――セナ視点――
「……もう、そんなに謝らないでください!
私の方が軽傷なんですから。
辛いときはみんなで支え合わないと」
「すまない……セナ……。
くそっ、やつら闇討ちまでしてくるなんて……!」
松葉杖を携えたおじさんが、椅子に座ったまま悔しそうにつぶやいた。
わたし以外で唯一、フラントール族の決闘者として戦えたはずのおじさん。
そんな彼の片足は、昨夜、突然現れた何者かに腱を切られて動かせなくなっている。
兎人族の長所でもある脚力が失われたいま、魔法道具の力があったとしても戦いに勝つことは厳しい。
まだ、動ける自分が決闘に出るのは仕方のないことだった。
「セナよ……」
「おじいちゃん」
枯れたようなその声に振り返れば、ごく普通の杖をついて佇む老人が静かにこちらを見上げていた。
わたしの祖父であり、一族の長でもあるおじいちゃんは、しわしわのまぶたを開いて乾いた口を動かす。
「もう、よい。
決闘には降参するのじゃ、セナよ。
戦いを放棄しても、もうだれも文句は言わぬ」
「……でも、そんなことしたらわたしたちの舟が……」
「負けても、生きてさえいればまた取り返すチャンスはやってくるはずじゃ。
天樹会もあれを壊すような真似だけはせんじゃろう。
何より……お前ももう、限界のはずじゃ」
そこでわたしはうつむいた。
見下ろした自分の身体は、たしかに、ちょっと傷だらけに見えるかもしれない。
服でどうにか隠してはいるけど、まだ腕とか足とかいろいろ痛むし、声を出すのもちょっと辛い
。
でも、我慢できないほどじゃない。まだ、あと一戦くらいは戦えるはず。
ずきずきと痛むお腹を悟られないように振舞いながら、うまく笑えているか分からない笑顔で胸を張った。
「これくらいへっちゃらです!
それに、スロウさんなら……あの人なら、きっと最後まであきらめずに戦います。
いつか再会したときに、わたし、情けない姿をお見せするわけにはいきませんから!」
想い浮かべたのは、長く一緒に旅をしてきた男の人。
デューイさんと並んで、魔法道具の剣を振るっていたその背中に、今までどれだけの勇気を与えてもらったことだろう。
わたしは静かに微笑んだ。
その人のことを思い浮かべる瞬間だけは、怪我の痛みも和らぐ気がした。
「……セナ、その御仁のことはもう諦めなさい」
だから、おじいちゃんからそう言われたときは、さすがのわたしも笑顔を忘れてしまいそうになった。
「ど、どうしてそんなこと言うの?
今までずっと応援してくれてたのに」
「あの水の太陽の、それも転移魔法に巻き込まれたのじゃろう。
助かる見込みはない」
「でも……!」
「ではなぜ、この数か月でひとつの知らせも届かないのじゃ」
言葉につまる。
確かに、本人からはおろか、デューイさんからも何の連絡も来ていない。
怪我の痛みが、少し強くなったように感じた。
「セナ、もういない相手のために命を削る必要はない。
お前にはまだ先が残っている。その、転移に巻き込まれた御方と違って……」
「……」
「お前は、魔法道具のことが好きだったじゃろう。
セトゥムナにはまだ、森林学院が残っておる。
今からでもまだ遅くはない。そこに逃げて……
あるいはもう一度外の世界に飛び出して、また人生をやり直しなさい」
「…………」
わたしは振り返った。
足を壊されたおじさんもおじいちゃんと同じ意見みたいで、二人から辛そうな優しい目を向けられる。
「これ以上お前が背負う必要はない」と、そう言っている目だったと思う。
でも……それじゃ……誰も……。
「――フラントールの一族よ、聞こえるか!!」
そこで、里全体にこだまするように響き渡ったのは、見知らぬ人の声。
「決闘の時間である!! 正々堂々と勝負されたし!!」
反響した遠い言葉に、間に合わなかったか、と二人がうつむいた。
でも、わたしにとっては、むしろ良いタイミングだったかもしれない。
立ち止まりかけた自分の心が、何かに押されるようにして再び動き始めるのをわたしは感じていた。
「安心してください!
