第百一話 出発前夜

 その後は、けっこう事務的な話をすることになった。

 フラントールの一族の代理決闘者となることを決めた以上はちゃんと話をしておかなければなるまい。
 猫人族から兎人族への鞍替えという形になるので罪悪感があったが、その旨を正直に伝えると意外にもあっさり了承してくれた。

 猫人族の族長さんいわく、今朝の一勝で決闘者として戦える猫人族も取り戻せたので大丈夫とのことだった。それなりに戦力は確保できたし、ひとまずはやっていけるらしい。

 ちなみに負けた側の熊人族も、最高戦力であるドランドランが回復したので、たとえ今回の敗北で他種族から狙われたとしても防衛できそうだとのこと。

 俺が猫人族の代理決闘者を辞めたとしても、それで誰かに致命的な損失が生まれるわけではないらしい。
 この里を離れても問題はなさそうだった。

 とりあえずは、本人の希望もあってブレアさんに道案内を頼むことになった。

 戦いに勝った決闘者としての権利を使って彼女の身を解放してもらい、フラントールの里へ導いてもらうことにする。

 他の兎人族もいっしょにと思ったが、ついてくる者はブレアさんのほかには誰もいなかった。

「だって、いろいろ話聞いたけど、ドランドランの体調は良くなったんだろ?
 熊人族はけっこう親切に世話してくれるし、ここで奴隷として働いてたほうが安全だよ」

 解放を断った兎人族の一人はそう言った。

「今は天樹会からの圧力が強すぎて、たぶんフラントールの里じゃまともに生きていけない。
 いくら一族の秘宝を守るためだって言ったって、命には代えられないだろ。
 他のやつらだって、なんだかんだ今の暮らしが気に入ってるやつもいるし、そっちの方が多数派なはずさ。
 もちろん、故郷に思い入れがないわけじゃないけどさ」

 彼は首の後ろを撫でつけながら、複雑そうな顔で続けた。

「俺は……特別な人間じゃない。決闘者として戦えるほどの実力もないし、残念だけど、ブレアや君たちほどの度胸もないみたいなんだ。
 俺たちは、しばらくここに残るよ」

 ――もし天樹会の連中をぶっとばせたら、その時は忘れずに呼んでくれよ。力になるからさ。

 そう言って、笑って彼らは背を向けて各々の作業に従事し始めた。

 去り際の、彼らの沈んだ顔がすこし印象に残った。

「ほかに何か要望はあるか?
 ウチのドランドランを負かしたんだから、まだまだ融通は利かせられるぞ」

 場所は変わって、目の前に立っているのは苦労人の熊人が胸を張ってこちらを見下ろしてきた。
 戦いに勝った決闘者の権利というものは、奴隷一人ブレアさんを解放するくらいではまだ足りないそうだ。

 どうしよう、何かほかに欲しいものなんてあったかな……。

 ……あ、そうだ。

「手紙を出してもらうことってできますか」
「手紙?」
「はい、ある人物に届けてもらいたいんです」
「もちろんだ。あとで、文字が書けるやつと配達者を寄こそう」
「お願いします」

 筆記者はすぐに来た。

「内容は?」と聞かれたので、少し考えてから簡潔に伝える。
 文面はわずかに二行だ。

 ――

『龍剣』スロウ、セトゥムナ連合に帰着。
 セナの故郷で、合流を。

 ――

 これであいつには伝わるはずだ。
『龍剣』って単語で俺本人だと分かるだろうし、代理決闘者としての二つ名にもしてある。
 きっと、すぐに見つけてくれるだろう。

 宛先は『A級冒険者』のデューイにしておいた。
 こっちのほうが冒険者ギルドなんかを通して本人に届きやすいだろうと思った。

 紙切れみたいなその手紙を馬人族だという彼に渡し、速達でさっそく届けに行ってもらう。

 俺が魔法道具で風をまとってるときと同じくらいのスピードで走っていく彼の背中を見送ってから、俺はその場をあとにした。

 ……あとは、デューイが見つけやすいように決闘で勝利を重ねて、知名度を上げていくのが理想的だが……それはまだ先のことか。
 まずは、セナと、セナの故郷が無事かどうか急いで確かめるのが優先だ。

