第百話 あの少女の動向

 熊人族の里は、徒歩で数時間のところにあった。

 既に時間は正午過ぎ。
 早朝の決闘から日は昇って、鳥や虫の鳴き声が響き始めた豊かな大森林を進んでゆき……。
 そうして見えてきたのは、規模の大きな集落だった。

 広い畑、入り口のでかい家、巨大な食糧庫……。

 それらの施設が土気色の堅い大地の上に建てられていて、その合間をいろんな種族が行き交っている。

 体格の大きい熊人族が一番多いが、他には猫耳の人たちだったり、犬系の半獣人だったり……あるいは尻尾や背丈なんかの特徴から見てリスっぽい人たちもいた。

 やはり、序列持ちの種族となるとけっこう大所帯になるみたいだ。

 奴隷と聞いて身構えていたけど……今のところ、この里で働いている彼らは別段不幸そうには見えない。

 装着された首輪は簡素な木製で、その気になれば壊せそうなものだ。
 なんだったら奴隷を手伝う大柄な熊人もいたりで、想像してた様子とはかけ離れていた。

「……見てのとおり、奴隷だとはいってもセーフティネットの側面があるのさ。
 何しろ、ちゃんと飯を食わせて、眠らせてやらないといけない。
 彼らもオレたちと同じ……人間なんだ。
 いくら決闘で勝ったからといって、それで相手をボロ雑巾みたいに扱うことが許されるわけじゃないんだ」

 背中越しに垣間見える彼の瞳が、スッと細められた。

「もっとも、それが許されると思ってるやつらが、この大森林の頂点に居座っているわけだがね」

 前方のドランドランが英雄の凱旋のごとく闊歩し、里の人々から親愛や尊敬といった類の声を受けている。

 きっと、早朝の決闘でドランドランが勝ったと思っているのだろう。
 真実を知ってトラブルにならないのかと心配になったが、そこは問題ないらしい。

 熊人族最高戦力の決闘者が、まだ怪我は残っているとはいえ猛毒を完治して戻ってきた。

 それだけでもけっこう良いニュースだったようだ。
 一度の負けくらい簡単に取り戻せそうだと、苦労人の熊人が話してくれた。

 まあ、確かに、ドランドランのあの陽気さなら敗北したとしても「負けてしまったわ、ふはは!!」とか言って笑い飛ばしてしまいそうだ。
 彼が慕われるのも分かる気がする。

 俺たちはその決闘者の背に隠れるような形で進んだあと、途中で彼から離脱して横道に逸れていく。

 別れ際、振り返ったドランドランからわざわざ感謝の言葉をかけられたエフィールが気恥ずかしそうにうつむいていたのが印象に残った。

 ……やがて、案内されたのは大森林に近い集落の端。

 豊かな緑が目の前に広がる中、その樹木のそばで休んでいる人たちが目に映った。

 森の奥から採集でもしてきたのだろう。
 野草やら果物やらがたっぷり詰まったかごのそばで、見たことのある半獣人の娘たちが休んでいた。

 茶色の髪に、頭部に生えた長い縦耳。

 彼女・・に似た複数のシルエットを見て、俺は思わず口を漏らしていた。

「セナ?」

 振り返った兎人族と、視線が交わった。

 ――別人だ。

 シルエットは似てるけど、やっぱり、違う。
 休んでいた何人かの兎人族が集まってきていたが、そこに探している少女は見当たらない。

 ……ああ、でもなんか、この小刻みに動く縦耳とか、懐かしいな……。

「人違い、ですか?」
「ああ、うん。実は探してる子がいてさ……」
「スロウ! ちょっといい?
 この里でいろいろ薬草学とか聞きに行ってもいいかしら?」

 そこで、エフィールから声をかけられた。
 一旦兎人族から目を離して、背後に駆け寄ってきた彼女と向き合う。

「薬草学?」
「もしかしたら今後の役に立つかもしれないし」
「ああ、もちろん。一人で大丈夫か?」
「これくらいどうってことないわよ。
 幸い、あの熊男のおかげで歓迎されてるみたいだから」
「分かった、気をつけて」

 フードに遮られた金色の目と視線を交わしたあと、彼女はひらりと身を翻して離れていく。

「……スロウ……と言いましたか?」

 そこで改めて兎人族に向き直ると、その中の一人が信じられないものでも見るかのような表情を向けてきた。

「はい?」

「――廃都ベレウェルで、水の太陽に転移させられたスロウというのは、あなたのことですか」

 彼女が口に出した一連の単語に、俺は絶句した。

「ど、どうしてそれを……」
「あの子から……セナから話を聞いています。
 まさか、本当に生きていたなんて」

 そう言って、彼女は縦長のウサ耳をぴくぴくと動かしていた。

 ――

 森のすぐ際の、若草色の大地に座り込んで話を聴くことにする。

 足を揃えて腰を下ろした兎人族の少女は、ブレアと名乗った。
 セナと同じ茶色の髪を肩まで伸ばした、大人びた女性だった。

「確か、彼女が一族の里に帰ってきたのは……数か月ほど前でしょうか」

 そう切り出したブレアの言葉を、俺は頭のなかで反芻はんすうした。

 数か月前。

 ……時間的には、俺が砂漠の大陸を漂流してたときと一致する。

 向こうでどうにか生活していた期間も確かそれくらいだったから、時間の流れはこっちとそんなに変わらなかったのか。
 正直、この世界に戻ってきた時点で数十年とかが経過していたらどうしようなんて心配していたが、そこは大丈夫だったようだ。
 もしかしたら時と空間を操るという例の死神さまの恩恵があったのかもしれない。