これでもわたしは序列の八位なんですから。
ちゃんと勝って戻ってきます!」
胸を張って、せめて不安にさせないようにと、わたしは精いっぱいの笑顔を見せた。
――ふらつきそうな足をうまく動かして、広場の中心へと歩み出る。
外に出れば、もう相手は待ち構えていた。
半獣人ではない代理の決闘者だというその人はルーン文字の刻まれた剣をすでに抜いていて、たぶん、そのゆったりとした服装の下に他の武器を隠しているのだろう、隙のない立ち振舞いでわたしを待っていた。
序列七位の『呪毒剣』ルフルス。
二つ名の通り毒物を使うことを明言していて、なのに、天樹会はそれを取り締まろうとはしない。
たぶん、裏でつながってるんだろうなと、セトゥムナの決闘者たちはみんな察している。
……相手決闘者の後ろに視線を合わせれば、荷車や、たくさん奴隷の人たちの群れの中に一つだけ、目線の高い位置からこちらを見下ろしている男の人の姿が目に映った。
まるで王様みたいな趣味の悪い服を着て。
奴隷たちに担がせた移動式の特等席に座っている半獣人。
天樹会のメンバーだろう。
その特等席に描かれた、武器を重ねたような翼のマークを見て、浮かべていた笑顔が重くなりそうになった。
「それではこれより! 兎人族と鼠人族との決闘を執り行う!」
声を発したのはその人……ではなく、移動式の特等席の横に侍っていた、ちょっとキラキラした鎧を着た奴隷の半獣人。
きっと良い食べ物を食べているのであろう彼は、まるで兵士やお役人のようにたくましい声を張り上げた。
「両者、構え!!」
――どうして、おかしいって思わないんだろうなぁ……。
ほんとうのことを言えば、もう、身体中が痛くて痛くて、帰りたい。
風の短剣を握って、小型ボウガンを構えたけれど、もう戦える自信なんかどこにもない。
けたたましく鳴り響く頭痛や、走るような骨の痛み、そして消毒しきれなかった傷口の熱で、視界がくらむほどだった。
「我、序列七位『呪毒剣』ルフルスなり。
――お覚悟を」
わたしは上の空で、もういちど彼の背後にピントを合わせた。
あんなにたくさんの人たちを連れてきたっていうことは、きっともう決着をつけるつもりで来たのだろう。ほら、だって、もう奴隷の人たちに略奪の準備をさせてる。
どうにかして、距離を取って、小型ボウガンで戦えば……
でも、あんまり動きたくないなぁ……
……たぶん、今日がわたしの最期の日なんだろうな……。
どうにかここまで戦ってきたけど、もう無理みたいだ。
毒を食らって、決闘で負けた数時間後くらいに、ひっそり息を引き取る自分の姿を想像した。
「せめて、声くらい聴きたかったなぁ――……」
「フラントール族の決闘者!
名乗りを上げねば敗北と見なすぞ!」
にじんだ涙を振り切り、笑顔を消して相手を見据えた。
「序列八位『疾風の――!」
「ちょっと待ったああぁぁぁ!!」
その言葉と同時に、頭上から鳴り響いた甲高い金属音。
聞き覚えのあるその音とともに、空から降ってきた誰か。
まるで重力でも操っているかのようにふわりと地面に降り立ったその後ろ姿に、ハッとして目を見開いた。
「――ごめんね、心配かけて」
……その声を聞いた瞬間、ずっとこわばっていた身体が解ていくようだった。
考えていたはずの再会の言葉すらも霧散し、ぺたりと座り込んで、その人の背中を見上げた。
「もう大丈夫だから」
「あ、ああ……っ!!」
「――序列第十位『龍剣』スロウ!!
フラントール族・代理決闘者として、この勝負を引き受けた!!」