ。

「お、おい!」

 呼び止めようとしたが、やつらは有無を言わせぬ様子でこちらをじろりとにらみ、背を向けて行く。

 ――その途中、神輿を担いだ奴隷たちと一瞬だけ目が合ったような気がした。

 大量の荷車が、荷台を空っぽにしたままごろごろと車輪を転がしながら一目散に去っていき、周囲はまた静けさを取り戻していた。

 ……まあ、いいさ。
 それよりも。

 くるりと振り返って、いまなお呆けたように座り込んでいる兎人族の少女に近づいていく。

 ペタリと座り込んだまま口を開けて呆けているその少女は、最後に会ったときよりも、少し髪が伸びてるだろうか。

「セナ。
 えっと……ただいま?」

 頭の裏を掻きながらそう言うと、彼女の大きな瞳がどんどん潤んでいく……。

 ああ、でも、この感情豊かな表情は変わってないな。

「――おかえりなさい、スロウさん!」

 そう言って抱き着いてきた彼女の背を、ゆっくりとさすってやったのだった。