 そんな風に考えていると、とつぜんブレアは、ふふ、と思い出したように微笑んだ。

「あの子ったら帰ってくるなり、一族の秘宝を貸してほしい、なんて言うものでしたから。何事かと思いました」
「……一族の秘宝って、もしかして」

 俺は声をひそめながら顔を近づけた。

「空を飛ぶっていう『舟』のことですか?」
「……あの子から聞いたんですか」

 上品に両手を膝のうえに重ねていたブレアが、苦笑する。

 別に、ここでカミングアウトしても問題はないはず。

 エフィールは薬の知識を学びに行っているし、俺をここまで連れてきてくれた苦労人の熊人も決闘後のあれこれの作業で席を外している。
 ここにいるのは兎人族しかいない。
 共通の認識項を確かめるという意味でも、ここで開示しておいたほうが良いだろう。

「はぁ……でも、今さら隠しても仕方ありませんか。
 何しろ、天樹会てんじゅかいもその『舟』を狙っているのですから」
「天樹会……」

 確か、このセトゥムナ連合の頂点だったか。

 そして、彼らフラントールの一族を執拗につけ狙っているという……。

「実は……その天樹会に、舟を動かすための『鍵』を盗まれたんです。
 セナが帰ってくる二週間ほど前に……。
 舟を貸したくてもできないと、そう理解してくれたあの子は『鍵』を取り戻すため、
 そして、まだ里に残されている『舟』を守るために、
 セナは私たちフラントール族の決闘者として戦うことを選びました」

 冷や汗がにじんだ。

 毒を受け、荒い呼吸を繰り返してうずくまっていた今朝のドランドランの姿が、華奢なセナの姿に取って代わる。

「……フラントール族に、他の決闘者は?」
「少し前の大規模な奴隷狩りで……」

 ブレアは、膝のうえに重ねていた両手を、ぎゅっと握りしめた。

 悔しそうに歯を食いしばる彼女から、俺はなにか強い怒りの感情を感じ取った。

「あいつら……刺客を送ってきたんです……!
 天樹会が、自分たちの息がかかった序列持ちの決闘者を何人も送り込んできて……
 卑怯な手段で勝利を手にして……!
 あんなの、ぜんぜん公平な勝負じゃなかったのに……っ!!
 あいつら! 指示に従わない私たちを『卑怯者』って一方的に……!!」

 真っ白に染まったブレアの両手が、さらに力強く握りしめられる。
 涙がにじむほど怒りに顔を染めた彼女がハッとして、深呼吸をしてから声を抑えて続けた。

「……セナは、そんな中でも、明るく振舞ってくれたんです。
 決闘であんなに傷ついてたのに、一族のみんなを励ましてくれて……」
「……」

「彼女は、ずっと言っていました。
『スロウさんなら、絶対に諦めない』『絶対にどこかで生きている』
『だから、わたしも踏ん張らないと』って」
「……セナが、そんなことを……」
「一族の秘宝である『舟』を借りようとしたのも、あなたを探すためだったんですよ」

 そこで、ブレアはこちらに目を向けてきた。

「こうして直接お会いするまでは、正直、わたしも信じ切れませんでした。
 その、あなたが生きているなんて」

 ……それもそうだろう。

 かつて自分が巻き込まれた、水の太陽による転移攻撃は、一度食らえば生存は絶望的とまで言われていた。

 いくら空を飛ぶ舟があったって、探しに行くなんて無謀なことだ。

 でも……。

「――早いとこ、顔を見せてやらないといけないな」

 俺は大きく息を吸い込んだ。
 やることは、決まった。

「ブレアさん。確認ですけど、セナはまだフラントールの里で決闘者として戦っているんですよね?」
「……そうですね、おそらくは。
 私は奴隷狩りを逃れてここの人たちに保護されたので、その後のことははっきりとは分かりませんが……けれど天樹会のやり口を見るに、あの子を決闘者のまま戦わせて消耗させているはずです」
「なら、なおさら早く行かないと」

 俺は立ち上がった。
 何にせよ、まずは合流しなければ。

 そこで困惑しながらこちらを見上げていたブレアが、慌てたように口を開いた。

「でも、里を攻撃しているのは序列持ちの決闘者たちなんですよ!
 それも、卑怯な手ばかり使ってくるような!
 それこそ『堂々のドランドラン』のような序列持ちを味方に引き入れないと、あなた一人が行ったところで勝ち目は……!」
「ドランドランはもう序列持ちじゃない」

 彼女の言葉を遮って、俺は続けた。

「俺が倒したからね」

 ブレアが口を開いたまま硬直しているのを横目に、俺はあごに手を当てて考えた。

 そういえば、ドランドランを下した今は、自分が序列十位の決闘者ってことになってるんだよな。

 ちょうどいいじゃないか。
 まだ一戦しか経験していないが、そういう肩書があればセナを含めフラントールの人たちを安心させてやれるかもしれない。

「ブレアさん、フラントールの里へ案内してくれませんか。
 この俺、序列十位の――」

 そこで思い出した。

 ドランドランには『堂々』の二つ名がついていた。

 それと、以前ちらっと聞いたっきりだが、猫人族を決闘で負かしたのは確か、序列六位の『浮浪のヴィノ』ってやつだ。

 どうやら序列持ちには、二つ名がつけられる慣習があるっぽいけど……。

 ……そうだ。どうせ名乗りを上げるのならば、この二つ名がいいだろう。

 頭の中に浮かんだ、まだ居所が分かっていないもう一人の仲間。

 その、俺にとっては師匠でもあるあいつの、その剣術の使い手の名称を口にした。

「――序列十位『龍剣りゅうけん』スロウ。
 俺が兎人族の……フラントールの一族の代理決闘者になります」