決闘に勝利し、諸々の要求をしに猫人族の族長とともに歩いていく。
向こうの代表らしき相手は、三十代かそこらの壮年の男だった。
ドランドランは「細い男」というふうに表現していたが、俺からすればこの人も十分でかい。
熊人族に特有なのであろう丸い耳とたくましい筋肉で、仁王立ちでもすれば絵になりそうな男だったが、曇った表情が染みついていてどことなく覇気がない。
苦労人の気配が漂っていた。
「それで? 何が欲しい?
できれば容赦してくれると助かるんだが」
彼は溜息をつきながら言った。
横で話を聞いていると、どうやら決闘で要求されるものは基本的には人手のようだった。
働き手だとか、あと、決闘者として戦える戦士だとか。
今回は熊人族が保有していた猫人族の奴隷をありったけ取り戻すみたいで、他には食料や薬草の類を貰うつもりらしい。
老人の口ぶりからするに土地なんかも欲しがっていたようだが、交渉相手の熊人族がかなり嫌そうな顔をしていたのを見て引き下がっていた。
何というか、相手から恨みを買うような真似は極力控えているという雰囲気だった。
今のところ他種族の奴隷を要求したりもしてないし、この猫人族の族長は決闘に勝った側なのにも関わらず腰が低い。
「申し訳ありませぬ……熊人の者よ……。
我々も食っていかなければならぬゆえ……」
「分かってるよ。
仕方のないことさ。オレたちだってたくさん他の種族を食らってきたんだ。
お宅の猫人たちも、しばらく奴隷として使ってきたわけだしな。
今さら文句を言える立場じゃない」
「……すまぬ……」
「いいから、謝るのはやめてくれ。
あんた、かなり譲歩してくれてるだろう?
天樹会の取り立てっぷりに比べたら大違いだ。
そんな顔しないでくれ、ご老体」
ポン、と小さな肩に手を置く熊人の男。
なかなかに重い雰囲気だ。
もしかしてこの二種族に限らず、セトゥムナのあちこちでこんな風になってるのか……?
俺は頭を振った。
とにかく、今はやるべきことをやらないと。
こちらが欲しいのは情報だけ……。
話を聞くくらいなら別に向こうの負担にはならないだろう。
「すいません、実は聞きたいことが――」
タイミングを見計らって口を開いた、その時だった。
「――ドランドラン!」
背後から悲鳴が聞こえた。
反射的に振り返れば、先ほど戦ったばかりのあの巨大な熊人族がいままさに倒れるところだった。
交渉をしていた壮年の熊人が慌てたように走り出す。
こちらも急いで後を追うと、あのドランドランがうずくまって苦痛に顔を歪めている姿がすぐ目に入った。
呼吸は異常に早く、脂汗が滝のように噴き出している。
ついさっきまであんな陽気に笑っていたはずなのに、今の彼からは堂々とした戦士の面影すらも見られない。
大森林の緑のにおいが、やけに強く感じる。
周囲の反応は様々だった。
呆然と立ち尽くし、気の毒そうに目を伏せる猫人族。
背中をさすって声をかけ続け、持ってきていたらしいわずかな薬品で治療を試みる熊人族。
「医者はどこだ!?」
「天樹会との決闘で全員持っていかれたよ……!」
「ああ、くそ、オレたちはもう終わりだ……!」
と、誰かが頭を抱えた、その瞬間。
視界の影から現れたのは予想外の人物だった。
「待って、いま治療するから」
名乗り出たのは、フードを被った小柄な少女。
エフィールだ。
顔を伏せたまま、彼女はドランドランのそばに膝をつく。
「……やっぱり、クォリムの毒花を使ってる。
薬を投与するだけじゃ間に合わない」
気味の悪い青色に染まった決闘者の腕を診たエフィールは、
迷わず、ある魔法道具を取り出した。
鉄杭の魔法道具だった。
あの、激痛と引き換えに、致命傷すらも治せる能力の……。
「それは……?」
「これを突き刺せば治せるかもしれない。
かなり痛いし、傷つけるようにしか見えないかもしれないけど……」
そこで顔を上げたエフィールが、初めて周囲の熊人たちと目を合わせた。
一瞬、怯えたように身をすくませた彼女だったが、それでも「信じてほしい」と言わんばかりに口を引き結んでフードの奥から金色の瞳を向けていた。
「……分かった。こちらからもお願いしたい」
そして、藁をも掴むような声を絞り出す熊人族。
直後、鉄杭が負傷箇所へ突き刺された。
どすっ、という生々しい音とともに、ドランドランが獣のようなうめき声をあげて暴れ出し。
それを全員で抑えて、抑えて。
さらに十数秒が経過したのち……。
突然、巨体がむくりと起き上がった。
「ドランドラン!?」
「――こ、これは……!!
