第百ニ話 フラントールの里へ

 苦労人の熊人や猫人族の族長、そしてドランドランの面々から見送られ、朝露で湿ったセトゥムナの大森林を進んでいく。

 メンバーは俺、エフィール、ブレアさんの三人。

 フラントールの里へは、歩いておよそ二、三日ほどかかるそうだ。
 直線距離にすればそこまで距離はないとのことだが、大森林という自然の地形が広がっているために何度も迂回していかなければならないという。

 重力魔法を使ってしまえば障害物を無視していけるだろうが、さすがに一般人ブレアさんの前で魔人の力を見せるわけにはいかない。

 地道に草やぶをかき分け、冷たい川で休憩し、崖を超えて、大地に張り巡らされた木の根を踏みしめていく。

 こういうのは、変に急いだら逆に到着が遅れてしまう。
 今までの旅路での経験と、砂漠の大陸でエフィールから教えてもらったことだ。
 余計な焦りは不必要な事故を招く。
 一歩一歩着実に、でもできるだけ早足で緑の豊かな大森林を進んでいった。

「――あの話ってほんとうなんですか?」

 途中で、ブレアさんが突然そう切り出してきた。

「はい?」
「その剣。ほかの魔法道具の能力も使えるっていう……」

 ああ、と俺は息をついた。
 ドランドランとの決闘で見せびらかしてたし、もう情報が広まってるのか……と思ったら、流出元は別のところだったらしい。

「あの子、すごく興奮した様子で話してましたよ」

 俺はすぐに、あの天真爛漫な兎人族の少女が思い浮かべた。
 彼女の趣味も思い出して、俺は苦笑する。

「そういえば、セナは魔法道具にいつもお熱だったからなあ」
「里を出たあともずっと変わらなかったんですか。
 ……いえ、そうですよね。
 もっとたくさんの魔法道具を見に行きたいって言って里を飛び出したんですもの」

 ふふ、とおかしそうに笑う兎人族の女性。

 そういえば、セナが俺とデューイのいた国に来たのも、そんな理由だったっけか。

「本人も言ってましたよ。セトゥムナには魔法道具があまりないって」
「はい。どうやらダンジョンの数自体が少ないみたいなんです、セトゥムナは。
 ですので魔法道具が発掘されることがあまりなくて……ほとんどは、他国と交換してきたものに、なります。
 ……私たち半獣人の奴隷と引き換えに」

 彼女は、伏し目がちに弱く笑った。

「思えば、当時から天樹会の悪事は行われていたんでしょうね。
 今の決闘の仕組みを作り始めて、他種族を自分のものにして、それで魔法道具好きなものを買い集めて……。
 当時から魔法道具がキライだって言う半獣人たちはいましたけど、いまは複雑です。
 自分たちを苦しめてきた道具なのに、その武器が無いとみんな決闘でやっていけませんから」
「……」
「……あ、集落が見えてきました。
 今日はここで一休みして、また明日移動を再開しましょう」

 話題を切り替えたがったのか、声を明るくさせて彼女は提案した。
 俺は彼女の指さす先を確認してから、後方を振り返る。

「エフィ――
 エル、今日はここで休もう」
「……了解」

 言葉少なに返事してくるエフィールに、俺は苦笑した。

 熊人族の里を出たあたりからずっとこんな感じだ。
 フードをすっぽり被ったままで、一日中、無口である。

 エフィールとブレアさんは、互いにあまり話そうとはしなかった。
 というか、エフィールが一方的に相手を避けてる感じがしたのだ。

 ――そのことについては、ブレアのほうから理由を聞かされた。

「実は、この前、興味本位でフード取ろうとしちゃって……」
「ああ……」

 ブレアさんいわく猫みたいに警戒されて、それ以来距離を置かれているのだという。
 それでか。二人きりになるのを妙に避けてるのは。
 不審者みたいに全身をすっぽり外套で覆いながら、こじんまりとついてくる彼女を見てようやく納得した。

「……けどあの子、けっこう可愛いですよね。
 フードで隠しちゃったらもったいないのに」
「あはは」

 どう答えたもんか分からず、愛想笑いでごまかしてしまった。

 でも、ブレアさんのこの好奇心の強そうなところはセナに似てる気がする。
 もしかして兎人族ってみんなこうなんだろうか。ウサギってけっこう臆病なイメージあったんだけどな。