 熊人族いわく、まだ俺の勝者としての権利は残ってるみたいだったが、他には何も思いつかなかったので残りの分はエフィールに渡すようにお願いしておいた。

 一連のやり取りを通していつの間にか夕暮れを迎え、その日は熊人族の里で一夜を明かすことにする。

 賓客用のテントで休んでいるときに、突然、ドランドランとエフィールが並んで登場してきたのはびっくりした。

 話を聞くに、どうやらさっそく薬草学を学んできたエフィールがこの巨大な決闘者の残りの負傷箇所に治療を施していたらしい。

 この里にいた医者は軒並み決闘で奪われたと聞いたから、薬草学なんて知識があっても経験があるやつがいなかったようだ。
 本の知識に頼って手探りで治療をしているところにエフィールが飛び込んで、いろいろと基礎的なことを教えたり、逆に教わったりもしていたとのこと。

 そこでドランドランと再会し、再度治療を施したとかなんとか……。
 ドランドランがやけに上機嫌なのはそのせいか。

 その熊男は豪快に笑ってなぜか俺にまでお礼を言ったあと、強引に酒を置いてってそのまま帰っていった。

「えっと……」
「スロウ、ちょっと聞いてちょうだい。
 あいつ、あたしにまでお酒飲ませようとしてきたのよ?
 こっちは忙しかったのに」

 ドランドランがいなくなった途端に、疲労困憊といった様子でフードを外すエフィール。

 彼女の深紅の髪色が視界に映るのを確認しながら、俺はゆっくりと彼女の話を聞くことにした。

 エフィールはいろんなところを奔走していたようだ。
 出向いた先で治療を続けているうちに『大弓を背負い、黄金色の剣を携えた謎の女医』みたいに言われたとか。

「大弓は分かるけど、黄金色の剣って……あ、ベレウェルの黄金剣のことか」
「ええ、そうよ。
 まだちゃんとあたしが持ってるから」

 彼女はそう言って、自身の身を包んでいた外套を広げた。

 腰の横に備えられた最強の範囲攻撃を誇るその剣は、砂漠の大陸で調達した布切れで覆われている。
 が、しかしここまでの旅で損耗してしまったのか、布地のいたるところがほつれたり穴が空いていたりで、黄金色の刃がすこし覗いていた。

「ずいぶんボロボロだな……。
 明日、熊人族に言って新しい布を分けてもらうか。
 変に目立つと後が怖いし」
「助かるわ、決闘でこの剣が狙われたら面倒だもの」

 言われて初めて気が付いた。

 そうか、魔法道具を目当てに決闘ふっかけられる可能性もあるのか。

 なんだかんだ、俺たちが持ってる魔法道具は粒ぞろいだ。
 最強の魔法道具と名高いベレウェルの黄金剣を筆頭に、エフィールの光の弓矢、痛みと引き換えに致命傷すら治す鉄杭。

 そして、俺が持ってるこの音叉剣。

 かつてメレクウルクが『継承の剣』と呼んでいたこの剣だが、俺の故郷であるイストリアに戻る貴重な手がかりの一つであると同時に、かなり壊れた性能をしている魔法道具だ。

 だって、これ一本だけで数十個分の魔法道具の能力を使えてしまうのだから。
 そんな武器、他にあるだろうか?

 しかも決闘という場においては、観衆に能力を見せびらかして戦うことになる。
 代理決闘者となる道を選んだが、もし勝ちが進んで知名度が上がればこの大事な剣を狙われるようになるかもしれない。というか、負けた時点でこの剣を要求される可能性は多いにあり得る。

 一度の敗北も許されない。そんなプレッシャーが今になって襲い掛かってきた。

「……エフィール、ちょっと練習試合に付き合ってもらっていい?」
「どうしたのよ、不安なの?」
「いや、まあ、うん……」
「別にいいけど、スロウはもう十分強くなってると思うわよ。
 あんた、本気であたしと戦ったら結構いい勝負するでしょ」

 そんなアホな。

 苦笑しながらエフィールと目を合わせたが、彼女はその言葉がお世辞なのか本気なのか分からない真顔を浮かべてて結局なんとも言えなかった。

 どうなんだろう。本気でやった勝てるのかな。

 分からないな。水の太陽と同じ能力を使えば、あるいは良い勝負くらいはできるかもしれないが……いや、考えるのはやめておこう。

 あの、半自律的に行動を行う不死身の水像を生み出す能力は、人の前で出すわけにはいかない。というか、エフィールを敵として認識するのはもう無理だ。

「ね、それよりあたし、まだまだ話し足りないことがあるのよ。聞いてくれる?」
「ああ、もちろん」
「ドランドランが来る前のことなんだけど、あたしなんかが熊人族の子どもの怪我を診ることになっちゃって――」

 外は、心地の良い虫の鳴き声が響く静寂。
 賓客用のテントの内側で、赤い髪をあらわにして語る彼女の話を聴きながら、大森林の夜は更けていった。

 そして、早朝を迎えてから俺たちは出発した。
 セナがいるであろう、フラントールの里へ向けて――……。