吾輩の身になにが起こったのだ……!?」
狐にでもつままれたように、自身の腕を確認する巨大な決闘者。
あの気味の悪い青色はすでに消え失せ、血色の良い元通りの筋肉に回復している。
「……そっちの塗り薬、原料はジグの根っこを使ってる?」
「あ、はい、そうです!」
「分かった。
あったらで構わないけど、今度はレーリアの葉と一緒に傷口を塞いで。
そうすればもっと早く治るから。
たぶん、この国の湿原にも自生してたはず」
エフィールがドランドランの刺し傷まみれの上半身を指しながら言った。
その場にいた全員が、呆気に取られていたと思う。
妙な沈黙が場を支配する中、かろうじて彼女の人となりを知っていた俺がまだ膝をついている少女に近づいた。
「エフィ……
エル。もしかしてセトゥムナの薬草とかにも詳しいのか?」
危ない、本名のほうを口にするところだった。
「え? ええ、旅の途中で寄ったことはあるから、一応……」
「――ドランドランが回復したぞ!!」
そこで、沈黙を切り裂いて湧き上がる歓声。
決闘で勝敗が決まったときよりも大きな盛り上がりだ。
治療を受けたドランドラン本人は驚きつつも、やがて完全に解毒されたことを理解したらしい。
パフォーマンスのように腕を掲げだし、熊人族を中心として喜びの言葉が入り乱れる。
「ふはははは!! 身体が軽いぞ!!
この小さな恩人には感謝してもし足りんわ!!」
「ちょ、ちょっと! まだ治ってないところがあるんだから……!
あと、フードは外さないで……!」
顔を隠す布の切れ端を必死に抑えながら戸惑っている彼女の姿をみて、
ふと、俺の脳裏には一つの未来が浮かんでいた。
それは、戦いで傷ついた数多の決闘者たちを、エフィールが癒して救う場面だ。
消耗戦の側面があるこの国のシステムにおいて、彼女のような治癒士は何にも代えがたい存在になるだろう。
俺は直感した。
このセトゥムナ連合において、エフィールが発揮するべきは『戦闘』の能力ではない。
傷ついた人間を癒す『治療』の能力だ。
「エーフィ、お前は絶対決闘には出るな」
「ちょ、ちょっと何よ、いきなり……」
人だかりを押しのけて彼女の両肩を掴むと、エフィールはフードの端をつまみながら困惑したように見上げてくる。
「お前が最後の生命線なんだ。
いいか、俺みたいな決闘者が故障したりしても、お前さえ無事でいればまた再起できる。
だから、何がなんでも生き延びろ。
俺たちより先にやられちゃ絶対だめだ。分かったか」
「分かった、分かったから、近いってば……」
肩を掴んで力説していると、フードの奥で顔を背けられた。
なんでだ。大事なことなのに。
……しかし、そこで、周囲の歓声が落ち着いてきたらしい。
やがて、背後から優しい声で話しかけられた。
「君たちには、大きな借りができたな」
振り返ると、猫人族の老人の横に立っていたのは、諸々の交渉相手であった熊人族の男。
苦労人に特有の気難しそうな眉根が、今は少しだけ和らいでいるように見えて、ちょっとだけ驚いた。
「話は聞いたよ。兎人族を探しているんだって?
ウチにもいくらかフラントールの一族がいる。
君さえよければ今日中にでも案内しよう」