 ……そういえば、セナとエフィールを会わせたら一体どうなるんだろう。

 廃都ベレウェルで戦い合ったんだから、たぶん、お互いに顔は把握しているはず。
 やっぱり、このブレアさんみたいにお互い避ける感じになるんだろうか。分からないな。

 ……また争いにならないように、今から言葉を考えておいたほうがいいかもしれない。

「フラントール族の決闘者? ああ、知ってるよ。
 序列八位の『疾風のセナ』のことだろ」

 立ち寄った集落の広場で、思いがけなく情報が手に入った。

 彼らは……イタチの半獣人だろうか。ちょっとひょろっとしてて、長い尻尾がついていた。

 夜の暗闇に抗うように焚かれたかがり火が背を伸ばしている広場の一角。
 そこで、俺ははやる気持ちをぐっと抑えながら彼の話を聞いた。

「俺も決闘を見に行ったことがあってな、あんなひょろひょろのお嬢ちゃんが序列の九位を下したときは驚いたもんだよ。
 でも、その後すぐに序列三位と当てられたのは可哀そうだと思ったなぁ……。
 しかも勝敗をめぐって色々いざこざがあったみたいで、天樹会から奴隷狩りを受けたって話さ」
「……」

 この辺は、猫人族から聞いた話と一致している。
 それでフラントールの一族は大きな被害を受けたとか、なんとか……。

「でも、兎人族も悪いと思うぜ。
 何しろあいつら、決闘で勝ったのに資源を要求しなかったんだから」
「……そうなんですか?」
「ああ。
 信じられるか? 序列の九位を下したんだぞ?
 せめて決闘で戦える人材くらい奪えば良かったのに、何もしなかった。
 間抜けだなあと思ったよ。
 自衛できるだけの資源すらも取んなかったんだから」

 イタチ姿の半獣人は、理解できない、と言わんばかりに大きなため息をついた。

「いくら自分たちの里でいろいろ育ててるからって、偽善もいいとこさ。
 取れるときに取っておかないとせっかくの勝利がもったいないのに。
 実際『疾風のセナ』本人も、もう故障が続いててまともに戦えないって話だ。
 このままじゃ遠からず、フラントールの一族はやっていけなくなるんじゃないかなあ」
「……」

 ――それに、この後に控えてる決闘の相手は、序列七位の『呪毒剣じゅどくけんルフルス』だろ。さすがに、もう……。

 そんな彼の言葉が、頭の中で反響していた。

 早朝から、集落を出てまた移動を再開する。

 頭上から静かに降り注ぐ木漏れ日の下を潜りながら、俺は考えた。

 もともとセナは、戦闘肌なタイプではない。
 どちらかといえば味方の援護を得意とする女の子だ。
 一対一のタイマン勝負を続けさせるのは、さすがに無理がある。

 ……足が、速くなった。

「……」

 いや、本当に足が速くなってるぞ。
 なんだこれ。

「……なんだか私、昨日はよく眠れたみたいです。
 身体が、羽のように軽い……」

 ブレアさんからの若干困惑したような声を聞いて、俺はハッとして後ろを振り向いた。

 ――こじんまりとフードを被っていたエフィールの金色の瞳が、いつの間にか赤くなっている……。

 苦笑した。
 どうやら、ブレアさんに気付かれない程度に重力魔法を使ってくれてるようだった。
 確かに、この感覚は身に覚えがありすぎる。

 たぶん、こちらの焦りを見て、意図を汲んでくれたのだろう。
 俺は少し速度を落として、エフィールの横に並び立った。

「……助かる」
「……いいのよ、これくらい」
「なにか言いましたか? お二人とも」
「いや、なんでもない」

 軽々と跳躍したブレアさんの隣に追いつき、そのまま嘘みたいに軽くなった身体で大森林を進んでいった。

 ……予定よりもかなり速いペースを維持してセナの故郷へと近づいて来たころ、俺たちは異変に気が付いた。

「……この音は?」
「わたしも、聞こえます」

 遠くのほうから聞こえてくるのは、多数の車輪が回る音。

 妙に規模のでかい騒音を不審に思い、巨大な木の根に隠れるようにして様子を見に行く。

 ――広々とした土気色の道路を進んでいるのは、数多の荷車。

 金属製の首輪をつけられた半獣人に引かれるそれに積まれていたのは、同じ奴隷の半獣人たち……。

 その次の荷車には武器……ではなく、のこぎりなんかの工具ががちゃがちゃと音を立てながら山のように積まれ、

 さらにその次には、何も入っていない空っぽの荷車が続く。

 ――奴隷、工具、空っぽ。その三種類を延々と繰り返しながら続く荷車の列。

 その列を囲うように歩いているのは、質の良い服ときれいな武器を携えた、首輪付きの戦士たちで。

 その、背中に刻まれたマークを見て、じっと様子をうかがっていたブレアさんが身を乗り出した。

「あれは……天樹会の……!」

 ギリ、と憎々しげに歯ぎしりをする彼女。
 あの、剣やら斧やらの武器が重なったような翼のマークが、もしかして……?

「……ねえ、フラントールの里ってそろそろ近いんじゃないの?」

 遠慮がちにつぶやいたエフィールの言葉にハッとして、ブレアさんの方を見た。

「……あれは間違いなく天樹会の手の者たちです。
 決闘で勝つことを想定して送り込まれる、資源の回収役の……!」
「勝つって……まさか!」

 俺は声を潜めながら二人に顔を近づけた。

「まずい、決闘が始まってしまうかもしれない!
 急がないと!!」